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2008年3月 6日 (木)

脚本家 佐々木守さんの思い出

 『アルプスの少女ハイジ』 『コメットさん』 『巨人の星』 『ウルトラマンセブン』 『木枯し紋次郎』、アニメやドラマ、そしてバラエティー番組まで、数多くの素晴らしい脚本を手がけ、テレビ界で異彩を放ち続けた脚本家佐々木守さんが、2006年2月24日69歳で他界された。

 最近テレビ等で拝見しないなと思いつつ気にかけていたが、昨日ウエブサイトで彼の死去を知り驚いている。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

 実は昨日のブログで書いた塾教師ディビューの年(25年前であるが・・・)、私の担当するクラスに佐々木守さんのお嬢さんがいた。彼女が小5~小6の期間、社会科の授業を担当させて頂いた。現在37歳ぐらいになっておられるだろうか、きっと素敵なお母さんになっていることと思う。

 世田谷の千歳烏山というところの教室であったが、おそらく佐々木さんの当時の住まいがお近くだったのであろう、夏期講習や春期講習などの時に、着流しの着物に下駄履き姿で、娘さんの弁当を届けに何度か教室にいらっしゃったことがある。当時40代の半ばだったと思うが、いなせな雰囲気の方であった。

 佐々木さんの奥様とは、娘さんの進路のことで何度かお話しをしたことがあるが、お元気でいらっしゃるだろうか。たまたま佐々木守さんの娘さんの同じクラスに、米倉斎加年さんの甥御さんもいて、岩手から出てきた田舎教師である私は、ただただ驚くばかりであった。さすが花の都東京、いろんな意味で塾生のレベルが違うものだと感心したものである。

佐々木守さんの娘さんは、南沙織似の健康的なお嬢さんで、背が高い少女だった。「先生、昨日はおうちにふみねえさんが遊びに来て、いろんなお話しをしてくれたよ」 「ふみねえさんて誰だい」と私、「壇ふみさん、よくうちに遊びに来るんだ」こんな話をよく彼女から聞かされた。

 お父さんである佐々木さんは、娘さんをことのほかかわいがっておられた。彼女も最愛のお父さんを亡くされさぞ悲しみも深かっただろうと思う。

 佐々木守さんの脚本作品では、なんといっても『巨人の星』である。私が小学校の時、星飛馬の大リーグボール3号に、どれほど魅了されたことか。お母さん方の世代では、「アルプスの少女ハイジ』が懐かしいのではないだろうか。

 当時の塾の校長先生や、同僚の先生方とはいまだに親交があり、25年間年賀状のやり取りも続いている。千歳烏山にはあれ以来足を運んでいないが、懐かしい。

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