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2008年4月 5日 (土)

英語がなぜ入試から無くならないのか

 英語ができないゆえに、どれだけの高校生が大学進学をあきらめているだろうか。仮定法や分詞構文、関係副詞に強調構文・・・etc。それに中学校の基礎英単語1500語に加えて、大学受験ではプラス3000語が必要とされる。

 例えばアメリカの高校生がドイツ語ができないからと言って、大学進学をあきらめるだろうか。国際化という幻想に惑わされ、知らない間にアジアの国々が、言語統制の体制下に組み込まれてしまっているような気がする。

 世界に誇れたものつくりの技術や伝統が、外国語習得というエネルギーに吸い取られ、大切な個々人の能力が失われていっているように思う。

 中学校で3年、高校で3年、多くの時間が英語教育に費やされる。高校3年生に、自分の紹介を英語でやらせてみるといい、名前と好きなことを言って、後は沈黙がやって来る。巨額の教育費と、巨額の人件費をかけてきた結果がこれである。

 日本人はそろそろ英語教育の功罪に気づくべきだ。ある英語教師が言っていた。毎年中学生にアルファベットやbe動詞、三人称単数のSの付け方を教えることに何の意味があるのかと。

 意味がある、それは英語が入試科目だからだ。そしてそのおかげで、多くの人達がそれを飯の種としている。もちろん私もそうだ。 入試から英語が無くなれば、きっと100万人以上の人が職を失うだろう。したがって入試から英語は無くならない。それが現実だ。

 大学の英語講座では、日本語の敬語も謙譲語も分からない学生に、シェイクスピアの古典英語を教えている大学がある。笑ってしまう。

 いつも私が主張してきたことだが、英語は体育や音楽のように実技科目にするべきである。そうすることで多くの教育の矛盾点が改善されるのではないだろうか。体育や音楽そして美術が、実技教科だからと言って、ないがしろにされているだろうか。

 音大や、美大の倍率を見れば一目瞭然である。英語を話せるこも、ピアノが弾けることも、体操の吊り輪ができることもそれぞれの優れた技術である。芸術ではあるが、必修にするべき学問ではないと思う。

 今年も新一年生が入ってきて、I  am  a  student. が始まる。私は生徒です。見れば分かるだろう。そんなギャグを言いつつ、英語が続いていく・・・・・。

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