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2008年6月

2008年6月30日 (月)

気になっていること

英語のことわざにThe  early  bird  catches the  worm. (早起きは三文の得)という至言がある。

早く起きた鳥は、虫を取って食べられる。だから早起きしましょうというお話である。我が家では、私が仕事柄遅い帰宅なので、その影響もあり家族の就寝時間は遅い。ゆえに朝はいつもぎりぎりセーフの状況で、早起きなどとは縁遠い家族である。

唯一私の母だけは、夜も8時を過ぎると床に就くので、朝は5時前に起きだして何かをやっている。私が目を覚ます頃はもうすでに世の中は活動中である。

私の周りは全て農家である。朝も4時ごろから草刈機械の音が響き渡る。1時近くに眠りに落ちる私にこれは厳しい。夏は慢性の睡眠不足である。家内に言わせると、午前中の私は昼行灯(ひるあんどん)なのだそうだ。つまりぼ~としている。

気になっていることがある。早く起きた鳥は虫が取ることができてめでたしなのだが、鳥に食べられてしまった早起きの虫は、三文の得どこらか悲劇だったのでは・・・・・・。

追伸

今日はニッタク・ダブルスハピネス杯の卓球大会であった。4試合勝ち抜いて準々決勝まで勝ち上がることが出来た。高校生とフルセットの試合は本当に疲れた・・・。コートで応援してくれた元塾生の千葉君ありがとう。

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2008年6月29日 (日)

『レキシントンの幽霊』

レキシントンの幽霊私の先輩でありそして親友である、学び舎の小林先生と若き20代の頃、よく村上春樹について語りあったものである。

村上春樹という感性のほとばしりは、ちょうど学生の頃抱えていた青春のほろ苦さや、切なさを代弁してくれるアダプターのような存在であり、感情の共有を我々に与えてくれた。

デビュー以来、村上春樹の研ぎ澄まされた若々しく弾けるような文章のきらめきは、今も変わらない。学び舎主人も私かねごんも、伴侶をめとり、子どもも大きくなった。お互い髪が白くなったり乏しくなった。先日久しぶりに会いお茶を飲んだが、若い頃村上春樹を論じた頃と、なんら変わらない会話のトーンにまぶしさを感じた。変わったようで何も変わっていない実はそれが大人なのかも知れない。

無国籍的なアンニュイの世界とでも言うのだろうか、時代の枠を超えた村上春樹独特のメタファーの世界は、確かに我々が通り過ぎて来た青春の残像であり、これからもある種心の奥底を刺激し続けてくれるに違いない。

かけがえのないものを守る勇気や、知性のプライドを捨てない生き方は、彼の作品から学びえた宝物のような気がしてならない。

『納屋を焼く』 『パン屋再襲撃』『レキシントンの幽霊』などの短編集は、どれをとってもキラボシのごとく繊細でみずみずしい。人生のはかなさを演出しつつ、したたかな人間を描く彼の世界は読んでいて実に爽快だ。

傷つきやすい感情というものは誰もが持っている。それは14歳の少年も、40歳を過ぎた大人も変わりはない。子どもは、大人というものは物に動じず、ふてぶてしい存在に思うのだろうが、感情の揺らぎは子ども達とそれほど変わらない。褒められれば嬉しいものだし、嫌なことは落ち込む。

大人になることで、ほんの少し自分をごまかすことがうまくなっただけなのだ。

『レキシントンの幽霊』の中に「沈黙」という作品がある。中学校からボクシングを始めた大沢君という、実直で自分の感情に嘘をつけない主人公が自分の過去を語る話なのだが、村上春樹は大沢君にこう語らせる、「人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解できていれば、人は負けたとしても、傷つきません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人は必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです。」

深みを理解する。それが人生を生きて行くということではないだろうか。

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2008年6月28日 (土)

かねごんタクシー

誰もいない海岸を歩いていると、海の潮風の中に懐かしい匂いがしてくる。小さい頃、魚の行商にやってきたおじさんの鼻をつく、塩がこげたような匂いだ。

塾を始めた頃、私の塾は高校生だけの塾だった。今思うと個性的な生徒達が多かった(今もであるが・・・)。ポケベルが全盛の頃だった。

塾に来ていた女子生徒のポケベルが鳴った。生徒は教室を抜け出し、近くの公衆電話に駆けていった。帰ってくると「かねごん先生、友達が緊急のようなのでちょっと出かけてくるね」と言って教室を出て行った。

一時間経っても二時間経っても戻ってこない。親御さんが迎えに来る頃になってようやく息を荒くして帰ってきた。教室の机を片付け、親の車に乗って帰っていった彼女の残り香に、例の潮の香りがした。

私の塾から一番近い海まで、片道車でゆうに1時間はある。私はかすかな潮の香りの中で、クエスチョンマークを点滅させていた。

翌週彼女に真相を問いただした。19歳の彼氏から呼び出しがかかり、海までドライブに行って途中ホタテの塩焼きを食べてきたのだという。途方も無いことをやらかす生徒達である。厳重に注意したのは言うまでもない。あの潮の香りは、ホタテの塩焼きの香りだったのだ。

またその頃の思い出として、タクシードライバー事件がある。塾を始めた頃なので、塾生といっても一日に3,4名しかおらず、「今日は雨が激しいので塾を休みます」などと言われれば、空振りの一日で、やることも無く雨をうらやみながら本などを読んでいた。

定期テストが近い6月のどしゃ降りの日だった。高校から塾の女子生徒が電話をかけてきた。「先生今日の授業って私達3人だけでしょう。他の高校生って来ないよね」。私がそうだと応えると、「じゃ学校の正面玄関で待っているから先生迎に来てね」と言って電話が切れた。

完全にお抱え運転手である。かねごんタクシーは彼女達を乗せてきて、授業をやったのは言うまでもない。その三名は皆現在お母さんだ。彼女達はかねごんタクシーを覚えているだろうか。

追伸

私の尊敬するブロガーとよ爺先生は、皆さんもご存知のように一日に三つの記事を毎日更新し続けている。実はどんなものかと6月26日、私も初めて三つの記事の更新に挑戦してみた。大変だった。こんな大変なことを毎日やっているのかと思ったら、先生の執筆力はどこから沸いてくるのだろうと、本当に感心してしまった。とよ爺先生、今更ながらですが、本当にすごい!!!

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2008年6月27日 (金)

校長という仕事

最近報道されている学校の不祥事、そしてモンスターペアレンツの横暴。学校と家庭の絆とか、信頼という言葉がどこかへ行ってしまった感がある。学校が訴えられる事件も多くなってきた。

 日本も訴訟社会になってきたゆえに、弁護士を要請する学校や教育委員会も事例によっては増えてきた。金銭や保証が絡む理由なのかも知れないが、殺伐たる思いがする。保護者宅に謝罪に行くと、非を認めたことになるので学校長は生徒宅に行かないように、弁護士からそんな指図もあるのだという。何かがおかしい。

 誠意を示すということは、訴訟云々以前の問題であろう。報道陣に追われ「カメラを回すな」などと言っている、顔にモザイクをかけられた校長先生を見ていると悲しくなってくる。

 学校で何か大きな問題が露呈すると、テレビやマスコミの前で鎮痛極まりない様子で、学校長が謝罪する。何も校長先生が直接の責任ではないのだから、あれまでバッシングされなくとも、という意見も耳にする。しかしである。やはり不祥事の責任はその組織に立つトップの責任なのである。

 校長の意識が変わることで、学校全体の雰囲気が激変したのを、私は良い意味でも悪い意味でもずいぶん拝見させてもらってきた。

 私も、週にやってくる生徒の延べ人数が多くとも三桁にならず、3名しか先生がいない小さな小さな寺子屋で、校長という肩書きを名乗っているが、すべての責任は自分にあるものだと常に思っているゆえの肩書きである。極論を言えば、生徒が点数が上がらないのはもちろんのこと、塾生が体調を崩すのも、家でケータイやゲームばかりして勉強しないのも、私の責任だと思っている。

 私もかつて、被害者側の立場で学校側に意義を申し出たことがあるが、守秘義務がどうの、我々にも生活がありますので・・等の逃げ腰の発言と態度ばかりで、学校内の治安が悪化するばかりの状況の中、警察に介入していただき問題解決にあたってもらったことがある。被害者の父がたまたま塾経営者だったことが、ひょっとしたら学校側の対応に微妙な影響を与えたのかも知れないが、警察の介入が無かったなら、いったい学校側はどう対応したのだろうかと、5年以上たった今も当時の憤りがよみがえってくる。

 高級車に乗り、香水をぷんぷんとさせている学校のトップに、生徒指導や教師指導を望むべきも無いが、開き直るのは、先生と呼ばれる職業人としてやめていただきたい。今日は実名を挙げたい怒りを理性で抑えながらこのブログを書いている。その心情を汲み取っていただきたい。

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2008年6月26日 (木)

空をながめてみれば

進学校に通っている子ども達は、基本的に素直な生徒達が多い。親の言うことをよく聞くタイプの子ども達だ。勉強をしなさいと言われずともちゃんと机に向かい、自分を律することが出来る。親御さんにとっては手のかからないお子さんだと思う。

 素直さ、実はこれが受験勉強にとって非常に大切な武器なのなのだが、時に両刃の剣のごとく、精神の脆さも時として露呈してしまう。進学校では、本年国立大が何人受かり、早慶が何人合格という発表はするが、負の発表は決してしない。

 生徒の何人が心療内科に通っているとか、全体の何割の生徒がどこの大学も受からなかった等の話は出てこない。当たり前と言えば当たり前の話である。近年心の病に対する相談が増えている。毎年精神科の治療を受ける塾生もいる。授業についていけない、友達がいなくなった等の問題が引き金になって、うつ状態になる生徒もいる。

 「やる気の問題だろう」と叱咤激励するタイプの先生がいまだに多いのも現実だ。優秀な大学を出られ、勉強の挫折感を味わったことの無い先生は、自信に裏づけされた指導力というものは確かにお持ちだ。若いほどその傾向は強い。がしかし、その自信が放漫となり、生徒達を追い込めてしまうこともある。

 「伝統だ」「歴史だ」と、自分の通う学校に誇りを持たされ、自分のスタンスを逆に見失う生徒もいる。学力の低い学校に入った生徒達が、劣等感を持つ以上に、進学校で取り残された生徒達はダメージを受けている。

 「こんな学校に入るんじゃなかった」かつては、進学校ではない学校の生徒達が口にしたフレーズだったが、最近は進学校に通う子ども達から発せられることが多くなった。高校の指導に、生徒の自主性を重んじる傾向がなくなったと感じるのは私だけだろうか。辞書から参考書まで指定され、毎日宿題表を渡されてくる。高校生がいつから小学生扱いされるようになったのだろうか・・・・・。

 あれだけの宿題をまじめに毎日こなそうと思ったなら、ゆっくり小説を読む時間も、音楽を聞く時間も無いのではなかろうか。私などは文学青年を気取り、ろくに勉強などしなかったものだから、数学の時間Mが横になったわけの分からない記号が出てきたあたりから、数学を諦め、公や国という字がつく大学とはまったく縁が無く、まったくもってシガナイ塾教師などをやっているわけだが、正直今高校生をやれと言われたらNOと言いたい。

 小さい頃から管理されることに慣れてきた素直な子ども達。会社や企業にとっては扱いやすい人材かも知れない。強烈な個性は時として波風を立てるが、あらたな空気なり風を運んできてくれるものだ。勉強が出来ないのも個性だと、開き直るくらいが生きていくのも楽だと思うが、それが出来ないのが「優秀な」という形容詞を一度付けられた子ども達だ。

 前回のブログ「部活を終えて」でも述べたが、人は勝ち続けることは出来ない。負けて勝つことの意味、負けることの意義をしるのである。勉強とて同様だ。常にトップを走り続けることはできない。せめて自分の納得のいく教科なり、特技を誇りに出来れば私は十分だと思っている。疲れたな~と思ったら今日のような清々しい空をながめてみよう。そうすればちょっとは気分もいいだろう。

 

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フィ→ルド☆アトラクションズより

 私がよく訪問させていただいているブログの一つに、東京都東村山市の進学塾『フィールドアトラクションズ』http://blog.livedoor.jp/fieldattractions/森園先生のブログがあります。

 受験生を持つ親御さんに対して、実に懇切丁寧なアドバイスがなされているブログで、私も非常に指導者として教えられることがあるブログです。中学校受験に対するすばらしい森園先生の意見が書かれていましたので、中学校受験を希望している小学生の親御さんに、ぜひ一読していただければと思い紹介させていただきました。

 「だめもとで中学校受験を」と考えている方もいるかも知れませんが、森園先生が述べているように、受験はギャンブルでも勝負事でもありません。お子さんに負けの意識を背負わせて、通常の公立中学校に通わせるリスクをもう一度考えていただき、受験対策をこの時期じっくり考えていただきたいと思います。

森園先生のブロブの記事を下記に紹介します。後半の文章は省略させていただきました。『良い受験のために』というシリーズを森園先生がお書きになっています。ぜひ中学受験を考えている親御さんに読んでいただきたいと思います。

2008年06月24日

良い受験のために:その3… 受験はギャンブルでも勝負でもない!

ac2cd76f.JPG5.実は親の言う通りになるのが子供

よく、「子供が親の言う通りにならない。」という声を聞きますが、そう思う時、お父さんお母さん自身のお子様に対しての言葉や、態度を振り返ってよく考えてみてください。
驚くほどお子様は、両親の言うことや、態度を素直に受け入れ、その通りに成長しています。

例えば、「あなたは国語が苦手だから…」と、お子様に何回も言っていると、国語という科目がその子にとって、はじめは一過性の成績不振だったのが、動かしようのない確実な苦手教科として定着しています。
「あなたは頭が悪いから人の何倍も勉強しなければ…」
と、何度も子供に言えば、子供は
「自分はバカだ。人の何倍もなんてできるわけないよ。」
と、すっかりやる気と自信を無くして、自分自身の可能性を信じてがんばることが確実にできなくなっています。
「もし成績が上がったら受験しましょう。ダメなら公立で良いわね。」
と言えば、「公立へ行けば良いや。」と、素直に受け入れてがんばるということをしなくなります。
中学受験に限らず、思春期前の子供は、親の意識を映す鏡のように、素直に親の言動、態度を受け入れています。
保護者の方に、「かわいい子供に良い環境をとにかくプレゼントしてあげたい。」という信念があれば、子供は、はじめはなんとなくお父さんお母さんが言っているから受験するんだろうな、という感覚で受験を意識します。

そして女の子では小5の終わりから小6の初め、男の子だともう少し遅くて小6になるころから小6の夏過ぎくらいでしょうか(もちろんその子によって差はありますが…)精神面での成長が、学習量や学習意欲と歯車が合うときがあって、本当に、カチッと音がするように急にスイッチが入った状態になり、成績という数値を動かすのです。
それまでは、親・教師と子供の我慢比べです。
6.子供をやる気にさせる基礎…成功体験

ひとつの方法としては、小さな成功体験を積ませることです。
次のテストでも良いですし、「次は社会をがんばろう」など、科目を絞っても良い。
やさしい問題集を与えて満点を取らせ、作為的に「成功体験」を作ってしまうことで、スランプを抜け出せることもありますし、前向きな勉強を子供はするようになります。

失敗を責めても子供は決して成長しません。
うそでもいいから小さな成功体験を積ませることで、「自分でがんばる意識」が芽生えます。こんな演出も子供のモチベーションを上げるのに必要不可欠なものです
併願について~受験はギャンブルでも勝負でもありません。
中学受験は、併願作戦の成功失敗によって、大きくその質を変えます。
中学受験は、まぐれ合格はほとんどありませんが、(合格したらしっかり実力がついているのです。)合格できる力があっても当日失敗してしまうこともあります。

併願をきちんと考えてなければ、たまたま失敗してしまった瞬間に今までの全ての努力が水の泡になります。それではあまりにもかわいそうではないですか。
よく、受験がギャンブルや勝負に例えられることが多いようです。もちろん1つの学校の受験という観点からみれば、確実に結果が見えるわけではありませんし、合格者の数が決まっているのであれば1点差で不合格になる子もいる。
そういう意味ではギャンブルや勝負に似た要素を持っているということは否めません。
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豊かさの陰で

 大きな事件が起きると、連鎖のごとく類似の犯罪が起こる。人が人をあやめてはいけないという根本の約束事が、むげに破棄されてしまう現実を前にすると、人間という存在の弱さを痛感してしまう。

 人間の歴史を遡ると、戦争や闘争の歴史だ。支配されるものと、支配するもののテリトリーの奪い合いが永遠と続いてきた。しかし現在日本を含め、先進国と言われている国々で多発する凶悪犯罪は、イデオロギーでも正義でもなんでもない。自分の不幸ややるせなさを、他人を抹殺することで贖おうという狂気の犯罪ばかりだ。

 人を殺してはいけない理由が話題になる社会など、マトリックスのような仮想社会での出来事だと思っていたが、そうではない。

 この世に存在する奇跡。人間と人間が出逢い、愛し合う奇跡。その奇跡の連鎖の中で、育まれてきた大切な命。その命を人生の途中で奪う権利など、たとえ神様であろうと持ってはならない。

 人間の精神が退化していると言う心理学者が多い。退化したのではない。豊かさという名の文明社会が、人間の精神を病ませてしまったのだ。現代人は病気を患っている。ごく一部の豊かな社会を見せつけられ、その幻想を求めようとするあまり、お金や物の呪縛に捕らえられ足場を見失ってしまったのだ。

 多くの不平等と多くの経済格差、資本主義社会が生み出した競争原理が、ことごとく弱者をねじ伏せ、立ち直る機会さえも奪ってしまう。それが現代社会だ。毎年3万人の自殺者を出しながら、他人事のように振舞える国家になってしまった。悲しいことだ。

 バイト社員という言葉を派遣社員という名前にすり替え、無職青年をニートという言葉に置き換えただけで、物事が楽観視されたような幻覚を与えられている社会で、追い込まれている若者達が多くいる。

 学生運動も無い、シュプレッヒコールもない、一見平穏に見えるこの現代社会で、じっと息を殺しながら、ネットカフェで、自分の不満をネットに書き続ける若者達。私はその痛ましい光景に涙さえこぼれてくる。

 いったい誰が若者達をこれほどまでに追い込んでしまったのだろうか。日本社会がひたすら豊かさを追い求めてきた代償が、日本の若者に悲しみをもたらしているのだとしたら、豊かさの本質を真剣に考えなければいけない。

 『いたわりや』『思いやり』という言葉が、キャッチフレーズになってしまった国、この日本。あまりにも寂しくはないだろうか。

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2008年6月25日 (水)

部活が終わって

 負けた瞬間、会場の片隅にうずくまり涙する生徒達。一球一球に汗がほとばしり、ドラマが終わる。声援の声が鳴り響く球技場全体が、まるで舞台の演出装置のように、夕暮れが迫った日の光が涙する選手達を照らし出す。

 父親や母親達は、そっと目頭をぬぐい、子ども達の精一杯のプレーに健闘を讃える。

 学校の名誉や、スポーツ推薦や、そんなことで生徒達は頑張ったわけでも戦ったわけでもない。自分達の輝く存在のために、しいては活動することの純粋な楽しさのためにやってきたのだ。

 うまい者はうまいなりに、下手な者は下手なりに一生懸命頑張ってきた。結果の順位に拘らなければ、全てはOKなのだ。恥じることも、奢ることもない、それが部活動だ。

 常に決勝戦に勝ち残ってきた生徒も、一度も公式戦に出ることなく声をはりあげてきた生徒も、思い出のアルバムの中ではみんな同じほほ笑みだ。

 勝利したものは、勝てなかった多くの仲間の涙を忘れてはならない。そして多くの支えてくれた声援を忘れてはいけない。

 人は勝ち続けることは出来ないのだ。負けたときに、勝つことの意味を知る。そして負けることの意義を知る。

 今週で部活を終える多くの生徒諸君、次の目標は見えているだろうか。グランドにうずくまったままココロがまだ立ち直れない生徒も多いだろう。

 来週からは期末テストだ。青春は二度と来ない、だから今を全力で走りきるしかない。でもそのスピードはそれぞれの速さでいんじゃないかと思う。無理することはない・・・・・。

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2008年6月24日 (火)

軽トラック再び

 昔の話を頻繁にするようになったら立派なお年寄りだそうだが、私のブログも昔話が増えてきたので、ぼちぼち中年からその先に近づきつつあるのかも知れない。

 今この原稿を塾の指導室で書いている。今日は涼しく過ごしやすいが、昨日までは30度近くの暑さで、クーラーが全快だった。今ではどこの家でもエアコンが入っているが(我が家ではまだ扇風機)、20年ほど前は本当にまれだった。

 笑い話のようだが、塾を選ぶ基準にエアコンがあるかどうかが、真剣なポイントだった。実際に、夏の暑い最中、他の塾からクーラーがないのでという理由で、移ってくる生徒がいた。「う~クーラーは涼しい」と言って、安らいでいた塾生の顔が今でも印象に残っている。

実は最近この暑さでちょっと困っていることがある。塾生には周知の事実であるが、私の車にはエアコンが無い。ついでに言うとカーラジオもCDプレーヤーも無い。20年前に購入した純粋無垢な軽トラックである。ジャズを聞くために充電式のCDプレーヤーを搭載しているが、これとても塾と自宅の往復36キロを聞き続けると、充電電源がこときれる・・・・・。

 話がよそに行ってしまったが、早い話が暑いのである。超暑い日は、超手動式の窓を開けても熱風が入ってくるだけで、やっぱり暑いのである。雨風がしのげるので、文句は無いのであるが、妻と息子のエアコン付きの車がちとうらやましい。

 「私もエアコン付きの車に乗りたいな~」と申したところ。「塾生を増やして頑張って」と妻にひとこと言われた。さっきも塾に来る途中、何人かの知り合いのご父兄とすれ違った。私の軽トラックを見て、ちょっと微笑んでいたようだが、気のせいだろうか・・・・。

 先日もとある保護者の方に「軽トラックですか。機能的でいいですよね」と褒められた。帰り道、車を運転しながら、何が機能的なんだろうと、考え込んでしまうかねごんなのであった。

 ちなみに我が塾のマドンナ先生のみッちゃん先生は、車が廃車にになるとどこからかあらたな中古車をもらってきて乗っている。きっと人徳のなせる業なのだろう。私も見習いたい・・・・。

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2008年6月23日 (月)

リンクの紹介

 先日ブログ開設1周年を迎えた土曜日の朝、私のブログのリンク集の記事を書こうとしていました。そのときまさに岩手宮城内陸地震に襲われ、私が住む一関市が多大な地震の被害に遭いました。急遽地震関連の記事を更新していましたので、書かずじまいでした。本日改めて私の教育ブログを飾っていただいている7人の先生方を紹介します。

【風と虹の教室】

あきこ先生のブログです。シュタイナー教育をベースに、2歳児~8歳児を対象に造形、染物、ぬらし絵等のアート教室を展開しています。かわいらしい子ども達の元気な姿が紹介されているブログです。

【個別指導学び舎 塾長日記】

長いお付き合いをしていただいている、学び舎主人の小林先生です。奥洲市で塾を営んでおります。古代東北史、『陸奥話記』の現代語訳の執筆をしておられます。古典落語から現代文学まで、先生の鋭い視点と感性がきらめくブログです。

【Mr.Hondaのココロ・トーク】

山口県の本田先生です。斬新的な先生のブログは、まさに現代アート。授業のライブ中継が見れるブログは、先生の真骨頂です。作詞、作曲を手がけるアーチスト先生です。検索をすると先生のオリジナル曲が聞けます。楽しいですよ。

【とよ爺のつぶやき】

神奈川県で塾を営んでおられます。日本におけるインド式計算の先駆者的存在です。講演や教務に多忙の中、毎日三つの記事を更新し続ける執筆力と表現力は天下一品。先生のブログの教育論は、一読する価値絶対ありです。

【日本語教師 奥村隆信 ひとり語り】

富山県の富山国際学院の日本語の先生です。先生のブログは、音楽や文学、映画、旅行記など、多彩な写真と重厚な文章で綴られております。途方もない読書量に裏づけされた先生の書籍紹介は圧巻です。

【風聞園】

中央塾の斉藤先生のホームページです。多くの歳月をかけ、斉藤先生自らが創りあげた日本庭園の花々が日々紹介されています。お茶所風聞園の水出しコーヒーの味は格別です。一関の皆さんぜひ一度いかがですか。

【寺子屋ブロブby唐人町中学生寺子屋】

九州福岡の鳥羽先生です。先生のブログは学習塾ブログランキングで、堂々の全国1位に輝く人気ブログです。遺跡や観光名所の美しい写真が紹介されています。また先生の寺子屋に通う、笑顔が素敵な中学生の写真が心を和ませてくれます。

 以上ブログを開設し、リンクを貼らせていただいた順に紹介させていただきました。先生方のブログは毎日拝見させてもらっていますが、実に多くの勉強をさせていただいております。教育に携わる先生方の姿勢や、思考、言葉や写真が、日々私の血となり肉となっていくのを感じる毎日です。先生方、今後ともよろしくお願いいたします。By かねごん

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2008年6月22日 (日)

音読のススメ

 私の塾だけに限ったことではないと思うが、英語が出来なくて入塾してくる生徒が増えている。何が出来ないのかというと、英語が読めないのだという。読めないから英文を書いても覚えられない。

 ちまたに英語のCD教材があふれている。各教科書のCDはもちろんのこと、ちょっとしたテキストにも付録としてCDがついている。そんな状況でなぜ英語が読めない中学生が増えているのだろうか。

 英語がめちゃ嫌いだと言って入塾してくる生徒をチェックし診断してみると、ローマ字が出来ない。ギャ ギュウ ギョ 的なローマ字が書けないし読めない。アルファベットの連なりがどういう基本形の音を持っているのか把握していないのだ。

 原因は小学校の指導時間に問題がある。ローマ字の勉強の時間など無きに等しい。小学校に英語の導入をという声が多いが、ローマ字の指導さえままならない状況で、何をかいわんやである。

 大学受験英語を20年以上指導してきた私だが、実は中学校の時は、英語がまるでダメだった。中3の時など、関係代名詞のWHOも疑問詞のWHOもまったく区別が出来なかったし、動名詞の~ing と進行形の~ing の区別などまったくお手上げだった。

 高校に入って、英語の発音及び発音記号が読めないのはローマ字そのものがダメだと知り、高1の夏から冬にかけて、ローマ字練習と単語練習そして中学校の教科書の音読を徹底してやった。音読がいかに暗記作業としてすばらしいものかを、この身をもって経験できたような気がする。

 テープやCDよりも、自分で発した音が一番自分の脳を刺激することを多くの指導者が指摘しているが、まさにそうだと思う。国語の教科書を含め、音読が苦手な生徒に英語が苦手な子が多い。

パズルクイズのようなややこしい文法や語法問題の演習も英語には大切な学習だが、教科書やテキストを離れ、文学や詩の英語の名文を声に出して読むことは、英語をブラッシュアップするにはとても効果的な勉強方だと思う。

 私はボブディランの「風に吹かれて」や「時代は変わる」をよく歌っていた。英語のリズムや語感が体で覚えられた気がする。ただ高校時代、ディランの曲の『くよくよするなよ』のギターアルペイジヨのテクニックを習得しようとして勉強がそっちのけだったものだから、プラスマイナスゼロだったかも知れないが・・・・・・。

 英語は、眉間にしわを寄せて学ぶだけの学問などでは決してない。楽しむ心、それがやはり語学には大切だと思う。

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2008年6月21日 (土)

どんぐりと山猫協会

 世の中にはお金を儲けることが、生きていく価値なのだという方がいる。一方お金も大事だが、自分のやりたいことをやって生きて行きたいという方もいる。前者の方々から見れば、後者の者は、負け組みと呼ぶ対象になるかも知れない。

 実は塾をやっている方を眺めてみると、後者の方が圧倒的に多い。大企業でバリバリ稼いでいる方から見れば、ひょっとしたら不思議な世界に見えるのだろう。私もかつて、大企業で働く同級生から「え?塾やってんの」という反応を少なからず頂いた。そしてあと3年で30年を迎えようとしている。

 どんどん教室を増やし、塾生を増やし、拡張を目指すタイプの先生もいる。指導者というよりは経営者タイプの方だ。たまたま塾がきっかけなだけで、この手の方はどんな仕事を手がけてもそれなりの実績を上げて行く。そして彼らの幾人かが大手塾産業のトップランナーにのし上がっていく。

 私も勝手に自分をそう思っているが、長年一つの塾で子ども達と和気あいあいとふれあい、地域に密着し、個人塾を営む方々は人情派タイプの先生である。人情派ゆえに高い月謝設定にためらいを持ち、時に大手フランチャイズ塾に経営を脅かされながらも、卒塾生やご父兄に支えられ、細々ながらもかしこたる信念を持ち、塾の看板の灯を消すことなく頑張っている、そんな塾長先生が全国にはたくさんいらっしゃる。

  今回私どもの塾『大験セミナー』と『中央塾』さんとの連盟で、『どんぐりと山猫協会』という一関個人塾連盟を6月1日に結成した。個人塾が連盟して、定期的に宣伝広告を企画する協会である。

 毎週多くの塾チラシが入る。そのほとんどが東京や都市部に本部を持つフランチャイズ塾のチラシである。私ども個人塾は何十万、何百万という広告料を捻出できる状況ではない。口コミの入塾にたよるゆえに、大手のしらみつぶしの営業戦略や、怒涛のチラシ攻撃に、昔からの地盤を奪われ、良心的な個人塾が廃業していくケースも多い。

 個人塾さんには、大手塾さんのように若い大学でのイケメン講師がたくさんいるわけでも無く、青い目の青年教師が、すばらしい笑顔と英語の発音で指導するわけでもない。しかし塾講師の出入りが激しい大手と違い、長年指導されてきた個人塾のよさも多くある。塾生との信頼関係、痒いところに手が届くような指導やアドバイス。個人塾の真骨頂である。

 私事で恐縮であるが、卒塾生の数多くの恋愛相談にのってきた。就職の相談もあった。死にたいと言ってきたかつての教え子の話を、夜中過ぎまで聞いて、生きる希望を一緒に探した事もある。「先生俺こいつと結婚します」と言って、自分の親に紹介する前に塾につれてきた卒塾生もいる。

 「先生私の赤ちゃんです。かわいいでしょう」と言ってわざわざ遠い所から、赤ん坊を見せに来てくれた元女子高生。「親父癌なんだよ」と言って電話口で泣き崩れた元塾生。私は多くの塾生やご父兄の方々に支えられてきたが、私がこれから支え励ましていかなければならない若者達も多くいる。

 そういった若者達のためにも、個人塾の灯を消させるわけにはいかないのだ。多くの個人塾の先生方もきっと同じ思いだろうと思う。たかが塾、されど塾である。私ども『どんぐりと山猫協会』のチラシが本日市内に入った。今日が一歩である。

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2008年6月20日 (金)

部活の思い出

 中学校の時は卓球部に所属していた。中2の秋、県の代表として、新人戦の団体で東北大会に出場した。見事惨敗だった。今でもそうだが青森県選手のレベルは我々とは格段の差であった。レベルではなくラベルが違っていた。悔しかった。それが私が大きな大会に出た最初で最後の試合だった。

 私が卓球を始めたのは小学校の3年の時だった。当時世界チャンピオンだった長谷川信彦選手の豪快なプレーに憧れ、ラケットを握った。それからかれこれ40年近くなる。いまだに大会に出ては、中学生や高校生とガチンコの真剣勝負をしている。

 中学校時代を振り返ると、教室での勉強の記憶がない(・・・笑い)。体育館で必死に練習をしていた日々がよみがえって来る。当時我が家には自家用車はない。毎日中学校までの往復15キロの道のりは、もちろん自転車だ。丘陵地帯に立つ我が家は、登校は楽だった。3分の1は自転車をこぐ必要はない。問題は帰り道である。部活に疲労した体には、7キロの坂道が永遠に続く地獄道に思えたものだ。今のように舗装された道ではなかった。しんどかった。

 家に帰ってきて教科書を開く体力気力などどこにも残っているわけはなく、バタンキュウーの毎日であった。家で教科書を開いた記憶がこれまたない。こんなことを書くと、また塾生からブーイングの嵐がくるだろうけれど、大人というものは、勉強をしなかったものに限って勉強にうるさいものなのである。嘘だと思ったら、お父さんやお母さんに聞いてみるといい・・・。

 まあそんなわけで、勉強が二の次三の次の日々であったわけだが、部活では多くのことを学んだ。忍耐力、ある種の諦観、そして負けることの美学である。「負けるにしても納得のいく負け方をしろ。たとえ点差が開いても、一生懸命に打ち込む一打が明日につながる」 顧問の先生からよく言われた言葉だ。

 私にとって、部活での鍛錬が効果を発揮してくれたのが、数年後の大学受験勉強においてだった(高校入試には不発だったが・・・苦笑い)。眠さやだるさにカツを入れ、受験に自分を追い込むことができたのは、部活で培った根性の賜物だと思っている。

 いよいよ明日から中総体の地区予選が始まる。3年生にとっては部活の総決算である。負ければ3年生は受験勉強への切り替えだ。「まだ受験勉強は勘弁願いたいよ~」と思っている諸君も多いだろう。しかし勝つものもいれば負けるものいる。それが至極当たり前のことであり、それがいわば社会の縮図でもある。

 中学3年間の練習の成果を、たとえ一振りでも一投げでもいい、納得のいくプレーで締めくくってもらいたい。頑張れ中3塾生!!

追伸

保護者の皆様、土曜、日曜日は市内各会場で、地区予選の熱戦が繰り広げられます。仕事で多忙の方も多かろうと思いますが、時間を割いて息子さんや娘さんの戦う姿をご覧になってください。私も例年時間が許す限り会場を見て回っていますが、毎年涙涙の感動を子ども達からもらっています。負けて泣き崩れる子ども達の姿に、何か大きなものを学ばされます。よろしくお願いいたします。

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2008年6月18日 (水)

教室の窓から

 教室の窓から涼しい一陣の風が吹き込み、夕刊を配達するバイクの音が響き始めると、今日も塾生が集いだし私の仕事が始まる。

 真っ赤な夕日が何事もなかったように、栗駒山の山際に傾き、桜並木越しに沈んでいく。教室のすぐ横を流れる1級河川の磐井川は、今回の地震で上流が土砂でせき止められ、まるで小川のような流れになっている。

 警察や消防による巡回警報により、河川敷には人の影はない。いつもなら子ども達の声が響き渡り、釣り人たちが佇む時間だ。一匹の猫が土手を駆け下りていく。万が一堰止湖が決壊すれば、濁流が押し寄せてくるだろうこの川を私は静かに見下ろしながら、いつも人間が遭遇する運命のようなものを考えていた。

 人生に置いて静かな時の流れは一瞬である。この世に生まれてきた命は、怒涛の流れのごとく人生を歩んでいく。たくましく、時に繊細に、そして時に無常に。生きとし生きるものの宿命として、多くの出逢いと別れを繰り返し、学び成長しそしてつづれ織り成す人生は、かけがえのない命を永遠に繋いで行く。

 何かが目前に迫っていても、一見平穏と見える日常は過ぎていく。それが生きて行くということの切なさであり、日々の風景だ。

 朝元気に出かけて行った愛する人が、もう二度と笑顔を見せてくれない現実を前にして、悲しみと慟哭が突き上げる。涙と共に昨日までの共有してきた多くの時間と、多くのぬくもりがさらさらと手のひらから零れ落ちる、生きていればそんな悲しみの一瞬が誰にでもあるだろう。それでも私たちは明日のために生きていかなければならない。

 白鷺(しらさぎ)が優雅に舞い、魚の影が夕日に光る静かな川を見ていると、今私達が生きていることの現実が、多くの実に多くの命に支えられてきたという当たり前すぎる真実に、ただただ圧倒され、そしてこの星に生かされている奇跡に、ちっぽけなプライドは消滅する。

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2008年6月17日 (火)

寺子屋の祖聖徳太子

 日本史の中で一番好きな人の名前はと言われたら、間違いなく聖徳太子だ。私は自他共に認める聖徳太子ファンである。

 どこが好きかと問われれば、全てである。いつからかは自分でも分からないが彼の文献やら、歴史書はほぼ読破した(図書館の本ですが・・)。全国にどれくらいの太子ファンがいるか知る由もないが、ベスト500ぐらいには入ると自負している。(ベスト1000かな?)

 我が家の仏壇の上には、聖徳太子の写真が鎮座している。それほど思い入れは深い。お釈迦さまよりもキリストよりも聖徳太子が好きな中年おじさんなど、いるはずも無いと思われるかも知れないが、ここにいる。

 彼は日本人の宗教観を確立した人物だと思う。太子は当時すでに旧約聖書も仏教も慎重に検証し、日本の風土にあった国家体制を模索していた。当時景教と言われたものは、旧約の思想そのものだった。はるかシルクロードより、西洋の思想と芸術が日本に伝播していた。

 法隆寺のエンタシスをご存知の方も多いだろう。ギリシャ神殿を彷彿させる形である。建築様式と共に多くのオリエンタルな思想が日本に入ってきたと考える方が自然ではないだろうか。オリエンタルと当時の国際国家中国隋の東洋文化が融合したもの、それが飛鳥文化である。

 厩戸皇子(うまやとのみこ)、これが聖徳太子の本名である。イエスキリストを想像する方も多いのではないだろうか。彼の人生には実に多くの謎が付きまとうが、用明天皇の息子である彼が天皇を引き継ぐことなく、叔母である推古天皇の摂政に甘んじたのには、歴史的権力争いの知られざる真実があったに違いない。

 近年、聖徳太子は存在しなかったという学者もいるが、実はそうなのである。聖徳太子という名前は、厩戸皇子が亡くなったあとに後世の人が名付けた称号である。したがって飛鳥時代に推古天皇の摂政をやった聖徳太子という人物は存在しなかったのである。

 ちなみに、聖徳太子の本名を日本書紀は厩戸皇子(うまやとのみこ)、厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)とし、古事記は上宮之厩戸豊聡耳皇子(うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと)と表記している。

 飛鳥時代には、仏教を推進した蘇我氏と旧来の神道を遵守しようとした物部氏の壮烈な宗教戦争が繰り広げられた。蘇我氏が勝利を得て、蘇我氏の血筋を受け継ぐ聖徳太子は、仏教を中央集権国家を目指す組織作りに取り入れていく。まるでローマ帝国がキリスト教を国教にしていく経緯を彷彿とさせる、話である。

 聖徳太子は斑鳩宮に仏教を教える学問所を作る。日本で始めていわゆる塾を創設したのが、聖徳太子ではなかったかと思う。そして彼の意思は、遣隋使であった高向玄理や南淵請安に引き継がれる。請安は塾を開き、仏教や儒教を広げていく。

 私が聖徳太子の大ファンであることの理由が理解していただけたろうか。日本の文化に始めて塾の概念を作り、啓蒙を試みたのが聖徳太子こと厩戸皇子(うまやとのみこ)なのではなかったかと考える。

 日本人が争いごとを好まず慎み深い国民性なのは、聖徳太子の思想の流れを無意識的に受け継いできたのではないかと勝手に想像する、聖徳太子ファンのかねごんなのである。

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2008年6月16日 (月)

被災地の生徒諸君へ

 余震もだいぶおさまり、昨夜は二日ぶりにゆっくり寝れた感じです。一関市内は現在高校の定期テスト期間中、大変な状況でのテスト勉強だと思います。特に被害が甚大であった厳美町に住んでいる高校生諸君は勉強どころではなかったと思います。

 本当に心よりお見舞い申し上げます。

 我が長男も同様テスト期間ど真ん中でしたが、勉強したのかしないのか、まあ通常通り、私から奪い取った自動車で出かけていきました。

 今、地震をちょっと冷静に振り返っていますが、この近年最大級の地震の震源地が、あと10km20km街よりであればと思うと、ぞっとするとともに、奇跡的にほとんど人家のない山中地点が震源地だったことが唯一の救いだった気がします。しかし多くの尊い命が失われてしまいました。慙愧の思いであります。

 今回、橋や道路が崩壊した、一関厳美地区は温泉地で有名な場所です。近隣の多くの人達を癒してきた憩いの場所です。不況や老人の福祉問題で何かと揺れ動く地方にあって、温泉のような施設は、唯一の心休まる場所でもあります。

一日も早い復旧がなされることが祈願してやみません。厳美地区、本寺地区の小中高生のみなさん、日常生活を始め勉強等も大変でしょうが、体調に気をつけ頑張ってください。

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2008年6月15日 (日)

キャロル・キング

私の大好きなキャロルキングの曲を聞いてください。秋葉原の事件や、地震の悲劇、悲し事件が続いてしまいました。キャロルキング『つづれおり』のヒットメドレーが心を癒してくれますように(合掌)。

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地震へのお見舞いありがとうございます

 地震へのお見舞いありがとうございます。奥村先生やとよ爺先生はじめ多くの皆様より、メールやらお電話をいただき、多大なるご心配をおかけしました。

 一関市の西部地区は、至る所で道路や橋が寸断され、山そのものがまるで巨大隕石が落下してきたような陥没状態です。私のところは東部地域ですので、それほど甚大な被害はありませんでしたが、すごい揺れでした。地震発生後より200回ほどの余震が続いております。

 私の塾から、300メートルほど先に一関市役所がありますが、昨夜遅くまで災害対策本部では救助支援が行われ、報道陣の人達が多く集まり、行方不明者や、孤立している住民の人達の安否や安全の情報収集に追われていたようです。

 行方不明の方々が、一時も早く無事救助されることを祈らずにはいられません。また、新潟や富山よりいち早く駆けつけていただいた救援ボランティアの方々に心より御礼申し上げます。

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2008年6月14日 (土)

ブログが炎上どころか・・・

 私のブログわくわく日記を毎日欠かさず読んでいただいてる県内はじめ全国の皆さん、本当にありがとうございます。ブログを開設し、とうとう1年がたちました。まじめに書き始めたのは昨年の8月からですが、開設日からは一年ということになります。ということで、テンプレートが変わりました。時間ごとに風景が変わります。

 私の妻でもある『風と虹の教室』の代表であるあきこ先生より、「ブログを書きなさい!」という至上命令をいただき、「しょうがね~な」的やる気のなさ丸出しのスタートでしたが、とうとう1年間廃刊することなく続けてこれました。これも日々貴重な時間を私のつたない雑記帳的ブログにお付き合いしていただいてる、読者の皆様のお陰と感謝しております。m(_  _)m

 また、リンクさせていただいてる先生方には、幾度となく私のブログを紹介していただき、そのたびごとに定期に見ていただく方が増え、まことにもって恐縮の限りであります。

 まったく教育とは関係ない検索ワードで入ってこられ、お気に入りにしていただいている方も多いようです。何かのご縁かとも思います。今後もメール、コメントにてご意見やおしかり等いただければ幸いです。

 最近、私自身気に入って拝見してきたブログが、突然休止され、絶筆された方が何人かおられます。毎日何百人もの方が読んでいるブログが急停止してしまうと、いろいろ心配してしまい、体調を崩されたのだろうか、嫌なメールにでも遭遇したのだろうか、単に忙しくなったのだろうか等々、かってな憶測をしてしまいます。「どうしてやめられたんですか」というメールを送る勇気もなく、お気に入りが消えてしまうことに寂しさを感じています。

 ところで今回検索ワードについてちょっと書きたいと思います。ブログには全国津々浦々からいろんなワード検索で、様々な方が訪問してきます。たとえば「人生」とか「夢」とか「宇宙人 塾」とか、ずいぶんとアバウトな検索から不思議な検索まで、PCサーバーが私のブログに誘導してくれます。

 たとえば、『宇宙人 塾』で検索してきた人は、宇宙人がいる塾を調べたかったのだろうか、宇宙人が営む塾を調べたかったのだろうか、宇宙人が推薦している塾を捜したかったのだろうか、いろいろな想像が駆け巡っていきます。ある日など『聖書 同性愛者』などという検索ワードで私のブログに闖入してきた人がいたりすると、「おれ何かとんでもない記事書いたっけ」てな感じで超あせってしまい、ヒットしている過去のブログを読み直してしまう気弱いかねごんであります。

 ブログに短時間に何千何万というアクセスが襲来し、ブログが炎上し機能が停止してしまったという話を時々耳にします。よほどすばらしい記事なり写真がヒットしたのか、よほどセンセーショナルな悪文だったのかどちらかでしょうが、怖い話ではあります。私のブログは一日に最高でも300人のアクセスで、平均100アクセスぐらいであります。加熱炎上どころか温まりもしない我がブログでありますが、2年目のかねごんのわくわく日記を今後ともよろしくお願い申し上げます。

追伸1

皆様にご心配頂きましたが、飼い猫の末娘のキラが退院し、元気になり、今日などは10日ぶりに庭を駆け巡っていました。家族一同ほっとしています。

Neko

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2008年6月13日 (金)

月のパワー

 2399660003         満月や新月には人間の五感では捉えられない不思議なパワーがあるようだ。新月に種を撒いた作物は虫がつきにくいとか、満月に収穫した穀類は味が一段と良いとか、農業の世界でも様々な言い伝えや文献的な報告がある。

 また心理学の世界でも、凶悪犯罪や不慮の事故が、満月や新月の日に多発することが報告されている。そういえば、私の息子達は小さい頃、満月の夜に鼻血を出して大変だった。人間はいろんな意味で月とリンクしている。

 出産も圧倒的に満月や新月の日が多いと聞く。月の重力おそるべしである。確かにあの巨大な海の水を持ち上げるのだから、すごい力なのだと思う。

 小学校の頃に不思議に思って、そして今も不思議に思っていることがある。月はどこからやってきたのだろう。

 小学校の頃は、月は地球から飛び出した衛星だと教わった記憶がある。その後度重なるアポロ探査によって、月はどうやら地球とルーツを同じにする星じゃないことが分かってきた。どこかからかやってきたとすれば、よくもまあ地球にぶつかることなく現在の軌道で止まって、地球を周回しているものだと思う。不思議である。

 そしておまけに、月と太陽は地球上からほぼまったく同じ大きさに見える。偶然にしては、でき過ぎているこの宇宙の采配に私は驚くしかない。

 誰か宇宙物理学に詳しい方がこのブログを偶然ごらん頂いていて、単純明快な真理があるのならば、御教授願いたい。

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2008年6月12日 (木)

啄木と賢治

 我が郷土と言っても、実に岩手は広い。岩手の面積は四国とほぼ同じ広さである。ちなみに我が町一関はほぼ東京都23区に匹敵きする。

 「岩手が日本に誇れるものは何だろう」そんなどうでもいい質問を、どうでもいいタイミングですると、塾生も塾生で「岩手が誇れるもの・・・?そうだな・・・自然」そんな答えが返って来たりする。ちなみに岩手県が全国1位なのは、炭の出荷額、そして三陸のワカメである。

 郷土の作家はとなると、岩手は一気にメジャーになる。宮沢賢治、石川啄木この二人の文学者を知らない日本人はいないだろうと思う。二人の作品は書簡集をはじめ多くを読んできた。彼らの評論集も目を通してきた。実に様々な捉え方があり、分析がありものだと感心をしたり、疑問符を投げかけたりしたものだ。

 賢治と啄木は同じ岩手に生まれながら、まるっきり性格やタイプが違う。水と油と言ってもいいくらいである。啄木はやんちゃな風来坊。賢治は修行僧のような人間だ。

 啄木の歌集は実にニヒリズムに富んでいる。自虐的感性とつま先立ちしたロマンチシズムが鬼才を放つ。どちらかと言うと時代の先端を行こうとして、逆に古典文学の呪縛に絡めとらわれてしまった苦悩する天才文学青年だ。

 一方賢治は、100年200年先の文学を見通した早熟で、ナチュラリスト、宗教的詩人であった。今後おそらく100年たっても彼の作品の感性は、時代をリードして行くだろう。

 どちらが好きかと尋ねられることがあるが、例えて言うなら、岩手に来て盛岡冷麺と南部そばのどちらが好きかと聞かれたようなもので、比較する土俵が違うように思う。

私の勝手な私見なのだが、啄木が存在しなければ宮沢賢治の文学も存在しなかったような気がする。盛岡中学校(現盛岡一高)の先輩であり、歌人として名をはせた啄木に憧れ、東京に出た賢治だった。日本詩壇に輝くこの二人の巨星、本当にキラ星のごとく異彩を放つ作品が多い。

 君に似し  姿を街に見るときの  

 こころ踊りを  あはれと思へ

 私が啄木の歌の中で一番好きな歌である。純真でいて、はにかんでいて、そして素朴な彼の感性が私には伝わってくる。

 みんなに でくのぼうと呼ばれ ほめられもせず くにもされず

 そういうものに わたしはなりたい

 賢治の『雨にも負けず~』に書かれている最後のフレーズである。わたしはこの言葉を読むたびに、彼が人生で目指したものの、他人に対する癒しや、絶対的な愛の希求を感じづにはいられない。

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2008年6月11日 (水)

言葉への責任

 20代の頃の感性や人生哲学が、40歳になっても50歳になってもあまり変わらないとおっしゃる方が多い。いかに20代までの勉強や読書、そして経験が大切かという証拠のような気がする。

 かく言う私もそうである。20代の自分と50近くなった自分がどう違うかと問われたならば、髪の本数が減ったことと体重が10キロ以上増えたことぐらいで、頭の中身やハートはそんなに変わったような気がしない。変わった点をあえて探すならば、言葉の重さを実感してきたことだろうか。

 若い頃と比べると、確かに言葉を選ぶようになった。教え子達もそうである。久しぶりに会って話をしたり、教室に立ち寄ってくれる卒塾生の話を聞くと、言葉の間の取りかたが学生の頃と違っている。確かに感覚的に言葉を選んでいる。そしてそれが大人になった一つの証なのかも知れない。

 最近はブログも、多くの人権団体が検閲チェックをしているのだという。差別用語や特定の団体個人を誹謗中傷するブログに対して、抗議文を送付したり、謝罪を求めるメールが来るという。

 1年弱、私もずいぶん言いたいことを書き連ねてきたが、幸いなことに謝罪を求めるメールだけは頂いていない。私のブログには、我が塾の社長(妻)の検閲があるので、暴走した時は躊躇なく公開がストップされる。過去にも書いたが、削除された幻の記事もいくつかある。

 言葉の責任は年を取れば取るほど重くなる。その影響力もさることながら、発する言葉がその人の人格として受け取られるからである。若い頃には許された発言が、その人の立場や職業によっては糾弾されることがある。

 「ついつい言葉のあやで」などと言い訳が許せない世界も多々ある。政治家などそのさいたるものであるが、教師の発言もしかりである。生徒の一生を左右しかねないときがある。その場の気分や状況に流された発言は注意したいものだ。それは自分に対する戒めでもある。

 生徒を叱るとき、励ますとき、言葉はすばらしい命の糧にもなるが、鋭利な刃物にもなりうる。言葉への責任、その自覚が我々には必要である。

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2008年6月10日 (火)

叱り方添削講座

 自分の子どもを叱ってしまうとき、ついつい習慣的に使ってしまうフレーズがあるもの。今日はその添削講座を少々。

その1 いつまでテレビ見てるの早く宿題やりなさい。

訂正案→あと10分でその番組終わるのね、そしたら宿題やろうね。

その2 お前の言いたいことは分かる。でもな・・・・・

訂正案→逆接の「しかし」や「でも」はさけましょう。

その3 だから言っただろう。

訂正案→大変だったな。

その4 人間負けちゃいけないんだよ。

訂正案→人間勝つことも負けることもあるんだ。

その5 どうして言うことを聞けないんだ。

訂正案→話を聞いてくれるかな。

その6 あんなやつとは付き合ってはいけない。

訂正案→友達付き合いもだいじよね。ヘンな誘惑には負けないでね。

その7 ・・・・今度成績が上がったらな。

訂正案→・・・・・お前の頑張る姿を見たらな。

その8 こんな成績だったら部活なんかやめっちまえ。

訂正案→疲れたら無理するな。休んで、そしてまた勉強しな。

その9 塾に行っているのになぜこの成績なの。

訂正案→なし・・・・・・・沈黙。

その10 人生は競争だ。

訂正案→自分のできることを一歩一歩やっていけばいんだよ。

参考にならない訂正案もあったかもしれません。ご了承ください。同じ意図する言葉でもちょっとした気分で変わります。どうでしょうか。

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2008年6月 9日 (月)

秋葉原の悲劇

 とんでもない事件が起きてしまった。尊い命が犠牲になるたびに、激しい怒りと慟哭を覚える。あの事件のあった交差点は、4月の半ば、塾に通ってきている多くの中3生が修学旅行で歩いてきた道である。

 日本という国の若者文化を象徴する街。渋谷の道玄坂同様、若者達のエネルギーが解放され、華やぎや、負の世界までが融合し、様々な光が放射される。

 静岡からこの街を目指してきた25歳の犯人の男。これから詳細な真実が明らかになっていくのだろうが、彼を引き寄せてしまった秋葉原という街の病理的側面も、様々な角度から検証されていくのかも知れない。

 私の学生時代は、秋葉原と言えば家電の街だった。メイド喫茶などの風俗産業が現れるようになってからのこの街は、足を踏み入れたことはないが、なぜかこの街に若者達の悲しみを感じるのは私だけだろうか。

 前途ある若い命が一瞬に奪われてしまった。月曜日の朝、多くの通勤の車が事件の起きた交差点を過ぎていく。その横で花を手向け祈る若者達の姿に、やるせない深い悲しみが湧き上がってくる。どんな言葉もこの惨劇を癒すことはできない、どんな形容詞も虚空に舞ってしまう。

 つらい月曜日の始まりである。

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2008年6月 8日 (日)

知らないことを言わない努力

 誰でもそうだろうけれど、知っていることは話せるが、知らないことは話せない。でも年を取ってくると、この知らないということがなかなか言えないときがある。

 現在売れている小説やジャズの新譜など、私が知っているものと思って話が進んでいる時、正直「知りません」と言えばいいものを、よせばいいのに知ったかぶりの相槌などをしてしまい、相手に申し訳ないなーと思いつつ時が過ぎて行くことがある。

 教育の話もそうである。私は学校の先生ではないので、学校の状況というものを理解するすべは、息子の話だったり、知人の教員の方の話だったり、塾生や保護者の方々の情報だったりする。そのあたりの知識を総動員して分析し、解析し、保護者の皆様の相談に答える分けであるが、真摯に答えているつもりでも、どうしても想像が入ってしまうのは否定できない。それは私は塾教師だからだ。

 塾教師としてのスタンスは、教員のそれとはまったく違う面もあれば共通点もある。共通点は教科を教えることにあるわけだが、決定的な相違点は我々の仕事は客商売だと言うことだ。いかにお客さんである塾生に満足できるサービスを提供できるか、それが月謝を頂いて存続していく塾のライフラインである。

 どんな立派なことを言おうが、すばらしい教育理念を掲げようが、生徒が来なければ絵に描いた餅である。つまりは受験に合格させることであり、子ども達の将来性を示してあげることが塾の究極のサービスであり、存在意義と言うことになる。

 先日『どんぐりと山猫協会』での会合で、中央塾の斉藤先生が我々個人塾をこんな例えで話されていた。

 「個人塾というものは、個人経営のスナックと同じでしてね、その先生の人柄や個性に生徒なり親御さんが集まるんですよ。難しい理論はいらないんですよ」

 確かにその通りである。人柄や個性をみんなに受け入れられるための努力、これがひょっとしたら学校の先生と一番異質な点なんだろうと思う。スナックのママというのは聞き上手の方が多い。仕事の悩みやら、家庭の相談事までお客さんを相手に、相手の気分を害さぬようにメリハリのある場を作っていく。そして必要なこと以外は言わない。

 受験指導に当たっては、塾生の本音や親御さんの本音を引き出せないままでは、最後の受験の砦を打ち破ることは難しい。したがって生徒なり親御さんが、本当はどうしたいのか、そこのところを伝えてもらえる信頼関係が必要なのだと私は思っている。

 今月中総多体が終わると、今年も中3生は受験体制に突入する。来月より指導時間や曜日を増やす塾生が増えている。入りたい学校名が本人達の口から出始めてきた。高校の情報をいろいろ聞いてくる。

 最近私は知らないことは「知らない」と言える大人であろうと努力している。手前味噌の勝手な意見を、高校や大学に対しては言わないようにしている。各人が、体育祭なり文化祭なりに行き目で確かめ、体験入学等で判断するのがいいと思っている。

 若い頃は先入観で物を見ることが多い。進路決定は人生の大切な選択の一つである。噂や、在校生の自虐的な言葉に惑わされることなく、自分の目と耳で確かめて頂きたい。

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宗教と神様

 毎年5,6回は神社に参拝する。家内安全や塾生の合格祈願のためである。いつ行っても鎮守の森の清々しさと静寂さは、気持ちがよいものだ。

 また教会も時に訪れることがある。私が住む隣町に、藤沢町や東和町という町があるが、江戸時代に多くのクリスチャンが隠れ住んでいた里である。悲しくも歴史の流れの中で、惨殺され処刑された多くの農民の供養塔が立てられており、魂を癒すかのごとく教会が静かに佇んでいる。

 信仰という名の希望を最後まで捨てなかった、多くのクリスチャンの農民達の魂が、隠れキリスタンの里に風となってそよいでいるようなそんな気がする佇まいである。街道をはずれ山道を歩くこと50分ほど行くと、奥深き山の中に、小さな洞窟がある。役人の目を逃れ、農民達が祈りをささげた場所である。昨年の夏始めてその場所に立ったとき、私は神に祈るをささげることさえままならなかった人々の、生きるプライドと絶対の希求とも言うべき声なき声に、圧倒されてしまった。Madonina

 塾には、神棚が置かれ隣の壁には、幼きキリストを抱きかかえるマリア像が掲げられている。宗教的にはまったくもって節操がない私である。私自身本音を言うと、宗教はどうでもいいと思っている。神という言葉の実体は、行き着くところ宗教とは関係なく、同じ本質をさしているのではないかと思っているからだ。

 塾生たちを指導していると、時として神様についての質問がやってくることがある。「先生にとって神様って何ですか」こんな感じの質問だったりする。

 私にとって神様とは、「移ろわない心の底の真実」だと思っている。時代が変わっても、歴史が変わっても、変わらない絶対の真実、それが神のような気がする。

 人間は迷い彷徨う存在だ。神々しい風景をみたり、荘厳な空間の中で、人間は自分の本質や、生きる真実に触れるのではないだろうか。

 人間を思うとき、私はいつも空から降る雨を思う。美しい草原に降る雨、アスファルトにたたきつける雨、そして畑や田んぼを潤す雨。雨は大地を潤し、生きとし生きるものを潤し、そしてやがて蒸発し天に帰っていく。

 本によって生きる勇気を与えられたり、友人の一言に生きていく道を見つけたり、音楽に涙したり、ペットに癒されたり、神様は常に私たちのそばにいてくれる。豪華な神殿や、聖堂の中にいるのではない。

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2008年6月 7日 (土)

末娘が重態

 このブログでも紹介した我が家のアイドル、末娘のシャムネコのキラが重態に陥った。先週まで例のごとくスズメを捕まえてきたり、ネズミを捕ってきてははしゃいでいたキラが、4日前より寝込んで動けなくなってしまった。2日間飲まず食わずの状態で、ソファーの上に眠っていた。

 一昨日立つことがままならないのに、昼時ソファーを汚してはいけないと思ったのか、ふらりふらりと自分の外のトイレに行った。思わず私と、体調を崩し学校を休んでいた息子と、二人で泣いてしまった。けなげなキラの姿をみて、昼飯が喉を通らなかった。

 長男は学校から帰ってくるなり、衰弱してしまったキラを見て、心底落ち込み、我が母親はうろうろするばかり。

 野良猫のごとく我が家にやってきたキラだけに、保険も入っておらず、犬猫の専門病院までは20キロメートル先。恥ずかしい話、お金のことやら仕事やらで躊躇していた私であったが、ここで何もしないで死なせてはいけないと思い、妻が車を運転し私がキラを抱き抱え、病院に直行した。

 CTスキャンやら血液検査、心電図等の検査から、肝臓と腎臓がだいぶ弱っており、危険な状態であることが判明。緊急入院となった。

 縁あって我が家にやってきた猫である。半年以上家族の一員として過ごしてきた。家族みんなに愛されてきた。キラに「頑張れよ」と声をかけ、キラを動物病院の院長先生に託してきた。また元気なキラの顔を見れることを祈りながら、病院から戻ってきた妻と私であった。

追伸

塾生や保護者の皆様より、ブログの反応が遅いとの指摘を受けておりましたが、原因がわかり、サバーが回復いたしました。ご迷惑をおかけしました。 byかねごん

 

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2008年6月 6日 (金)

塾買収の嘘のような本当の話

 M&A(企業買収)が話題となって久しいが、18年前、私もプチ敵対的企業買収を経験した。

 現在の塾の前進である大験英語セミナーを開校して半年ほどたった頃だった。私の塾が開校する2年前、すでに市内に開校していた東京を本社とする塾の、東北支社長なる人物から私の塾に電話がかかってきた。

 「かねごんさんですか。先生は○○大学の文学部を出られ、東京の○○塾に2年間おられましたよね。そしてその後、水沢の○○研究所に6年ほど勤務してましたよね」と切り出してきた。

 興信所か何かで私の経歴を調べさせたなと思い、ちょっと動揺しながらも平静を装い、「人違いでないですか」と、かまをかけてみた。すると「かねごんさんですよね。実は6年前かねごんさんの面接担当をした○○と申します」。と電話の相手が言ってきた。

 思い出した。そうなのだ。東京の塾をやめて実家に戻ることを決めたときに、仙台の塾を私は受けていたのだ。そして見事断れた。そのときの会社が、別の名前で市内に塾を出していたのだ。もちろん履歴書を持っていったので、私のことを知っていたのは当たり前のことだった。

 私に今頃なんのようだろうと、?マークが点滅し始めた私に、衝撃的な彼の言葉がやってきた。「かねごんさん、あなたの塾にかかった開校費用、宣伝費、権利金等を700万円で買い取ります。かねごんさんを、塾長待遇で我が社にお迎えしたいのですが、どうでしょうか」。

 当時開校したばかりで、生徒も20人足らずの小さな小さな塾だったが、30歳の私が血と汗と涙でたちあげた塾だった。もちろん丁寧にお断り申し上げた。その塾はその後東大を出られた方を塾長に抜擢したようだったが、5年前経営不振のため市内から撤退した。

 個人塾をやっていると、実に様々なことがあるものである・・・・・・・。

 【追伸】

 市内にて、個人塾の会である『どんぐりと山猫協会』を6月1日付けで設立いたしました。中央塾の斉藤さんと私かねごんによる設立です。大手フランチャイズ塾に対して、ちょっと個人塾の良さを世の中にお知らせしましょうという会です。活動の一歩として、連盟によるチラシの発行をします。今後賛同いただける個人塾さんがいらっしゃれば、いろんな企画をしていきたいと思います。大験セミナーが事務局となります。

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2008年6月 5日 (木)

働かない若者達

 日直や給食当番、掃除当番をサボる生徒が多いと聞く。給食の準備がままならないため、担任の先生が汗だくになっておかずを分け、食べる時間が5分や10分しか取れないクラスもあるという。掃除にいたっては、放課後だと多くの生徒が逃亡してしまうので、昼時間に掃除をさせる学校も増えているという。

 「お金にならないことはやらない」 「疲れることはしない」 「自分に関係ないからやらない」、どこかで聞くせりふではないだろうか。現代のアダルト世代の言葉である。そしてそれがそっくり中高生に引き継がれている。

 うざい、きもい等の形容詞を連発していさえすれば、時代の先端をいっているような気分になり、人のために何かをすることを『おせっかい』と呼び、いじめを『いじる』という言葉に変えて、罪悪感から逃れようとする。

 道徳や現国の時間は、昼寝と称してはばからない中高生。そういった光景を見るにつけ聞くにつけ、本当に子ども達は現代社会の映し鏡だと感じてしまう。

 最近市内では、公園等の公衆トイレの破壊が連続した。トイレの照明が壊されたり、換気扇が粉々にされた。車上あらしも頻発している。安全と治安だけは取り柄だった田舎町、その神話はとうの昔に崩れてしまった。

 なまり言葉を話す中高生がいなくなり、都会で使われている汚い言葉を発する若者が増えてきた。都会のありとあらゆる文化が地方に流れ込み、東京の原宿も、仙台も、そして私の住む地方の街も、若者たちの姿や様子にそれほどの差異がなくなってきた。

 ケイタイやPCのネットワークは今や、全国を支配したと言っても過言ではない。「楽をしてお金をもうけたい」 そんな若者の声を多く聞く。PCのキーボードをたたき、数分間で何兆円ものお金が去来する世界経済。そんな中で若者達の働く意識は変遷してきた。

 かつてのライブドアーの堀江氏の亡霊が、日本の隅々でうごめいている。昨日フェアートレードの話を書いたが、日本国内における産業別労働にも当てはまる話である。

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眼底疲労

 やっぱりきてしまった。眼底疲労に襲われてしまった。視力だけは自慢だったが、ここ2,3日目のしょぼしょぼ感がぬけない。PCの前に座っていることが増えたのと、寝不足もたたっている。

 夏期講習の原案やらチラシの原案やら、最近仕事が押し寄せてきていて少しダウン気味である。天候の寒さも確実に原因の一つである。6月に入っても、朝晩我が家ではまだストーブをたいている。こんな年は珍しい。もう衣替えだと言うのに冬物がしまわれずにいる。

 年を取ってくると季節の変調はこたえる。寒いときは寒く、暑いときは暑ければ体も覚悟ができているのだが、肩透かしを食ったような気候の変動はしんどいものだ。

 教室でも子ども達は、半そでになったりトレーナーを着込んだり忙しい。いつもならクーラーが入る季節なのに、自習室のストーブはまだ現役状態だ。庭先のバラも咲いてみたものの、この寒さに耐え切れず、半咲きでしぼんでしまったものも多い。

 この季節はいつもなら昼食の後、縁側での昼寝が気持ちよいのだが、寒くて昼寝どころではない。冬と同じジャケットをはおり、いざ塾に出陣である。来週からは高校の定期テストが始まる。高校総体に出場する生徒は、ハードな部活と定期対策を同時進行でやらなければならない。大変だ。

 私も何とか常備薬の高麗人参で眼底疲労を克服し、頑張らねばならない。

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2008年6月 4日 (水)

フェアトレード

 ネパールやインドそしてアフリカに置いて、多くの子ども達が学校へ通えない背景には、学校の施設の不足という問題よりも、欧米の経済理念が浸透してきたことによる経済格差的貧困問題がある。

 労働力がただ同然で得られるという先進国の思惑が、こういった農業国の貧困を促進してしまっていると言っても過言ではない。

 某テレビ局で、カンボジアの子ども達のために学校を建てるというプロジェクトが組まれ、多くの芸能人が賛同し、多くの資金が集められた。貧しい国々にお金や物資の援助をすることは、もちろん大切なことでありすばらしいことである。しかしもっと大切な課題がある。

 それは、我々搾取(さくしゅ)してきた先進国が、貧しい国々の農業や産業に対し、労働の代価に見合ったお金を支払っていくことだ。

 昨日のブログでコーヒーの話をしたが、コーヒー豆にしても、プランテーション農業による先進国の大企業による事実上の生産である。農園で働く労働者の苦労は、いかほどであろうか。

 かつてアメリカの南部では、黒人奴隷による綿花栽培が行われていた。現代社会に置いて奴隷という表現こそ消えたが、同じような状況は実は続いている。

 過去6年間に、インドでは10万に以上の農民が自殺したと言われている。原因は農薬や機械等の購入による借金苦である。企業に買い取ってもらうために、近代的悪しき農業を余儀なくされ、そして命まで奪われていく。

 中学校の地理で学ぶプランテーション農業やルックイースト政策が、どれほど多くの社会問題と悲劇を生んでいるのか、塾教師として子ども達に伝える義務があると考える。穴あきのジーパンを1万円以上もだして買う日本人の若者。実はうちの長男も1,2本買って持っているようだが、そのジーパンの生地である綿花を育てるインドなどの生産者が、どんな環境でどんな思い出で栽培しているのかを考えてもらいたい。

 通常のコットン栽培には、大量の農薬や化学肥料が使われる。機械による大量生産は、人の仕事を奪うと同時に、多くのエネルギーや原料が消費される。農薬を使わない環境にやさしい有機栽培を促進するためにも、地道な農作業と手作業に対する、しっかりした報酬を我々は支払うべきである。

 搾取される国と、搾取する国、この図式を当たり前だと考えてはいけない。あの国は教育もお金もない国だからと見下してはいけない。早朝から夜遅くまで働いたお金で、コーヒー一杯も飲めない賃金で働かされている人達を無視してはいけない。

 人は皆豊かな生活を送る権利を有する。贅沢がいけないわけじゃない。贅沢な暮らしを当たり前だと考えることがいけないのだ。

 フェアートレード。発展途上国とかつて言われてきた国々の人達の、労働の代価を考え直そうという運動がちょっとづつだが、広がりを見せている。南の国の貧困と北の国の浪費を考えることで、地球の環境と、人間の存在価値を未来に問いかけ、そして改善していかなければならない。

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2008年6月 3日 (火)

コーヒーの思い出

 暇な時も、多忙な時も、暖かい一杯のコーヒーは心をほっとさせてくれる。一日に5杯ほど飲むだろうか。

 中学生になってコーヒーの味を覚えた。大学生になって、タバコを吸うようになってコーヒーはブラックで飲むようになった。学生の頃、喫茶店で本を片手にコーヒーを飲む時間など、何気ないありふれた日常にしか思えなかったけれど、今になって思うと、とても贅沢な至福の時だったように思う。

 若い頃に喫茶店で読んだ本など、遠い記憶の彼方に押しやられたものがほとんどだけれど、コーヒーを飲んでいるふとした瞬間に、断片的な物語の風景がよみがえったり、その時に感じた切なさや哀愁が、コーヒーの香りと共によみがえってくることがある。

 喫茶店の窓から眺めた風景や、傘のしずくや、テーブルのいたずら書きや、そういった様々な断片が、遠い過去から押し寄せてくることがある。

 我が塾生たちは、マックやモスでコーラを飲むようだが、彼らが大人になった時、ハンバーガーショップのざわめきが、きっと思い出としてよみがえってくるのかもしれない。

 私が高校の時たむろしていた喫茶店は、残念ながら30年以上たった今、みんな思い出の中だけになってしまった。駐車場になっていたり、スナックになっていたり、もうおなじ席に腰をおろし、感傷に浸ることはない。

 大学時代のジャズ喫茶が多く残っている東京に比べると、田舎町の変貌は著しいものがある。自宅から塾まで毎日20年近く通っているが、その20分ほどの通勤の風景も、ここ20年間にめまぐるしく変わっていった。

 一つの山が消え道路が生まれ、また店の看板が次から次へと変わっていった。三輪車に乗っていた女の子が、化粧をして車を運転している。かつての呉服屋の若いお姉さん(?)が、小さな孫と幼稚園バスを待っている。

 20年の時の流れの中で、過ぎ去っていった多くの時間と命。教え子の子ども達が、入塾してくる年になり、また新たなステージが始まっている。若い頃のように、パワフルでダイナミックでは決してないけれど、いぶし銀の輝きを目指して、一日一日を子ども達とまた歩んで行こう、そんなことを今日もコーヒーを飲みながら思うかねごんでした。

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2008年6月 2日 (月)

好きな場所

 好きな場所がある。行きつけの喫茶店のカウンターだったり、山が見える峠の道だったり。

 年を取ったなら、岬が見える小高い丘に住みたいと思っている。夕暮れ時に、海に沈む夕日が見られたら最高だ。子どもの頃からずっと山を眺めてきた。山は嫌いじゃない。大きな夕日がゆっくり沈んでいく山の風景は素敵だ。

 でもそれ以上に海の風景はもっと好きだ。始めて海を見たのは、小学1年の時だった。あの時の不思議な感覚と感動は、この年になっても心の奥にどよめいている。

 お気に入りのジャズを聴きながら、夕暮れの海の風景を眺める。そんな日のためなら、これからの人生をもうひと頑張りできそうだ。

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老後の楽しみを語れる年になった自分に、何かほっとする。年を取ることはいい感じだと近頃思い始めている。

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2008年6月 1日 (日)

作家 あさのあつこ

 一昨日末の中学生の息子に、図書館に行ってあさのあつこ作『NO.6』を借りてきてと言われた。

 今日何気にテレビをつけたら、NHKで『ようこそ先輩』という番組であさのあつこさんが出演していた。

 いつものシンクロシティーである。ブログで何度かしたためてきたが、脈絡のない日常生活で、人物なり、地名なりが偶然と思えるようなタイミングで何度か現れるとき、それは偶然ではない。その人にとって重要なメッセージである。

 思わずメモ用紙と鉛筆を握った。母校である美作中学校の2年1組の生徒に語りかける彼女の言葉に、そしてコメントに、現代作家の中学生を感じ取る鋭いまなざしを感じた。

あさのさんの代表作『バッテリー』は、1996年から執筆されるが、この作品を書くきっかけになったのが、1990年代中ごろから続発した少年の凶悪犯罪だったという。当時10代の息子さんの母親だったあさのさんは、衝撃を受け、自分の10代を振りかえながら子ども達の感性と作品を通じて向かい合った。

 番組の中で彼女が言う、「私は作品で、友情物や青春物を書きたかったのではなく、少年や少女に変えられていく大人、大人に頭を下げなくても自分を貫き通す、そういった少年や少女を描きたかった」と。

 少年や少女に変えられていく大人。私はこの言葉に心の奥底をつーんとはじかれた感覚を覚えた。私たち塾教師もそうだが、子どもの鋭い感情や感性に魂を揺さぶられる時がある。

 私は先生で、そして君達を教えてやっているんだなどという感覚は、もう10年も前に捨てた。毎年私は多くの塾生に感動をもらっている。正直なところ尊敬さえする。それは、自分の過去と比べてという意味ではなくて、その輝く存在そのものだったり、力そのものだったり。

 私のブログにいつも含蓄のあるすがすがしいコメントをいただく、学び舎主人こと小林先生は、先日のコメントで、「生まれ変わっても、もう一度塾の先生をやりたい」とのすばらしい言葉をいただいた。私は先生のコメントを読みながら、きっと小林先生も子ども達と接する一瞬一瞬のきらめき、そしてある種の切なさを真の心で感じ得る方なのだろうなと実感した。

 あさのさんのような作家や、小林先生のような文学的感性をお持ちの方々が、子どもをテーマとして語るときの平衡感覚、つまり、大人目線や先生目線で推測しない、実体を本質のまんまキャッチする描写なり言葉は、ストレートに世代を超えて子ども達に届くのではないかと思う。

 

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トホホ・・・・です

 ブログを始めて10ヶ月以上もたつのに、ブログの機能を使いこなせていない自分にようやく昨日気づいた。トラックバックの意味が理解できていなかったし、私のブログにコメントしてくださる方々のURLのリターン機能があることを今まで知らず、クリックせず放置したままだった。遅まきながらコメントのリターン機能が付きました。

 今までコメントしていただいた皆様まことに申し訳ございません。トホホです 。

 ことの発端は、ブログをはじめた2,3ヶ月というもの誰からもコメントをもらうこともなく、「おい、先生のブログに桜でも、義理でもいいからコメントくれよ」と塾生を脅していたものですから、コメントの機能など眼中になく、そのまま10ヶ月が過ぎていたわけで、我ながら困ったものです。

 コメントをくれた方は、きっと情報公開上の問題かなにかでコメント先のURLを公開しないんだろうなと、思っていた方も多かったと思います。よく考えてみれば、自分のURLを知られたくない方は書いてこないわけですから、本当に気づくのが遅いですよね・・・。

 日常生活でもこの手のトホホケースが実は多くて、塾生から真実を知らされどか~んとくることがあります。先日塾生が「すいませんちょっと家から緊急のようなので、下でケイタイ使わせていただきます」と言ってきました。私はケイタイの音がしなかったので、どうしてメールが来たのが分かったのだろうと不思議に思っていました。

 周りの生徒は、私の反応を察してくすくす笑っている。「かねごん先生今の音聞こえなかった」。「今の音って何のことだ、何も聞こえなかったぞ」と私。「かねごん先生宇宙人なのにあの音聞こえないんだ」。 「????」

 若者にしか聞こえない着信音というのがあるらしいとは聞いていましたが、現実に直面すると、まったく聞こえない自分にショックでした。二階の指導室ではケイタイの電源を切ること、という私の苦言に対する塾生の対抗手段だったのですが、それにまったく気づかないトホホのかねごんでした。

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