最近のトラックバック

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月

2008年8月31日 (日)

ブログの日々を本音で語ると・・・

大験セミナーわくわく日記を初めて寄稿したのは昨年の5月でした。オープニングの記事を書いた後、ブログのやる気がいまいち起こらず、3ヶ月ほど放置しっぱなしでしたが、昨年の8月末より重い腰を上げ、日々まじめに(?)書き始め、とうとう1年を迎えました。

書いた記事は310。頂いたコメントは77になります。ちょうど記念すべき77回目のコメントは、学び舎主人の小林先生でした。ラッキーセブンおめでとうございます。と言っても何も賞品はございませんが、あしからず(・・・笑い)。それにしても小林先生にはいつも精神的な支えとなっていただきありがとうございます。この場を借りて感謝申し上げます。

ブログでお付き合いさせていただいている、とよ爺先生、Mr.Honda先生、Terakoya先生、奥村先生、コメントやメールを頂き本当にありがとうございます。また先生方の毎日面白く、うなるブログを読めることに、喜びを感じています。

大験セミナーの保護者の皆様、塾生、OG、OBの皆さんいつも私の拙いブログにお付き合いいただきありがとうございます。感謝申し上げます。日々塾の様子を書くつもりのブログでしたが、まったく違う方向に拡散してしまい、塾ブログの様相を呈していない状況でありますが、なにとぞご了承ください。私の思考が定まらることを知らず、このようなブログになってしまいましたことに陳謝申し上げます。

かつて塾の回報『赤ひげタイムズ』を書いていたペースを考えると、この1年間で20年分ぐらいの回報を書いてしまった感じで、正直ネタ切れの状態であります。本当は塾のホームページを立ち上げ、私のブログ記事は週1回程度の回数にしようと考えましたが、予想をはるかに超えるアクセス数に、私も調子に乗ってしまい、このまま塾ブログで行こうと考えています。

そういうことで、塾の問い合わせで、「先生のブログから塾のホームページにはどう行けば良いのですか」と聞かれるのでありますが、HPはありません。着飾った言葉で塾を紹介するのも、教室の写真や塾の風景も、必要ないような気がします。塾の説明はこのブログのプロフィールの文章で十分だと思っています。

このブログを書き始めてからの1年間を振り返っただけでも、実に多くのことがありました。すぐそばの一関一高の付属中学校の新設が急遽決定した昨年の秋は、地元教育関係者に激震が走りましたし、一関市や隣の大崎市を襲った6月の大きな地震は、甚大な被害がでて、尊い命が失われました。また今月にはロシアのグルジアへの侵攻がありました。

そのつどブログに様々な思いをしたためてきました。別に原稿の締め切りがあるわけでもなく、書かないからと言っておしかりを受けるわけでもございませんが、ついついキーボードをたたいてしまう毎日です。

「かねごん先生はギターを弾かれるので、キーボードも超高速で打つんでしょうね。だから毎日ブログも更新できるんですね」などと言われたりするのでありますが、まったくNO~であります。2本指でちまちまと打っています。

2本指でちまちま打ち続けるブログの記事が、北は北海道から南は沖縄まで、いろんな方に読まれることは、実に楽しく、人生の半ばで見つけた私の喜びです(ちょっと大げさでしょうか・・・)。そんな分けで、我がセミナーのブログは、今しばらく続いていくと思います。

この1年間に私のブログにアクセスいただいた9800名の皆様、そして毎日私の記事を読んでいただいている60名の皆様本当にありがとうございます。今後とも私かねごんの、日々のぼやきにお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月30日 (土)

八杉春実 『人間が好き』

今でも忘れない夢がある。

ボロボロの木造建築、三階建てのだだっ広い大きな教室がいくつもいくつもある教室。その教室の窓から外を見下ろすと子どもたちがゾロゾロ歩いてくる。どの顔も知っている顔ばかり。しかし子ども達は誰一人ぼくの塾を見向きもしないで前を通り過ぎてゆく。

通り過ぎる瞬間、一人一人の子の顔がパッパッとまるでスライドのように別の顔に変わる。やがて彼等ははるかに見える鉄筋コンクリートの白い建物に吸い込まれていく。ぼくは階段をきしませながら急いで下りる。

1階の暗い土間の教室にほんの五、六人の生徒が無表情に座っている。どの子も顔や手にパックリ開いた傷跡がある。ぼくは彼らにひきつった顔で笑いかける。でも、いくら凝視しても、あわてて眼をこすってみても、ぼんやりとかすんで、その子らの表情がよく見えない。

目が覚めると決まって涙がにじんでいた。 (本文より)

1983年の春に出会った本である。塾教師をやることを模索していた私の運命を決定付けた本だと言っても過言ではない。八杉先生は、鳥取県の出身で東京教育大を出られ、私塾『東進会』の塾長をやられていた。くしくも私の父親と同年代の先生である。今年74歳になられるのだが、お元気だろうか。

10歳でお父さんを亡くされ、戦中、戦後ご苦労をなされて勉学をされてきた先生である。八杉先生が東京の練馬区で、六帖一間の教室で塾を始めた、1959年。日本はまさに高度経済成長を迎えようとし、日本の塾ブームが到来する頃である。八杉先生は言わば、日本の塾黄金期の礎を作った第一世代の先生方の一人である。

教室を増やせば、人情的な指導が行き届かなくなる。出来の悪い生徒を何とかしてあげれば、新しい立派な塾ができたからとさっさといなくなる。いつの時代も変わらない、塾教師の苦悩とジレンマ、そして涙と笑いの日々が綴られている。

最初に引用した夢の話であるが、塾をやってこられた先生ならば一度は似たような夢を見たことがあるのではないだろうか。私もそうである。塾が老朽化し、生徒が新しくできた大手の塾に移っていった時など、古くなった建物の片隅で蛙になった自分が、ネオンが光り輝く塾の周りにやってくる蚊や虫を食べに行こうかどうか迷っている、気持ちの悪い夢を見た。若い頃八杉先生の本を読んでいなかったならば、ひょっとしていたならば、塾を辞めていたかもしれない。本当に感謝である。

八杉先生は「人は誰かに勇気づけられると、とても不可能と思われる難しい道だって歩んでみようという気力が湧いて来る」と本の中で述べておられるが、今でも私が生徒と接する時の原点になっている言葉である。

追伸

先生の著書は他に『先生、塾は悪いのですか』(昌平社)があります。今回紹介した『人間が好き』は新声社から1983年に出版されましたが、すでに絶版になっております。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月29日 (金)

人生は時間が限られている

不得意なことや嫌なことに、自虐的に時間を費やし、ストレスを溜め、ため息をついている子どもや若者が多い。

仕事でも勉強でもそうだが、忍耐力を養う修業を意図的にやっているならまだしも、人生は長いようで実は短い。自分という存在価値を引き上げることをやらず、自分の欠点だけを補修しようとする時間の使い方は、もったいない気がする。

楽しく生きることを罪だと考える日本人は実に多い。特にわたしの母親の世代のように、戦争を経験してきた日本人は、無意識のうちに楽しむことを回避するトラウマがあるように思える。

しかし現代は違う、楽しい人生を送ることに何も躊躇(ちゅうちょ)はいらない。受験勉強もしかりである。勉強は十字架を背負った苦悩ではない。楽しみながら勉強をすれば良いのだ。

もし勉強がまったくつまらなく、心底学習意欲がわかないのなら、君が進みたい方向性が違うのかも知れない。音楽であったり、伝統工芸だったり、職人的仕事であったり、公教育とはかけ離れた所に君の目指すものがあるのかもしれない。

まったくつまらないことを、日々続ける虚無感は苦しいと思う。「高校ぐらい行かないとダメよ」。その言葉が全然勉強の後押しにならないことを、私は長年の経験で重々承知している。得意なことや意欲のわくことをやって、初めて人は輝くのではないだろうか。

わけ知り顔の大人は言う。「仕事はそんなに甘いもんじゃない。天職などというものを捜し求めていたら路頭に迷ってしまうだけだ。まず働け」と。この手の言葉がどれほど若者の心を傷つけ、ニート的日常に追い込んでいることか。

人生は限られたスパ-ンしかない。やりたいことがあったらまずそのことにエネルギーを向けてみることだ。私が生徒達にいつも言う言葉である。「君がやりたいと思う仕事や夢は、君にその可能性があるから君の心の中に芽生えたのだ。だから頑張りなさい」。

進学校に入り、目指せ国立大学の旗印のもと、苦手な教科にエネルギーを吸い取られ、本来自分がやりたいと思っていた教科までが手薄になり、蓋を開けたら国立大どころか中堅の私大も全滅という生徒がいっぱいいる。

自分の能力を他人の判断にゆだねてはいけない。自分の才能や能力を一番知っているのは、あなた自身以外の何者でもない。勉強から逃げろと言っているのではない。「他人にはない自分の能力に気づきなさい」と言っているのである。

受験生諸君、人生は限られている。嘘、偽りのない自分の思いをぶつけられる人生こそ、素敵な人生ではないだろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

成績が伸びる生徒の法則

夏休み明けテストが各中学校、高校で終わった。夏期講習や家庭学習の成果が問われるテストである。伸びた生徒がいる。残念ながら今ひとつ伸びなかった生徒もいる。

我が塾には現在市内7校の中学校から生徒が通ってきている。高校生は一関一高、一関高専、花泉高校の生徒達である。常に学年のトップクラスに君臨する生徒もいれば、回れ右してトップクラスの生徒もいる。様々である。

成績が上がる生徒を見ていると、いくつかの共通点がある。

孤独に強い。友達と用もなくたむろっていない。塾に来るにも、自習室にやってくるにも、テスト前や、大事な勉強の時は単独行動をする。

テストやプリントの間違った箇所は必ず見直す。出来ない生徒はもじゃもじゃと丸めて終わってしまう。塾でもそうなのだから、学校でも同じだろう。注意しても直らないのは性格のためだろうか。

負けず嫌いである。自分がやることで他人に劣ることを嫌う。常に人の上に立つことを意識し生きて行くタイプで力強い。人をいたわる気持ちさえ失わなければ大成する人間である。

記憶力に頼らない。必要なことは必ず書き留める。中途半端な記憶に頼るものこそ、ケアレスミスや勘違いが多い。

鞄の中が片付いている。テストプリントや給食の残り物が鞄のそこでクロスオーバーしている生徒で、成績の良い子を見たことがない。塾生の勉強部屋をのぞいたことはないが、きっと鞄の中身と部屋の様子はリンクしていることと思う。

挨拶が出来る。指導室に入ってくるときに「お願いします」と元気に入ってくる生徒で、受験に失敗した生徒を見たことがない。挨拶はとても大事だ。

最後に、成績が上がる生徒は素直である。これが究極の最大の武器だ。

成績が上がらないとお嘆きの生徒諸君、上記のことを今一度顧慮願いたい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月28日 (木)

グルジア、アフガニスタンを取り巻く情勢

アフガニスタン東部で、ペシャワール会スタッフの農業指導員、伊藤和也さんが遺体となって発見された。足や頭を銃で撃たれており、乱射に近い状態だと新聞各紙は報じている。

異国の地で、31歳という若さで散っていった伊藤さんの尊い命を思うと、とてもやるせなく、残念である。言葉がない。心よりご冥福をお祈り申し上げる(合掌)。

グルジアの問題もそうであるが、アフガニスタンの国内情勢を悪化させた最初の要因は、1979年のロシア(旧ソ連)のアフガニスタン侵攻にある。この年も自国開催であるモスクワオリンピック直前の年であり、今回のグルジア侵攻といい、オリンピックを利用するきな臭い行動は、ロシアの常套手段のような気がしてならない。

1978年、アフガニスタンは共産主義政権を樹立した。それを支援する目的で旧ソ連軍はアフガニスタンに侵攻する。結果、反政府組織であるタリバン等が台頭し、その後のアメリカの侵攻で、事実上無政府状態に陥り、治安の悪化は今に至っている。

ロシアの南下政策は、1904年の日露戦争に遡る。長い冬の間氷に閉ざされるロシアの軍港は、有事の際用をなさない。従って南国の軍港が喉から手が出るほど欲しいロシアであった。

現代はミサイル戦争の時代である。ロシアが欲しいのは軍港ではなく、資源である。ロシア平原や中央アジアにおける石油、ガス田の開発に力を注いできたロシアは、多大な利益を上げ、モスクワの好景気を築き上げた要因の一つになっている。

人間というものは一度手にしたものは使いたくなる。その際たるものが戦争の道具、各種の兵器である。戦争は多大なる犠牲を生み出す地球上で最も悲しく愚かな行為である。しかし残念ながらなくならない。戦争によって巨額の富を得る軍事産業がある。戦争によって国益を守ろうとする道徳のかけらもない政治家も存在する。

最新鋭のミサイル戦闘機を一機買うお金で、南アジアやアフリカで餓えている人達の、命を繋ぐ当分の食料をまかなえる。日本に置いても、アメリカから巡航ミサイルを搭載した軍用艦を一艘買うお金で、ネットカフェ難民やホームレス状態になっている若者全員に、職業訓練及び、就職支援を行うことが出来るはずである。

なぜ人を殺す道具にお金をかけ、人を救うことに躊躇するのだろうか。もうすでに地球上の人類を7回は絶滅できる量の核兵器を所有し、いまだに祈る神様が違うだけで殺しあっている悲しい人間達。

今回のロシアのように、隣の庭が豊かそうだからと、戦車で隣の家に乗り込んで行く愚かさ。人のために一生懸命頑張っている人を、国籍や肌の色の違いから躊躇なく殺してしまう残忍さ。負のスパイラルを止めなければ、人類の未来は危うい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

英語力不足なら資格停止へ

   英語力不足なら資格停止へ=米女子ゴルフ

【ロサンゼルス26日時事】米女子プロゴルフ協会(LPGA)が、ツアーに参加する選手に対して英語の習得を求め、基準に達しない選手はメンバー資格を差し止める新ルールを来年から実施する方針であることが26日、分かった。ゴルフ・ウイーク誌(電子版)などが伝えた。
 同協会関係者によると、2年以上ツアーに参加している全選手は口頭で英語力が試され、基準に満たないと判断された選手は資格が停止されるという。現在、韓国人45人を含め26カ国からの121人の外国人選手がメンバー登録している。(了)(2008/08/27-09:1

英語が出来ないとたいへんだ~と言う叫びが聞こえてきそうだ。わざわざ通訳を通じて話さなければならないプロスポーツ選手はいらないということだろう。

「運動だけ出来てもだめだよ」ということなのだが、正直なところ大変だろうなと思う。アメリカの言い分もわからないわけではない。「アメリカに来るんだったら英語ぐらい話せ」ということなのだろうが、大国としての傲慢さも見え隠れする。

確かに卓球の愛ちゃんなどは、中国語がぺらぺらだし、オリンピックマラソンで優勝したワンジル選手は、日本に留学していただけに日本語が堪能だ。郷に入りては郷に従えの例えもあるわけで、その国の言葉を理解するということはある意味大事なことだと思う。

このような話題が出てくると、また問題となるのが日本の英語教育ということになるわけだが、そもそも日本の英語は高校入試や大学受験のための英語であって、どこからどう見ても会話を重視した語学教育ではない。このことはこのブログで何度も言ってきたことなので今日は差し控えるが、本質的に明治時代とあまり変わらない日本の英語教育には、どうも明るい未来を感じないのである。

我が塾生も英語が苦手な生徒が多い。「日本が戦争で、アメリカやイギリスに負けたから、俺達英語やらなきゃいけないんだよ」と、見当違いの八つ当たりをしている輩もいるが、気持ちはわからないわけではない・・・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月27日 (水)

収穫の秋

080602_101817 晩春に咲いた080827_092217 カボチャの花がいつしか、直径50センチほどのハロウイン用の巨大カボチャに育ち、今日最初のカボチャを収穫しました。

5月に田植えをした田んぼは、今やたわわに穂が実りもうすぐ稲刈りです。

080602_102223 080827_093325

我が家では30年近くササニシキを育ててきました。塾の合い間にやれるくらいのわずかの量ですが、農家のまねごとみたいなことをやっています。

ハロウイン用の巨大カボチャは、今年初めてのチャレンジでしたが、植えっぱなしでOKで、楽ちんです。ただツルがどこまでも伸びていくのと、カボチャ自体が巨大化するので、広いスペースは必要で、町の空き地や庭では難しいと思います。

今年の夏は昨年と違って、とても涼しく過ごしやすい夏でした。秋がいつの間にかやってきていたことに気づかないほどで、半そでの季節が過ぎようとしています。

昨年から灯油が高騰しています。北国の冬は寒さが厳しいゆえ灯油代が大変です。台所を日曜大工でリホームし、蒔きストーブを置こうかと考えていますが、何かと忙しく計画倒れになっていました。夏期講習も終わりひと段落がつきましたので、ぼちぼち大工さんを始めようかと考えています。

岩手はこれから本当に素敵な季節です。このブログを読んでいただいてる皆さん、秋の平泉や賢治のふるさと花巻は、秋の空が美しく見所満載です。ぜひおいでください。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

さざなみが聞こえる

田んぼの稲がこうべをたれる季節になると、東北の秋はいっきに駈け足でやってくる。

一週間前までの暑さがまるで嘘のように、朝晩は涼しくなり、蟋蟀(こおろぎ)のざわめきが夜の中に押し寄せてくる。

もうすぐ畑のカボチャの収穫である。ハロウインように植えた巨大カボチャがゴロンゴロンと出来上がった。

夏休みにあんなに飛び交っていたツバメ達の姿もめっきり減った。山里にはこれから多くの木の実や果実が色づいて、冬を前にした小鳥や動物達に秋の恵みを提供する。

我が家の裏山に生息する、野うさぎや狸やキツネ、そして多くの小動物の活動が活発になる季節だ。山ぶどう、アケビ、トチノ実やどんぐりなど、山里は小鳥達や動物達の自然の食料庫となる。

あんなに鳴いていたカエルも、夜のしじまに切り込んでくるヨダカの鳴き声も、夏の終わりが来ると急に静寂の中に隠れてしまう。

秋の虫たちの息遣いだけが聞こえてくる夜更け、私は一杯のコーヒーを飲みながら、今日あった多くのことを振り返り、そして明日訪れるであろう希望の一日を思う。

季節がめぐり来るたびに年を重ねる一瞬を、私はまるでスローモーションを眺めているかのように、そっとやり過ごす。

秋の日のさざなみが聞こえてくる。時計のカチカチという音だけが響いてくる部屋の中で、私は秋に溶け込んで行くようだ。

9月の空が近づいて、私の周りも秋色になる・・・・・・・

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月26日 (火)

日本チームは球種を見破っていた

北京オリンピックで感動の優勝を果たした日本女子ソフトボールチームが凱旋し、多くのメディアが様々な角度から優勝の要因を取り上げているが、実は日本チームは、アメリカのエース投手オスターマンの球種の癖を見破っていた。

斉藤監督の口から語られていたが、オスターマン投手の武器である、ライズボールとドロップボールの球種は投球するホームの違いから、完全に読みきっていたと言うのである。確かにスローモーションで見る限り、素人の私が見ても違いが分かった。

3回の表の狩野亜由美の内野安打は、明らかに初めからひくめを狙っていたバッティングであったし、4回の山田恵美のホームランは、躊躇なく高めのボールを待っていたフルスイングであった。

それにしても狙った通りに打てる技術なくして、打てるものではない。緻密な戦略を実行できるのは、日頃の鍛錬で鍛え上げた技と精神力があってのことである。

一方期待が大きかった星野ジャパンは、残念ながらメダルなしに終わったが、負けた原因は誰が見ても明らかであるだろう。プロ野球界の言わばスター選手を集めてしまったことに敗因がある。このメンバーであれば、誰かが打ってくれるだろう、誰かが抑えてくれるだろう、そんな空気感がテレビを観ていても伝わってきた。

ハングリー精神の微塵も感じられないプレーの連続で、勝てるはずがない。オリンピックというお祭りに来ている、そんな星野ジャパンであったように思う。

それにしても日本女子の活躍が目立つ今回の大会だった。我々中年もそうであるが、中高生を見ていても、女子生徒がやたら元気で、男子生徒は静かである。これからは男子生徒をもっとたくましく教育せねばと思うかねごんである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月25日 (月)

憧れのセブンイレブン

今や知らない人はいない、コンビニの定番セブンイレブン。ブログでも何度か書いてきたが、私の情報源でもある。いつも週刊誌の立ち読みをさせていただいてるのは地元のセブンイレブン。感謝感謝である。

実は30年前東京で一人暮らしを始めた時、生まれて初めて入ったコンビニがセブンイレブンだった。当時は名前の示す通り、朝7時から夜11時までの営業で、24時間営業のコンビ二は東京にもまだなかった気がする(記憶が定かでないので、どこかにあったかも知れなが・・)。

夜11時まで開いているセブンイレブンには大変お世話になった。当時セブンイレブンは、私にとって東京暮らしのまさにconbinience(便利さ)の象徴だった。人口1万人ちょっとの小さな小さな田舎町から東京に出てきた私は、その時思ったものだ。「岩手の私の田舎町には、きっと私が生きている間に、こんな便利なお店はできないだろうな~」と・・・・・。

18歳の田舎からやってきた純朴な青年は、どうでもいいようなことだけれど、コンビ二の真昼のような照明を前にして、そんなことをしみじみと考えたのであった(・・笑い)。

バイトが終わっておなかをすかしてアパートに帰る途中、セブンイレブンのコーヒー牛乳とアンパンを買って食べた青春の日々が懐かしい。その2年後ぐらいには、東京のいたるところに24時間営業のコンビニが怒涛のごとく進出した。

そしてあの時から20数年の年月を経て、我が田舎町にもセブンイレブンが誕生したのである。夜中だろうが、早朝だろうが食料や雑貨類を買える便利さがやってきた。「明日コンパスが必要なんだけど」などと息子に言われあたふたすることも無くなった。猫ちゃんのマグロ缶がなくなったといって、困り果てることもなくなった。すばらしい

見渡す限りの田んぼの中に光り輝くセブンイレブン。実は私かねごんは、地元セブンイレブンのご主人にプライベートで大変お世話になっている。先日なども、痛風の私でも飲めるビール、キリンアルファをずうずうしくもリクエストしてきたかねごんである。

塾の仕事が終わると夜も10時を過ぎ、田舎町のお店はすべて店じまいである。私のような夜の仕事人には本当に助かるコンビニである。山里に佇むセブンイレブンは、田舎人の救世主である・・・・・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月24日 (日)

小学1年生

先週金曜日の『風と虹の教室』は、私かねごんが、前半20分ほど指導することなった。小学校1年生の可愛い姉妹は、ひげのおじさん先生を相手に神妙に勉強をしていた。

室長のあきこ先生が、ちょっと遅れたため、私がちょっとピンチヒッターをやったのだが、常日頃低学年を教えていない私にとって貴重な体験であった。中高生と違い、声のトーンも赤ペンの書く速度も変えなければならない。字の大きさにしてもしかりである。

現在私は小学生高学年から高校3年生まで指導に入っているが、低学年は難しいな~と、わずか20分弱の指導でも実感した。自慢するわけではないが、小中学生の全教科を担当している私でもそうなのだから、これが公立の小学校で英語が導入され、高校や中学校の英語教師が小学校に入るようになったら、そりゃ大変だろうな~と思う。

大学受験や高校受験の英語を指導をしているのだから、小学校も、幼児の英語も教えられると思われるかも知れないが、次元の違う話である。私がいつも言っているように、知っていることと、教えることは別物である。

たとえば小さい子達のまえで、遊戯のごとく踊ったり、歌を歌いながら英語を教えることは、私には不可能である(・・・笑い)。同様に低学年を指導している先生が、知識があるとしても高校生を教えることは難しいのではないだろうか。

小学校で、6学年を担当した先生が、翌年小学校1年生を担当するケースをよく見るが、いつも感心してしまう。かなり負担が大きいのではないだろうか。同じ小学校内にあって、まったく違う感性や資質を要求される小学1年生。低学年専門のエキスパートの先生がいてもよいような気がする。

また美術や体育の専門職の先生も欲しいと思う。我が塾でも、中学生や高校生は、私も『風と虹の教室』で絵の勉強を教えていると思っている生徒がたまにいて、中学校の美術を聞いて来る生徒がいるが、自慢じゃないが、美術の通信簿は4をもらったことがない。私は絵や造形はノータッチである。

やれないことはやらない。やれることはやる。教えられることは教える。教えられないことは教えない。ゆえに、私は小学生に絵は教えられないし、高校生に微積や確率は教えられない。

日頃私に無理難題を突きつけてくる塾生諸君、及びあきこ先生。私は神様じゃないし、悪魔の実を食べたルフィーの友達でもない。普通の塾教師である。そのところよろしく

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

武道復活

8月23日15時1分配信 毎日新聞


 文部科学省は、中学校の新しい学習指導要領(12年度完全実施)で武道を必修化するのに伴い、09年度予算の概算要求に全国の中学の武道場整備費50億円を盛り込む方針を固めた。専用の武道場がある学校は半数程度しかなく、09年度は200校程度で施設整備を図り、その後も計画的に校数を増やす。関連で地域で指定校を定め、指導者を招くなどの事業に10億円を計上する方針だ。

 専用の武道場を備える中学校の割合は47%(07年5月現在)で、約5000校は未整備だ。来年度からの新指導要領への移行措置期間中に整備を進め、武道を取り入れる学校数を増やしていく。

 武道場整備費の内訳は、公立校が約48億円で私立校が約2億円。指定校は都道府県ごとに20校ほど設け、武道経験者や武道団体などの協力を得て、指導体制の充実を図る。「地域スポーツ人材の活用実践支援事業費」(08年度約5億円)も倍増を求め、一部を武道指導者の人件費などに充てる方針だ。

武道を必修化することに、今後様々な議論が出てきそうである。剣道や柔道の持つ、礼儀や精神性に着目してのことだと思うが、戦中教育を思い起こす年配の方々も多いのではないだろうか。

私どもの頃は柔道が体育で必修だった。全員が柔道着を買わされた。体型ががっちりしている我々の世代であったが、それでも体育で必ず怪我をする同級生がいた。まったく個人的な感想であるが、何ゆえに武道なのだろうか。特に柔道などは骨折や脱臼などの危険度が高いスポーツである。カルシューム不足で、ちょっと転んだだけでも骨折をしてしまう子供達が増えている中、受身や背負い技の練習をさせるのだろうか。

まさか脱臼や骨折の痛みを生徒に経験させるための武道導入ではないだろうが、お金のかけるところが、なんとなくずれていると感じるのは私だけだろうか。

礼儀の点で言えば、野球部やソフトボール部などは、どこの中学校でも非常にすばらしい。武道に限らず、指導者がしっかりしている部活は、礼儀や挨拶もしっかりしている。学ぶカテゴリーを強制することで解決できる問題ではないように思う。

実は私はことあるごとに、武道の導入を力説してきたが、それは生徒に対してではなく、教員志望者に対してである。

多くの批判を覚悟で言わせていただくが、ピアノが弾けるとか、泳げる能力がそれほど教員の質として重要なことであるだろうか。ちなみに私は金槌で、ピアノが弾けない。小学校教員採用ならば、最初からお払い箱である。

しかし俗に言う不良と呼ばれる生徒に対する対応能力は天下一品だと自負している。凄みとケンカの場数はガキの頃に嫌と言うほど学んできた。小学校から農業で鍛え上げてきた筋力は、50が近づいてきた今でも健在である。そんな硬派(?)から見ても、中学校での武道の導入はどうかと思うのだが、特に都市部の若い親御さんの反応はどうだろうか。

体育武道の内申点を上げるために、武道教室に通わせる親御さんが出てくるのだろうか。かつて小学校教員採用に水泳が義務付けられた時に、全国のスイミングスクールが繁盛したように・・・・・。

運動部や部活の上下関係を学ばないまま、教員になることは、現状の教育環境に置いて、非常に危険な気がする。少なくとも教員を目指すものでそういった経験を中高でしてこなかったものは、大学で武道を学ぶぐらいのことは必要ではないだろうか。空手や合気道などは、気合を学ぶのにいいと思う。せめて気合だけでも生徒に負けない先生であって欲しい。

宗教関係の問題も絡んできて、今回の武道導入決定はいろんな物議を醸しそうである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月23日 (土)

騙されてはいけない

自分がやって楽しくないことが、他人が楽しいはずがない。楽しくないことは、誰もやりたくないから、必然的に敬遠される。人が集まってこないから利益も出ないし、人間関係も構築されない。これが最近の日本の産業構造の構図である。

かつては人の嫌がる仕事はお金になったものだが、近年は人の嫌がる仕事は、彼女も出来ないし、ましてや結婚も出来やしないと、若者はやらない。

農業もそうである。1970年代頃の小学生の社会科の教科書は、農業に対して実に悲観的だった。三ちゃん農業などという表現が掲載されていた。農家のお父さんは農業だけでは生活が大変なので、出稼ぎに出たりすることが多く、じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃんが農作業をやっている、等の表記が農業に対してなされていた。

そんな暗澹たる光景を学校で示され教わる子ども達が、農業の後継者として立ち上がって行こうとは思わない。今振り返ると、当時減反政策を推し進めようとしていた政府が、国策として農業後継者が育たないように仕掛けた、洗脳教育だったのではないかと勘ぐりたくなる教科書の内容だった。

現代社会はどうだろうか。楽しくて、気軽に人間関係が構築できるもの・・・IT産業が独走中である。しかしこの産業にも多くの罠が仕掛けられている。

ネットサーフインをやってみると分かるが、お金儲けの勧誘のオンパレードである。「私は一ヶ月で100万円稼ぎました」。「私はこのアフィリエイトで年収1000万円儲けました」等のメールやら、トラックバックがどんどん押し寄せてくる。

この手の詐欺まがいの勧誘に首を突っ込み、家族離散してしまった私の知人もいる。「楽をしてお金を儲けませんか」。私ははっきり宣言しよう。こんなキャッチフレーズに有り金をはたいて夢を見てはいけない。

どんな法改正をしようとも、そのような方々が居る限り、ネットの犯罪は決して撲滅は出来ない。騙す方がもちろん悪いのであるが、騙す側の立場になっている人間が、新興宗教の洗脳のごとく、自分はすばらしい商売を紹介していると思ってやっている人もいるので、ますます性質(たち)が悪い。

昨年の夏にもこのブログで書いたが、我々の業界でも俗に言うただ講習が横行している。春期講習や夏期講習を無料でやるお知らせをライバル塾の周辺でばら撒き、生徒を勧誘吸収する戦略である。朝三暮四の格言を持ち出すまでもないが、自分の塾の講習会に自信やプライドが本当にあるならば、無料ではやらないものだ。

馬の鼻先の人参のごとく、人間の尊厳を土足で踏みにじるような行為は、我々塾業界の存続そのものを弱体化するものである。良識ある経営者の行動を促したい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月22日 (金)

結婚おめでとう!

我が塾のみっちゃん先生が今週結婚します。塾生には内緒にしていました。

先生本当に結婚おめでとう!お幸せに

結婚しても大験セミナーの仕事は続けてくれます。ありがたいことです。仕事にご理解いただける先生のご主人に感謝で一杯です。来週月曜日の塾生諸君、そういうことで先生の苗字が変わりますが、驚かないでください。サプライズの報告でした

さていよいよ、一ヶ月近く続いた夏期講習も今日で終了である。痛風の痛みと、寝不足との長き戦いの日々であった。塾生諸君も勉強に良くぞ励んでくれた。健闘を讃える。

オリンピックでは、日本ソフトボールが悲願の金メダルを手にした。上野選手の踏ん張りに本当に感動した。どうでもいいことだけれど、私の軽トラックの修理も終了した。気分のよい夏休みの最終日である。後は夏休み明けテストを頑張って欲しい。

2学期が始まる。3年生は入試に向けていよいよ本格始動である。後悔のない日々の積み重ねが大切だ。多種多様の煩悩に打ち勝つ必要がある。携帯やゲーム、そして恋愛ごとに慎重をきして欲しい。

There  is  a  will,  there  is  a  way ! 意思あるところに、道は通ずる。

気合だ! 気合だ! 気合だ!

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月21日 (木)

東京オリンピック

1964年の東京オリンピック開催に向けて、1960年代初頭の東京はちょうど今回の北京のように開発ラッシュを迎え、高度経済成長の時代を突き進もうとしていた。

東北の農村から多くのお父さん方が出稼ぎに東京に出て行った。新幹線や高速道路、オリンピックにあわせるように、多くの施設や交通網が整備されていった。その労働力の一人として私の父もいた。

ゆえに、もの心ついた頃はいつも祖父が私の子守役だった。どこに行くにも祖父の後をついて歩いていた。明治生まれの祖父は酒を好み、プロレスが大好きな、個性あふれる爺さまだった。牛を飼い、桶職人をやっていた。

祖父は不思議な魅力ある爺さまだった。若い頃から妙に爺くさい私だったが、まちがいなく祖父の影響である。

東京オリンピックの年、爺さまがテレビを買ってきた。今思うに、オリンピックを観たいというよりは、プロレス中継を観たかったのだと思う。今でもテレビがやってきた日のことを鮮明に覚えている。電源を入れた時の真空管がうなりを上げる音や、ガチャガチャとまわるチャンネルの感触に驚いたのを今でも覚えている。

私の東京オリンピックの記憶というと、開会式で飛翔した多くの鳩の数にびっくりしたことと、女子バレーのソ連と日本の決勝戦である。近隣の悪ガキ仲間と、東洋の魔女などと叫びながら、棒きれを振り回して走り回っていた。・・・・本当にずいぶん昔のこととなってしまった。

ちなみに私の家内は、この年まだ赤ん坊だった故私の話しについて来れない(・・笑い)。

あれから実に長い年月が過ぎ去った。競技のレベルもさることながら、一番進化したのはユニホームや道具だろうと思う。スピード社の水着もすごかったが、一番驚いたのはフェンシングのコスチュームである。まるで宇宙服のようであり、未来スポーツを見ているようだった。シューズにしても、ほとんどがアスリートに合わせた特注の靴である。

かつてマラソンのアベベ選手が、裸足で42.195kmを走りきったローマオリンピックは、今や遠い伝説である。

4年に一度オリンピックがやって来るたびに、白黒テレビの真空管のざわめきと、私と並んでテレビを観ていた爺さまのタバコの匂いを思い出す。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月20日 (水)

年を取るということ

小学校の頃、成人式を迎える人達がすごく大人に見えたものだ。自分が二十歳を迎えた時、「何だこりゃ」的脱力感があった。成人式を迎えても全然大人じゃないなという感が強かった。そして二十歳の頃、40歳の人間を見てすごく落ち着いた大人を感じたのだが、自分が40歳を迎えた時、二十歳の頃となんら感情や精神が変わっていない自分に驚いた。

そしてぼちぼちかつては初老と言われた50に近づいた。人生80年の今、50歳はバリバリ現役の真っ最中である。ある意味困ったことではある。60歳定年なんて、言ってみれば、生殺し状態のようなものである。

卓球で日頃お付き合いしている方で、定年を迎える方が何人かいるが、高校生の県大会上位者を相手に対等の試合をしている。物凄い。50歳前の私など、彼らから見ればまだまだ若造なのだろうなと思う。

論語に「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」いう言葉があるが、天命を知るどころか、日々限りない煩悩に悩まされ、紆余曲折の毎日である。天命どころか明日のスケジュールさえままならず、家庭のことで悩み、塾のことで悩み、そして最近道路で頻繁に止まってしまう軽トラックに悩むかねごんである。しょうもない・・・・・・。

本を読めば知識は増える。長く生きた分友人も増える。それなりに困った時の対処法を身につけてきたような気はする。

一方年を取ることで失ったものもたくさんある。体力であったり、冒険心であったり、そして私の場合髪の毛であったり(・・・笑い)。

プラス、マイナスで考えると、年を取ることで精神面では確かにプラスの面が多いのかも知れない。死を迎える日まで、精神や思考が向上し続けることが理想だろうけれど、なかなかそうもいかないのが人間である。

年を取ることへの不安は正直言ってなくも無い。妻や息子達に迷惑はかけたくないと思っている。こと切れる最後まで教室で仕事が出来ればまさしく最高だろうけれど、それではその場に居合わせた生徒達に迷惑がかかってしまう(・・笑い)。難しい・・・・・。

息子達に、「お父さんが死んだら後を頼むぞ」と言ったら、「大丈夫だよ、ちゃんとお墓に入れてあげるよ」と言われた。まあ、いいか・・・・・

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月19日 (火)

セピア色の思い出

今日から夏期講習の後半がスタートした。お盆休みはとても涼しく過ごしやすかった。雨の日が多いお盆休み故、オリンピック観戦で過ぎ去って行った休日であった。

お盆休みや、正月休みに必ず塾に寄って、挨拶をしてくれる律儀な男がいる。W大を出て東京で働いているM君だ。今日も東京に戻る前に、わざわざ手土産を持って立ち寄ってくれた。

塾生の頃はいたって普通の高校生で、私との距離もそれほど親密な仲と言うわけではなかった。彼が変貌したのは、浪人を決め予備校通いを始めた時からだった。

予備校の復習や予習を、私の塾に来て勉強していた。勉強の場所を提供していただけなので月謝も別にもらわなかった。しかし彼は受験勉強で忙しいなか、私の田んぼに来て、稲刈りを手伝ったり、まだ小さかった私の息子の子守をしてくれたり、本当に律儀で優しい若者だった。

残念ながらW大の合格には2点足らず不合格だった。神奈川の私大に入学した。しかしM君はその大学に通いながら受験勉強を続け、2年越しでW大に合格した。

私が30を過ぎ、山登りを始めた時も、最初の山登りに随行してくれたのがM君である。山から下りてきて、天然の露天風呂で汗を流し、飲んだビールの味は今でも忘れられない。

M君が28の時である。最愛のお父さんを亡くした。私が父をなくした時と同じ年だった。葬儀のすんだ後しばらくして、二人で泣きながら酒を飲んだ。その夜、長男であるM君に、今後の生きて行く指針みたいなものを話そうかなと思ったがやめた。それぞれの生き方があり、それぞれの道がある。彼は一関に帰らず東京で頑張っている。それでいいと思う。

30歳も当に過ぎたM君、よき伴侶にめぐり合い家庭を築いてもらいたいと思っているのだが、その話を振ると、「なかなか難しくて」と苦笑いするM君である。

M君らと塾で過ごした日々は、セピア色の思い出になったが、今彼らが生きている時代がなんだかとても切なく、そしていとしく感じられるのは、やはり年を取ったせいなのだろうと思う私である。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月17日 (日)

死生観の変遷

無神論者で、天国も地獄も信じることはなく、人間は死ねば窒素や炭素に分解され、自然の大地に還元されていくと考えていた。一度きりの人生なのだから、思う存分頑張って人生を有意義に生きていこう。これが私の若い頃の生き方の指針であり、価値観だった。

従って20歳の時、私をとても可愛がってくれた祖父が他界した現実を前に、一人の大切な人が地球上から消えてしまうはかなさと虚無感に、途方もない悲しみを感じた。いたたまれない無常観にさいなまれたのを覚えている。

当時は宗教も霊能者も私にとって胡散臭い存在であり、単なる世の中のトラブルメーカーでしかなかった。確かに聖書も読んだし、神智学の書物も紐解いたが、宗教を信じ、神にすがる人々をどこかさめた目で眺めていた自分がいた。

そんな私を揺るがす経験が、後年私に訪れる。

私の父が他界した時である。祖父の死から8年が過ぎていた。孫の顔を見せることが出来たのが、私の最後の親孝行だった。火葬も終えた三日後のことだった。夜中に私の長男が急に泣き出した。夜泣きをしない赤ん坊だったが、その日は凄まじい泣き声だった。ふと目をやると、白っぽい姿の父が、孫である私の長男の横に立っていた。妻もその姿は確認している。父の姿が消えると、長男も泣き止んだ。

死後の世界を否定してきた私にとって、衝撃的な体験だった。仕事が終わって、車を運転している時など、助手席から懐かしい父の匂いがしてくることも何度かあった。20代で家長になる息子への不安だったろうか、年老いた祖母とそして母に対する心残りだったろうか、「大丈夫だよおやじ、俺がちゃんと面倒見るよ」、そんな言葉を目に見えない助手席の父にかけていた私である。

父が亡くなって以来、私の理性がだいぶ揺らぎを見せたことは事実である。本屋に行っては宗教書や死後の世界を扱った本を買い込み、読みふけった。当時の私は、感情や感覚ではなく、理性として知識として死というものに対処したかった気がする。将来自分に訪れる死というものを含め、自分なりの納得いく回答を求めていた。

死という概念は、数学の公式のように誰もが同じ回答をたぐりよせられるものではない。深みにはまってしまうと、宗教という罠に陥る危険性があるのも事実である。実際私も瞑想をやってみたり、テレビ等で有名な宗教人のセミナーなどにも足を運んだりもした。

しかし最終的に彼らの目的は、信者を増やすことであり、お金を吸い上げることであって、私が求める真理の希求とはほど遠かった。聖書や古典的な哲学書を読めば書いてある周知の内容を、まるでオリジナルのごとく吹聴し、神の啓示が・・・などとうそぶく偽宗教家がほとんどであった。

父の死から20年が過ぎようとしている。もうかつてのような理性の揺らぎの中に身を投じることはないけれど、日々生かされていることへの感謝と、死を超えたSOMETHINNGを人生で感じることは確実に増えた私である。

教育の中で、生きる意義と生きることの大切さを子ども達に語り続けることが、私の役目であり、努めのような気がする。人は間違いなく肉体の死を迎える。その事実に変わりはない。死の真実は、やはり死ぬまで分からないのだろうと思う。きっとその方が人間が生きて行くうえで、楽なのかなと思うこの頃である。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

野球VS卓球

卓球の試合がこれほど放映されたことは、かつてテレビの放映が始まって以来無かった。オリンピックでも、世界選手権でもせいぜい1時間程度のダイジェスト版だったが、団体全試合が、はじめから最後までテレビ中継されたことは、一卓球ファンとして実に嬉しい。

それも日本選手の健闘あってのテレビ放映であったのだが、昨日の決勝戦進出を賭けた日本VSドイツ戦は本当に見ごたえがあった。ともにヨーロッパスタイルのシェイクハンドドライブの打ち合いは、卓球を知らない人にも卓球の醍醐味を堪能してもらえたのではないだろうか。残念ながら私の一押しの水谷が個人戦で落としたものの、岸川、水谷のダブルスは、日本卓球界のまさに夜明けを見せてくれた試合である。

球技の中では、一番小さく軽いボールを扱うスポーツである。対戦相手との距離も、打ち合う球技の中では一番近いスポーツである。ゆえに相手の表情、しぐさ、動揺等、一番対戦相手の精神状態が伝わってくる個人球技である。繊細なスポーツであり、駆け引きが重要なスポーツ、それが卓球だ。

女子卓球は愛ちゃん人気で、卓球人口も増え、底辺の広がりにつながり、中学校、高校の部員数も非常に多い。昔と違ってユニホームがカラフルになり、かわいらしいデザインも増え、卓球の暗いイメージはほぼ払拭された気がする。

一方男子卓球部は、市内でも人気が無く、事実上廃部に追いやられている学校も少なくない。理由は簡単である。実力の差がはっきりしすぎていて、中学校から卓球を始める子ども達には、スポットライトを浴びるチャンスがないのである。

大会で常に勝ち上がってくる生徒達は、幼稚園や小学校の低学年から親の影響で卓球を始めた子ども達である。個人戦ゆえ、いつも表彰台のメンバーは決まっており、他の生徒は彼らの引き立て役である。そのような現実を目の当たりにし、卓球は敬遠されてしまっている。

野球やサッカーならば、番狂わせはしょっちゅうだ。昨日までの星野ジャパンの戦いを見ても、それはお分かりいただけるだろう。スタープレーヤーをそろえても勝てない時は勝てないのである。つまり多くの子ども達に勝つチャンスはあるのだ。ゆえに人気があり、部員が集まる。

ちなみに息子が通っている中学校では、1年生男子の7割が野球部とサッカー部である。卓球部員はわずかに2名。2年生も同様である。来年新入部員が入ってこなければ、廃部の危機に直面する。本年度県大会で準々決勝まで勝ち上がったチームがである。

実は中学生の野球人気には、もう一つの顔がある。それは公立高校や私立高校のスポーツ推薦である。甲子園予選はどこの県でも同じだと思うが、ラジオやテレビで中継される。高校にとってこれほど宣伝効果のあるスポーツはない。従って各高校が野球に力を入れるのは当然の成り行きで、スポーツ推薦枠の人数も一番多い。

県立の進学校では、県ベスト8以上という推薦の基準を設けているところが多いが、ベンチ入りさえすれば、その資格は得ることが出来る。卓球個人でベスト8となると、予選を含め気の遠くなるような試合数を勝ち上がらなければならない。推薦では絶対に団体競技が有利である。

その辺の空気感を読んでの選択かどうかは定かではないが、純粋にスポーツを楽しんだ結果としての推薦ならいいだろうけれど、最初からそれ狙いの部活選択がもしあるとするならば、少し考えなければならない。

私は野球もサッカーもそして卓球も好きである。スポーツを戦いだと言っていたオリンピック選手もいたが、私は戦いではなく、芸術だと思っている。野球のファインプレーやサッカーの華麗なシュートを見ていると、まさにアート以外のなにものでもない。

打算のない一瞬の精一杯のプレーが感動を呼ぶ。楽しむこと、これがスポーツの奥義である。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月16日 (土)

グルジア紛争

インタファクス通信などによると、親欧米派のユシチェンコ・ウクライナ大統領は14日までに、自国領であるセバストポリの基地を使用するロシア黒海艦隊の動きを監視するなどとした大統領令に署名した。

 同基地を出入りするロシアの艦船や航空機は72時間前までにウクライナ側に人員規模などを届け出、許可を得なくてはならないとしている。これに対し、ロシアでは「法的根拠がない」(軍参謀本部)などと反発が強まっている。

 ロシアは、グルジアとの紛争で、同国近海に黒海艦隊のミサイル巡洋艦などを派遣、事実上の海上封鎖に乗り出してグルジア軍に圧力をかけた。ユシチェンコ大統領は14日、ブッシュ米大統領との電話会談で、グルジア支援での連携を確認するなど協調関係を強めており、今回の措置はウクライナの“対米支援”の一環といえる。

 また、これに先立つ12日夜には、グルジアの首都トビリシにユシチェンコ大統領のほか、バルト諸国など5カ国の大統領や首相が駆けつけ、サーカシビリ大統領とグルジア国民への連帯を表明した。エストニアのイルベス大統領は集会で、「グルジアは孤立してはいない。すべての文明国がついている」と述べた。

 対するロシアは15日、グルジアからの独立を宣言し紛争となった親露独立派の南オセチア、アブハジア両地域の外相をモスクワに招き、グルジアからの独立に向けた方策を練る予定だ。

8月15日 産経新聞

きな臭い国際情勢になってきた。ロシアに対するアメリカの非難を受け、東西両国の紛争になりかねない状況である。ここにきて、ロシアの軍事介入の意図が理解できない。ペレストロイカ以後弱体化した軍部の圧力か、ロシア政府内部のジレンマか、過去のソビエト体制への回帰か、嫌な空気感である。

隣国に対する遠心力を失ってきたロシアの、デモストレイションかと思いきや、どうもそうではないようだ。好景気に沸くモスクワが、慢心し常道を逸脱してしまったのだろうか。

アメリカが軍事行動に出ないことを祈るばかりである。オリンピック終了後、ポーランドをはじめとする旧東ヨーロッパ諸国の動向が非常に気になるところである。

世界平和を望む多くの国々が、冷静に対応しなければならない。そして日本も軍事大国に同調することなく、自国の安全と隣国のバランス感覚を配慮し、平和維持に努めてもらいたい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月15日 (金)

ピンポン論

小学校3年から卓球を始めて、途中まったくやらない時期もあったが、かれこれ40年卓球をやってきた。ゆえに自分の実力はさておき卓球にはちとうるさい。

かつて日本は卓球大国であった。1960年前後世界に敵なしと言われた日本の卓球は、怒涛の勢いで世界に君臨した。その日本の卓球も高度経済成長とともに衰退していく。

理由は至極簡単である。野球やテニス、サッカーなどのスポーツに、運動神経抜群の子ども達が、力を注ぎ始めたのである。テレビが普及し、テレビ受けするスポーツが放映されるようになり、卓球はマイナーなスポーツになっていった。

長島や王貞治が活躍し、メキシコオリンピックでは日本サッカーが銅メダルを獲得し、時代はフィールドスポーツに移項していった。

ラケット一枚あればやれるスポーツ、それが卓球だ。中国に行くと、田舎町では石の卓球台が置かれており、子ども達が遊んでいる。2億~3億の子ども達の大半が卓球を遊びとしてやっている。野球のような高価な道具が必要なスポーツはまだまだ一般的ではない。底辺が違う、いまや卓球の中国選手は世界に広がっている。今回のオリンピックでは出場選手のうち、各国に帰化した中国選手を含めると、選手の半数以上が中国生まれの選手達である。

まるで国内大会を見ているようだ。中国選手の何が一番違うのか、それはパワーである。バトミントンもテニスもそうであるが、特に女子選手の筋力、パワーは世界を凌駕している。

たとえば福原愛選手のバックハンド技術は、世界に通用する技術である。しかしファーハンドのスピード、コントロールでは、まだまだ世界とは戦えない。それが現実である。

しかし日本の卓球界にも新しい光が見えてきた。新鋭、水谷隼である。かつて世界を支配した長谷川選手を彷彿させる、パーワーと、バックハンドとファーハンドの絶妙なバランスは群を抜いている。半世紀近く不在だった、超攻撃型選手が登場した。

今回のメダルが無理でも、近い将来世界に日の丸を揚げる男に間違いはない。私など卓球ではなく、温泉ピンポンの領域に達してきてしまったが、水谷のような選手を見ることができ本当に嬉しい。卓球を愛するものとして心からエールを送りたい。

追伸

我が母校の中学校は、卓球部員減少のため、来月の新人戦の団体戦が出場できない。ちと悔しい。これが現実か・・・・・・

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月14日 (木)

天国への階段

ツッペリンの天国への階段である。この曲を聞いていた頃、私かねごんはほろ苦い青春時代を過ごしていた。私の世代でギターを弾いていた人は、必ずと言ってもいいほどこの曲のイントロを爪弾いたものである。

学生運動も無く,政治に感心も持てず、ロックに走る若者が増えた時代、イギリスで70年代に登場したレッドツッペリンの音楽は我々ロック少年達の聖典だった。

髪を伸ばし、ギターをかき鳴らすことで大人社会に対するプロテスタントを演じていたのかも知れない。ボブディランや、二-ルヤングを聞き、受験勉強に突入していった頃、未来に横たわる希望や不安を、彼らの曲を口ずさむことで時に沈静化させ、時に奮い立たせていた。

天国や地獄があるのか無いのか、若い頃は知ったことではない。自分の有り余ったエネルギーをぶつけるものが欲しかった。バイクやロックに情熱を傾けた多くの若者達も、みんな年を取り、良識ある大人になった(ような気がする)。

中年のおじさんが、楽器店でギブノンのレスポールを眺めていたりすると、きっと彼も天国への階段を爪弾いた青春時代を過ごしたのだろうと、同胞意識に目を細めるかねごんである。

休日2日目、本当に久しぶりの雨が降っている。雨の中の墓参りも何年ぶりだろうか。ご先祖が皆天国の階段を上がっていっただろうと思うが、お盆に帰ってくるときも、また天国の階段を下りてくるのだろうか、それても天国もハイテクの時代になり、光ファイバー回線でも使って里帰りをするのだろうか、ブログを書いている私の隣で、息子達は将棋をさしている。

やっぱり休日の風景はいい・・・・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月13日 (水)

人口が倍増

久しぶりに地元のスーパーに行ってきた。日ごろ閑散としている駐車場が一杯である。お盆で帰省してきた人達であふれている。

品川、横浜、相模、千葉ナンバーの車が多く目に付く。田舎町を出て都会で暮らす多くの人達が帰省し、賑わうこのお盆の時期、人口が倍増する。いや瞬間的には3倍にも4倍にも膨れ上がるのではないだろうか。

こんなに人が常日頃いれば、町も潤うのにと思うのだが、お盆が過ぎてしまえば、また閑散とした日常が戻ってくる。我が一関市は、ほぼ東京都の広さを誇る。しかし人口は100分の1にも満たない。小中学生の数はここ20年で半減した。

若者達が田舎に残れるような、企業誘致や街作りが急務だが、都会の魅力には勝てないのが現実で、人口の流失を防ぐ手段は難しい。ついこの間まで、田舎田舎していた高校生達が、わずか4ヶ月足らずの都会暮らしで、垢抜けた雰囲気を醸し出して帰省してくる姿には毎年驚かされる。それが若さかも知れないが・・・・・・。

都会暮らしに疲れた心を、ふるさとで癒してもらいたい。今夜の我が家の庭では、鈴虫が鳴いている。季節は間違いなく夏から秋に向かい始めている。高校野球とオリンピックを見ながらごろごろしている快感。休みを実にのんびりと過ごしている。

スーパーで嬉しいものを見つけた。私のような痛風にはビールはご法度だったが、なんとプリン体99パーセントカットの発泡酒が販売されていた。噂には聞いていたが、ビール会社もにくい事をやってくれる。思わず買ってきてしまった。数ヶ月ぶりのビールはうまかった

私の地域では今夜8月13日は迎え火といって、庭先でわらを燃やしご先祖の霊をお迎えする。ご先祖が道に迷わぬように火を燃やすのだという。昨年からは息子が私に代わってやってくれている。父や祖母が私より背が大きくなった私の息子達をみて、成長の早さに仏壇の陰で驚いているかも知れない。

明日我が家では墓参りである。家族が元気に健康で過ごせることに感謝を伝えたい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

懐かしい顔パート2

今年の夏期講習は、懐かしい卒塾生がたびたび訪問してくれる講習会だ。昨日も、とっても懐かしい、かつての塾生がやってきてくれた。

市内の小学校で教員をやっているS先生だ。我が塾の2期生である。昔と変わらぬ風貌と、優しいい笑顔は塾生だった頃と変わりがない。結婚し一児のパパである。3人兄弟であるが、全員が関一時代塾に通ってきてくれた。3人とも国立大に合格した優秀な兄弟である。

「君と一緒に塾に通っていたM君の娘さんが、『風と虹の教室』に通ってきているよ」。と私が言うと、「教え子の子どもが来るようになったんですね。僕の子どもも頼もうかな」とS君。

私のブログを、妹さんから教えてもらって見ているとの話題になり、教育談義に花が咲いた。そういえば私が現在のS君の年の頃に、高校生のS君は私の塾に来ていたのだ。いつもながら教え子の立派な成長をみると、年月の流れにいろんな思いが駆け巡る。

教える人間の資質や、力量はいろんな尺度で測られるものだろうけれど、私は人にものを教える人間は、幸福感が無ければならないといつも思っている。自らが人生の日常に置いて、わくわく感や、楽しさを醸し出さないと教育者はだめだと思っている。

従って、好きな方と結婚し幸せな家庭を築くことは、大切なことだと思う。人を愛し慈しむ感性なくして教育は語れない。笑顔が素敵な先生に、文句無く子ども達はついてくる。幸せ感があふれる先生に親ごさんは安心する。S先生を見ていて私は、そんなことを考えていた。

今日から我が塾もお盆休みに入った。私も家庭で疲れを癒し、墓参りなどをし、息子や妻とくつろぎたいと思う。幸せを充電し、夏期講習の後半戦に臨みたいと思う。

追伸

休み中、急用の連絡事項がございましたなら、教室に電話をください。私は携帯がありませんが『風と虹の教室』の室長であるあきこ先生のケイタイに転送されます。各先生方に連絡が取れるようにしておきます。よろしくお願いいします。塾は8月18日(月)より再開いたします。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月11日 (月)

北島康介2冠

「完ぺき、理想の泳ぎ」。電光掲示板には58秒91。前人未到の世界新記録が輝いた。先にゴール板にタッチした選手はいない。北島康介選手(25)=日本コカ・コーラ=はタイムを確かめると、右手のこぶしを握り締めて力強く突き上げ、雄たけびを上げた。重圧をはね返しての連覇。タオルで顔を覆い、涙を流した。(時事通信)

北島康介がやってくれた。2大会連続の金は圧巻である。夏期講習中の静寂を破って、一階の自習室から雄たけびが聞こえてきた。塾生たちがケイタイで競技を見ていたようだ。

魚のように泳ぎきる選手達には、まったく感心してしまう。北島康介の金メダルの日にこんなことを書くのもなんだが、我が家はほぼ全員金槌である。・・・笑ってしまう。

海やプールへは学校行事でもない限り、泳ぎには決して行かない。いや泳ごうにも泳げない(・・・笑い)。海を眺めるのは大好きであるが、自分から好き好んで海に入っていくことはない。

プールに飛び込む時は、気持ちは北島康介なのだが、5秒後には潜水艦のごとくプールの底を徘徊している。中学校の時は、夏になると唯一5をもらっていた体育の評価が4になってしまった。従って息子達もそうだと思うが、私は夏が苦手だった。高校はプールが無かったので、どれほど助かったことか・・・・。

金槌の両親ゆえ、息子達は2人とも幼児の頃からスイミングに通わせた。それでもである・・・・。まさにDNAの影響としか思えない現実を前に沈黙するのみである。

我が塾生にも泳ぎが苦手で、プールの時は風邪をひいたの、頭が痛いの、生理だのと、あらゆる理由をつけてプールに入らないものがいるが、通信簿が大変なことになっている。体育などの実技教科で1をもらってしまうと、入試は大変だ。

泳げないという屈辱感は私にもよく分かるが、何とか頑張って水着ぐらいは学校に持って行こうじゃないか。夏休み明けのプールは受験のためにも入って、潜水艦でも何でもいいからもがいてみよう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

中学生の25%が「うつ状態」

2007年5月20日の厚生労働省関連の記事の抜粋である。

中学生の25%が「うつ状態」。厚生労働省の研究班が約600人を調査すると、こんな結果が出た。うつ状態は、自殺につながりかねない危険性を指摘されている。専門家は、いじめの有無ばかりに注目せず、子供の心の状態に教師や親が関心を高める必要性を指摘している。

   調査は、研究班主任研究者の保坂隆・東海大医学部教授(精神医学)らが2006年8月、静岡県内のある公立中学1校の1~3年生を対象に行った。「生きていても仕方ないと思う」「独りぼっちの気がする」など18項目を質問した。回答は「いつもそうだ」「ときどきそうだ」「そんなことはない」の中から選ぶ方式だった。

高い数字だが、現状を表している

   18の質問すべてに答えた男女557人のうち、24.6%の137人がうつ状態と判断された。残りはうつ状態ではなかった。保坂教授によると、うつ状態と言っても、治療が必要なうつ病に近い状態なのか、悩みを人に聞いてもらえばすぐに直る程度の状態なのか、はこの調査からは分からない。

   しかし、過去に行われた北海道や九州での中学生たちを巡る調査と比較しても似た数値を示している。保坂教授は「(25%は)高い数字と驚くかもしれないが、現状を表している」と考えている。

   保坂教授は、子供の自殺対策を議論するときに、いじめ問題にばかり焦点が当たることに警戒感を持っている。子供たちの悩みはいじめだけでなく、進学や異性関係、親子・友人関係など様々だ。悩みをかかえうつ状態になった子供がいじめのターゲットになってしまうこともある。早い段階で子供の悩みに気付き、必要なら専門医に連れて行くなどの対処が必要だ。大人たちはどうすればよいのか。

   ――学校では、担任教師たちが、生徒ひとりひとりとじっくり話し合う時間をつくることが大切だ。導入が進むスクールカウンセラーやいじめの有無の調査ではなく、身近な存在として生徒の心配事に耳を傾けるだけでも気付くことがあるはずだ。親は、自分の子に限ってうつ状態などとは無縁だ、という思い込みを捨てる必要がある。だれでも陥ってしまう可能性があると知り、やはり会話を重ねるべきだ。国へは、中学生対策としてだけでなく「こころの安全週間」を創設し、自殺防止や周囲のうつ状態の人に気付くよう啓発することを求めている。全国で毎年行われている交通安全週間並みに一時期に集中的に関心を高めようとするものだ。

   警察庁の調べでは、2005年の中学生の自殺は66人、04年は70人だった。

J-CASTニュースより

前回、夏休みの宿題が多すぎるという記事を書いたが、子ども達に不安や恐怖心を煽るような励まし方を大人はやっていないだろうか。「勉強しないといい大学に入れないよ」「成績がこのままだとどこも受からないよ」。などなど・・・・・。

塾教師からぬ意見を常日頃述べてしまう私であるが、勉強が出来ないのも個性だと考えるのが私のスタンスである。個性なのだから長所も必ず持っているのである。優しさとか、気前の良さとか、律儀さとか、人情深いとか、生きて行くうえでの大切なポテンシャルをもっていることが多い。

ただ勉強が苦手なのだ。そんな子ども達を、偏差値や成績順位でどんどん追い込むことで、自信を失わせていく。それが取り返しのつかない悲劇を生むことがある。

自分の命や他人の命が、かけがえがないことだということを、まず第一に考える日常というものを我々は示していかなければならない。勉強や成績を優先する前に、生きるすばらしさ、楽しさを子ども達に実感させることが大切なのに、我々大人は、自分の夢の残骸を子ども達にあまりにも求めすぎる。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月10日 (日)

長崎の鐘

長崎に原爆が投下されてから63年の年月が過ぎた。人類が作ってはいけなかった武器、原子爆弾。犠牲になった多くの人達の、声なき声が、平和を希求する人々を後押ししてきた。

戦争という人間の負の歴史、その愚かさを分かっているのに、地球上から戦争はなくならない。宗教の違いや、民族の違い、そして生き方の違いを共有できない国家間のジレンマ、もどかしさ、戦争をしないことがそれほど困難なことなのだろうか。

平和の祭典であるオリンピックの最中、グルジア軍とロシア軍が事実上の戦争状態に突入してしまった。これが地球の悲しい現実である。

広島や長崎の悲劇を2度と繰り返してはならない。人類が持ってしまった原子力の技術。我々人類がもし滅亡することがあるならば、それは間違いなく原子力の誤用であるだろう。

63年前アメリカが日本に投下した原子爆弾、アメリカがどんな理由を掲げようとも、日本に原子爆弾を投下した現実は紛れもない事実であり、アメリカの下した決断は許されるものではない。

世界警察を自認するアメリカが、建国にいたるまで行ってきた残虐行為や、その後神の名の下に行ってきた蛮行の数々を考える時、権力を持ったものの愚かさを間違いなく垣間見ることが出来る。それは日本とて同じである。

過去の反省を現代にいかせない国家は、いずれ滅びの道を歩むことになるだろう。

地球上から戦争がなくならないのは、人間が野蛮だからではなく、権力という目に見えない足枷に、逆らうことが出来ない弱い生き物だからである。政治そのものを権力機構として許してきてしまった我々人間の誤りが、多くの悲劇を繰り返してきた気がする。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。ましてや人が人の命を奪う権限は絶対にない。歴史の流れは、惰性や必然ではない、人間の意志がそれを敢行してきたのだ。

長崎の鐘の音を、記念行事のように聞いてはいけない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 9日 (土)

宿題は日本経済とリンクする

長期の休みの宿題が非常に多い。長年中高生の休みの課題を見てきたが、バブルの頃一時期宿題が減ったものの、不況になりまたどんどん増えてきた。宿題の量は、日本経済とリンクしているのかも知れない。

市内の中学校は、実力テストを作っている出版社の夏休みワークを全員の生徒に買わせている。これが5教科で71ページある。生徒達はこれを3回やり、ノートとワークを提出する。その他に2Pノートが毎日あるので、トータル54ページの人勉がある。プラス各教科の課題が提出され、読書感想文と美術の課題が加わる。

我が塾の夏期講習を受けている生徒は、これに100ページのワーク演習がプラスされることになる。驚くべきことに、1、2年生はこれに毎日の部活が加わるのである。凄まじい。

塾生の前では露骨に言わないが、学校でも塾でも宿題が多すぎる。夏期休業中、私は一切宿題は出さない。夏と言えば、受験生じゃない限り遊びまくっていたものだ。自転車でツーリングをしたり、友達とキャンプをしたり、釣りをしたりと、そりゃ毎日がパラダイスだった。

夏休み明けのテスト範囲表をもらい、「いいかテストに出るからやって置けよ」。これでおしまいだった。なんて我々の時代はアバウトだったんだろう・・・・・・。いろんなことを体で覚えた。焚き火の仕方だったり、ナイフの使い方だったり、ロープの結び方だったり、はたまたケンカの仕方だったり・・・・・。

今の中学生のほとんどが、リンゴの皮をナイフでむけない。マッチすら擦れない生徒がいる。釣りに行けば、釣り糸に針が結べない。確かに昔の子ども達と比べると、読み書きは達者になったが、サバイバル的生活力は完全に劣る。夏休みのような長期休暇こそ、いろんなことを学ぶチャンスであるのだけれど、部活と宿題でほとんどの時間がとられてしまう子ども達は、ちょっと気の毒に感じられる。

我が塾生も冷房の教室の中、ひたすら学校の宿題をやっている。部活で疲れたからだを休ませる暇も無い。もし私が今の中高生ならば、「やってられるか~」てな感じで暴動を起こしているかも知れない。今の子ども達は切れやすいと言われるが、我が塾生を見ている限りとても忍耐強い。尊敬に値する。

我々の頃は、勉強をやるやつはとことんやったし、やらないやつはとことんやらなかった。夏休み明けテストの結果は、教室に点数とともに名まえを張り出されたし、学年順位などご丁寧にも学年通信に載せられた。プライバシーもへったくれもあったもんじゃない。

従って、プライドが高い連中はテスト順位を上げるために頑張っただろうし、私のような輩は残念なことにそんなことにプライドの重きを置かなかったものだから、ギターを弾き鳴らし、野山を駆けずりまわっていた。勉強はしなかったが、サバイバル的生き方は自然の中で十分学んだような気がする。・・・・・いや学び過ぎたかも・・・・。

夏休みも半分が過ぎた。せめてお盆休みぐらいは、遊びほうけてもらいたいと思うかねごんである。ただし今まで遊びほうけたものは、これから頑張るべし。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 8日 (金)

宇宙人的暮らし

あと2年ほどで50歳になるが、東京と北海道以外どこも行ったことがない。もちろんパスポートも作ったことがない。実際旅行は、近隣の山や温泉を除いて皆無である。

今の塾を始めてから20年近くなるが、30代半ばに2週間ほど入院したことを除けば、風邪で塾の教務を休んだ記憶がない。予定されていた教務を休んだのは、祖母が亡くなって葬儀を執り行った時ぐらいである。4年前倒れて救急車で病院に運ばれた時も、医者の入院の勧めを断り、次の日には授業をしていた。

それは塾に対する情熱と言うより、私にはこれしかないという一種の諦観のような気概であるような気がする。

どんな仕事もそうであるが、本当に体は資本である。近年痛風を患って以来、ビールをやめた。肉も食べないようにしている。夜帰宅してからの食事もやめた。もちろんタバコは吸わない。薬物もやらない(・・・笑い)。寝酒にたまに薄い芋焼酎を飲むくらいである。テレビも見ない。ここ1年はブログを打ち込み、寝につく毎日である。

塾仙人になったような気分である。

予備校や塾の先生方は、春の入試が終わると旅行に行く方が多いと聞く。私の場合は春の農作業が始まる。種まきの準備である。そして5月のゴールデンウイークには田植えが始まる。20年間こんな調子なので、おのずと旅行は無理である。

塾の休みの日曜日は、卓球の練習を少しやり、農作業を少しやり、日曜の夜だけは家族と少しだけテレビを見る。テレビに登場するタレント名を聞かれても、ピント来ない。ちなみにケイタイも持っていない。

よく塾生に、どこで日常の情報を得ているのと聞かれるが、頻繁に立ち寄るコンビにでの立ち読みである。そしてPCである。テレビと違ってうるさくなくていい。見たい記事だけ検索できる。私にとってこれだけで十分である。

塾生に「かねごん先生は本当に宇宙人みたい」 と言われるが、何度私はプレアデス星人だと言っても信じてもらえない(・・・笑い)。そこで最近は、前世がプレアデス星人の地球人だと言っているが、相変わらず生徒達は私の妄想を無視して、夏期テキストの問題に没頭している。ん~いいことだ・・・・・・

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 7日 (木)

休憩

昨日、今日と合計30時間、延べ50人の個別指導をこなしました。夏期講習もピークを迎え、私の眼底疲労も限界に近づきました。勝手ながら本日は、ブログの打ち込みを休ませていただきます。睡眠をとります。申し訳ございません

尚、大験セミナーは8月13日~17日まで夏期休業となります。よろしくお願いいたします。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 6日 (水)

ブログ最高記録樹立

私のブログで、最高記録が樹立された。ちなみにアクセス数ではない。アクセス人数でもない。なにかと言うと、アクセス頂いた方の滞在時間記録である。二日間にわたり5時間ほどかけて、私の記事を80ページほど読まれていった方がある。凄まじい・・・・・・・。

残念ながらメールもコメントも無かったので、どこの方なのか誰なのか存じ上げないが、私の駄文をこれほど熱心に読まれるとは、いったい誰だろうかと、ドキドキである。

私はネットサーフィンをしていて面白いブログを見つけると、何日分かの記事を読ませて頂くが、時間の制約もあり読んでも10日分ぐらいである。風景ブログなら50ページもということもあるが、私のどうでもいいような文章を、二日にわたり丁寧に5時間も読まれる方はいったい誰だろうかと、気になり昨夜はなかなか眠れなかった(・・笑い)。

教え子や、知人の方がたまたまネットサーフィンで入ってこられて、何ページか読んでいかれる時がある。そんな時はたいていメールやコメントを頂くのだが、これだけ読まれていかれて沈黙されると、いろいろ想像してしまう。

最近話題になっているブログ検閲官だろうか、でなければ差別用語などを摘発するNPO団体だろうか、それとも「かねごん先生のブルース魂」などという怪しげなハンドルネームのブログなもので、そこはかとなく不思議に思って入ってこられたのだろうか、分からない・・・・。

誰だろう・・・・・・。

もしこの今日の記事を読まれていたならば、批評なりおしかりのお言葉を頂ければ、嬉しいです。私もぐっすり眠れるかなと思います。よろしくお願いいたします。差支えがありましたら、ブログのコメントは公表しませんので。

追伸

教育ブログランキング(高校受験ブログ)で初のベスト10入りをしました。記事に共鳴頂き、クリックして頂いた読者の皆さんありがとうございます。私も子どもみたいな大人ですので、こんな些細なことがとても嬉しいかねごんです。ありがとうございます。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 5日 (火)

寺子屋金さん 英語が出来なかった

末の子が夏休みに入る日、通信簿をもらってきた。あろうことか英語の評定が世界のなべあつのさ~んを下回ってしまった。日ごろの息子の勉強態度を見ていてある程度は予想していた結果だったが、我妻はマジで成績表を見て泣いていた。う~痛たたた。

息子を擁護するわけではないが、実は寺子屋金さんも中学校時代英語はちんぷんかんぷんであった。中1の Is  this a  pen ? につまずいたまんま、高1の中頃までやぶれかぶれの英語だった。

金さんの本来の得意技は実は英語であるが、中学校の時は本当に英語につまずいてばかりいた。言っちゃ何だが、ペンを指差してこれはペンですかはないだろうと毒づいている間に、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎそして分からなくなってしまった

まったくの言い訳でしかないが、英語の授業がつまらなかったのである。ジョーク一つも言わない英語教師ってあり?みたいな感じで、人生に疲れていたのか、根が真面目すぎたのか、時代がそうだったのか、1コマの授業の中で笑い一つ起こらない授業など、少年時代の寺子屋金さんには耐えられなかったのである。

金さんの若き頃、塾教師デビューをした頃の話しである。授業研修のさい、子ども達の笑いをとらねばと思い、創意工夫した授業であったが、校長よりお笑いタレントではないのでギャグのネタはいらないと言われ、ちょっと落ち込んだ金さんであった。

「英語わかんね~」と嘆く生徒達の気持ちは、よ~くわかる金さんである。先日夏期講習の指導中に、「先生どうやったら英語が出来るようになったの」と聞かれた。「勉強したから」などと言う回答を求めているのでないのは、重々承知の金さんである。

「高2の夏に守護霊が代わった」金さんの回答である。「はあ~?!」塾生の反応である。

高2の夏にまったく理由は定かではないが、英語の勉強をやりだしたのである。何かにとりつかれたかのごとくである。今当時を振り返ってみても、何が起爆剤になったのか金さん自身も分からないのである。当時金さんの身辺に起こった変化といえば、高1の秋からテレビをいっさい見なくなったことと、友人とバンドを組んで洋盤の音楽を聴くようになったことぐらいである。

特にビートルズはよく聞いた。ドーナツ盤の当時500円のレコードを買ってきて、擦り切れるまで聞いていた。特に「yesterday」と 「Let it  be」 は幾度聞いただろうか。金さんの18番だった。

くしくも先日、塾屋のオピニオンリーダーであるとよ爺先生がブログでhttp://toyojie.jugem.jp/?day=20080801、名曲Let it be をUチューブで紹介していたのである。あまりの懐かしさに金さんは泣けてしまったのである

ジョンレノンもポールもリンゴも若かった~。寺子屋金さんの若き血潮が震えたのである。あるがままに生きよう、そんな気持ちをまた新たにした金さんなのであった。息子にも聞かせようと思う。きっと来期は英語が上がることだろう?・・・・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 4日 (月)

走り続ける時代

過去を背中にして、未来に向かって走り続ける人生に置いて、生きがいを見出すことはたやすい事ではない。

生まれてきた理由や、自分の存在価値を悩み始める思春期を迎える時期、人は一生懸命自分の生きる目標を見出そうとする。性別や国や時代など、生まれた時に自分が選択出来なかったことは多々あるだろうけれど、基本的に人間は自由である。

道は幾重にも重なり、放射状に広がっていく。どの道を選ぶかは、本人の意思である。限りなく生命は躍動する。すばらしいことだ。

しかし道に躓くものも多い。なぜだろう。誰にでもチャンスは与えられているはずだ。目で見、耳で聞き、頭で考え、そして五感や直感でやらねばならないことを、人は知っているはずである。親に言われなくとも、先生に言われなくとも、個人の感性や魂は自分が何をすべきか本当は知っている。私はそう思っている。

そういった人間の潜在意識を遮断してしまっているのが、毎日シャワーのごとく浴びてしまっている、テレビ等のバーチャルな映像や過度な刺激であるように思う。食べ物から始まって、着るもの、住居まで、自然や天然の物が極端に少なくなった文明社会で、自然の持つ波動の恩恵を人間が得られなくなってきている気がする。

静寂の中で本を読み、木々の中で鳥の声を聞く。時に雨音や風の中で眠りにつく。そんな暮らしの中で、本来は人間の感性が育まれるのではないだろうか。常に何か得たいの知れない脅迫観念に煽られ、走り続けるわれわれ現代人は、どこかやはり狂気を抱えているのかも知れない。

物質的豊かさを追求するあまり、真の心の豊かさを放棄してしまった人間。そんな感が強くする。

すべての人間は豊かになる能力を与えられている。金銭的にも精神的にもである。そしてその能力を開花させるのが、ひとえに創造力である。チャンスは何度でも無限にやってくる。つかまえられない人は、創造力を遮断するバーチャルな刺激から足を洗うことである。

塾生たちに言いたい。やりたいことは、実現出来るのだ。やりたいと思うことは、そのことに才能があるから、そう思えるのだ。それ以上でもそれ以下でもない。もう一度言おう、出来るからやりたいと思うのだ。夢をあきらめてはいけない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備塾校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 3日 (日)

涙の歌

今日は私のブログにリンクを貼らせていただいている、Mr.Honda先生http://mrhonda.jugem.jp/の受験生応援ソングの歌「涙の歌」を紹介します。

涙の歌

君はこれまでたくさんの涙を流してきたんだろう

それはそれは優しい涙だったに違いない
それはそれは温かい涙だったに違いない


人が流す涙はきっと
「人のために」流す涙なのだと思う


喜んで流す涙は、親切にしてくれた人への“ありがとうの涙”
悲しんで流す涙は、大切にしてくれた人への“ごめんなさいの涙”
やさしい気持ちで流す涙は、人を”許そうとする涙”

すべては「人のため」に流した涙

他の誰かのために“涙”できることは本当に素敵だ

感謝や思いやり、優しさや愛情がその一粒一粒に込められている、
だから素敵だ


だから君は何度泣いたって構わない

そしてこれから
たった一度でいいから大切な涙を流してほしい


それは「自分のために流す涙」
自分を許す涙、自分を許してあげるそんな涙
よくがんばったね、立派だね、偉いね、
そうやって自分を許してあげる涙

何より大切な自分のための涙を流してほしい




そうやって人はまた歩き出す・・・
優しい未来に向かって・・・

そうやってまた歩き出せばいい・・・

本田先生の優しさがにじみ出ている詩です。若い頃は、この歌のようにいっぱい涙をながして、自分の気持ちに偽り無く生きて行って欲しいと思います。そして来年の春、みんなが喜びの涙を流せるように、この夏を精一杯頑張って欲しいと思います。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

自由ノートの変遷

今年また教室に自由ノートを置いている。塾生の落書き帳である。5年ほど自由ノートを置くのをやめていた。その理由は、誹謗中傷の落書きがあまりにも増えたからだ。

かつて、と言っても10年ほど前は、中高生が書く自由ノートのレベルは高かった。自分の苦悩を綴ったり、日常の風景を詩に綴ったり、私も読んでいて勉強になったし楽しかった。ところがある時期を境に、他人を非難したり揶揄(やゆ)する文章が増えた。

そのある時期とは、子ども達が携帯電話を持ち始めた時期である。

本来ならば耳に入らなくてもいい情報が、携帯を通じて入って来るようになった。メールや電話のやり取りは、ある種子ども達から忍耐を奪ってしまった。

「○○ちゃんがこんなこと言ってたよ」的噂話は昔からよくあったが、人の噂も何とやらで、時がたてば感情も沈静化しうやむやになるものを、今の中高生は直接携帯で確かめる行動にでてしまう。他人がどう傷つくかなどは、おかまいなしである。真実を確かめるという名の暴力が横行する。

個人と個人の繋がりが濃密になったぶん、他人を排斥する負のエネルギーが増加した気がする。携帯を通じての仲間意識が、時に人間関係をせばめ、社会性を損なうケースが頻発しているように思えてならない。

常に他人を誹謗することで、自分を防御しようとする。俗にいうギャクギレなどと呼ばれる現象もその一形態だろうが、非を認めたがらない傾向は大人の世界も同じである。プライドが高いと言うより、子どものままの精神性から脱却できず、年を取ってしまった大人が多いのだろう。

モンスターペアレンツという新しい英語が生まれ久しいが、自己主張をすることと難癖をつけることを混同した若い世代の誕生は、まさに精神性の幼児返りとしか言いようがない。自由だ、平等だという教育の旗印のもと、単に我がままに育てられ、苦労も知らず、他人を思いやれない人間が増えたという現実が、モンスターを増殖させているのだと思う。

私の塾にも2年に一人、二人、凄まじい親御さんが登場する。公教育と違って、無視をしようと思えば出来ないわけではないが、子どもが私の塾で勉強したいという限りにおいて、私は紳士的かつ控えめに対応させて頂いている(体や顔つきが十分威圧的なので・・・笑い)。

子ども達の落書きノートもさることながら、常識という文字の意味を思わず考えさせられる大人が多いのは、時代の変遷なのか、単に私が年を取ったせいで新しい常識を理解できないのか、とにもかくにもこの変革に対応していかなければ、塾業界も大変になって行くのだろうと思う。

ちなみに今年の塾生の親御さん方は、実にすばらしい親御さん方である。感謝である。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 2日 (土)

朝四時過ぎの駅前で

神奈川の実家に里帰りしていた家内と息子が深夜バスで帰ってくるので、朝四時に起き出して一関バスターミナルに向かった。駅前に四時過ぎに出向くのは5年ぶりだろうか、夏の夜明け前の街は不思議な静寂とともに、祭りの後のけだるさのような雰囲気を醸し出している。

意外に人が結構歩いているのには驚かされる。深夜バスの到着を待ちながら朝の四時過ぎに自転車に乗って走り去る初老のおじいさんや、大きなカバンを持ったおばさんはいったいこの時間どこに行くのだろう、もしくは家に帰るのだろうかなどと少なからぬ興味がわく。

車がライトをつけようか消そうか、そんな戸惑いを感じる時間帯、学生時代の新聞配達を思い出す。夜がまさに朝に向かって白み始める時間、自転車をこぎ、新聞を抱えながらアパートの階段を忍び足で足早に駆ける一瞬一瞬、朝日が静かに上がろうとしていた。

あの時私は何を考えていたのだろうか。立ち止まって朝焼けの美しさに感動したことはあっただろうか。学校の授業に遅れないように、時間を気にしていたのだろうか。新聞の刷ったばかりのインクの匂いと、汗ばんだ手のひらの感触が、早朝の街を見ているとふとよみがえってくる。

そんなことを考えていた時、私の車の横を新聞配達のおじさんが、自転車で走り去って行った。ここ10年ほど、新聞配達をする中学生や高校生の姿を見かけたことが無い。私たちの頃はバイトの定番だったが、今はこんなキツイバイトははやらないのだろう。

お金が無くてネットカフェ難民になっている若者達は、住み込みの新聞配達などは考えないのだろうか。楽をして生きることと、楽しく生きることを履き違えている若者はいないだろうか。どんな仕事でも糧を得る仕事に、卑賤はない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

懐かしい顔

夏期講習の指導中、教室の階段を小さな女の子を連れた懐かしい顔が上がってきた。かつての教え子のN君である。一関一高時代、バスケット部で活躍したN君は我が塾の名物生徒であった。個性の強烈さでは塾生に負けないつもりのかねごんであるが、N君には負けた感がある。

結婚し奥さんも子どももいる身なので、ブログ上ではちょっと書けないが、まあとにかく愉快な生徒だった。現在3歳になる愛くるしい女の子のパパである。東京のIT関連の会社で、システム運用の仕事をしている。相変わらずニコニコ顔の照れ笑いで、子煩悩なパパぶりを見せていた。

4年前N君より結婚式の招待状を頂いたのだが、あいにくその日は大船渡市での教育講演を頼まれており、失礼してしまった。前代未聞のすばらしい結婚スピーチをやるはずだったが残念であった(・・笑い)。

「先生の息子さん何年生になりましたか」という彼の言葉に、N君たちが塾に来ていた頃、教室に遊びに来ていた我が息子は、ちょうど今のN君の娘さんと同じくらいだったことを思い出した。「来年成人式を迎えるよ」という私の言葉に、彼も非常に驚いた様子だった。

年月の過ぎ去るのは本当にあっと言うまである。N君のように、かつての塾生が成長し塾に立ち寄ってくれるのが何よりも嬉しい。4年前体調を崩し倒れた時も、教え子達にはずいぶんと励ましの訪問を頂いた。今の塾を始めて19年になるが、辛いことも苦しいこともあったはずであるが、かつての教え子達がやってきて思い出すのは楽しいことばかりである。

当時N君達に何をしゃべったか、耄碌(もうろく)して定かではないが、教え子達は実に素敵なパパやママたちになっている。きっと私の人間教育が良かったのだろうと思っている

忙しかったゆえ、お茶の一杯もご馳走することなく失礼したが、ふるさとの夏祭りを家族で満喫していってもらいたい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

2008年8月 1日 (金)

ブログで一つ気づいたこと

昨日のブログで多忙だという話を書いたのだが、一つ気づいたことがある。例年この時期小学校等から、一つ二つ公演や講演の話しが来るのであるが、今年はまったくない。忙しいので、なければないでいいのだけれど、ずっと前我が社長より「大験セミナーわくわく日記で、あれだけ学校教育や校長職の突っ込んだ批判を書いたら、学校からの講演等のオファーは来ないわね」というお言葉を頂いた。私も実はそう思うのである

私のこのブログを、市内の学校の先生方もちょくちょく読んでいるという噂を小耳にはさんだ。光栄なことである。子ども達を思う気持ちは、学校の先生も我々塾教師も変わりはないはずだと思っている。私が時に公教育に対して述べる批判は、子ども達のことを思っての批判であり、それ以上でもそれ以下でもない。

ある程度、私のブログが批判にさらされることは覚悟のうえである。うちの猫がどうしたとか、教室の花壇の花が咲きました、等の記事を毎日書き並べるつもりなどもうとうない。大分での事件をはじめ、教育に対する不信感が積もっている。疑問点やおかしな点については、今後も言及していきたいと考えている。

私のブログには一ヶ月間に4000ほどのアクセスがある。私のブログにリンクを貼らせていただいてる先生方のアクセス数からすると、桁数が一つ二つ少ない数でさびしいのだけれど、読んで頂いてる皆さんには本当に感謝である。

30パーセントが県内からのアクセスである。先日岩手県内の塾ブログを検索してみたが、意外なほど少ない。私の友人であり、リンクを貼らせて頂いている奥州市、個別指導学び舎の小林先生、そして私かねごんを含めネット上でブログを公開している個人塾の先生方は10名にも満たない数である。

岩手の塾ブログが少ない理由を私が勝手に想像してみた。その1、若手の塾経営者が参入して来ず、塾長さん方が高齢化してPCに対応できていない。その2、塾生宅にPCが無いので、書く必要性がない。その3、塾と他の仕事を兼任している先生方が多いので、ブログまで手がまわらない。その4、書いても1円にもならないものに労力を使いたくない(あくまでも勝手な想像なのであしからず)。

まあそのような状況もあって、パソコンの普及率が低い岩手にあって、私のようなブログにアクセスしてくださる方も多いのだろうと思う。正直言って、少なからぬ塾ブログの反響に驚いている。駄文は書いてはいけないと思いつつも、プロの文章書きではないのでしょっちゅうへまをやらかしてしまう。

たまに過去の記事を読み直して見ると、文脈の不適切な表現はあるは、漢字の誤用はあるは、ひぇ~という感じで消去したい文も多々あるのだけれど、一度公開した文は削除しないという勝手な誓いをたてているかねごんゆえ、そのままにしている。

このブログを始めたきっかけは何度か触れてきた。塾の宣伝と、生徒募集の効果を狙ったということもあるが、全国の塾経営者の先生方や、塾の先生方、そしてご父兄の皆さんとの意見交換の場を設けたかったということと、自分自身の物の考え方の力量を試してみたかったというのが、偽らない本音である。

毎日真摯な文章を書き連ねている先生方のブログには、本屋さんや図書館に並べられている教育論を凌駕する記事が一杯である。特にリンクを貼らせて頂いている先生方のブログや、かつて紹介させて頂いた先生方のブログを毎日読ませて頂いているが、塾をやっていくうえで、本当にプラスになることばかりである。

努力、アイディア、信念、教養、行動力、知識、そして優しさや厳しさ、すべてが凝縮されている。何かと批判も多いブログ界であるが、こと教育ブログに関しては、一読の価値があるものが多い。今後とも私のわくわく日記をはじめとし、塾・予備校ブログにご自愛のほどをよろしくお願い申し上げます。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »