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2008年6月26日 (木)

空をながめてみれば

進学校に通っている子ども達は、基本的に素直な生徒達が多い。親の言うことをよく聞くタイプの子ども達だ。勉強をしなさいと言われずともちゃんと机に向かい、自分を律することが出来る。親御さんにとっては手のかからないお子さんだと思う。

 素直さ、実はこれが受験勉強にとって非常に大切な武器なのなのだが、時に両刃の剣のごとく、精神の脆さも時として露呈してしまう。進学校では、本年国立大が何人受かり、早慶が何人合格という発表はするが、負の発表は決してしない。

 生徒の何人が心療内科に通っているとか、全体の何割の生徒がどこの大学も受からなかった等の話は出てこない。当たり前と言えば当たり前の話である。近年心の病に対する相談が増えている。毎年精神科の治療を受ける塾生もいる。授業についていけない、友達がいなくなった等の問題が引き金になって、うつ状態になる生徒もいる。

 「やる気の問題だろう」と叱咤激励するタイプの先生がいまだに多いのも現実だ。優秀な大学を出られ、勉強の挫折感を味わったことの無い先生は、自信に裏づけされた指導力というものは確かにお持ちだ。若いほどその傾向は強い。がしかし、その自信が放漫となり、生徒達を追い込めてしまうこともある。

 「伝統だ」「歴史だ」と、自分の通う学校に誇りを持たされ、自分のスタンスを逆に見失う生徒もいる。学力の低い学校に入った生徒達が、劣等感を持つ以上に、進学校で取り残された生徒達はダメージを受けている。

 「こんな学校に入るんじゃなかった」かつては、進学校ではない学校の生徒達が口にしたフレーズだったが、最近は進学校に通う子ども達から発せられることが多くなった。高校の指導に、生徒の自主性を重んじる傾向がなくなったと感じるのは私だけだろうか。辞書から参考書まで指定され、毎日宿題表を渡されてくる。高校生がいつから小学生扱いされるようになったのだろうか・・・・・。

 あれだけの宿題をまじめに毎日こなそうと思ったなら、ゆっくり小説を読む時間も、音楽を聞く時間も無いのではなかろうか。私などは文学青年を気取り、ろくに勉強などしなかったものだから、数学の時間Mが横になったわけの分からない記号が出てきたあたりから、数学を諦め、公や国という字がつく大学とはまったく縁が無く、まったくもってシガナイ塾教師などをやっているわけだが、正直今高校生をやれと言われたらNOと言いたい。

 小さい頃から管理されることに慣れてきた素直な子ども達。会社や企業にとっては扱いやすい人材かも知れない。強烈な個性は時として波風を立てるが、あらたな空気なり風を運んできてくれるものだ。勉強が出来ないのも個性だと、開き直るくらいが生きていくのも楽だと思うが、それが出来ないのが「優秀な」という形容詞を一度付けられた子ども達だ。

 前回のブログ「部活を終えて」でも述べたが、人は勝ち続けることは出来ない。負けて勝つことの意味、負けることの意義をしるのである。勉強とて同様だ。常にトップを走り続けることはできない。せめて自分の納得のいく教科なり、特技を誇りに出来れば私は十分だと思っている。疲れたな~と思ったら今日のような清々しい空をながめてみよう。そうすればちょっとは気分もいいだろう。

 

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