『星の王子様』・その宗教学的意味
サン=テグジュペリ作『星の王子様』ほど、不思議な作品はない。子どものころ、この作品をさっぱり理解できなかった。きっと自分には読解能力がないんだろうなと、理解することを諦めた。そして大学時代、なぜか宗教学でこの本にまためぐり合った。講師できていた牧師さんの解釈講義であったが、そのときもさっぱり分からなかった。自分にはキリスト教学的コンセプトが希薄なのだろうとまた諦めた。
昨年大学受験の英文テキストでまたまた『星の王子様』に出会った。英文講座で使用したが、やっぱりどこまでがメタファーで、どこからが単なるメルヘンなのか苦しんだ。
3日前、私がPCの前でキーボードを必死に打っていると、妻がなにやら本を読んでいる。珍しくシュタイナー関連の本ではなさそうなので、タイトルを盗み見ると倉橋由美子訳の『星の王子様』だった。
彼女に失礼かと思いつつ、「その本分かる?」と問いかけたところ「いいえ」と簡潔な回答が返ってきた。なるほど・・・。この本は理解できないから売れているんだろうなと変に感心した。やっぱり不思議な本である。
よくこの作品で読書感想文を書く中学生がいるが、すごいな~と感心する。感想が書けるということは、少なくとも感銘をうけ、この作品を咀嚼(そしゃく)出来たのだと思う。
そこで中学生に負けじと、この連休の間『星の王子様』の作品を今一度手に取り、自分のわずかばかりの教養と知性を総動員してこの作品を考えてみた。そして以下のような思考(幻想?)に迷走していったのである。私のかってな感想である。
この作品の王子様は、我々地球人の魂なのだ。フロイト的に考察するところの集合の意識というやつである。それでなぜ当てもなくいろんな星を探検するのかというと、魂の修行のためである。宇宙の中で進化し続ける人間の輪廻の物語なのではないだろうか。そんなことを、感じたのである。長い考察の割には、わずか3行ほどの感想で終わってしまったが、妻が後日この作品を読んで、「魂の話じゃないの」と軽く受け流した洞察力というか直感力にはちょっと脱帽である。
『星の王子様』を読むと、デミィニッシュコードを多用する難解なジャズを想像してしてしまう。最初はメロディーが難解過ぎて、敬遠してしまうのだが、日々聴いているうちに、その複雑なコードが心臓の鼓動だったり、自然の風だったり、さまざまな情景を運んでくる。まさしく『星の王子様』もそういった感覚的な作品である。
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こんにちは。
私がスペインに留学していたとき、一番最初に読めと言われたのが「星の王子様」です。
フランスとはお隣の国のスペインですが、ラテン人がよくわかるから読めと教授に言われました。
私もまだあまり良く理解できなかったスペイン語に加えて、この内容です。
苦労したのを覚えています。
(かねごん)
とよ爺先生コメントありがとうございます。この作品は世界中で評価されているんでね。『星の王子様』世界シンポジュームなるものでも開催されれば、この作品の真実が分かるかも知れませんね。本当に不思議な作品だと思います。
投稿: とよ爺 | 2008年5月 1日 (木) 18時31分
勝手に私の記事で先生のブログや先生のことを書いてしまいました。
事後連絡で申し訳ありませんでした。
http://toyojie.jugem.jp/?eid=1512
投稿: とよ爺 | 2008年5月 2日 (金) 08時09分