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2008年8月20日 (水)

年を取るということ

小学校の頃、成人式を迎える人達がすごく大人に見えたものだ。自分が二十歳を迎えた時、「何だこりゃ」的脱力感があった。成人式を迎えても全然大人じゃないなという感が強かった。そして二十歳の頃、40歳の人間を見てすごく落ち着いた大人を感じたのだが、自分が40歳を迎えた時、二十歳の頃となんら感情や精神が変わっていない自分に驚いた。

そしてぼちぼちかつては初老と言われた50に近づいた。人生80年の今、50歳はバリバリ現役の真っ最中である。ある意味困ったことではある。60歳定年なんて、言ってみれば、生殺し状態のようなものである。

卓球で日頃お付き合いしている方で、定年を迎える方が何人かいるが、高校生の県大会上位者を相手に対等の試合をしている。物凄い。50歳前の私など、彼らから見ればまだまだ若造なのだろうなと思う。

論語に「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」いう言葉があるが、天命を知るどころか、日々限りない煩悩に悩まされ、紆余曲折の毎日である。天命どころか明日のスケジュールさえままならず、家庭のことで悩み、塾のことで悩み、そして最近道路で頻繁に止まってしまう軽トラックに悩むかねごんである。しょうもない・・・・・・。

本を読めば知識は増える。長く生きた分友人も増える。それなりに困った時の対処法を身につけてきたような気はする。

一方年を取ることで失ったものもたくさんある。体力であったり、冒険心であったり、そして私の場合髪の毛であったり(・・・笑い)。

プラス、マイナスで考えると、年を取ることで精神面では確かにプラスの面が多いのかも知れない。死を迎える日まで、精神や思考が向上し続けることが理想だろうけれど、なかなかそうもいかないのが人間である。

年を取ることへの不安は正直言ってなくも無い。妻や息子達に迷惑はかけたくないと思っている。こと切れる最後まで教室で仕事が出来ればまさしく最高だろうけれど、それではその場に居合わせた生徒達に迷惑がかかってしまう(・・笑い)。難しい・・・・・。

息子達に、「お父さんが死んだら後を頼むぞ」と言ったら、「大丈夫だよ、ちゃんとお墓に入れてあげるよ」と言われた。まあ、いいか・・・・・

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