『レキシントンの幽霊』
私の先輩でありそして親友である、学び舎の小林先生と若き20代の頃、よく村上春樹について語りあったものである。
村上春樹という感性のほとばしりは、ちょうど学生の頃抱えていた青春のほろ苦さや、切なさを代弁してくれるアダプターのような存在であり、感情の共有を我々に与えてくれた。
デビュー以来、村上春樹の研ぎ澄まされた若々しく弾けるような文章のきらめきは、今も変わらない。学び舎主人も私かねごんも、伴侶をめとり、子どもも大きくなった。お互い髪が白くなったり乏しくなった。先日久しぶりに会いお茶を飲んだが、若い頃村上春樹を論じた頃と、なんら変わらない会話のトーンにまぶしさを感じた。変わったようで何も変わっていない実はそれが大人なのかも知れない。
無国籍的なアンニュイの世界とでも言うのだろうか、時代の枠を超えた村上春樹独特のメタファーの世界は、確かに我々が通り過ぎて来た青春の残像であり、これからもある種心の奥底を刺激し続けてくれるに違いない。
かけがえのないものを守る勇気や、知性のプライドを捨てない生き方は、彼の作品から学びえた宝物のような気がしてならない。
『納屋を焼く』 『パン屋再襲撃』『レキシントンの幽霊』などの短編集は、どれをとってもキラボシのごとく繊細でみずみずしい。人生のはかなさを演出しつつ、したたかな人間を描く彼の世界は読んでいて実に爽快だ。
傷つきやすい感情というものは誰もが持っている。それは14歳の少年も、40歳を過ぎた大人も変わりはない。子どもは、大人というものは物に動じず、ふてぶてしい存在に思うのだろうが、感情の揺らぎは子ども達とそれほど変わらない。褒められれば嬉しいものだし、嫌なことは落ち込む。
大人になることで、ほんの少し自分をごまかすことがうまくなっただけなのだ。
『レキシントンの幽霊』の中に「沈黙」という作品がある。中学校からボクシングを始めた大沢君という、実直で自分の感情に嘘をつけない主人公が自分の過去を語る話なのだが、村上春樹は大沢君にこう語らせる、「人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解できていれば、人は負けたとしても、傷つきません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人は必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです。」
深みを理解する。それが人生を生きて行くということではないだろうか。
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先日は本当にありがとうございました。
村上春樹の作品は『海辺のカフカ』以来、しばらく手にしていません。サリンジャーの『ライ麦畑…』を村上春樹が翻訳したことが話題になりましたが、これもまた読んでおりません。
しかし、村上春樹はいつまでも気になる作家ですね。『アンダーグラウンド』以降、社会へコミットしていこうという姿勢を強く出すようになったみたいで、いろいろな意味で期待感を持ちます。
世界中で村上作品が読まれているということをよく耳にします。何がそんなに多くの読者を魅了するのだろうかと考えてみましたが、人間の精神の変わらない核のようなものに触れているからなのかなと思います。
次にお目にかかるときは、村上春樹をめぐる談義などしたいものです。
(かねごん)
小林先生コメントありがとうございます。次回はぜひ久しぶりに文学の話題でも・・・・。しかし正直申しますと、ブログを書き始めてからというものめっきり読書量が減り、読んでません。ちょっと鍛え直しておきます。
投稿: 学び舎主人 | 2008年6月30日 (月) 11時58分