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2008年4月 4日 (金)

老人に思いやりのない国家に子どもの教育を論じる資格はない

 前々回、父の思い出をブログに書かせていただいた。アクセス解析を今日見たところ、今まで書いてきたブログの中で、1人あたりの滞在時間がダントツトップであった。

 塾ブログにもかかわらず、受験の話題や教育論よりもはるかに皆さんが熱心に読まれたことに、実は正直ホッとしている。皆さんそれぞれが、父親に対する想いというものをお持ちなのだなと実感した。

 またつたない私の文章に、先輩ブロカーであるとよ爺先生より、感動したとのコメントまでいただき、まことに恐縮である。皆様にスルーされることなく、読んでいただいたことに感謝申し上げたい。

 実は父の思い出のブログを書く前、近郷のおじいさんや、おばあさん方を引率し、納税組合長の仕事の一環として、奧羽山系の麓にある温泉に宿泊しに行っていた。そこで私と顔を合わせた方々が、私の父の思い出を私にして下さり胸が熱くなった。思えば皆さんは私の父親の世代である。帰りのバスの中で、父の思い出をしたためた。

 その父親の思い出を書いた日、老人の保険医療改革がスタートした。新聞やテレビの報道だけの知識しか私は持ち合わせていないが、老人の切り捨て時代がやって来たと感じたのは、私だけではないだろうと思う。

 今まで、家族のため、しいては国の財政を支え、働き続けてきた老人の方々の医療を軽視する政治のあり方に、怒りを通りこし虚無感さえ覚える。

 介護保険の問題もしかり。今回の医療改革もしかり。表現は悪いが、日本という国が、官僚や役人を肥え太らす、旧ロシア帝国的社会主義国家になったのではないかと錯覚するような政治状況である。

 役人の天下り、そして国民年金の流用問題から端を発し、銀行や第3セクターに湯水のように注ぎ込んだ損失分を、老人の切り捨てによって埋め合わせをしようとする、帳尻の合わせ方にやるせなさを覚える。

 70歳を過ぎた私の母も、癌を患って以来、2ヶ月に一度は病院に行き検査を受けている。その検査の回数が、今後半分以下に減らされる。年収300万円時代と言われる現在、国会議員や地方役人の給料を見直すこともなく、粗悪な改革を続ける日本の政府に対して、我々国民が耐えるのももう限界なのではないだろうか。

 子どものゆとり教育を見直そう、英語を小学校に導入すべしなどと、老人に思いやりのない国家に、もはや子どもの教育を論じる資格などないと私は思う。

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コメント

こんばんは、全く仰るとおりだと思います。
老人の方は人間の歴史そのものです。
歴史を大事にしない国には文化は育ちません。
文化の育たない国には本当の平和は訪れません。

最近、人々はご老人を軽視しているように思えます。
もし日本が文化国家と言うのなら、本当に恥ずかしいことです。

(かねごん)
私の田舎では、一人暮らしの老人が多くいます。息子夫婦に迷惑をかけたくないと、ひっそりと暮らしています。本当の心情を察すると胸が痛みます。
かつて大家族で暮らしていた頃の田舎では、こども達も輝いていたように思います。老人を大切にする当たり前のことが久しくなり、こども達の心の中から優しさが遠のいていったように思います。

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