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2008年6月18日 (水)

教室の窓から

 教室の窓から涼しい一陣の風が吹き込み、夕刊を配達するバイクの音が響き始めると、今日も塾生が集いだし私の仕事が始まる。

 真っ赤な夕日が何事もなかったように、栗駒山の山際に傾き、桜並木越しに沈んでいく。教室のすぐ横を流れる1級河川の磐井川は、今回の地震で上流が土砂でせき止められ、まるで小川のような流れになっている。

 警察や消防による巡回警報により、河川敷には人の影はない。いつもなら子ども達の声が響き渡り、釣り人たちが佇む時間だ。一匹の猫が土手を駆け下りていく。万が一堰止湖が決壊すれば、濁流が押し寄せてくるだろうこの川を私は静かに見下ろしながら、いつも人間が遭遇する運命のようなものを考えていた。

 人生に置いて静かな時の流れは一瞬である。この世に生まれてきた命は、怒涛の流れのごとく人生を歩んでいく。たくましく、時に繊細に、そして時に無常に。生きとし生きるものの宿命として、多くの出逢いと別れを繰り返し、学び成長しそしてつづれ織り成す人生は、かけがえのない命を永遠に繋いで行く。

 何かが目前に迫っていても、一見平穏と見える日常は過ぎていく。それが生きて行くということの切なさであり、日々の風景だ。

 朝元気に出かけて行った愛する人が、もう二度と笑顔を見せてくれない現実を前にして、悲しみと慟哭が突き上げる。涙と共に昨日までの共有してきた多くの時間と、多くのぬくもりがさらさらと手のひらから零れ落ちる、生きていればそんな悲しみの一瞬が誰にでもあるだろう。それでも私たちは明日のために生きていかなければならない。

 白鷺(しらさぎ)が優雅に舞い、魚の影が夕日に光る静かな川を見ていると、今私達が生きていることの現実が、多くの実に多くの命に支えられてきたという当たり前すぎる真実に、ただただ圧倒され、そしてこの星に生かされている奇跡に、ちっぽけなプライドは消滅する。

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