幸福の哲学
このブログで何度も述べてきたが、言葉や思いは現実を創造する。実はそれぞれの困難や成功という状況は、各人の思いの現れである。このことは私が塾を経営してきたことで経験し体得してきた哲学である。
成功する人生を行きぬくツールは、卓越した想像力で十分だと思っている。心の中でリアルに思い描けることは間違いなく実現できる。嘘だと思ったら実行してみて欲しい。思いがけない現実が家族や友人の援助でやってくるはずだ。
金儲けの宗教や、いんちきな啓蒙セミナーに通いつめ、心身ともにぼろぼろになっている人がとても多くいる。想像力が欠如するのは、打算の心と、疑いの心が足かせとなっている。
本当にお金が必要なのにお金がやってこないのは、お金を手にすることに、心の底で後ろめたさを持っていたり、自分は金持ちに値する人間ではないなどと勝手な自己否定をしているからだ。「お金持ちはすばらしい!」素敵な家に住み、家族が楽しく暮らす映像が浮かぶ、そのことが大切である。
暗い話や、他人の愚痴に付き合うのはやめた方がいい。エネルギーを奪われてしまう。不幸な人に同情しすぎるのもいけない。冷たい人間になれと言っているのではない。相手に同情すると言うことは、相手のピジョンを受け取ってしまうことになる。
嘘だと思ったら、場末の居酒屋をのぞいて見るといい、うだつの上がらないみすぼらしい雰囲気の方々が、前向きで希望的な話をしているだろうか。必ず不景気の話と、上司の悪口を言っている。類は友を呼んでいるのだ。それでは成功の女神は訪れない。
「人間努力したって報われない」「全ての努力は間違いなく報われる」どちらの言葉が、元気になるだろうか。一目瞭然であろう。前者の言葉と、後者の言葉を、日ごろ習慣として使う人間がいるとしたなら、あなたはどちらの人間と付き合いたいだろうか。あえて答を言うまでもないだろう。
子ども達もそうだが、大人にも実に否定的な言葉が好きな方が多くおられる。自虐的な人に成功者はいない。
「学歴がないので・・・」と言う人がいる。学歴など関係ない。一流大学を出てろくに働きもせず、プライドだけを背負って生きている人がいっぱいいる。夢を継続する意志力さえあれば、たやすく幸せはやってくる。学歴や、大学が・・などと過去を振り返り悔やむことが、そもそもブレーキだ。夢のアクセルを踏んでみよう。
「運がないから・・」それも単に自分がそう思っている幻想だ。すべての人は限りない運を山ほど持っている。本当に山ほどである。そこらじゅうに幸運は落ちている。拾わないだけである。何故拾えないのか。感謝がないからである。食事が取れる感謝。両親がいることの感謝。そして生きていることの感謝。さりげない感謝が運をもたらす。難しいことではない、実に簡単なことだ。
「資格がないから・・」資格も幸福になる必須条件ではない。そんなものにこだわっているから、自分の持っている天性の特性を生かせないのだ。話すことの資格とか、優しさの資格とか、人を愛することの資格など、ないだろう。自分が金持ちになれないのも、正社員になれないのも、資格がないせいじゃない。
我々の業界である、塾や予備校の先生方で、実は教員免許がない先生の方が圧倒的に多い。免許があっても一生教務の仕事をすることなく人生を終える人の方が多いのだ。どうだろう、ちょっと頑張れば将来の展望は描けるはずだと思う。自分のピジョンを明確に描くのに学歴も、運も、もちろん資格などいらない。頑張るべし。
ピジョンが大切だ。塾での私の口癖である。生徒いわく「先生、髪がふさふさになる映像を何度も想像したら」ということらしいが、髪がふさふさになっている自分の姿が浮かんでこないのである。あしからず。
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