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2008年7月10日 (木)

高校野球

高校野球の季節である。県内でも今日より各市町村6球場で、甲子園の切符を目指し熱戦の火ぶたが切られた。

時間が許せば市内で行われる地区予選は毎年観にいっている。我が母校であるとか息子の学校であるとかは関係ない。バックネット裏に陣取り、高校生球児の溌剌としたプレーに心底堪能している。

野球観戦にはいつもタオルハンカチを持参する。汗を拭くのではなく、涙を拭くのである。試合が終わり、高校球児の夏が終わる瞬間、全ての試合にドラマが誕生する。グランドで倒れたままの生徒が、仲間に抱きかかえられながら整列に向かう姿。ベンチで泣き崩れる控え選手達。スタンドで一度もベンチ入りすることなく3年間を終えた部員の姿。

この光景を、涙なくして見ることなどできる分けがない。このブログを書いていても、思い出して涙がにじんでくるほどだ。

私は卓球などというせせこましいスポーツをやっているが、観るとなったらやっぱり野球である。ゆえにこのブログのテンプレートも、いつの間にか妻の反対を押し切って野球部活のテンプレートに変えてしまった(・・笑い)。

甲子園に出場するチームは、県内ほぼ毎年私学の常連校に絞られており、はっきり言ってどこが優勝するかはあまり興味が無い。私はいつも言っているように、負ける美学を追い求める男である。あれだけの過酷な練習をやり続けてきた生徒達、それを支えてきた家族や両親の思い、そのことに深い感動を覚えるのである。

甲子園でプロのスカウトに注目され、スターダムにのし上る、それも高校野球の魅力の一つではあるかも知れない。私が高校野球が好きなのは、自分の可能性をひたすら信じてプレーするその根性と勇気と、若いエネルギーだ。

弱小チームなら、当然1,2回戦敗退の予想は誰でもできる。それでも目指せ甲子園の旗印のもと、グローブに必勝、打倒という文字を書き連ね、マネージャーの手作りの必勝お守りを胸にかけ一生懸命戦う姿は、球場に吹き抜ける一陣のそよ風のようだ。

夏期講習前の私の午前中は、しばらくの間球場に釘付けになる。ケイタイを持たない私は、連絡が取れないとまた社長からおこられそうだが、こればかりは譲れないかねごんである。

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