『ぼくたちが愛のために戦ったということ』
大学の学園祭のライブを終えた日、私は彼女から一冊の本をもらった。東由多加 著『ぼくたちが愛のために戦ったということ』。
東由多加、彼は劇団‘東京キッドブラザース’の主宰者であり、演出家であった。彼が亡くなり7年が過ぎた。1980年代キッドは俳優柴田恭平、坪田直子を有し、ミュージカルの黄金期を迎えていた。
東京原宿にあった‘東京キッドブラザーズ’のワークショップは、連日若者達であふれていた。音楽は小椋 佳が担当していた。彼女はその‘キッド’の劇団研究生だった。
演出家の東さんとは、そのワークショップで2度ほどあったことがあり、軽く会釈を交わしたのを覚えている。彼女は私のことを、ボーイフレンドか彼氏とか紹介してくれたような気もするがあまりよく覚えていない。
彼女が劇団を辞した後、『家族シネマ』で第116回茶川賞を受賞した柳 美里が劇団研究生として入って来ることになるのだが、残念ながら柳さんとの面識は彼女も私もない。
就職活動もしないまま、音楽に明け暮れていた私を彼女はどう見ていたのか知らないが、彼女もまた彼女なりに夢を追い求めていた。原宿の竹下通りから明治神宮外苑側に回ると、代々木公園に出る。
どこからともなく多くの若者達が集まり、笑い、歌い、踊り、そして去って行った。カセットデッキを片手にたむろする同年代の若者達が、私には別の世界からやって来る異邦人のように思えた。竹の子族から長い変遷を経て、ストリートミュージシャンへと時代は過ぎていったが、いつの時代もこの街は若者達のエネルギーを放射し続ける。
そんな街を彼女とよく歩いたものだ。その彼女も、何がどうなってこうなったのか、現在私の家内となっている(・・笑い)。岩手にやってきて22年が過ぎた。
彼女は『風と虹の教室』を立ちあげ、親子で楽しむアート手作り教室を開催している。彼女の本棚には、演劇関係の本などは一冊もない。多くの絵本と児童書、そしてシュタイナー関係の教育書が累々と積み上げられている。
私の書斎(家族は物置と呼んでいる)には、『ぼくたちが愛のために戦ったということ』が27年たった今も鎮座している。私の日々は「ぼくたちが受験のために戦ったということを」というタイトルに変遷したが、ちょっと愛も欲しいなと思うこの頃である(・・・笑い)。
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