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2008年7月20日 (日)

親子の絆

子育ていうのは、人間教育の原点である。良くも悪くも感情移入が多く、自分の価値観を子どもに植え付けていく。子どもはおのずと親の色に染められていく。家庭の色と言ってもいいかも知れない。

親の態度や表情や口癖、思いの癖まで子どもは親をコーピーしていく。「親に似たくない」と言う子ども達は多いが、残念ながら子どもは親に似てくるのである。

私も二人の息子の父親である。日々様々なトラブルや悩み事が襲いかかってくる。どうしてもその問題を子どもの立場というよりは、自分の子ども時代の経験や価値観で捉えてしまう。子どもがひとりの独立した人間であることは、頭では理解するのだが感情が拒絶してしまうことが多い。

よそ様の子どもなら客観的に見れることが、我が子のこととなると主観的になるのはどうしてだろうと思うのだが、親というものは自分の過去の失敗や、自分の出来なかったことを、子どもという分身を通して補おうとする存在ゆえ、どうしても期待過多になってしまう気がする。

良いところも悪いところも、父親や母親から手に入れてきた子ども。トンビは鷹を生まない。その真実を謙虚に受け入れて初めて、親子関係は修復されていくのではないだろうか。

痛ましい少年犯罪がまた起きてしまった。親子間の絆が薄れていることを象徴するような事件が続いている。厳しい親、優しい親、友達のような親、尊敬される親、親という名詞にかつてはこのような形容詞が使われたものである。現在子ども達の会話を聞いていると、うざい親、ケチな親、うるさい親、そんな形容詞が多い。

親が親であることに威厳がなくなってきたと言う評論家が多い。確かに我々の世代の父親は威厳があった。昔なら親は子どもの前でふざけるようなことはなかったし、お笑い番組を見て一緒に笑い転げる親も多くはなかっただろう。昨日取り上げた野茂英雄選手のように寡黙で、多くを語らず行動で示す親が多かった。

「俺がおまえの頃は~」という言葉を飲み込み、子どもの話に耳を傾けてみると、新しい時代の価値観が聞こえてくる。それをどこまで許容し、どこまで遮断するのか、まさに親の力量にかかってくる。子を思う親の愛が揺るぎの無いものならば、決して子育てに失敗は無いと思うのだ。自信の無さが、絆を強く結べない原因の一つなのかも知れない。

もう一度繰り返す。親子は似ている。似ているがゆえにお互いの欠点に意識が集中しやすい。もう少し緩やかな感情を、諦観の領域を広げられたなら楽な日常がやってくる気がする。私は自分にもそう言い聞かせている昨今である。

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