東京オリンピック
1964年の東京オリンピック開催に向けて、1960年代初頭の東京はちょうど今回の北京のように開発ラッシュを迎え、高度経済成長の時代を突き進もうとしていた。
東北の農村から多くのお父さん方が出稼ぎに東京に出て行った。新幹線や高速道路、オリンピックにあわせるように、多くの施設や交通網が整備されていった。その労働力の一人として私の父もいた。
ゆえに、もの心ついた頃はいつも祖父が私の子守役だった。どこに行くにも祖父の後をついて歩いていた。明治生まれの祖父は酒を好み、プロレスが大好きな、個性あふれる爺さまだった。牛を飼い、桶職人をやっていた。
祖父は不思議な魅力ある爺さまだった。若い頃から妙に爺くさい私だったが、まちがいなく祖父の影響である。
東京オリンピックの年、爺さまがテレビを買ってきた。今思うに、オリンピックを観たいというよりは、プロレス中継を観たかったのだと思う。今でもテレビがやってきた日のことを鮮明に覚えている。電源を入れた時の真空管がうなりを上げる音や、ガチャガチャとまわるチャンネルの感触に驚いたのを今でも覚えている。
私の東京オリンピックの記憶というと、開会式で飛翔した多くの鳩の数にびっくりしたことと、女子バレーのソ連と日本の決勝戦である。近隣の悪ガキ仲間と、東洋の魔女などと叫びながら、棒きれを振り回して走り回っていた。・・・・本当にずいぶん昔のこととなってしまった。
ちなみに私の家内は、この年まだ赤ん坊だった故私の話しについて来れない(・・笑い)。
あれから実に長い年月が過ぎ去った。競技のレベルもさることながら、一番進化したのはユニホームや道具だろうと思う。スピード社の水着もすごかったが、一番驚いたのはフェンシングのコスチュームである。まるで宇宙服のようであり、未来スポーツを見ているようだった。シューズにしても、ほとんどがアスリートに合わせた特注の靴である。
かつてマラソンのアベベ選手が、裸足で42.195kmを走りきったローマオリンピックは、今や遠い伝説である。
4年に一度オリンピックがやって来るたびに、白黒テレビの真空管のざわめきと、私と並んでテレビを観ていた爺さまのタバコの匂いを思い出す。
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