『神の選択』
我が家では今週に入って、ふきのとうの天ぷらを食べた。息子と犬の散歩をしながら、ようやく顔を出し始めたふきのとうを採り、春の息吹をおいしくいただいた。ちなみに私の地元では、ふきのとうを「ばっけ」と呼ぶ。
近くの土手に福寿草の可憐な花が咲き乱れていた。ちょっといただいてきて、玄関先に植え替えた。本当に春はいいなーと思う。庭の池にもメダカが群れをなし、顔をのぞかせている。
今年度の受験生を全て送り出した私は、合格発表までひとときの休息である。後は3月17日までに税務署に確定申告を提出することが、合格発表前の私の大きな仕事である。そして18日を迎える。
合格発表の日、歓喜のざわめきの中、私の視線はうつむく生徒や、目をこすりながら足早に去っていく親御さんの姿にいってしまう。何年経験しても、あのせつない会場の空気感には慣れそうもない。
私もあの合格発表という奴には、ずいぶん痛い目にあっている。かつては掲示板に名前が書かれた。新聞にも名前が掲載された。とどめはラジオで合格者の名前が読み上げられた。個人のプライバシーなど微塵も無かった。容赦なき時代だった。
中学校の担任の先生方は、不合格の生徒の家庭訪問をする。塾の先生方も多くがやるようだ。私の塾はやらない。無責任に聞こえるかもしれないが、そっとしておくのも愛情だと考える。何日かして生徒の方から塾に顔をだす生徒もいる。発表の後すぐ「落ちたよ先生」と言ってやってくる者もいる。そんなときは私の方がどぎまぎしてしまい、かけてやる言葉に詰まってしまう。
塾を長くやってきて、塾生全員が志望校に合格した年が一度だけあった。その時はカラオケやさんを貸し切って、卒業生とどんちゃん騒ぎをした。それ以後残念ながら一度もない。悔しいがそれが現実である。
毎年志望校全員合格を旗印に、生徒も先生も頑張ることに、ウソ偽りは無い。しかし、「え!あの子が」という驚きの衝撃が時としてある。内申点も模擬試験の成績もなんら問題なく、一生懸命頑張った生徒が・・・・・。
私はこれを『神の選択』と呼んでいる。何か大切なことを彼、彼女に伝えたいことがあって、あえて試練が与えられるのだと考えている。そうとでも思わなければ、あまりに人生は無常である。
ある年には、回答欄を一個ずらしてしまい涙を呑んだ生徒がいる。受験の前日に熱が出て、体調不良のため力を出し切れなかった生徒がいた。入試の直前に家族の方が亡くなり、大変だった塾生もいた。
合格出来なかった生徒にとっては、これからやって来る華やぎの季節が、逆に残酷かもしれない。しかし、必ず本当の春がやって来る。ちょっとだけ冬が長いおかげで、春の到来の準備は万端に出来るはずだ。
誰の人生にも、季節が巡ってくる。最高潮の夏だけでは必ず疲れるもの。冬の優しさも、春の暖かさも・・・人生には必要なのだと思う。
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かねごん様
私のことを記事にしていただき恐縮です。照れくさい限りですが、とても光栄に思いました。人に誉められるって、子どもたちもそうですが、大人(いい年こいてますが、自分^^)も嬉しいもんなんですよね。
昨日21日、無事?富山大学を卒業しました。
ご報告を兼ねてまずは御礼まで。
これからもよろしくお願い申し上げます。
今後ますますのご活躍を!
投稿: 奥村@富山 | 2008年3月22日 (土) 20時47分
奥村先生大学ご卒業おめでとうございます。勉学の情熱を失わない若々しさに、本当に脱帽です。次回お会いできましたなら、ぜひ教育のお話しや、文学のお話しなどおいしいお酒など飲みながら伺いたいと思っています。よろしくお願いします。
投稿: かねごん | 2008年3月22日 (土) 23時39分