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2008年8月 4日 (月)

走り続ける時代

過去を背中にして、未来に向かって走り続ける人生に置いて、生きがいを見出すことはたやすい事ではない。

生まれてきた理由や、自分の存在価値を悩み始める思春期を迎える時期、人は一生懸命自分の生きる目標を見出そうとする。性別や国や時代など、生まれた時に自分が選択出来なかったことは多々あるだろうけれど、基本的に人間は自由である。

道は幾重にも重なり、放射状に広がっていく。どの道を選ぶかは、本人の意思である。限りなく生命は躍動する。すばらしいことだ。

しかし道に躓くものも多い。なぜだろう。誰にでもチャンスは与えられているはずだ。目で見、耳で聞き、頭で考え、そして五感や直感でやらねばならないことを、人は知っているはずである。親に言われなくとも、先生に言われなくとも、個人の感性や魂は自分が何をすべきか本当は知っている。私はそう思っている。

そういった人間の潜在意識を遮断してしまっているのが、毎日シャワーのごとく浴びてしまっている、テレビ等のバーチャルな映像や過度な刺激であるように思う。食べ物から始まって、着るもの、住居まで、自然や天然の物が極端に少なくなった文明社会で、自然の持つ波動の恩恵を人間が得られなくなってきている気がする。

静寂の中で本を読み、木々の中で鳥の声を聞く。時に雨音や風の中で眠りにつく。そんな暮らしの中で、本来は人間の感性が育まれるのではないだろうか。常に何か得たいの知れない脅迫観念に煽られ、走り続けるわれわれ現代人は、どこかやはり狂気を抱えているのかも知れない。

物質的豊かさを追求するあまり、真の心の豊かさを放棄してしまった人間。そんな感が強くする。

すべての人間は豊かになる能力を与えられている。金銭的にも精神的にもである。そしてその能力を開花させるのが、ひとえに創造力である。チャンスは何度でも無限にやってくる。つかまえられない人は、創造力を遮断するバーチャルな刺激から足を洗うことである。

塾生たちに言いたい。やりたいことは、実現出来るのだ。やりたいと思うことは、そのことに才能があるから、そう思えるのだ。それ以上でもそれ以下でもない。もう一度言おう、出来るからやりたいと思うのだ。夢をあきらめてはいけない。

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