最近のトラックバック

« 多数決は嫌いだった | トップページ | 26年目に突入 »

2008年5月 8日 (木)

遺伝子の初期設定ミス?

 いつも家内に叱られるのだが、机の上が戦場と化している。読みかけの本や参考書やら、生徒の指導記録などが、家内に言わせると散乱しているらしい。

 言い訳に聞こえるかも知れないが、私なりに仕事がし易い配置をキープしているつもりだが、いつの間にか片付けられ、私の思考も一緒に飛んで行ってしまう。汚いのはいけないと思うけれど、整理整頓はまあいいかと思ってしまうのが私の悪い癖だ。どうも直らない。

 実はある程度の乱雑さがないと、私の思考は働かないようだ。学生の頃からそうだ。たまに気まぐれに机を片付けたりすると、ちょっと魂が浮遊した感じになってしまい勉強に身が入らない自分がいた。今もそうである。本が無意味に体積しているかのように思えるところに、実は私の思想も体積していたりする。その辺のところが、妻には理解できないらしい。

  PCの周りに散乱している私のメモ用紙も、時としてゴミ箱の中に瞬間移動しているときがある。そんな感じで、したためていたブログのした原稿が、日の目を見ることなくいくつかワープしてしまった。彼女に言わせれば「それは必然的に発表しなくてもいい内容だったのよ」ということらしい。

 教室で指導している私の様子を眺めていて、「よくもまああの乱雑に押し込んでいる棚から、瞬時に生徒に必要なワークが見つけられるものね」とよくほめられる。私にしてみれば宝物を探し出すような快感を味わっている作業なので、なんと言われても変えるつもりは無い。

 PCに資料をインプットしておいて、ボタンひとつで取り出せるようにしておけばいいのにと思うのだろうが、先月のパソコンの崩壊を経験してしまった私には、それは当分あり得ないことだと思うし、ひょっとしたら私が生きている間、システムは構築されないような気がする。

 たまに息子達の勉強部屋をのぞいて見ると、まさしく私のDNAが受け継がれたとしか言いようのない状態になっている。遺伝子の中に『片付ける』という初期設定が、きっとインストールされていなかったのだと思う。残念!

 私の机の乱雑さに例えては失礼だろうけれど、学校でじっとしていられない、いわゆる他動性障害とか注意欠陥性行動とかの呼び名が付けられる行動を起こす子ども達が増えている。病院に連れて行くと、何がしかの病名を付けられ、何かしらの薬をもらってくる。でもじっとしてられないのは、自分をフレキシブルに保つことで、何かの思考形態を構築している故なのではないかと思ったりする。

 行動の乱雑さは、実は彼らの特殊な個性なのではないかと思うときがある。それが証拠に、薬を投与され行動が安定してくると、あれほど感性豊かに描いていた絵が、ぜんぜん描けなくなったり、物凄い暗記力を示していた子が普通になったりする。過去において、そのような子ども達を何人か見てきた。

 ある天才肌の人間の中には、ある種の乱雑さが同居しているのかも知れない。私は天才でもなんでもない普通の中年オジサンなので、せめて机の上だけでもフレキシブルに保とうとするのだけれど、2,3日もしないうちに天の声が聞こえてくるのである。「あなたちゃんと片付けてくださいよ!」う・・・・やはり遺伝子の初期設定ミスか・・・・。

追伸

昨日かつての教え子のフミちゃんが塾に寄ってくれた。結婚して釧路に嫁いだのであるが、出産のため里帰りをしているとのこと。2歳の長男を連れ、臨月のおなかを抱えながら大変そうだったが、母親としてのきらめきを放っていた。ちょうど『風と虹の教室』の幼児コースが始まる時間だったので、ちょっとだけ一緒に遊んでもらった。来週が予定日とのこと、元気な赤ん坊がきっと生まれることだろう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

« 多数決は嫌いだった | トップページ | 26年目に突入 »

コメント

私が「過剰理論」と勝手に名付けているものに相通ずるような話なので、またまた書き込んでしまいました。
人間だれしも、普通そこまでしないでしょうと他から思われるような行動をしたりすることがあると思います。が、この性格や行動や発言の「はみ出し加減」=「過剰さ」こそがその人のその人たるゆえんを形作っている気がします。
「普通」「常軌」「常識的」は一般的には肯定的な語だと受けとめられますが、その枠の中に収まっているだけでは面白くないですね。また実際、人というものはそういう枠の中に収まりきらない存在ではないでしょうか。
角を矯(た)めて牛を殺すという慣用句があります。欠点と思えるような所や過剰さにこそ、その人の長所や美質も同居しているのでは。

(かねごん)
小林先生コメントありがとうございます。いつも常道を逸脱してばかりいるので、いつも家族からは苦情の嵐ですが、先生のように言ってもらえると私もほっとします。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 多数決は嫌いだった | トップページ | 26年目に突入 »