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2008年8月17日 (日)

野球VS卓球

卓球の試合がこれほど放映されたことは、かつてテレビの放映が始まって以来無かった。オリンピックでも、世界選手権でもせいぜい1時間程度のダイジェスト版だったが、団体全試合が、はじめから最後までテレビ中継されたことは、一卓球ファンとして実に嬉しい。

それも日本選手の健闘あってのテレビ放映であったのだが、昨日の決勝戦進出を賭けた日本VSドイツ戦は本当に見ごたえがあった。ともにヨーロッパスタイルのシェイクハンドドライブの打ち合いは、卓球を知らない人にも卓球の醍醐味を堪能してもらえたのではないだろうか。残念ながら私の一押しの水谷が個人戦で落としたものの、岸川、水谷のダブルスは、日本卓球界のまさに夜明けを見せてくれた試合である。

球技の中では、一番小さく軽いボールを扱うスポーツである。対戦相手との距離も、打ち合う球技の中では一番近いスポーツである。ゆえに相手の表情、しぐさ、動揺等、一番対戦相手の精神状態が伝わってくる個人球技である。繊細なスポーツであり、駆け引きが重要なスポーツ、それが卓球だ。

女子卓球は愛ちゃん人気で、卓球人口も増え、底辺の広がりにつながり、中学校、高校の部員数も非常に多い。昔と違ってユニホームがカラフルになり、かわいらしいデザインも増え、卓球の暗いイメージはほぼ払拭された気がする。

一方男子卓球部は、市内でも人気が無く、事実上廃部に追いやられている学校も少なくない。理由は簡単である。実力の差がはっきりしすぎていて、中学校から卓球を始める子ども達には、スポットライトを浴びるチャンスがないのである。

大会で常に勝ち上がってくる生徒達は、幼稚園や小学校の低学年から親の影響で卓球を始めた子ども達である。個人戦ゆえ、いつも表彰台のメンバーは決まっており、他の生徒は彼らの引き立て役である。そのような現実を目の当たりにし、卓球は敬遠されてしまっている。

野球やサッカーならば、番狂わせはしょっちゅうだ。昨日までの星野ジャパンの戦いを見ても、それはお分かりいただけるだろう。スタープレーヤーをそろえても勝てない時は勝てないのである。つまり多くの子ども達に勝つチャンスはあるのだ。ゆえに人気があり、部員が集まる。

ちなみに息子が通っている中学校では、1年生男子の7割が野球部とサッカー部である。卓球部員はわずかに2名。2年生も同様である。来年新入部員が入ってこなければ、廃部の危機に直面する。本年度県大会で準々決勝まで勝ち上がったチームがである。

実は中学生の野球人気には、もう一つの顔がある。それは公立高校や私立高校のスポーツ推薦である。甲子園予選はどこの県でも同じだと思うが、ラジオやテレビで中継される。高校にとってこれほど宣伝効果のあるスポーツはない。従って各高校が野球に力を入れるのは当然の成り行きで、スポーツ推薦枠の人数も一番多い。

県立の進学校では、県ベスト8以上という推薦の基準を設けているところが多いが、ベンチ入りさえすれば、その資格は得ることが出来る。卓球個人でベスト8となると、予選を含め気の遠くなるような試合数を勝ち上がらなければならない。推薦では絶対に団体競技が有利である。

その辺の空気感を読んでの選択かどうかは定かではないが、純粋にスポーツを楽しんだ結果としての推薦ならいいだろうけれど、最初からそれ狙いの部活選択がもしあるとするならば、少し考えなければならない。

私は野球もサッカーもそして卓球も好きである。スポーツを戦いだと言っていたオリンピック選手もいたが、私は戦いではなく、芸術だと思っている。野球のファインプレーやサッカーの華麗なシュートを見ていると、まさにアート以外のなにものでもない。

打算のない一瞬の精一杯のプレーが感動を呼ぶ。楽しむこと、これがスポーツの奥義である。

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