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2008年6月 8日 (日)

知らないことを言わない努力

 誰でもそうだろうけれど、知っていることは話せるが、知らないことは話せない。でも年を取ってくると、この知らないということがなかなか言えないときがある。

 現在売れている小説やジャズの新譜など、私が知っているものと思って話が進んでいる時、正直「知りません」と言えばいいものを、よせばいいのに知ったかぶりの相槌などをしてしまい、相手に申し訳ないなーと思いつつ時が過ぎて行くことがある。

 教育の話もそうである。私は学校の先生ではないので、学校の状況というものを理解するすべは、息子の話だったり、知人の教員の方の話だったり、塾生や保護者の方々の情報だったりする。そのあたりの知識を総動員して分析し、解析し、保護者の皆様の相談に答える分けであるが、真摯に答えているつもりでも、どうしても想像が入ってしまうのは否定できない。それは私は塾教師だからだ。

 塾教師としてのスタンスは、教員のそれとはまったく違う面もあれば共通点もある。共通点は教科を教えることにあるわけだが、決定的な相違点は我々の仕事は客商売だと言うことだ。いかにお客さんである塾生に満足できるサービスを提供できるか、それが月謝を頂いて存続していく塾のライフラインである。

 どんな立派なことを言おうが、すばらしい教育理念を掲げようが、生徒が来なければ絵に描いた餅である。つまりは受験に合格させることであり、子ども達の将来性を示してあげることが塾の究極のサービスであり、存在意義と言うことになる。

 先日『どんぐりと山猫協会』での会合で、中央塾の斉藤先生が我々個人塾をこんな例えで話されていた。

 「個人塾というものは、個人経営のスナックと同じでしてね、その先生の人柄や個性に生徒なり親御さんが集まるんですよ。難しい理論はいらないんですよ」

 確かにその通りである。人柄や個性をみんなに受け入れられるための努力、これがひょっとしたら学校の先生と一番異質な点なんだろうと思う。スナックのママというのは聞き上手の方が多い。仕事の悩みやら、家庭の相談事までお客さんを相手に、相手の気分を害さぬようにメリハリのある場を作っていく。そして必要なこと以外は言わない。

 受験指導に当たっては、塾生の本音や親御さんの本音を引き出せないままでは、最後の受験の砦を打ち破ることは難しい。したがって生徒なり親御さんが、本当はどうしたいのか、そこのところを伝えてもらえる信頼関係が必要なのだと私は思っている。

 今月中総多体が終わると、今年も中3生は受験体制に突入する。来月より指導時間や曜日を増やす塾生が増えている。入りたい学校名が本人達の口から出始めてきた。高校の情報をいろいろ聞いてくる。

 最近私は知らないことは「知らない」と言える大人であろうと努力している。手前味噌の勝手な意見を、高校や大学に対しては言わないようにしている。各人が、体育祭なり文化祭なりに行き目で確かめ、体験入学等で判断するのがいいと思っている。

 若い頃は先入観で物を見ることが多い。進路決定は人生の大切な選択の一つである。噂や、在校生の自虐的な言葉に惑わされることなく、自分の目と耳で確かめて頂きたい。

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コメント

かねごん先生はとても大切なことを言われていると感じました。人に対して真摯な態度を取ろうと思うなら、知らないことを言わない努力というのは大切ですよね。自戒しつつ私も考えていきたいと思います。

(かねごん)
toba先生コメントありがとうございます。もっと早く気づけばよかったのですが、この年になってようやく分かってきました。塾教師というものはリップサービスのつもりで、ついつい言わなくてもいいことまでしゃべってしまう傾向があります。自分など特にそのようです。自分への自戒のつもりです。
先生のブログ、学習塾ブログランキング1位に輝いていましたね。すばらしい!

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