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2008年7月11日 (金)

ありふれた日常

夜10時に指導が終わり、中学生達が帰っていく。私はインスタントコーヒーをコップに注ぎ、少しまどろむ。戸締りをし15分後私も塾を後にする。

軽トラックで18キロの夜のドライブだ。今宵はコルトレーンのサックスを聞きながらの帰宅である。途中こぎつね達が道を横切った。3日ぶりの再会である。

10時45分、先日7月7日で13歳になった老犬のボブが、しっぽを振りながら私を出迎えてくれる。この時間長男はたいてい風呂に入っており、妻はPCの前に座っているか、本を読んでいる。猫のキラは、茶の間のソファー下でまどろんでいるか、中学生になった次男の部屋で、息子と一緒に寝ている。母はとうに真夜中の夢心地タイムである。

夕方塾で軽食をとる私は、今年に入ってからはメタボ対策のため、家での夜食はとらないことにした。一杯の芋焼酎の水割りを片手に、PCの前でメールのチェックをする。その後風呂に入り、12時30分には眠りにつく。

農家の家でもだいぶ珍しくなってきたが、私の家の風呂は外にある。農村に行くとよく見られるタイプだが、私が住んでいる地域でも数少なくなってきた貴重な外風呂である。

夏は良いが、冬は雪を掻き分けて風呂に行かねばならず、情緒がありすぎて家族からは不評である。夏の夜、風呂から上がり空を見上げると、山里の夜空は満天の星である。聞こえてくるのはカエルの声と、遠くで聞こえる犬の遠吠え、時にきつねの鳴き声である。この時期はホタルも舞う。この風景と空気感は、田舎人(いなかびと)が詩人になる瞬間である。

生まれて初めて東京の夜景を見た18の春、私はジャズの調べが頭の中に鳴り響いたのを覚えている。夜の景色は、人間の感性や五感に多大な影響を与えるものだと実感した。

何十年も漆喰(しっくい)の闇の中で、きらめき輝く星空を眺めてきた縄文的私の感性は、いったいどんなものだろうかと、ふと思ったりするのだけれど、いまだにいい年をして詩を書いたり曲を作ったりしている私は、この星のまたたきや、風の匂いや、いきもの達のざわめきのなかで、命を育まされてきたことに間違いはなく、森や大地の風を感じて生きてきたのだろうと思う。

宮沢賢治が愛したイーハトーブの森。銀河鉄道が今宵も我が家の上を走っていく、そんな感覚だ。岩手の山里に生まれ育った恵みをかみしめる夜である。

さりげない日常の中で、喜びや、悲しみや、愛おしさが人生を織り成していく。そのつづれ織り成す瞬間、瞬間の糸が、まるで夜空に輝く無数の星のように拡散し、多くのものを結び絡めていく。昨年から綴ってきたこのブログも、ひょっとしたら私の人生を織り成す一本の糸なのかも知れない。

北上高地の裾野の小さな町の山里から、毎日発信されるこの記事が、北は北海道からも南は沖縄まで、全国の皆さんに読まれていることに、感謝の気持ちで一杯である。始めた頃は500回の更新が目標だったが、いつの間にかこの記事で250回目になった、もうすでに半分きたわけである。500回を迎えたらまた行き先を考えたいと思っている。それまでまたお付き合い願えれば幸いである。

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コメント

250回おめでとうございます。
毎日の更新、すごいなあと思いながら読ませていただいてます。

夜の景色は、私も帰宅途中におなじみとなっておりますが、江刺区を通過するときに銀河鉄道が見えるときがあります。下りの東北新幹線がまっ暗な田んぼ道の向こうの高架を明るい光の帯となって走り抜けていく様は、まるで銀河鉄道です。賢治がこの光景を見たら何て言うだろうなあ、と考えながら帰途をたどるのもなかなか楽しいものです。


(かねごん)
いつも素敵なコメントありがとうございます。私も東北本線の夜行列車が、そのまま天に舞い上がって行くのではないかという錯覚を覚えます。今日はあいにくの雨ですが、星々の輝きだけは田舎に住む特権ですね。

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