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2008年8月 5日 (火)

寺子屋金さん 英語が出来なかった

末の子が夏休みに入る日、通信簿をもらってきた。あろうことか英語の評定が世界のなべあつのさ~んを下回ってしまった。日ごろの息子の勉強態度を見ていてある程度は予想していた結果だったが、我妻はマジで成績表を見て泣いていた。う~痛たたた。

息子を擁護するわけではないが、実は寺子屋金さんも中学校時代英語はちんぷんかんぷんであった。中1の Is  this a  pen ? につまずいたまんま、高1の中頃までやぶれかぶれの英語だった。

金さんの本来の得意技は実は英語であるが、中学校の時は本当に英語につまずいてばかりいた。言っちゃ何だが、ペンを指差してこれはペンですかはないだろうと毒づいている間に、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎそして分からなくなってしまった

まったくの言い訳でしかないが、英語の授業がつまらなかったのである。ジョーク一つも言わない英語教師ってあり?みたいな感じで、人生に疲れていたのか、根が真面目すぎたのか、時代がそうだったのか、1コマの授業の中で笑い一つ起こらない授業など、少年時代の寺子屋金さんには耐えられなかったのである。

金さんの若き頃、塾教師デビューをした頃の話しである。授業研修のさい、子ども達の笑いをとらねばと思い、創意工夫した授業であったが、校長よりお笑いタレントではないのでギャグのネタはいらないと言われ、ちょっと落ち込んだ金さんであった。

「英語わかんね~」と嘆く生徒達の気持ちは、よ~くわかる金さんである。先日夏期講習の指導中に、「先生どうやったら英語が出来るようになったの」と聞かれた。「勉強したから」などと言う回答を求めているのでないのは、重々承知の金さんである。

「高2の夏に守護霊が代わった」金さんの回答である。「はあ~?!」塾生の反応である。

高2の夏にまったく理由は定かではないが、英語の勉強をやりだしたのである。何かにとりつかれたかのごとくである。今当時を振り返ってみても、何が起爆剤になったのか金さん自身も分からないのである。当時金さんの身辺に起こった変化といえば、高1の秋からテレビをいっさい見なくなったことと、友人とバンドを組んで洋盤の音楽を聴くようになったことぐらいである。

特にビートルズはよく聞いた。ドーナツ盤の当時500円のレコードを買ってきて、擦り切れるまで聞いていた。特に「yesterday」と 「Let it  be」 は幾度聞いただろうか。金さんの18番だった。

くしくも先日、塾屋のオピニオンリーダーであるとよ爺先生がブログでhttp://toyojie.jugem.jp/?day=20080801、名曲Let it be をUチューブで紹介していたのである。あまりの懐かしさに金さんは泣けてしまったのである

ジョンレノンもポールもリンゴも若かった~。寺子屋金さんの若き血潮が震えたのである。あるがままに生きよう、そんな気持ちをまた新たにした金さんなのであった。息子にも聞かせようと思う。きっと来期は英語が上がることだろう?・・・・・・。

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コメント

同世代、万歳ですね!
私も高校2年生まで、英語はダメでしたね。
なべあつを下回ったことはありませんでしたけど…。
きっかけは音楽かな、結局、外国語学部に進学し、留学まで
したのだから…。

ビートルズはいつも新鮮ですよ。
私も息子には嫌というほど聞かせています。

(かねごん)
多忙な折コメントありがとうございます。
え!?とよ爺先生は私と同じ外国語学部だったですか。
勝手に理数系のイメージを抱いていました。失礼いたしました。
私も昭和30年代世代の音楽特集を書きたいと思っています。やあ・・音楽って本当にいいですね。

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