教師はアーチストであれ
我々の子どもの時は学校の先生は絶対の存在だった。学校で何かやらかして先生に殴られ、顔をはらして家に帰るものなら、親父からさらに2.3発もらったものだった。
子どもながらにも特に小学校の先生はスパースターだった。鉄棒での可憐な回転、ピアノのすばらしい音色、そして絵を描けば実にすばらしい絵を完成させていく。ありとあらゆることに置いて、不可能がない存在に思えたものだ。田舎の子どもにとって学校の先生は、垢抜けていて、繊細で、そしてたくましかった。
誰も先生に反抗するものなど、少なくとも私のいた小学校や中学校ではいなかったように思う。心の中での不満はあったろうけれど、言葉や態度に出すことはなかった。それは常に先生の意見なり教えが正しいと思ったからだ。生きることの規範を示してくれていたからだと思う。
うそをつき他人を傷つければ、容赦なく殴られた。親が学校に自分のことで呼び出されることは、死ぬほど不名誉なことだし、耐えられなかった。したがって誰も一線を越えた悪事はしでかさなかった。これが昔の教育であり、教育の姿であった。
現在はどうだろう。ブログでお付き合いさせていただいている、とよ爺先生も書いておられたがhttp://toyojie.jugem.jp/?day=20080517 東京や千葉などでは深刻な教師不足が生じていて、教師の採用試験も倍率が3倍を割ったということだ。かつては10倍、20倍の採用倍率だったものがである。
学校の先生イコール割りに合わないしんどい仕事、というイメージが今の大学生にはあるのだろうか。なぜ学校の先生という職業が憧れの仕事でなくなってしまったのだろうか。このことは、じっくり考察せねばならない大きな課題のように思う。
私など、こうやってやくざな寺子屋家業を営んでいる身であるので、まったくもってたいそうな意見など言える立場ではないが、そんな私から見ても、ご父兄の相談を聞くにつけ、塾生の相談を聞くにつけ、ここ4分の1世紀の間に、教員の質というより道徳的モラルが欠けてきたことは否定できない事実である。
もちろん塾教師の中にも、とんでもない輩が多くひそんでいる。しかしうわさなり、事実なりが発覚すれば、我々の業界では生きていけない。経営者であれば即廃業であるし、講師ならば即刻首である。つまり問題児は、塾業界から有無を言わさず淘汰されると言うことだ。そうやってこの業界は、ある種生き残ってきたと言っても過言ではない。
一方教員の方々は、なかなか自浄作用が働かないのが実情ではないだろうか。一発解雇処分になるのは酔っ払い運転ぐらいで、厄介な先生に対しては転勤という奥の手が用意されている。
前のブログでも言わせてもらったが、職業の選択の自由が憲法で保障されているこの国に置いて、職業におけるペナルティーの重さも公私問わず平等でなければならないと考えるが、どうだろうか。一生懸命頑張っておられる先生方が多くいる。自分の家族を犠牲にし、時に自分の命までも顧みず、教育に情熱をかけている学校の先生をたくさん見てきた。
しかしそういった先生方が評価されがたい背景には、人間的欠陥のあるごく一部の教師が、更生されることもなく、排除されることもなく野放しにされ、多くの良識のある先生の足を引っぱっていることが原因の一つではなかろうか。教育現場に、自浄作用と先生間の助け合いの気持ちがとても必要だと私は感じている。
私は教師はアーチストだと思う。生徒の心に届く言葉を発し、生徒の心に届く教えを発するそういった芸術家だと思う。それは子どもの時から多くの先生を見てきて思う心からの感想であり、そして私の目指す教師像でもある。
追伸
毎年入塾してくる生徒達に、どんな先生が理想かなと尋ねると、一番多い回答は怖くてやさしい先生ということらしい。つまり怒るときはしっかり怒ってくれて、よいときは褒めてくれるそんな先生が好かれているのだと思う。
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コメント
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こんばんは、この記事と先生の塾の記事を興味深く拝
見させていただきました。
良い先生も実はたくさんいるのですが、そういう先生
が一部の飛んでもない先生のために評価されないのも
悲しいことだと思います。
今の教員の基本は横並びです。
やはりよい塾と悪い塾があるように、先生の中にも良
い先生、悪い先生があって、それをしっかり評価した
方が良いように思えます。
そういうことをしていないから、教師自体も弱くなっ
ているようにも思います。
今の教育、特に学校教育はこのままでは行き止まりを
迎えてしまうと思うます。
(かねごん)
とよ爺先生コメントありがとうございます。
公教育で頑張っているすばらしい先生をもっと評価することで、ご父兄や生徒の信頼も違ってくると思います。先生も述べておられるように、横並びの教育と言うものは一見平等のように見えて実はとても不平等なシステムなのだと思います。
投稿: とよ爺 | 2008年5月18日 (日) 23時23分