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2008年8月17日 (日)

死生観の変遷

無神論者で、天国も地獄も信じることはなく、人間は死ねば窒素や炭素に分解され、自然の大地に還元されていくと考えていた。一度きりの人生なのだから、思う存分頑張って人生を有意義に生きていこう。これが私の若い頃の生き方の指針であり、価値観だった。

従って20歳の時、私をとても可愛がってくれた祖父が他界した現実を前に、一人の大切な人が地球上から消えてしまうはかなさと虚無感に、途方もない悲しみを感じた。いたたまれない無常観にさいなまれたのを覚えている。

当時は宗教も霊能者も私にとって胡散臭い存在であり、単なる世の中のトラブルメーカーでしかなかった。確かに聖書も読んだし、神智学の書物も紐解いたが、宗教を信じ、神にすがる人々をどこかさめた目で眺めていた自分がいた。

そんな私を揺るがす経験が、後年私に訪れる。

私の父が他界した時である。祖父の死から8年が過ぎていた。孫の顔を見せることが出来たのが、私の最後の親孝行だった。火葬も終えた三日後のことだった。夜中に私の長男が急に泣き出した。夜泣きをしない赤ん坊だったが、その日は凄まじい泣き声だった。ふと目をやると、白っぽい姿の父が、孫である私の長男の横に立っていた。妻もその姿は確認している。父の姿が消えると、長男も泣き止んだ。

死後の世界を否定してきた私にとって、衝撃的な体験だった。仕事が終わって、車を運転している時など、助手席から懐かしい父の匂いがしてくることも何度かあった。20代で家長になる息子への不安だったろうか、年老いた祖母とそして母に対する心残りだったろうか、「大丈夫だよおやじ、俺がちゃんと面倒見るよ」、そんな言葉を目に見えない助手席の父にかけていた私である。

父が亡くなって以来、私の理性がだいぶ揺らぎを見せたことは事実である。本屋に行っては宗教書や死後の世界を扱った本を買い込み、読みふけった。当時の私は、感情や感覚ではなく、理性として知識として死というものに対処したかった気がする。将来自分に訪れる死というものを含め、自分なりの納得いく回答を求めていた。

死という概念は、数学の公式のように誰もが同じ回答をたぐりよせられるものではない。深みにはまってしまうと、宗教という罠に陥る危険性があるのも事実である。実際私も瞑想をやってみたり、テレビ等で有名な宗教人のセミナーなどにも足を運んだりもした。

しかし最終的に彼らの目的は、信者を増やすことであり、お金を吸い上げることであって、私が求める真理の希求とはほど遠かった。聖書や古典的な哲学書を読めば書いてある周知の内容を、まるでオリジナルのごとく吹聴し、神の啓示が・・・などとうそぶく偽宗教家がほとんどであった。

父の死から20年が過ぎようとしている。もうかつてのような理性の揺らぎの中に身を投じることはないけれど、日々生かされていることへの感謝と、死を超えたSOMETHINNGを人生で感じることは確実に増えた私である。

教育の中で、生きる意義と生きることの大切さを子ども達に語り続けることが、私の役目であり、努めのような気がする。人は間違いなく肉体の死を迎える。その事実に変わりはない。死の真実は、やはり死ぬまで分からないのだろうと思う。きっとその方が人間が生きて行くうえで、楽なのかなと思うこの頃である。

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