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2008年7月

2008年7月31日 (木)

4時間睡眠の日々

夏期講習が始まり、朝8時45分より、夜10時まで教室でずっと仕事である。日によっては昼食をとる時間もない。家に帰って早く寝ればよいのだが、これまた雑用が多い。

地域の納税組合長を仰せつかっている。都会に住む方にはぴんと来ないかも知れないが、私の住んでいる農村地域ではお年寄りだけの世帯が多い。銀行に税金を納めに行くにも、交通手段がなく大変である。

そこで私のような納税業務ボランティアが、各家庭より各種税金を集め銀行に持っていくのである。ただこれも様々な書類があり面倒である。そういうわけで今朝も夜1時に寝たのにもかかわらず朝5時に起きだし、お金やら書類やらをまとめ、朝食後銀行に行き,そして教室に参上したのである。

それだけならまだしも、昨年より神社の総代を引き受けている。総務会計をやっている。神社の屋根が老朽化し損傷が激しいので、修復の話しが持ち上がった。度重なる会議があり、総務の私は80件ほどの氏子の皆さんに対する寄付金の趣意書やら、修復の見積書やらを作成せなばならず、夏期講習のテキストの下調べと時期が重なり、ここ一週間4時間睡眠の日々である。

「ブログを休んだらどうですか」というアドバイスを塾内から頂くのだが、毎日ブログを読むのを楽しみにしています、などというメールやお言葉を頂くと、やめられない止まらないかっぱえびせんなのである(・・古い)。

ところで神社の話題なのだが、自他共に認める神社オタクである。ちょっと知らない町に出かけ神社を見つけると、祭られている神様の名前や、言い伝えなど気なって仕方がない。毎年塾生の合格祈願を神社で行うのだが、祝詞を奏上してもらうたびに、気が引き締まる思いである。

私の事務机の上にはいつも読みかけの聖書が置いてある。塾には近隣の神社の合格祈願のお札が祭られている。家ではご先祖様の命日には、般若心経を唱えるあるじである。ひょっとしたら宗教オタクに見えるかもしれないが、これにはちょっとした訳がある。

私の家は近所のかねごん家の本家である。私かねごんは、本家18代目当主ということになる。都会では本家などと言う言葉そのものが死語となっているかもしれないが、私の住む田舎では本家の役割はまだまだ多く残っている。

実は私が20代後半に、父が他界した。そこで私が急遽かねごん家のあるじとなったわけだが、冠婚葬祭の様々な儀式なり段取りを取り計らうのが実は本家の仕事なのである。葬式の挨拶やら、村のまつりごとや、親類関係の宗教行事をこなさなければならない。お寺や神社等の祭式や作法を覚えないことには、何事もままならない本家なのである。

納税組合長も神社の総代も、他の地域では定年退職をされた方々がやっているのだが、30代の頃からお年寄りのするべき大切な仕事をやらざるおえなかったわたしは、50前にして宗教行事等のエキスパートなってしまったのである。

塾教師と同じで、やってみるとこれがはまるのである。地域のボランティアの仕事は大変であるが、人の役に立っていると思えば少々の寝不足も我慢できるというものである。またこれも、私を支えてくれる家族がいるからこそであり、感謝である。

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2008年7月30日 (水)

夏祭り

市内の夏祭り期間、ほとんどの塾はお休みである。我が塾だけが通常通りの営業であるらしい。塾生たちには不評のようだが、塾生達とて一日中祭り騒ぎをやっているわけではないだろうから、2時間程度の勉強時間は確保できるはずである。

夏祭りと言えば花火大会だが、一関市の磐井川花火大会は、岩手宮城内陸地震のため中止となった。我が塾は磐井川のすぐそばにあるので、花火が一等席で見ることが出来るが、音も凄まじい、ゆえに勉強に集中などできる分けがなく、例年お休みにしてきたのであるが、今年は花火も打ち上げられないので通常のゼミを行うことにした。

他の塾さんは、ほとんどが市内のメインストリートにある。ゆえに祭りの間は、笛やお囃子の太鼓や、パレードが絶えず、指導不能である。塾がメインストーリートにあるのは目立つゆえに宣伝効果にはなるが、やはり騒音が気にかかる。

私も何度か教室の移転も考えたが、目立たなくとも川べりの桜並木の近くの教室は、気持ちの良い風がそよぎ、小鳥達のさえずりが毎日聞こえいいものである。やっぱりこの環境は譲れない。一関一高のすぐ前にあるので、音部の合唱練習の歌声や、吹奏楽部員の楽器の音色が聞こえてくるのがまたいい。一高を目指す塾生たちの励みにもなっている。

塾の子ども達は夏祭りを前にして、誰と行こうか、何を食べようかと祭り談義に花を咲かせている。毎年夏祭りに、浴衣姿に下駄履きの教え子達をみると、夏も終わりだな~という感じである。お盆が過ぎると、あっという間に朝夕は涼しくなり鈴虫の声が聞こえてくる。岩手の夏は足早に過ぎていく。

小さい頃、山里に住む我が家では、自動車などないものだから、いつも峠の道に出て町の花火大会を眺めていた。花火の音が数秒遅れて聞こえてくるのが、ちょっと粋だった。それが子どもの頃の夏祭りの記憶である。

息子が生まれ、毎年子どもを連れて夏祭りは出かけていたが、子ども達も大きくなると、親とは歩きたがらない。とうとう今年は、我が家では夏祭りはなしのようである。かといって一人寂しく祭り見物というのももの悲しい過ぎるので、今年は仕事が終わり次第静かにご帰還し、ブログでも書いて寝ることにしようと思う。ちょっと寂しい夏祭りではある・・・・・・。

追伸

と言うことで、8月1日の塾は普通にあります。くれぐれも祭りに行ったまま、消息不明になりませんように。夏期講習も通常時間ですお忘れなく。

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2008年7月29日 (火)

情熱と愛

受験勉強で大切なことは、自分の才能や能力を引き出すことであり、他人に勝つことではない。倍率や合格率などというものは、受験業界や一部の進学塾が生徒獲得のために煽っているだけで、その学校の指導なりカリキュラムが必要な生徒が、それぞれの学校にしっかりと納まるのである。

我が県の高校の受験倍率に限って言えば、半数近くが定員割れをしている。冷静沈着に自分の適性を考えれば、無茶な進路選択もないだろうし、愚痴をこぼす高校生活を送る必要はないように思う。

いくら能力があっても落ちてしまうのは、運が無いのではなく、その学校に向かなかったのだ。そう考えれば、目指す将来性や、未来展望がしっかり定められれば、おのずと努力の報われる加速度も増すのではないだろうか。

たとえば、倍率が20倍を超える私立大学を考えてみて欲しい。言葉は失礼かも知れないが、ダメもとの記念受験生を除けば、実質倍率はそれほど驚くべきものではないはずだ。私はいつも思うことだが、一大学3万円~4万円の受験料を湯水のごとく使い、下手な鉄砲数打ちゃ当たる的な発想で、次から次へと大学名だけで受ける受験生を見ていると、ブランド志向の親世代に、子ども達が煽られているような気がしてならない。

たった一回きりの大学生活の中で、やりたい学問ではなく、大学名で受験校を選択していくことには、慎重になって欲しいと思う。寄らば大樹の陰ということわざがあるが、陰で終わってしまわないことだ。

偏差値のより高い学校に入ることで優越感を持ち、学校名を堂々と言える大学生活。そのことが望みなのかも知れないが、そのことだけに価値を置いてしまうと、時に思わぬ落とし穴にはまり込んでしまうこともある。学校名だけで生きてはいけない現実があることを覚えていて欲しい。

私も長い塾教師をやってきて、様々な出身大学の部下を持ってきた。受験当時私が逆立ちしても入れなかった大学出の部下を持ったことも多々ある。優秀なという形容詞と程遠い輩もいた。大学名で採用を失敗したこともある。つまり大学名はあてにならないと言うことだ。

近年教え子達からよく聞く話であるが、企業の採用試験で、大学名等の学歴欄をあえて無記名で受付け、採用試験面談をやる企業が増えているという。私と似た考えの企業人が増えていることに、ちょとホットする。

中学校の校長が、修学旅行のお金を横領して懲戒免職になった事件が先日あったが、私が見聞してきた私塾に置いても、月謝の横領などという事件が何件ほどかあった。いずれも彼らの出身大学は、超がつくほど難関な大学であった。塾には確かに様々な人間が集まってくる。得てして経営者は、履歴書に書かれる大学名を当てにする。しかしそれが業績に反映されるかといえば、塾はそれほど甘い世界ではない。

塾や予備校の講師は全てが実力主義だ。教える能力無きものはこの業界を去るしかない。子どもを指導するのは、学歴や大学名ではない。しかし学校の先生や、塾の先生の学歴を気にする親御さんは今でも多いようだ。長くこの業界にいる先生方ならご存知だと思うが、悲しいかな学歴と指導能力は必ずしも比例しない。

やる気のない生徒や、分からない生徒を何とかするのは、情熱と愛である。これは競争心や学歴だけで培われるものでは決してない。何をもって人生の成功者と言うのかは、定かではないけれど、人に情熱と愛を伝えられる人は、間違いなく素敵でカッコいい。私もそのかっこよさにちょっとは近づきたいのだけれど、まだまだのようだ・・・・・。

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2008年7月28日 (月)

教材今昔物語

塾は夏期講習真っ盛りである。我が塾も7月24日より、約一ヶ月の長期にわたる夏期講習がスタートした。

毎年頭を悩ませるのが、教材の選択である。塾を始めた当初は、教材の種類も少なく、また教材会社さんとの付き合いもなかったので、ワープロを打って教材を作っていたが、近年は講習前ともなると10社ほどの会社がサンプル教材を送ってくる。

我が塾のように少人数の塾は、教材を発注しなくとも見本教材で十分間に合うくらいである(・・・笑い)。この夏も、申し込み締め切りの後駆け込み入会があり、教材発注が終了した後だったので、見本教材でもいいですかということで了承いただいた生徒もいる。

例の見本というシールが貼っているやつであるが、「俺のは特別教材だ」と言っている生徒がいるのは、我が塾ぐらいだろうと思いながら、「このシールいいな」などと言っているかねごんなのである。我ながら実におかしい。ちなみに教材費を値引きしたのは言うまでもない。

本題に戻ろう。塾教材出版のレベルが上がっている。教科書準拠のレベルもさることながら、塾生に対するレベル設定もなかなかいい。対応もとても親切である。我が塾業界同様、生き残りをかけしのぎを削ってきた結果だと思うが、お金をかけて塾のオリジナルテキストを作る必要性を感じないほどである。

かつては○○県限定教材などと印刷されているが、どこの県も中身は同じというお粗末な教材も多かった。20年前などは良い教材があって発注しようとしても、「実績がない塾さんには、お金の振込みを確認してから発注します」などという会社もあり、講習に間に合わず断念したこともある。

現在は教材の中身もさることながら、営業マンの方も実に一生懸命である。塾関連の新聞記事を編集して資料を作ってくる方がいれば、県内の進学率をリサーチした資料を持参してくる方もいる。

そんな中で、各都道府県別の中3生の入塾率調べという資料をとある教材会社さんから頂いた。関東地方はほぼ100パーセントかと思いきや、東京、神奈川で73パーセントであった。意外と言えば意外だが、家庭教師や通信添削は省かれているので、この数字なんだろうと思う。そして我が岩手であるが、これが30パーセントなのである。7割の中3生が塾に通っていない。

確かに山間部では、塾まで20キロなんていう地域は多くあり、半数近くの高校が定員割れをおこしている我がふるさとなものだから、仕方がないのだけれど、30パーセントは低い。

しかしポジテイブ思考の私は、この数字を見て喜んでいる。7割の中三生が通っていないということは、開拓の余地は多く残されているということである。ふむ・・嬉しい限りである。

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2008年7月27日 (日)

遠くで汽笛を聞きながら

言わずもがなアリスの名曲である。学生時代仲間内で酔っ払うと、ギター片手にこの歌を熱唱した。「悩み続けた日々が~♪」 今思うと歌っている本人達は陶酔するのだが、いつも回りで聞かされる後輩達はたまったもんじゃなかったと思う。

この歌詞に、田舎を離れ都会で暮らす多くの世代が共鳴し、歌い継がれてきた。この歌を歌うことでそれぞれの望郷の思いが癒されたのだと思う。

現在一関、東京間は新幹線で2時間40分である。週刊誌を一冊読み終え、軽食をとっていると着いてしまう。それでも利根川を越えるあたりから風景がいっきに洗練され、ずいぶん遠くに来たものだいう空気感が増す。

最近は一人で東京の街を歩くことに不安を覚える。というか無理かも知れない(・・笑い)。地下鉄にもぐってしまうと、方向感覚は消えうせ、いったい全体自分がどこにいるのか分からなくなってしまう。山手線のように外の風景が見えていれば良いのだけれど、地下鉄は苦手である。

学生時代新幹線がなかったものだから、帰郷の時は、上野発青森行きの特急電車を利用した。時間があると、西郷さんが佇む上野公園をよく散策した。啄木の歌ではないが、東北なまりの声を聞くと、何かホットしたものである。

当時上野、一関間は7時間弱の旅だった。小説を一冊読み終えうたた寝をしていると、ようやく到着である。子どもの頃華やぎに満ちた町が、東京から戻ってきた私の目には、なぜか寂れた物悲しい町に見えてしょうがなかった。

まさしく「何もいいことがなかったこの町で~♪」 の世界である。あの時から10年後、まさか自分がこの町で塾を始めようとは夢にも思っていなかった。

大学を終えたなら、音楽関係の仕事に就くか、さもなければ堅実なサラリーマンになるつもりだった。ちょいと腰掛のつもりが、26年と3ヶ月塾教師をやってきた。

毎年教室のそばを流れる磐井川の陸橋を、記念事業でSLが走ることがある。汽笛を鳴らし黒煙を吹き上げる姿は、まさに勇壮である。いつもその汽笛を聞くと、私の頭の中にアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」がリフレンされる。

カラオケでたまにこの歌を熱唱するおじさんがいたりすると、学生時代の混沌とした修羅場を思い出し、一人苦笑いしてしまう。私はちなみにカラオケで歌わされることがあると「津軽平野」を歌う。まあこれも望郷の歌である。

若い頃父を亡くした一年間ぐらいは、この歌が悲しくて歌えなかった。聞いただけでも涙がこぼれてきた。今は亡き父を思い出す懐かしい歌である。

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2008年7月26日 (土)

ちょっと幸福論

先日私塾教育の目的は、受験に合格させることだけではなく、将来物資、精神の両面で子ども達が幸福になることだと申し上げたところ、多くの保護者の皆様より賛同の声を頂きました。ありがとうございます。記事のお陰かどうかは定かではありませんが、私のブログを読んでいただいた方より、例年にないほど夏期講習の申し込みも頂きました。感謝申し上げます。

さて本日も人間の幸せということについて、少しお話ししたいと思います。私は人が幸せであることは、それほど努力を要することではないと考えています。「こうじゃなくてはいけない」というこだわりを捨てて、「こうなりたい」という思いを強く抱くことだと考えています。

常に自分を他人と比較することも必要ないことです。究極的には競争もいらないと思います。弱肉強食の世界で生きている人は、死ぬまで阿修羅の世界を彷徨うようなものです。食うか食われるかの価値観で生きたのでは、心が安らぐことはないでしょうし、他人を搾取してお金を得たとしても、それが末永く家系や会社を繁栄させていけるとは思いません。

多くの宝物を、もともと全ての人が持っています。それは学歴や家柄や、しいては通帳の預金残高などとはまったく関係ないものです。

この地球に無事生まれ、育ってきたこと自体が奇跡であります。その奇跡を成し遂げた一人一人が、すぐれていないわけがありません。人は無限の創造力を秘めています。歌を歌うこと、絵を描くこと、話すこと、土を耕すこと、風を感じること、愛すること、学ぶこと・・・・おそらく書き続ければ原稿用紙何千枚にもなるかも知れません。

そしてもっとすごいことがあります。心臓や肺や肝臓などの人間の命を支えるパーツは、私たちの意思に関わらず働き続けています。私たちのために1秒たりとも休むことがありません。それが私達人間です。そのことに感謝することが神心ではないでしょうか。

この奇跡のかたまりである私達人間が、奇跡を起こせないはずがないと私は思っています。幸福であることが人間の自然の姿だと思っています。小さな幸せを見つけて見てください。感謝をすれば大きな大きな幸せがふくらみはじめるはずです。

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2008年7月25日 (金)

本当の叡智

先日シュタイナー学関連の本の中に、含蓄のある言葉を見つけた。『本当の叡智とは尋ねられるまで答えないことだ』という一文である。

かつてブログ『知らないことを言わない努力』http://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_596f.htmlで、かってな想像や憶測で話してしまう自分の反省を含め、言葉を選ぶ大切さを書いたのだが、職業柄ついつい余計な事まで話してしまい、いまだに落ち込むことが多々ある私である。

尋ねられた時に、いつも的確な言葉を発することが出来れば、人間として凄みは感じるだろうなと思う。スポーツのすぐれた指導者に、そのような方を見かけることがある。選手に尋ねられた時のみ的確なアドバイスをする指導者。練習や試合を見つめる視線に、身震いしそうなカリスマ性を垣間見る時がある。

おそらく我が塾がやっているような寺子屋塾の指導者の中にも、そんな方がおられるに違いない。教室でじっと生徒達の勉強を見つめ、生徒の質問に対して的を得たすばらしい説明をし、そして余計なことは言わないカリスマ教師。

私かねごんなどは、程遠い存在である。私などサービス精神旺盛な吉本興業的キャラゆえ、教科の話しを逸脱するどころか、まったく次元の違う世界に飛び出して行ってしまうことが日常茶飯事である。私が聞かれるまで黙っているとしたら、痛風の痛みに耐えている時か、二日酔いで頭が痛い時である。 叡智とは程遠いかねごんである。

塾教師は言わばしゃべるのが仕事である。私などは勢い余ってしゃべり過ぎ、書き過ぎをやらかすこともしばしばで、知らないことを言わない努力もさることながら、言うべきでないことを言わない努力もまだまだ必要な輩である。

ちなみに誰に似たのか、我が息子達は家でも学校でも寡黙で口数が少ない。家では妻だけが一人しゃべり続けているし、教室に来れば私がしゃべり続けている。

本日より夏期勉強会の講習会が始まった。地震やら激しい雷雨やら、不安この上ないスタートとなってしまったが、何とか落ち着きを取り戻し、塾生も勉強に集中していた。連続する自然の脅威にたじろぐ日々であるが、受験に向けて頑張って欲しい。岩手県人受難の年であるが、こんな年だからこそ逆に肝をすえ努力していこう。

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2008年7月24日 (木)

負の連鎖

自分の不幸を他人を抹消することで解消しようとする精神性の崩壊が、連鎖的に起きてしまっている。これは民族問題や宗教問題が絡んだ残虐的なテロ行為も、そして国家間の戦争も、元を正せば同じ人間性の崩壊がもたらしたものだと思う。

自分達の苦しい状況は他人のせい、他宗教のせい、他国のせい、負の連鎖が拡大して行く。

正社員が派遣社員を扱う態度と、先進国が発展途上国の労働力をあてにする姿勢に、大きな差異がないような気がしてならない。『フエアートレード』http://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_55a0.htmlという記事でかつても書いたが、グローバル化した経済の中で、国家間の経済格差は悲劇をもたらすことがあっても、幸福な未来を築きことはないように思う。貧困がなくならない限り真の国際平和は訪れない。

アフリカやアジアで毎日餓死して行く幼い命。アメリカや日本EUなどで、毎日食べられずに捨てられる食料が分配されれば、これらの痛ましい命のほとんどが救われると言われている。

豊かなアフリカの大地において、プランテーションで作られるコーヒー園、カカオ園を全て小麦畑に変えれば、どれだけの人々の命が救われるだろうか。商品作物を作れば豊かになると、先進国の宣伝に踊らされ働かされるアフリカの人々。コーヒー豆やカカオ豆はあまっても食料になることはない。

地球の人口が増えている。しかし、この地球に愛と慈しみがあれば、海や山や大地は人間に必要な食料をまだまだ与えてくれるものと私は思っている。80億だろうと100億だろうと十分な糧を与えてくれるはずだ。そうでなくしてしまっているのは、他人を搾取してお金を得ようとする人間の品性の無さであるように思えてしょうがない。

競争をしなくとも、他国を搾取しなくとも、本来は豊かになれるはずである。近代、電気の発明や化石燃料によるエネルギー改革が始まり、その利便性を追い求めるあまり戦争が始まったと言っても過言ではない。縄文時代的な共有社会が、稲作という作物の普及により格差社会が生まれた歴史の流れは、何度も何度も続いてきた。

一族から村へ、村から国へ、国から地球へ、やがて地球人は宇宙にでも糧を求めるのだろうか。ありとあらゆるものがあふれ出している都会の街を眺めて見るとよい。そして毎日出されるごみの量を眺めるとよい。薬物中毒の患者のごとく、何かを消費せねば気がすまない、人々の悲しい性が見えてくる。

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2008年7月23日 (水)

また悲しい事件が・・・

群馬県桐生市で22日、路上に倒れていた男子高校生が死亡した事件で、桐生署は23日、前橋市に住む元同級生の少年(15)を傷害致死容疑で逮捕した。

 発表によると、死亡したのは同県みどり市大間々町大間々、私立桐生第一高校1年星野智さん(15)。少年は22日午後5時半ごろ、桐生市小曽根町の民家の車庫内で、星野さんの顔などを殴ったり、けったりして死なせた疑い。

 県警幹部などによると、少年は先月、同校を1年生で中退し、星野さんと面識があった。インターネットの星野さんの自己紹介サイト「プロフ」に書かれていた内容を巡って、少年が腹を立てていたとの情報があり、同署で動機との関連を調べている。

 この事件で、星野さんと一緒にいた栃木県足利市の同校1年の男子生徒(15)も少年から顔を殴られ、軽傷を負った。

 また、複数の別の少年が現場にいたとみられ、同署が任意で事情を聞いている。

 星野さんは事件から約30分後、現場近くの上毛電鉄西桐生駅前広場で倒れているのが見つかった。少年らによって運ばれたとみられ、少年自身が「人が倒れている」と119番通報したという。 「読売新聞」

インターネットが原因で殺人事件が起きてしまった。こうやってブログを日々打ち込んでいる我が身にしてみれば心痛極まりない。

ギターをやっていることを非難されたことが、事件の引き金になったらしいが、そんなことでという思いである。私も中学、高校時代とギターをやっていたが、確かに当時はギターを持って歩いているだけで、不良と言われた時代ではあるが、そんなことで不良とレッテルを張られることに、逆に快感を覚えた世代である。

ギターを弾いていることに難癖を付けられたから、人を殺してしまう。故意であれ、過失であれ、人を殴れば人間は死に至ることがあるという認識がもてない少年に、私は悲しみと怒りを禁じえない。

昨日『少年』というブログを書いた時に、まさしくこの事件が飛び込んできた。私が描いた少年は、虹と風を愛する純朴な少年だ。やがて訪れるすばらしい青春の季節を謳歌する少年だ。15歳という若さで亡くなってしまった星野君は、もう雨上がりの虹を見ることはない。星野君のご冥福をお祈りする。(合掌)

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少年

雨上がりの虹を自転車で追いかけていった。峠の道で虹は急に加速度を増して、少年の視界から消えていく。

森から急にせみしぐれが聞こえてきた。まるで虹がせみに変わってしまったような突然のせみの鳴き声に、少年はたじろいでいる。

夏の日差しがふたたび雲間から現れだし、山里に点在する民家の屋根がきらきらと輝きだす。

ランニングシャツで顔の汗をぬぐう。さっきまで濡れていた道路はもうすでに乾いている。自転車のそばをカナヘビがちょろちょろと走っていった。

夏休みが終わりかけるいつもの切なさが、急に押し寄せてきた。まるでさっきの虹のように、突然楽しみは終わってしまうものだ。

少年はそうやって毎年毎年、何かを失った分、大人になっていく。

あとひと夏もすれば、雨上がりの虹を追いかけることもないだろう。電信柱に耳を押しつけ、風の歌を聴くこともないだろう。

夏の夕暮れ時、沈む太陽をじっと見続ける少年の目に、今日がどんな一日として記憶されるのだろう。

虹を自転車で追いかけた日、そんな一日として心に記憶されるのだろうか。それとも夏のせつなさとして記憶されるのだろうか。

少年や少女である時代、甘酸っぱい汗のにおいと、日に焼けた小麦色の足が飛び跳ねるその一瞬の季節に、彼らはなんと多くの物語を紡いで行くのだろう。

そのつづれ織りなす物語に、彼らの未来が生まれていく。大人になった時、少年はどんな虹を見るのだろうか。

(お知らせ)

風と虹の教室では、小学生を対象に夏休みワークショップを開催いたします。詳細は下記のURLをクリックしてご覧ください。

            http://kazetoniji.cocolog-nifty.com/happy/2008/07/post_3799.html

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2008年7月22日 (火)

ねじ巻き時計

2年前からゼンマイ巻きの腕時計をしている。ゆえに一日中放置していると、勝手に止まってしまっている。毎日せっせとゼンマイを巻かなければならない。とても非合理的であるが、なぜかそれが気に入っている。

携帯電話を持たない私は、その代わりと言ってはなんだが、けっこう腕時計にこだわってきた。30代に入り山登りを始めた頃は、標高や方位が分かる電子時計を買った。42才の年祝いの時は、自分へのご褒美としてちょっと奮発してエルジンの時計を買った。

そして今は時代に逆行するかのごとく手巻きの腕時計をしている。実は中学校に入った時、生まれて初めて腕時計を父親から買ってもらったのだが、シチズンの自動巻きの時計だった。中学生ゆえそれほど時計を必要とすることもなく、2,3日ほっておくと止まっている。面倒くさいものだから、父親には悪かったが、高校に入った時バイト代で電池式の時計を買った。それ以来30年以上、ゼンマイ式の腕時計とは決別していたことになる。

時計ごときで原点に立ち返るというのも大げさだが、30年ぶりにする自動巻きの腕時計は、忘れかけていた若き情熱みたいなものを思い出させてくれていいものである。

万歩計みたいに、よく動いた日はゼンマイも100パーセント充電状態である。ゼンマイの緩みかげんで自分の運動量が測定できるのも、ちょっといい感じである。

塾の壁には電波時計が掛かっていた。過去形で書いたのは、実は6月の地震で床に打ちつけられ壊れてしまったのである。かつて我が塾で指導していただいた千葉先生から塾の新築祝いにと頂いたものだった。ひょとすると私のブログを読んでくださっているかも知れないので、この場を借りて、せっかく頂いた時計を壊してしまったことに対し、おわび申し上げたい。

千葉先生は現在独立され、市内東部の町で学習塾WILLを営んでおられる。情熱的で生徒思いの素敵な先生である。お孫さんのおられるおばあちゃん先生であるが、実年齢よりは10歳は若く見える。パワフルな先生だ。

また時計の話しに戻るが、電波時計というものは、発信されている電波をキャッチし、1秒の狂いもなく時を刻む。私はいつもその電波時計を仰ぎ見ては、ゼンマイ巻きの腕時計の時間を合わせていたのである。まさに超デジタルと、超アナログのコラボレーションである。

受験指導もコンピューターの診断解析がテスト等に導入され、一見的確な合格確率やアドバイスが出てくるが、一方手動式の時計のごとく生徒一人一人をアナログ的に点数以外のところで見ていくことも、言わずもがな大切なことである。

手巻きの腕時計は私への戒めでもある。ほっておくと止まってしまう・・・。

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2008年7月21日 (月)

ちょっと聖書

最近また聖書を読んでいる。高校生の時、何とか必死で合格した大学がたまたまキリスト教系の大学だった。偏差値がどうのこうの言える立場ではなかった。バイトと音楽にのめり込んだ高校時代、私を入れてくれた大学があったことに感謝である。

家に負担をかけたくなかったので、新聞奨学生で新聞店に転がり込み、東京での大学生活が始まった。大学の先輩がいたり、予備校に通う同年の者がいたり、それなりに楽しいスタートだった。

朝4時に起き、朝刊を300部ほど配る仕事である。夕刊と集金の仕事を加え、授業料の他に、アパート代、朝夕の食事代は出してもらった。5万円ほどの生活費も頂いた。労働に見合った報酬だったように思う。

しかし大学生活でのこの最初のバイトは、梅雨が始まる前に挫折してしまった。配達中、自動車との正面衝突の事故を起こしてしまった。幸いにも一週間ほどの怪我ですんだのだが、父親が急遽上京する騒ぎになり、とりあえず新聞店を出て、四畳半一間のアパート暮らしが始まった。

その後大学を終えるまで、家庭教師、肉屋さん、バーテン、配管工等、10種類ほどのバイトをすることになるのだが、新聞店をやめた私は、高校時代を含めて、久しぶりのバイト失業時期を迎えた。

大学の聖書サークルの学生だったと思うが、構内でギデオン教会の聖書を無料配布していた。よくホテルなどに泊まると置いてある、例の赤い表紙のやつである。本を買う金が乏しかった私は、暇つぶしにその聖書を読んでみた。これがおもしろいのである。

生まれて初めて聖書を初めから最後まで読んだ。SFタッチの奇天烈物語あり、「いいこと言うね」的泣かせる話しあり、かと思えばわけの分からない名前の羅列があったり、村上春樹ばりのメタファーのオンパレードあり、狭いアパートの部屋や、学生食堂や、退屈な授業の合い間、私は聖書に読みふけった。聖書ばかり読んでいるので牧師というあだ名をもらったほどである(・・・笑い)。

当時の私は(今もそうだが・・)キリスト教教義の難解な解釈や、神学が理解できなかったが、ちょっとした矛盾点みたいなものは見えてきたりした。たとえば使徒行伝第17章では「神は天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない」と書かれているのに、神の名のもとにど派手なキリスト教会がどんどん建てられてきた。

マタイによる福音書では、「会堂や大通りの辻で偽善者達のように祈ってはならない・・祈る時は自分の部屋に入り、戸を閉じて隠れた所においでになる父に祈りなさい」と書かれているのに、人々はパーフォーマンスのごとく教会堂に集まり祈りをささげている。

どれが正しくて、どれがおかしいのだろうかと、当時純朴な青年である私は、聖書を読みながら考えたのであった。いまだに疑問点も多々あるのであるが、宗教問題の記事は、何かと多くのメールを頂くので、夏期講習直前の多忙の中メールの返信に時間を要するのも実は大変だったりするわけで、今日はあまり突っ込まないことにするのだが、いつか私なりの聖書の気になる話を書いてみたいと思っている。

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2008年7月20日 (日)

親子の絆

子育ていうのは、人間教育の原点である。良くも悪くも感情移入が多く、自分の価値観を子どもに植え付けていく。子どもはおのずと親の色に染められていく。家庭の色と言ってもいいかも知れない。

親の態度や表情や口癖、思いの癖まで子どもは親をコーピーしていく。「親に似たくない」と言う子ども達は多いが、残念ながら子どもは親に似てくるのである。

私も二人の息子の父親である。日々様々なトラブルや悩み事が襲いかかってくる。どうしてもその問題を子どもの立場というよりは、自分の子ども時代の経験や価値観で捉えてしまう。子どもがひとりの独立した人間であることは、頭では理解するのだが感情が拒絶してしまうことが多い。

よそ様の子どもなら客観的に見れることが、我が子のこととなると主観的になるのはどうしてだろうと思うのだが、親というものは自分の過去の失敗や、自分の出来なかったことを、子どもという分身を通して補おうとする存在ゆえ、どうしても期待過多になってしまう気がする。

良いところも悪いところも、父親や母親から手に入れてきた子ども。トンビは鷹を生まない。その真実を謙虚に受け入れて初めて、親子関係は修復されていくのではないだろうか。

痛ましい少年犯罪がまた起きてしまった。親子間の絆が薄れていることを象徴するような事件が続いている。厳しい親、優しい親、友達のような親、尊敬される親、親という名詞にかつてはこのような形容詞が使われたものである。現在子ども達の会話を聞いていると、うざい親、ケチな親、うるさい親、そんな形容詞が多い。

親が親であることに威厳がなくなってきたと言う評論家が多い。確かに我々の世代の父親は威厳があった。昔なら親は子どもの前でふざけるようなことはなかったし、お笑い番組を見て一緒に笑い転げる親も多くはなかっただろう。昨日取り上げた野茂英雄選手のように寡黙で、多くを語らず行動で示す親が多かった。

「俺がおまえの頃は~」という言葉を飲み込み、子どもの話に耳を傾けてみると、新しい時代の価値観が聞こえてくる。それをどこまで許容し、どこまで遮断するのか、まさに親の力量にかかってくる。子を思う親の愛が揺るぎの無いものならば、決して子育てに失敗は無いと思うのだ。自信の無さが、絆を強く結べない原因の一つなのかも知れない。

もう一度繰り返す。親子は似ている。似ているがゆえにお互いの欠点に意識が集中しやすい。もう少し緩やかな感情を、諦観の領域を広げられたなら楽な日常がやってくる気がする。私は自分にもそう言い聞かせている昨今である。

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2008年7月19日 (土)

野茂引退

日本球界から米大リーグへの道を切り開いたパイオニアがユニホームを脱ぐ。元大リーガー、野茂英雄投手(39)が17日、現役引退を表明した。日本の「輸入」一色だった日米間の選手の動きに新風を吹き込んで十数年。多くの日本人選手の先駆けとなる足跡を残し、日米通算19年のプロ生活に終止符を打つ。  (毎日新聞)

元大リーガー野茂英雄投手が現役引退を明らかにした。日米通算201勝をあげ、現役続投にこだわり続けてきた男がとうとうマウンドから降りる。

彼の存在が、日本の野球を変えたと言ってもいいだろう。イチローや松坂や多くの日本選手達の船頭役をつとめ、いつも前方を照らしてきた男である。マスコミの前ではいつも寡黙で多くを語らない野茂であるが、彼の投げる一球一球が我々に多くを語りかけてきてくれた。

まさにNEVER GIVE UP の不屈の精神を、野球を愛する多くの人達に彼は与えてくれた。

「トルネード投法」と言われる彼独特のホームを、世界が注目した。1996年にはそのトルネードで、ノーヒットノーランを大リーグで達成している。バブルが崩壊し、経済の不況の中で喘ぐ日本人に、彼の大記録は一陣の風であり、勇気を与えてくれた。

野茂英雄が1990年にドラフト1位で近鉄に入団をした年、私は今の塾を立ち上げた。彼の19年間のプロ野球人生は、私の塾経営とまさしくリンクする19年間である。何度も転びそうになった時、野茂の再起をかけたチャレンジに何度勇気を与えられただろうか。

10歳近くも若い彼に、私は本当に様々なことを学ばさせてもらった。感謝で一杯である。新しいスタートラインに彼は立つ。私もチャレンジ精神を失わず、野茂のように何度も教室というマウンドに立ち続けたいと思うのである。

ちなみにプロ野球が嫌いという我妻も、野茂英雄だけは大好きである。きっと投手であること以外何も知らないと思うのだが、野球を知らない人間からも好かれるの野茂は、やはりただものではない。

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2008年7月18日 (金)

しょっぱいランプ

080711_145413 塾の玄関に岩塩でできたランプが置いてある。子ども達が「先生この赤い石な~に」とよく聞いてくる。「岩塩だよ」と答えると、「じゃしょっぱいの」と言ってなめている。

岩塩と言えども塩なので、指で擦ると減るわけで、毎日誰かが指で触ってなめているので、てっぺんは白くなりつるつるになってきた。

綺麗なレッドストーンなので、思わず触ってなめたくなるのだろう。ふと、我が家でかつて飼っていた牛を思い出してしまった(・・・笑い)。特に夏になると、牛も塩分を好み岩塩を置いてやると喜んでなめていた。

ところで塩と言えばやはり海の塩であるが、当たり前のことだが海水は本当にしょっぱい。あのしょっぱさの中でよく生物が生きていけるものだと私など感心してしまうものだが、海の住人からすれば、淡水魚はよく塩がなくて生きていけるなと思っているのかもしれない。

実は人間の身体の塩分濃度は、海水の濃度と同じくらいで、自分の汗や涙をなめると分かるが、だいぶしょっぱい。自分の中に持っているものでも、なかなか自覚が出来ないことは多いものだ。海水のように、外部の刺激で初めて自分の中身を察知するということは結構あるものだ。

体内のことにもまして、人間の持つ身体能力もそうである。登山をした経験のある方ならば実感することだと思うが、頂上に立った時、自分が登ってきた裾野を眺めると、その行動力に驚くものである。良くぞこの距離を歩いてきたなと。

全ての人間が、それぞれすばらしい能力と才能を持っている。自分がどんな才能を持っているかに気づき、そのことに努力を向けられる人間が天才と呼ばれるような気がする。

夏休みが始まる。これが出来ない、あれが出来ないと、出来ないことばかりに意識が行き過ぎても辛いものである。将来飯の種になるものは、苦手なものではなく間違いなく得意な分野のものであるはずだ。

岩塩をなめてしょっぱさを感じ取れるように、自分の良さをこの夏感じ取ってほしい。

(連絡)

夏期講習は定員になりましたので締め切らせていただきました。中学1年生、2年生の通常ゼミはまだ空きがございます。お問い合わせください。通常ゼミの詳細は、プロフィールをクリックしていただければごらんいただけます。

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2008年7月17日 (木)

授業参観

中学校の授業参観に行ってきた。4年ぶりである。一番上の子の時と違い末の子ともなると、断然私など年配者の部類に属するようになってしまった。授業は各クラス担任による道徳の授業であった。

キング牧師の演説を取り上げ、人種差別に対する意見を求める授業であった。I  have  a dream. で始まるあの有名なリンカン記念堂での、25万人の群集の前での演説は、何度聞いても感動する。中学校1年生には英語は分からなくとも、差別撤廃に対するキング牧師の情熱が伝わったのではないだろうか。

夕方より塾での指導があったので、学級懇談会は失礼させていただいたが、久しぶりの中学校体験だった。塾生の保護者の方や、知人のお母さんより「ブログ毎日拝見させてもらっています。楽しみに読ませてもらっています」などと挨拶をいただき、ちょっとドギマギするかねごんでありました。

正直なところ、最近ちょっと内容が過激と言うのか、自己主張が強すぎる傾向があり、私の血圧同様トーンを落とさねばと思ったりもするのであるが、どうも一度ペンを握ってしまうと止まらないのである。止まらないついでに今日もまた書いてしまうのだが、生活指導の先生のお話の中で気になったことがあった。

「お子さんやおうちの方でブログを書いている方もいるようですが、悪質な書き込みや中傷にさらされるのでやめさせてください」というお話しがあった。私はおやっと思いながら聞き流したのであるが、私も仕事の一端として塾ブログなるものを書いている身として、ちょっと考えさせられる発言ではあった。

にほんブログ村などで検索すると、中学生や高校生もかなりブログを公開している。もちろん匿名であり、我々のようにメールや電話番号などをさらすものはいないのだが、内容はなかなかすばらしいものがある。学生の活字離れが取りざたされて久しくなるが、ブログを書いている子ども達の文章力は時にうなるものがある。文章修業としては、なかなか近年まれに見るツールではないだろうか。

正式なブログ(?)という表現はおかしいかも知れないが、ブログに対しての映像添付や汚い言葉に対してはかなりの防御システムが構築されている。ちなみに私はニフティーのブログを使用しているが、トラックバックやコメントに毎日入ってくる素敵なセクシーな映像や(・・笑い)、素敵な四文字熟語の言葉の入ったコメントは、目に触れることなく消去できる。

またコメントやメール発信者のPCのID番号は、ブログ検索で全て表示されるので犯罪を誘発するようなメール等に対しては、告発も昔よりはたやすくなっているはずである。我が塾生にもブロカーがいるが、そんなことは常識として知っている。

つまり学校側としても、禁止する以前にITを取り巻く現状を把握し、携帯同様、教育するシステムをしっかり構築しなければならないと感じたのである。ブログを1年間経験した私にしてみれば、中学生や高校生がブログを書くことは、実名の中傷や、嫌がらせ等の書き込みが無い限り、どちらかと言うと健全な行為だと思うのだがどうだろうか。

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2008年7月16日 (水)

ひげ物語

7月16日の産経新聞の記事である

口ひげが生えていることを理由にマイナスの人事評価をしたのは人権侵害にあたるとして、大阪弁護士会は15日、「きちんと手入れされたひげであれば個人の自由」とする勧告書を、郵便事業会社(東京)と同社近畿支社などに送付した。

 大阪市内の同社支店に勤務する男性(55)が同弁護士会に人権救済を申し立てていた。

 同弁護士会によると、男性は平成元年の採用後から口ひげを生やしていたが、民営化を控えた日本郵政公社(当時)が平成16年、「接遇・マナーレベル」の認定制度を設け、「ひげは不可」とするガイドラインを作成したため上司が問題視。不認定となり、当時の公社幹部は「ひげ」を理由にあげた。

 男性は顧客との接触がない業務に配置転換され、人事評価でも比較的低いランクになったという。

 同弁護士会は、こうした措置について、ひげだけを理由とする不当な扱いと判断。勧告書で「無精ひげであれば、顧客に不快感を与えるため制約する必要がある場合もあるが、(男性の場合は)ひげは手入れされている。顧客から苦情が寄せられた事実もない」とし、「個人の自由に属する」と結論づけた。

実は私は20年来ひげをはやし続けている。塾のチラシや月謝袋には、私のひげ顔をデフォルメしたイラストが描かれている。言わば登録商標済みのような私のひげである。

妻の勧告もあり、一度だけそり落としたことがあるが、塾生の爆笑の中授業にならず、それ以来私の顔にはひげが存在し続けている。

ひげが問題で職場で不当な処遇を受けたという記事は、今回の記事を含めずいぶんと見てきたが、基本的には著しく不快な気分を与えなければいいのではないのかと思うひげ男である。かつて私のブログhttp://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8559.html『彼の講演に涙するわけ』の中で、ひげをはやし始めた経緯を紹介したが、塾生に言わせれば、頭の毛の密度のなさををひげで補っているかんごんなのだそうである。

正直なところ、ひげを蓄えていて言える立場ではないのだが、若者のひげは服装のさじかげんでは、反社会性のシンボルになりかねないところもある。ひげが似合う年齢というのもあるのかも知れない。

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お金持ちになろう

近年私が、「心の教育」と呼んでいたものを「魂の教育」と呼ぶようになっていた自分に気がついた。道徳心や気持ちのあり方に限定したものではなく、魂の根源に関わる教育なのだが、シンプルに言えば、私がめざしているものは「生きる本質」の教育である。

生きる本質とは何ぞやと問われれば、それは楽しく豊かに生きることをめざす教育である。つまり「魂の教育」とは人間の楽しさ豊かさの追求であると思っている。ゆえに勉強は楽しくなければならないし、人生を精神、物資両面に置いて豊かにするものでなければならないと思っている。

知識や知恵があって、学歴があって、しかし貧しいというのは豊かな人生ではない。清貧などという言葉に癒されていてはいけない。しっかりした教育を施された人間が、全て健全な豊かな暮らしを送らなければ、それは本当の教育ではない。つまり魂の教育ではないと思っている。

私は塾生には将来、お金持ちになってもらいたいと思っている。お金持ちになって、楽しいいい暮らしを送ってもらいたいと思っている。偽らない気持ちだ。私はそのために学問を教えていると言っても過言ではない。

豊かになり、その豊かさをまわりに伝えていってもらいたいと思っている。競争や他人を打ち負かすことで財を得るのではなく、能力と創造で富を築いてもらいたいと願っている。そのためにはいつもどこでも感謝を忘れないことである。

私は感謝の気持ちにあふれたお金持ちが増えれば、すばらしい時代がやってくることを確信している。いや、そんな予感が間違いなくする。貧困はなくならなければならない。

ほんのちょっとの才能と、運と、行動力、そして豊かなイメージ力あれば、誰もがお金持ちになれると確信している。そのための魔法の杖が感謝である。

昨日は、高校野球も中盤に差し掛かり、市内でも好カードの試合が組まれ、大勢の観戦客が詰め掛けた。ネット裏の私の姿を見つけて、今年我が塾から関東の大学に進学した生徒のお父さんがやってきて、一緒に観戦していた。お父さんが嬉しそうな笑顔でこんな話しをしてくれた。

「かねごんさん、先日うちの息子が妻と私宛に手紙をよこしたんですよ。大学生で一人暮らしをはじめて、親のありがたさがしみじみ分かったみたいなことが書いてありましてね、育ててきてくれたことへの感謝の文面だったんですよ。思わずじ~んときちゃいましてね。」

私も実にじ~んとしながら話しを聞いていた。彼のような教え子が増えていくことが、私のめざす、「魂の教育」なのである。

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2008年7月15日 (火)

教員採用の光と影

ほとんどの学校の先生は、大変な努力をして教員になられている。それは揺るぎのない事実であるし、間違いないことである。

その一方で、県の採用に携わるものと、親しいものの間に癒着があり、コネがまかり通っているのも事実である。今回の大分の事件が発覚し、青ざめ肝を冷やしている全国の教育関係者も多いのではないだろうか。(そうでないことを切に願いたいのだが・・・)

コネクション、つまりコネであるが、日本人の仲間意識や共同体意識が生み出した産物である。稲作を中心とする農耕民族であった我々日本人は、水の管理や農作業に置いて、「ゆい」という共同作業を生み出してきた、時間が空いている時に他人に労働を提供し、わが身が大変な時には手伝ってもらうシステムである。

お互いに農作業を助け合うことで、村や共同体を構築してきたのである。このことに加担しないものは村八分となり、共同体の中では暮らしていけなかった。歴史的に見れば、「惣」や「寄り合い」などにその組織体の一端を見ることが出来る。まさしく教員や公務員そして一部企業におけるコネの世界は、その名残でもあるかのようである。

組織の体制や人事を、身内的感覚で決定し取り計らっていく慣例は、気心が知れているとか、根回しがし易いとか、素性が知れている等の利点が確かにかつてはあったかも知れない。しかし平等の原理原則の現代社会に置いて、百害あって一利なしである。

たとえコネで入ったにしても、実力が伴っていれば問題がないのではないのか、という意見もあるかと思うが、しかしである、実力がある人間がはじめからコネを頼りにするだろうか。本人の知らないところで、親や親戚が働きかけたとしても、本来の実力がないものがその仕事につくということは、例えそれが一部であっても慣例化していけば、必ずしやその組織体は弱体化していく。

今回の大分県の不祥事にいたっては、一部どころか、2008年の採用に当たって、約半数の採用合格に不正があったと言うのだからとんでもない話である。

大手塾業界や予備校の講師採用に置いて、コネがまかり通っているのどうかは分からないが、確実に言えることは、塾で学級崩壊やクレームが頻発すれば、改善無きものは解雇されるはずである。中には労働組合が強く解雇が困難な場合があるかも知れないが、そういった塾は、塾そのものが崩壊し消えていってしまう。私は30年近く塾業界で飯を食べさせていただいてきたが、そういった光景をずいぶんと見てきたし、経験もしてきた。それが資本主義社会の現実である。

能力のある教師と言うものは、しゃべらずとも風ぼうなり、醸し出す雰囲気の中に、一徹な情熱に支えられてきた威厳のようなものが感じられるものである。そういった方々の人を見る見識には優れたものがある。

高校入試の問題作成者を選出するように、採用担当官を裁判の陪審員制度のような形で教員から選出するのも良いのではないかと、門外漢の私は思ったりするわけであるが、いかがなものであろうか。

権力を持った人間が、一番やってはいけないサンプルのような今回の大分の事件は、何度も言うように他人事ではない。しばらくの間、教育界は厳しい批判にさらされるだろうが、蒔いた種は刈りとらなければならない。

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2008年7月14日 (月)

野鳥観察

080713_120623 庭先のケヤキの幹に吊るしておいた巣箱に、先月シジュウカラが卵を生み、子育てをしていたが、今日3羽が無事巣立った。残り1羽がまだ餌をもらっている。

飼い猫のキラが、何度か獲物を狙おうと木にジャンプしていたようだが、シジュウカラの俊敏さにはかなわなかったようだ。庭ではスズメがいつも巣を作り、毎年多くの子スズメ達が誕生していくが、シジュウカラは珍しい。

家の玄関には渡り燕がやってくるが、猫の殺気を感じてすぐ去っていく。私は鳥の名前にそれほど詳しくはないのであるが、山里に隣接する我が家の庭には実に多くの野鳥がやってくる。

スズメやカラスはもちろんのこと、ツバメ、ウグイス、尾長鳥、アカゲラ、メジロ、ツグミ、キツツキ、時として巨大なシラサギまで飛来してくる。まるで野鳥の森である。我が家の猫の犠牲になるのはたいていスズメ君たちであるところを見ると、他の野鳥達はかなり用心深く、俊敏なのだろうと思う。

それにしても親鳥が一生懸命餌を運ぶ姿は、いつ見ても感動的である。日に何度も何度も虫をくわえ巣箱にやってくる。私など人の親として、見ているだけで心底感心してしまう。

庭の松の枝や、ケヤキの枝に止まり美しい声でさえずる鳥の声を聞いていると、とても気持ちがいい。今もこの記事を書いている時に、ウグイスが鳴いている。

我妻が結婚して神奈川から嫁いで来た当初、山里に響き渡るカッコウの声を耳にして、「どこかに拡声器があるのかしら」とのたもうていた。確かに山の手線のホームではテープの鳥の声が響いていたが、人間の感性は恐るべしである。

ちなみに私はウグイスの口笛が得意で、私がウグイスの鳴き声をすると、森の方から本物のウグイスの返事が返って来る。息子達を里山に連れて行って私が唯一自慢できるパーホーマンスである。

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2008年7月13日 (日)

痛たたた・・・

3年ぶりに痛風の発作を引き起こしてしまった。2週間連続の卓球の試合で汗をかきエネルギーを消費したものだから、調子に乗ってラーメンやら生姜焼き定食を食べ、やってしまった。

歩くと激痛が走るものだから、教室ではキャスターつきの椅子に腰掛けて指導に動き回っている。我が健康管理の至らぬところである。

私の痛々しい様子を見て、少しは遠慮をするのかと思いきや、塾生は「痛風か・・・うちのお父さんもよく先生のように痛たたあ~と言っているよ。」と同情しているかのように見せかけて、結構人使いは荒い(・・笑い)。

大好きな高校野球が始まったのに、痛風のお陰でなかなか行けず、昨日、今日とやきもきしているのである。明日7月14日は市内の球場で、一関二高の試合がある。教え子達が何人か出るので応援に行きたいのであるが、何とかハレがひくのを願うばかりである。

我が息子は朝早く花巻に出かけた。中学校に入ってからの卓球のデビュー戦である。これまた応援に行くつもりであったが、この通りの状態なので息子のデビュー戦は見れず悔しい思いである。

痛風は贅沢病だと友人からからかわれるが、私の場合は明らかにラーメンが原因である。分かっちゃいるが、ついつい体調がいいと食べてしまう。困ったものだ。特にとんこつラーメンが痛風に良くないと知りつつも、ついついである・・・・・・うぅ・・痛たたた・・・・

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夏のざわめき

080711_145800 メールで、かねごん先生はどんな方なんでしょう?というファンからの問い合わせが殺到している(・・爆笑)。昨日教室の階段で休んでいる私の姿を我が塾の社長が撮ってくれた。

検閲に引っかからない程度のアップ度でお願いしたが、遠目に見ても強面(こわおもて)の顔である(笑い)。これで入塾率が下がらないことを願いたい。

ちなみに私と同じ年の有名人は、清水ミチコ、コロッケ、山田邦子、上島竜平(ダチョウ倶楽部)、柳場敏郎等の個性派ぞろいである。

今年の一関の花火大会は、地震の影響を考慮し開催が中止になった。時を同じくして平泉の世界遺産登録が見送りになった。地元はやんごとなき状況に落胆は隠せない様子だ。

一方子ども達はいたって変わらず、夏休みの計画の話題で盛り上がっている。我が塾の夏期講習で夏休みが終わってしまうラッキーな(?)塾生もいれば、部活に夏休みのほとんどを費やす生徒もいる。ひきこもごもである。

夏は大いに遊べと言いたいところだが、受験生にとっては夏が正念場である。昨日のブログではないが、夏を過ごすイメージが大切だ。暑い中、よだれを流してねっころがっているようなイメージだけは絶対避けなければいけない。

夏と言えば思い出すのは中3の夏休み、友人達4人で、海まで往復100キロの自転車の旅をしたことがある。息子が中3の時にその話しをしたら「あり得ない」の一言で片付けられてしまったが、今でも私の青春の1ページとして思い出に刻まれている。

朝5時に出発し、宮城県の気仙沼に着いたのは8時近くだったろうか。一日海で遊び、夜8時頃家に帰ってきた。自動車で走っても結構しんどい距離である。さすがに疲れたし、無謀ではあったが、いい経験だった。中学校を卒業した後、4人それぞれが違う高校に行き一緒に遊ぶことが少なくなっていったが、あの夏の日の冒険は、しばらく語り草となった。

今でも仕事や行事で当時の道を車で走ることがあるが、潮の香りとともに、あの14歳の夏のざわめきが聞こえてくる。

〈連絡〉

夏期講習の申し込み締め切り日は7月17日に延長しました。若干空きがございます。希望者はお問い合わせください。尚、お盆休みは8月13日~17日となります。よろしくお願いいたします。

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2008年7月12日 (土)

幸福の哲学

このブログで何度も述べてきたが、言葉や思いは現実を創造する。実はそれぞれの困難や成功という状況は、各人の思いの現れである。このことは私が塾を経営してきたことで経験し体得してきた哲学である。

成功する人生を行きぬくツールは、卓越した想像力で十分だと思っている。心の中でリアルに思い描けることは間違いなく実現できる。嘘だと思ったら実行してみて欲しい。思いがけない現実が家族や友人の援助でやってくるはずだ。

金儲けの宗教や、いんちきな啓蒙セミナーに通いつめ、心身ともにぼろぼろになっている人がとても多くいる。想像力が欠如するのは、打算の心と、疑いの心が足かせとなっている。

本当にお金が必要なのにお金がやってこないのは、お金を手にすることに、心の底で後ろめたさを持っていたり、自分は金持ちに値する人間ではないなどと勝手な自己否定をしているからだ。「お金持ちはすばらしい!」素敵な家に住み、家族が楽しく暮らす映像が浮かぶ、そのことが大切である。

暗い話や、他人の愚痴に付き合うのはやめた方がいい。エネルギーを奪われてしまう。不幸な人に同情しすぎるのもいけない。冷たい人間になれと言っているのではない。相手に同情すると言うことは、相手のピジョンを受け取ってしまうことになる。

嘘だと思ったら、場末の居酒屋をのぞいて見るといい、うだつの上がらないみすぼらしい雰囲気の方々が、前向きで希望的な話をしているだろうか。必ず不景気の話と、上司の悪口を言っている。類は友を呼んでいるのだ。それでは成功の女神は訪れない。

「人間努力したって報われない」「全ての努力は間違いなく報われる」どちらの言葉が、元気になるだろうか。一目瞭然であろう。前者の言葉と、後者の言葉を、日ごろ習慣として使う人間がいるとしたなら、あなたはどちらの人間と付き合いたいだろうか。あえて答を言うまでもないだろう。

子ども達もそうだが、大人にも実に否定的な言葉が好きな方が多くおられる。自虐的な人に成功者はいない。

「学歴がないので・・・」と言う人がいる。学歴など関係ない。一流大学を出てろくに働きもせず、プライドだけを背負って生きている人がいっぱいいる。夢を継続する意志力さえあれば、たやすく幸せはやってくる。学歴や、大学が・・などと過去を振り返り悔やむことが、そもそもブレーキだ。夢のアクセルを踏んでみよう。

「運がないから・・」それも単に自分がそう思っている幻想だ。すべての人は限りない運を山ほど持っている。本当に山ほどである。そこらじゅうに幸運は落ちている。拾わないだけである。何故拾えないのか。感謝がないからである。食事が取れる感謝。両親がいることの感謝。そして生きていることの感謝。さりげない感謝が運をもたらす。難しいことではない、実に簡単なことだ。

「資格がないから・・」資格も幸福になる必須条件ではない。そんなものにこだわっているから、自分の持っている天性の特性を生かせないのだ。話すことの資格とか、優しさの資格とか、人を愛することの資格など、ないだろう。自分が金持ちになれないのも、正社員になれないのも、資格がないせいじゃない。

我々の業界である、塾や予備校の先生方で、実は教員免許がない先生の方が圧倒的に多い。免許があっても一生教務の仕事をすることなく人生を終える人の方が多いのだ。どうだろう、ちょっと頑張れば将来の展望は描けるはずだと思う。自分のピジョンを明確に描くのに学歴も、運も、もちろん資格などいらない。頑張るべし。

ピジョンが大切だ。塾での私の口癖である。生徒いわく「先生、髪がふさふさになる映像を何度も想像したら」ということらしいが、髪がふさふさになっている自分の姿が浮かんでこないのである。あしからず

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2008年7月11日 (金)

ありふれた日常

夜10時に指導が終わり、中学生達が帰っていく。私はインスタントコーヒーをコップに注ぎ、少しまどろむ。戸締りをし15分後私も塾を後にする。

軽トラックで18キロの夜のドライブだ。今宵はコルトレーンのサックスを聞きながらの帰宅である。途中こぎつね達が道を横切った。3日ぶりの再会である。

10時45分、先日7月7日で13歳になった老犬のボブが、しっぽを振りながら私を出迎えてくれる。この時間長男はたいてい風呂に入っており、妻はPCの前に座っているか、本を読んでいる。猫のキラは、茶の間のソファー下でまどろんでいるか、中学生になった次男の部屋で、息子と一緒に寝ている。母はとうに真夜中の夢心地タイムである。

夕方塾で軽食をとる私は、今年に入ってからはメタボ対策のため、家での夜食はとらないことにした。一杯の芋焼酎の水割りを片手に、PCの前でメールのチェックをする。その後風呂に入り、12時30分には眠りにつく。

農家の家でもだいぶ珍しくなってきたが、私の家の風呂は外にある。農村に行くとよく見られるタイプだが、私が住んでいる地域でも数少なくなってきた貴重な外風呂である。

夏は良いが、冬は雪を掻き分けて風呂に行かねばならず、情緒がありすぎて家族からは不評である。夏の夜、風呂から上がり空を見上げると、山里の夜空は満天の星である。聞こえてくるのはカエルの声と、遠くで聞こえる犬の遠吠え、時にきつねの鳴き声である。この時期はホタルも舞う。この風景と空気感は、田舎人(いなかびと)が詩人になる瞬間である。

生まれて初めて東京の夜景を見た18の春、私はジャズの調べが頭の中に鳴り響いたのを覚えている。夜の景色は、人間の感性や五感に多大な影響を与えるものだと実感した。

何十年も漆喰(しっくい)の闇の中で、きらめき輝く星空を眺めてきた縄文的私の感性は、いったいどんなものだろうかと、ふと思ったりするのだけれど、いまだにいい年をして詩を書いたり曲を作ったりしている私は、この星のまたたきや、風の匂いや、いきもの達のざわめきのなかで、命を育まされてきたことに間違いはなく、森や大地の風を感じて生きてきたのだろうと思う。

宮沢賢治が愛したイーハトーブの森。銀河鉄道が今宵も我が家の上を走っていく、そんな感覚だ。岩手の山里に生まれ育った恵みをかみしめる夜である。

さりげない日常の中で、喜びや、悲しみや、愛おしさが人生を織り成していく。そのつづれ織り成す瞬間、瞬間の糸が、まるで夜空に輝く無数の星のように拡散し、多くのものを結び絡めていく。昨年から綴ってきたこのブログも、ひょっとしたら私の人生を織り成す一本の糸なのかも知れない。

北上高地の裾野の小さな町の山里から、毎日発信されるこの記事が、北は北海道からも南は沖縄まで、全国の皆さんに読まれていることに、感謝の気持ちで一杯である。始めた頃は500回の更新が目標だったが、いつの間にかこの記事で250回目になった、もうすでに半分きたわけである。500回を迎えたらまた行き先を考えたいと思っている。それまでまたお付き合い願えれば幸いである。

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2008年7月10日 (木)

高校野球

高校野球の季節である。県内でも今日より各市町村6球場で、甲子園の切符を目指し熱戦の火ぶたが切られた。

時間が許せば市内で行われる地区予選は毎年観にいっている。我が母校であるとか息子の学校であるとかは関係ない。バックネット裏に陣取り、高校生球児の溌剌としたプレーに心底堪能している。

野球観戦にはいつもタオルハンカチを持参する。汗を拭くのではなく、涙を拭くのである。試合が終わり、高校球児の夏が終わる瞬間、全ての試合にドラマが誕生する。グランドで倒れたままの生徒が、仲間に抱きかかえられながら整列に向かう姿。ベンチで泣き崩れる控え選手達。スタンドで一度もベンチ入りすることなく3年間を終えた部員の姿。

この光景を、涙なくして見ることなどできる分けがない。このブログを書いていても、思い出して涙がにじんでくるほどだ。

私は卓球などというせせこましいスポーツをやっているが、観るとなったらやっぱり野球である。ゆえにこのブログのテンプレートも、いつの間にか妻の反対を押し切って野球部活のテンプレートに変えてしまった(・・笑い)。

甲子園に出場するチームは、県内ほぼ毎年私学の常連校に絞られており、はっきり言ってどこが優勝するかはあまり興味が無い。私はいつも言っているように、負ける美学を追い求める男である。あれだけの過酷な練習をやり続けてきた生徒達、それを支えてきた家族や両親の思い、そのことに深い感動を覚えるのである。

甲子園でプロのスカウトに注目され、スターダムにのし上る、それも高校野球の魅力の一つではあるかも知れない。私が高校野球が好きなのは、自分の可能性をひたすら信じてプレーするその根性と勇気と、若いエネルギーだ。

弱小チームなら、当然1,2回戦敗退の予想は誰でもできる。それでも目指せ甲子園の旗印のもと、グローブに必勝、打倒という文字を書き連ね、マネージャーの手作りの必勝お守りを胸にかけ一生懸命戦う姿は、球場に吹き抜ける一陣のそよ風のようだ。

夏期講習前の私の午前中は、しばらくの間球場に釘付けになる。ケイタイを持たない私は、連絡が取れないとまた社長からおこられそうだが、こればかりは譲れないかねごんである。

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2008年7月 9日 (水)

続 校長という仕事

学生時代からの友人で、教員をやっている悪友がいる。お互い長男も同じ学校に通っており、たまに教室に立ち寄っては、お互いに愚痴などを語り合い親交を暖めている。お互い50も近づき、先日そろそろ教頭試験は受けないのかと尋ねたところ「早死にしたくないよ」という彼の答だった。校長を望むタイプの人間ではなく、最後まで教務の仕事をやるつもりらしい。

悪友を褒めるのもなんだが、繊細で子ども達の面倒見がいいすばらしい先生だ。優しさのかたまりと言ってもいいだろう。

私が大好きな先生をもうひとり紹介したい。もう転勤をされたが、地元の小学校の教頭先生だったS先生である。同年代ということで、PTAの会合等で個人的によくお話をさせて頂いたが、フットワークが軽く機転が利き、状況判断の能力に優れたすばらしい先生である。前回の学歴の話ではないが、通信制で資格を取られた先生だけあって、他人の痛みがわかる苦労人で、人間的に深みを兼ね備えた方だ。

友人の教員にも、S先生にも、私のような塾教師をどう思っているのか聞かずじまいであるが、話をする限り同じ昭和30年代生まれとして、目指す教育の方向性にギャップは感じられない。志向性みたいなものは、学校の先生も塾の先生もそれほど差異がないように思う。

ところがである、これが校長職となると風景というのか醸し出す空気感というのか、これは私個人の感情なのか知れないが、だいぶ我々塾教師が考えている教育感と隔たりを感じてしまうのである。

若い頃評判が良かった先生が、校長になったとたん変貌してしまうのはどうしてだろうと、ずっと考えていた。もちろんトップに立っても変わらず、教員や生徒思いのすばらしい校長先生もいっぱいいるのだが、一昨日の大分の汚職事件に絡んだ若き校長の失態をブログで書きながら、またまたトップに立つ人間の資質ということに思いを馳せてしまった。

かつてのブログでも書いたが、小学校時代あまりにもすばらしい校長先生にめぐり合った私は、その先生の力量と人間性のすばらしさが校長先生の基準みたいになってしまったがゆえに、その後に出会った校長先生のレベルの低さに愕然とする中学高校時代だった。

特に中学校時代、職員室の生徒が見えるところに、先生方の名前と出身大学を書いた紙を掲示しておく校長先生の良識のなさに、中学生ながらショックを受けた。全校集会で思わず校長先生に掲示の意図を質問しようかと思ったほどである。

校長室で精力的に回報を打ち込んでいる先生もいれば、自ら校庭に出て、一生懸命花壇の草取りや水遣りをやっている先生もいる。毎年入試が近づくと、自分の学校の生徒が全員合格するようにと、願掛けに3ヶ月間酒立ちをする校長先生を私は知っている。

また、命に危ない腫瘍が見つかったのにもかかわらず、大切な時期だからと言って手術を後回しにした校長先生も存じあげている。そんなすばらしい先生方の努力を、水の泡に帰すような一部の愚かなトップの行為が本当に情けない。

教員間の自浄作用が本当に必要である。悪いことを悪いとお互いに言える常識、そのことが欠落しているように思えてならない。自分達の生活が大切だということは重々承知している。波風を立てないように振舞えば振舞うほど、大分のような不祥事が次から次へと出てくるのではないだろうか。

他の県のことだから、よその学校のことだから、私のクラスのことじゃないからと傍観する時代ではないと思う。ダムの決壊が、一匹のアリの行動から始まることもある。忘れてはならない。

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2008年7月 8日 (火)

『お金』『車』『家』『嫁さん』

成績を上げたいのに、上がらないという生徒の指導はいたってたやすい。少なくとも成績を上げたいという意思があるのだから勉強意欲はある。したがって、後は何らかの起爆剤を投入すればいい。

問題は、勉強をやりたくないのに無理やり塾に連れてこられる子ども達だ。私が説明をしてるうちに、バトルが始まる親子もいる。「あなた勉強が出来ないんだから週3回は塾に通いなさい」と母親。「うるせいな~週1回でもかったるいのに、そんなに来れるわけねえだろう」と息子。

観察していると実に面白い。勉強が好きじゃない子どもに勉強意欲を与えるのは、30年近くこの仕事をしてきた私も難しい。親の気持ちが手に取るようにわかる。そして勉強したくない子どもの気持ちもわかる。

「何か将来やってみたいことはあるのかい」と私。たいていの生徒は沈黙する。「生きて行くうえで何が必要だと思う」。観念したようにポツリポツリ答える生徒もいる。「お金」 「車」 「家」 「嫁さん」 結構子ども達は笑わさせてくれる。

私の演説が始まる。「早い話が、いい暮らしがしたいとか、かっこいい暮らしがしたいってぇのが本音だろう。でもさ何の能力もとり得もないやつに、世の中の人はお金くれないよ。よっぽどハンサムで、ほれぼれするような美男子なら、貢いでくれる女の人もいるかも知れないが、最低キムタクレベルじゃないと難しいだろうな」。

変なおじさんだな~と思ったのだろうか、私の話にちょっと興味を持ち始めたようだ。私は調子に乗って続ける。

「勉強が出来なくたってお金持ちはたくさんいる。おじいちゃんやお父さんが大金持ちで、その財産を食いつぶしていけば、とりあえず一生遊んで暮らせるよな。もし君んちがそういった金持ちなら、塾なんかいんじゃないか」「そうですよねお母さん」。お母さんは苦笑いだ。

「生活することは楽じゃないし、大変だと言う大人は多い。このおじさんもそうだ。毎日20年も18キロ離れた家と塾の往復だ。たまには彷徨って宇宙にでも行きたい気分になる。でも腹をすかせた息子達や妻や母や、そして犬や猫までが私の稼ぎをあてにしている。頑張らなきゃならない。その頑張るもとを作るのが勉強だ。」

「みんな世の中に出て、学校で学んだことなんか糞にも役にもたたないって言うやつが多い。確かに直接には役に立たないことも多いだろう。しかしだ。くだらね~な~ってことをやることも大切なんだよ。サラリーマンやたとえ社長と呼ばれる大人になったとしても、しょうがね~な、やりたくね~っていうことは、山ほどある。やりたくね~って言ってやらなければ、ほされっちまう。社会から相手にされなくなるってことだ。つまりはお金が遠のいていくってことだ。勉強は、忍耐や生きていく辛さのサンプル練習みたいなものなんだよ。ちょっこら勉強やってみないかい。」

私の演説が終わる頃、だいだい2パターンの結果がまっている。鼻をほじくりながらあくびをしているやつと、なんだか急に目が輝きだしているやつだ。まあ私の力はこんなところである・・・・・。

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2008年7月 7日 (月)

先生の学歴

全国の塾の先生方のホームページやブログを拝見すると、約2割の先生方が自分の出身大学を公表している。そしておのずと8割の方が、出身学校の公表を控えている。私もその8割の中に入るのであるが、先生と呼ばれる職業に学歴の公表は必要なのかという長年のテーマについて、今日は一言私の意見を述べてみたい。

結論から言ってしまえば、どっちでもいいのである。問題はそのことに対する周りの捉え方である。

市内でも、私が懇意にお付き合いさせていただいている先生方のうち幾人かは、ホームページやチラシ等で出身大学をcoming  out しておられる。早稲田大学だったり、京大だったり、東北大だったり、東大だったりするわけで、私を除いて市内で塾をやっておられる方の学歴は非常に高い()。

私の塾ではかつてブログにも書いたが、講師の採用に関して学歴不問である。早慶や地元の国立大学出の方が応募してくることがあれば、高卒の方もおられる。面接で決めさせていただいている。一ヶ月の試用期間を経て、問題が無ければ教務をやってもらっている。

今までに早稲田を出られた優秀な講師の先生がおられたし、高卒の優れた先生もおられた。生徒を指導する力は、その人自身の能力が問題であって学校名ではない。当たり前のことだが、その当たり前のことが分からない人も多くおられる。

私達昭和30年代生まれが、大学を出て就職する頃は、超学歴、超学閥時代だった。大手新聞社などは、採用する大学を特定していたし、会社訪問に行けば、大学名で完全に差別された。会社説明会に参加させてもらえない大学さえあった。そんな時代だった。

そしてそんな学歴暗黒時代を経てきた世代が、今中高生の親になっている。言葉には出さないが、苦湯を飲まされた経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。

戦後生まれの世代を世間では団塊の世代と呼ぶが、我々30年代生まれは学差世代(学歴差別世代)とでも名付けられるのではないだろうか。そしてこの学差時代を過ごしてきた年代が、今日全国の塾経営者に圧倒的に多い。ゆえに学歴を公表しないアンチ大学名の先生方が、私を含め多いのではないかとかってに思っている。

私の塾からも、東大や早慶をはじめ一流と言われる大学に合格していった塾生はいるが、それはあくまでも高校までの努力の総決算だと思っている。人生は続くのである。人間の知性は死ぬまで向上し続ける。ウサギとカメの寓話を知らない人はいないだろう。

私が卒業した中学校は、生徒数800名、教員数40名ほどの中学校であった。職員室の片隅に、各先生方の名まえと出身大学名が記載された紙が張ってあった。当時の校長先生の意図なのか、教育委員会の指示なのかは定かでないが、中学生ながらに不快感を覚えたものだ。これを見て気分の良い先生がいるのだろうかと・・・・・。私たちはまさしく学差社会の落とし子である。

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2008年7月 6日 (日)

教員採用で汚職

毎日新聞 7月6日配信

大分県の教員採用試験を巡る汚職事件で、当時採用の実務を担当していた県教委義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄容疑で逮捕=が、07、08年度の採用試験で、少なくとも計約30人以上を合格させるように口利きを受けていたことが、関係者の話で分かった。うち自力で合格した受験者もいるが、約半数を合格させるため点数を加点し、逆に合格点に達していた受験者の減点などの改ざんをしていた疑いが浮上した。県警は口利きがさらにあったとみており、裏採用ルートと県教委内部の不正の常態化について解明を急ぐ。

 県教委によると、07年度採用試験は06年7~9月にあり、489人が受験し最終的には41人が採用された。倍率は11.9倍だった。08年度は07年7~9月にあり、472人が受験し41人が採用され、倍率は11.5倍だった。

 07年度の採用試験を巡っては5日、県教委義務教育課参事、矢野哲郎容疑者(52)と妻で小学校教頭の矢野かおる容疑者(50)が自分の長女の採用試験合格に便宜を図ってもらうよう元県教委審議監で同県由布市教育長の二宮政人容疑者(61)と江藤容疑者にそれぞれ100万円の金券を渡したとして贈賄容疑で再逮捕され、江藤容疑者も収賄容疑で再逮捕された。

 関係者によると、1次試験の実施前に受験者名簿の中から矢野容疑者夫婦の長女の名前を見つけた江藤容疑者が、以前から親交の深かった哲郎容疑者に連絡。哲郎容疑者は本来江藤容疑者への依頼は考えていなかったが、江藤容疑者が長女の受験を知ったことなどから、便宜を図ってもらえるよう依頼したという。

 それとは別に哲郎容疑者は1次試験後に、二宮容疑者と接触し、長女を試験に合格させようと9月上旬に依頼料として50万円、合格発表後の10月上旬に50万円の金券を渡していた。ある関係者は「哲郎容疑者は二宮容疑者を通した不正ルートのほかに、(江藤容疑者という)個人的なコネを使ったため200万円が必要になった」と指摘している。

 矢野容疑者夫婦の長女は昨年4月に採用、小学校校長、浅利幾美容疑者(52)の長男、長女は今年4月に採用され、いずれも県内の小学校に勤務。事件発覚後、一時、休むこともあったが、勤務しているという。

ひどい話である。教員採用の汚職容疑で大分県の県教育委員会の元幹部が逮捕された。私はこの記事を読んで、教育の荒廃もついにここまで来てしまったのかという感がる。あいた口がふさがらない。小手先だけで教育改革を行ってきたつけが、大本の根幹を腐らせてしまったとしか言いようがない事態だ。

何の言い訳も出来ない状況だろう。血のにじむような努力で、採用試験を挑戦している若者達を裏切る卑劣な行為である。断じて許されない。52歳という若き小学校校長、慢心がなかったとは言えないだろう。社会的制裁はもちろんだが、教育関係者ならびに学校関係者に与えた影響は大きすぎる事件だ。

この事件が氷山の一角でないことを願わずにはいられない。やるせない事件である。大分県の採用試験のために頑張っている学生や臨時採用で頑張っている先生方が、どれほどのショックを受けたことか、胸が締め付けられる思いである。

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危うさというもの

進学校でトップクラスだった彼女は、毎日部活が終わったあと、塾に来ては自習をやり帰っていく。途中からは部活も辞め、親御さんが迎えにくるまで教室で本を読んでいるか、勉強をしていた。

3年間全ての教科がオール5だった。テスト順位も二桁になることはなかった。努力家の彼女は読書量もすごく、哲学や歴史学など私とよく議論をし、時に私がたじたじになることも多かった。

彼女は東大の次くらいに難しい大学の哲学科に、楽々と合格した。私が教えてきた生徒の中では、間違いなくトップクラスの子だった。

大学に入って半年ほどした頃、秋の夕暮れ時彼女はひょこり教室に姿を現した。私の顔をみるなり、「先生、私神の存在など絶対信じません。この世に神などいません。そんな妄想と付き合うことももうこりごりです」 そう言ったきり、彼女はすぐに帰ってしまった。

一週間後、彼女から沖縄にいるとの葉書が舞い込んだ。その時彼女はすでに心を病んでいたようだ。二度と教室に現れることもなかった。それが私が塾をやってきて経験した、心を病んでしまった生徒との最初の出逢いだった。

きっと何らかの兆候は現れていたのだろう。けれど経験のない若かった私は、彼女の危機をキャッチしてやれる能力は残念ながらなかった。自分の力の無さに、悔しい思いだけが残った。

あれから20年がたった。さまざまな生徒と接してきた。研ぎ澄まされた感性は、同時に脆さをも露呈してしまうことを、十分というほど思い知らされてきた私である。人間の頭脳は、鍛えれば鍛えるほどその能力を増していくだろうが、そこに感情や精神の脆さが忍び込んでくることがある。

スポーツでもそうである。鍛えられた肉体は頑丈そのものであるが、鍛えすぎた体は時として心臓肥大を引き起こし、命を縮めてしまうことがある。

太宰治,芥川龍ノ介、三島由紀夫、川端康成、多くの天才タイプの作家が、自ら命を絶ってきた。学問の目的は、いかに生きるかということの学びでなくてはならない。文学とて同じだ。学びという精神活動で、その精神や命をないがしろにしてしまうことが仮にあるとするならば、それは人間として間違った方向性を模索してしまったのではないかと思う。

ここで偉大な作家達の死を論じようとは思わないが、少なくとも、人生の最後に自分の存在を否定する行動には、共鳴するつもりはない。

このブログでも何度か繰り返してきたが、勉学の目的は良い高校や良い大学に入るためにあるのではない。より良い人生を、有意義な人生を送るためにあるのである。忘れてはならない。

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2008年7月 5日 (土)

時代を超えて

私が中学校の時、授業中うるさくしたりふざけていると、有無を言わさず顔をびんたする先生が必ずいた。それも真剣に手を振りかざしてくる。怖いと言うより、その殴ってくる情熱に脱帽の感があった。

どんな理由であれ、教師の暴力はいけない、それが現在の常識であり現実だ。生徒達は決して先生が手を出してこないことを分かっているので、なめてかかっているものも多い。

我が塾にも、粗野で暴力を振るうタイプの生徒がたまに紛れ込んでくる。私の顔はひげ面で十分怖い。おまけに服装は時として建築業界のいでたちである。脚力や持久力こそ落ちたものの、農業で鍛えている腕力ははんぱじゃない(・・笑い)。おまけに現役の卓球選手である。反射神経にはちょっとだけ自信がある。その辺のツッパリ少年に翻弄される私などではない。したがってツッパリ君も、借りてきた猫のようにおとなしい(・・・・笑い)。

昨年も三本指で腕立て伏せを数回披露してあげたが、ツッパリ君たちはびびっていた。「先生どこで鍛えているの」 私の回答 「田んぼで」。

ちなみに塾生の男子生徒と毎年腕相撲もするのだが、20年間で私に勝った生徒は一人だけである。そいつは現在中学校の教師をしているが、高校時代は柔道部で185cmの巨漢である。さすがに彼には勝てなかった。戦績は、200戦199勝1敗というところである。家族からは 「お父さんいい年して中学生や高校生を相手に、なに真剣に勝負してるの」と言われるが、いい年だからやっているのである。

世の中にはいろんな先生方がいらっしゃる。中学校、高校時代を過ごしてきて一番魅力を感じた先生は、実は暴力教師と称される先生方だ。正義感の行き過ぎが、暴力に走らせるのではないかと思うぐらい、正義感が強く情にもろい先生達だった。無意識に私は、そういった暴力教師と言われる先生方の哲学(?)を身にまとってきたようだ。

10年前までは、言うことを聞かない塾生を殴っていた(もちろんグーの拳骨ではないが)。女子も男子も小学生だろうが容赦はしなかった。注意をしてもやめない、まわりに迷惑をかける生徒は、私の愛のムチを受けたはずである。私にぶたれて塾を辞めていったのは10年間で2名だったと記憶している。ほとんどの塾生は辞めなかったし、逆に調子に乗って、いい塾だからと言って友達をいっぱい連れてきたものもいる。

塾を辞められたら困ると思い、腫れ物に触るように塾生に接しておられる塾の先生方もいるかと思うのであるが、私が心を込めて塾生を殴っていた頃は、退塾率は0に近かった。市内にいっぱい塾があるにもかかわらずである。

誤解を招くかも知れないが、本当の愛がなければ生徒は殴れない。問題は愛のない鉄拳だ。それは単なる先生自体のいじめでしかない。かつて高校の講師を頼まれた時、校長先生に、生徒を殴っていいですかと聞いたところ、「絶対ダメです」という当然の回答が返ってきた。

生徒を殴らない教師ではなく、殴ってはいけない教師。時代を超えて付き合える関係を生徒と築くことは、今の先生方には難しいかも知れない。私は今でも殴られた先生の顔をしっかり覚えている。それは憎しみなんかじゃない。感謝とその時代へのいとおしさだ。

ここ10年生徒を殴らなくなって以降、卒塾生より「先生酒でも飲みませんか」というお声がかからなくなってきた。なぜか寂しい。また愛の鉄拳を復活しようかな・・・・(塾生の皆さん冗談です

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2008年7月 4日 (金)

優しさについて

小田急沿線のアパートに住んでいた頃、原宿の駅前で免許証入れの財布を落としてしまったことがある。竹のこ族が現れるちょっと前の話である。

お金もわずかしか入っていなかったし、しょうがないと諦めていた。翌日拾い主の方より電話をいただいた。私の記憶が定かではなくなってしまったが、原宿のクレープ屋さんだったか、小物屋さんのおねえさんが拾ってくれていた。

実はその日、原宿の露店で銅版のキーホルダーを買い、イニシャルと電話番号を刻印してもらい、その場で財布に付けていたのだった。イニシャルだけでいいですよと言う私に、露店の青年が「おまけに電話番号も打っておきますよ」ということで打ってもらったものだった。それが幸いした。

その時の銅版のキーホルダーは、今でも私のギターケースに付けられている。30年近くたって完全に磨り減り、当時の電話番号は読み取れなくなってしまった。歳月の長さを感じてしまう。またその時の免許証も、私の物置兼書斎の机の引き出しの中に入っている。当時期限切れの免許証は、両端をパンチングされ警察から記念にもらったものだ。

いつの頃からか、悪用を防ぐという趣旨で返却しなければならなくなったが、ノスタルじっくに昔を振り返ってみると、東京の真ん中で財布を落としても届けてくれる人がいたし、警察も免許証を記念にくれたし、さりげない優しさを多くの日本人が持っていた気がする。

そんな優しさが消えてしまったのは、いつ頃からだろうか。3年前、妻の車が車上荒らしにあい、大切にしていた本がカバンごと持ち去られた。昨年は、教室の前に止めていた私の車から財布が盗まれた。犯人は捕まったが、お金も免許証も大事なカードも返ってこなかった。

公共の建物に落書きをする輩が後を絶たない。電車に乗っていても、お年寄りに席を譲る若者が少なくなった。イヤホンを付け、急に寝たふりなどしている。優しさということも、子ども達に教えなければならなくなったのだろうか。

いたわりとか親切さとかいう感情は、自然に人間の心の中に湧き上がる感情だと私は信じていた。わざわざ教育という形で教わるものではないと思っていた。しかし、世の中を見渡すとそうではないらしい。感情教育も大切なものだということを実感してしまう。

塾というものは受験指導をしていれば良いなどと言うのは、とうに太古の昔の話である。保護者の方からの相談も実に多様化してきている。塾教師になった頃、まさか教育の求められる質が、塾に対してこれほど多様化するなど考えても見なかった。

『優しさを教える塾』 こんなキャッチフレーズも、飛び交うようになるのだろうか。

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2008年7月 3日 (木)

郷土のよさ

東京から岩手に戻り4分の1世紀近くが経った。家内などは、都会暮らしよりも田舎暮らしが長くなった。岩手の山暮らしに慣れたのか慣れないのか、まあそれなりに楽しんでいるようだ。長男は神奈川県相模原市にある北里大学病院で生まれたが、生粋の岩手っ子である。

郷土のよさというテーマで書こうと思い至ったのは、実は差別という問題に対して言及したかったからである。部落問題や他国籍の問題等、日本社会にはまだまだ悪しき時代の影響が色濃く残っている。残念なことだ。

学生時代東京に出た私は、部落問題等の意識が岩手とずいぶん違うことを実感させられた。長野や京都、和歌山の友人と話す機会があって、初めて差別の実状を聞かされた感じだった。

はっきり言って、私の郷土ではそういった意味での差別意識は希薄である。と言うのも、岩手の民は古代の時代より、中央政権や権力機構に虐げられてきた歴史を持つ。ゆえに歴史そのものが差別の歴史だったと言っても過言ではない。

中世に置いて、奥州藤原氏が建造した古都平泉は、鎌倉幕府源頼朝の策略により灰と帰した。更に遡れば平安の初め、征夷大将軍坂上田村麻呂により英雄アテルイが、中央政権の露と消えた。中央より蝦夷(えみし)と蔑まされ、虐げられ差別されてきた東北の地、その中心をなしてきた我が郷土は、そういう意味では歴史的弱者に、共鳴でき理解できる県民性ではないだろうか。

かつて日本のチベットと呼ばれた岩手。集団就職の夜行列車に揺られて東京に旅立った若者達が、今団塊の世代と呼ばれ定年を迎える。

市内の中学校には、韓国籍や北朝鮮、ブラジル籍の子ども達が多くいる。そのことでいじめられたという話は、20年来塾をやってきてあまり聞いたことがない。

私の塾にも毎年他国籍の生徒が入ってくるが、目の色や髪の色に興味は示すものの、いじめや差別の原因になることは決してない。逆に地元の岩手っ子は「いいな~目が青くて」などと言ってうらやましがっている。それが岩手のいいところだと私は思っている。

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2008年7月 2日 (水)

落書きに思うこと

遠い外国に行ってテンションが高くなって、理性をなくし、記念に自分の名前を世界遺産に残してくる、そんな失態が連続して発覚した。野球部の監督が解任される事態まで起きてしまった。残念であり情けない話しである。

塾の近くにある児童公園のトイレなどもそうだ。小さな子ども達が使用するトイレの壁に、見るに耐えない卑猥な絵が描かれたりする。何度ペンキで消しても、描き続けるばか者が後をたたない。橋の欄干やガードレールなどに、芸術のつもりなのかスプレー缶を吹き付けるものも多い。本当に困ったものだ。

自分の存在を誇示したいのなら、違う手段がいっぱいあるだろうと思うのだが、安易な思考と安易な行動が多すぎる。難しい数学や英語などを教える前に、初歩的な社会のルールを教えなければならない状況である。

最近子ども達を教えていて気になる口癖を聞く。「まだ学校で習ってないもん、わかんない」という生徒達の発言である。まさしく「習ってないから分からない」という表現は、現代を象徴している言葉だ。

受動的な教育を施され、意識的に自分で新しいものを学ぼうという姿勢が薄れてきている。自分で調べる態度、自分で知識を開拓していく力、自立学習の力が衰えている。我が塾はこの自立学習の能力を鍛える寺子屋塾であるが、近年子ども達が家庭教師的指導を受ける機会が増え、上記のような言葉を発する生徒がよく入ってくる。

大人になっても手取り足取り教わって生きていくつもりではないだろうけれど、教わらないことは学ばないという態度は、危険が多すぎる。

進学校でも、世界史が入試に重要でないので教えないという事態が生じて問題になったが、日本の教育の本筋がずれてしまっている。高校や大学に入るために勉強とはするものだと、もし子ども達や親御さんや教師が考えているのなら大きな間違いであると思う。

私は勉強や学びとは、人間が地球上で存在して行くための、サバイバル的な知恵と叡智の獲得だと考えている。人間の質的向上に貢献しない勉強など、学びでもなんでもない。そのような勉強は、かつて奴隷が、強制的にやらされた非合法な労働となんら変わりがないものだと思っている。

また人間の存在を脅かすような分野の学術研究などは、世界で脅威となっている自爆テロとなんら変わりはない。いやそれ以上のテロ行為だと思っている。それに気づかずに、自分のかりそめの頭脳に溺れてしまっている研究者がどれほどいることか。

人間の幸福や、利便性という大義名分で、どれだけ多くの企業が利益追求のために、負の遺産を作り上げてきたか、常識ある方ならばご存知だろう。

中高生達よ、みんなに伝えて欲しい。世の中にはやって良いことと、やって悪いことがある。生きていくと、必ず人生には道の分岐点がある。成功する道を選ぶ運みたいなものは、子どもの頃から培われているのだ。「バカ」という友達への一言、「死ね」という落書き一つで、運命とは変わっていくものなのだ。そのことを知って欲しい。

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2008年7月 1日 (火)

彷徨

10年以上喫茶店というものにほとんど入らない月日を過ごしてきた。忙しかったということもあるが、塾の近くにおいしい豆屋さんができて、自宅で飲むことが多くなったからだ。もう一つの理由は、しばらくジャズを聞くことがなかったからである。

昨年の春から、また急にジャズを聞くようになり、ブルーノートのCDを集めだしたら、まるで条件反射のように喫茶店のコーヒーの香りが懐かしくなった。

最近は週に一度は、喫茶店のカウンターに腰掛けている。私がよく行くジャズ喫茶は配志和神社の下にある『モリソン』という喫茶店である。店主の小原さんとは20年来のお付き合いをさせていただいている。

このブログでも何度か書いてきたが、現在農家と寺子屋をやっている私が、もし違う仕事をしていたとしたら、農家とジャズ喫茶のおやじだと思う。したがってコーヒーの味にはちょっとうるさい。いくらお店の雰囲気が良くても音が良くても、コーヒーの味が良くなければ足を運びたいとは思わない。

モリソンのホットコーヒーは、私が人生に於いて飲んできたジャズ喫茶で一番おいしい。マスターの入魂の一杯である。仕事に疲れたとき、実に癒されるコーヒーである。

ちなみに冷たいコーヒーで私がお勧めなのは(コマーシャル料はもらっていないが・・笑い)『風聞園』さんの水出しコーヒーと、NECのそばにある『LIFE&ART青空』さんのアイスコーヒーである。私のブログは3割が県内の方で、5割近くが関東の方々なので、ローカルな話題で申し訳ないのであるが、平泉にでも来た時に、ぜひお寄りください。味は絶品です。

特にリンクを貼らさせていただいてる先生方、東北に来られるときはぜひ私かねごんにご連絡ください。私の軽トラックでご案内させていただきます(・・笑い)。旅行案内にないすばらしい質素な旅を満喫できると思います

喫茶店でぼぅーとジャズを聴きながらコーヒーを飲んでいる瞬間は、私にとって宇宙を散策している気分である。ありとあらゆる妄想や想念が、飛来しては通り過ぎて行く。フォービートのリズムに酔いしれながら、遠い夏の日の夕立の後の虹の風景を思い出したり、何気ない子どもたちの表情やしぐさを思い出したりして、あてのない彷徨が続く。

若い頃は、ポケットにしのばせている手帳に散文のようなものをしたためていたが、最近は結構ブログでその手の欲求は満たしているので、ただひたすらぼーとしている。塾で何気に窓から空を眺め、ぼーとしている生徒の気持ちが分かる一瞬だ。生徒もきっとあてのない彷徨をしているのだろう。

今日から中学生は期末テスト。自習室も指導室も昨日は超満員だった。テストだというのに夕暮れの空をじっと見ている、放心状態の塾生も何人かいたようだ。何があったのか哀愁が漂っていたが、まあとにかく3年生諸君、頑張ってくれよ!

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