セピア色の思い出
今日から夏期講習の後半がスタートした。お盆休みはとても涼しく過ごしやすかった。雨の日が多いお盆休み故、オリンピック観戦で過ぎ去って行った休日であった。
お盆休みや、正月休みに必ず塾に寄って、挨拶をしてくれる律儀な男がいる。W大を出て東京で働いているM君だ。今日も東京に戻る前に、わざわざ手土産を持って立ち寄ってくれた。
塾生の頃はいたって普通の高校生で、私との距離もそれほど親密な仲と言うわけではなかった。彼が変貌したのは、浪人を決め予備校通いを始めた時からだった。
予備校の復習や予習を、私の塾に来て勉強していた。勉強の場所を提供していただけなので月謝も別にもらわなかった。しかし彼は受験勉強で忙しいなか、私の田んぼに来て、稲刈りを手伝ったり、まだ小さかった私の息子の子守をしてくれたり、本当に律儀で優しい若者だった。
残念ながらW大の合格には2点足らず不合格だった。神奈川の私大に入学した。しかしM君はその大学に通いながら受験勉強を続け、2年越しでW大に合格した。
私が30を過ぎ、山登りを始めた時も、最初の山登りに随行してくれたのがM君である。山から下りてきて、天然の露天風呂で汗を流し、飲んだビールの味は今でも忘れられない。
M君が28の時である。最愛のお父さんを亡くした。私が父をなくした時と同じ年だった。葬儀のすんだ後しばらくして、二人で泣きながら酒を飲んだ。その夜、長男であるM君に、今後の生きて行く指針みたいなものを話そうかなと思ったがやめた。それぞれの生き方があり、それぞれの道がある。彼は一関に帰らず東京で頑張っている。それでいいと思う。
30歳も当に過ぎたM君、よき伴侶にめぐり合い家庭を築いてもらいたいと思っているのだが、その話を振ると、「なかなか難しくて」と苦笑いするM君である。
M君らと塾で過ごした日々は、セピア色の思い出になったが、今彼らが生きている時代がなんだかとても切なく、そしていとしく感じられるのは、やはり年を取ったせいなのだろうと思う私である。
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