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2008年3月

2008年3月31日 (月)

父の思いで

 私は農家の長男として、藁葺き屋根が点在する丘陵地帯の、岩手の小さな田舎町に生まれた。私が小さい頃から父はずっと出稼ぎに出て、半年間は家にいなかった。

 父は5人兄弟の長男として、私が生まれた当時、小学生や中学生の妹や弟のめんどうも経済的に支えていた。私は一人っ子だったが、叔父や叔母達と兄弟のように育てられた。自分を自己分析すると、末っ子の持つ性格的特徴が実に多い。

 そんな父も私が29歳の時に、孫の顔を見るのを待っていたかのようにして他界したが、苦労の多い人生だった。交通事故に遭い、そして癌を患い、30代半ばからの父の人生は、いばらの道であった。

 父が働けなかった時期、生活保護を受けた。小学校の頃、給食袋をもらわない私を、同級生が不思議がっていたのを覚えている。小学校6年の時、私は耕運機を運転して、忙しいときは田んぼ仕事を手伝っていた。もちろん小学生だったので無免許運転である。今でも鮮明に記憶している場面がある。

 小学校6年の5月の連休だった。小学校の前の道を私が耕運機で過ぎようとすると、校長先生が学校から降りてこられた。「かねごん君、大変だろうけれど頑張れな」 先生の目に涙が浮かんでいたのを、私は見逃さなかった。

 校長先生は、当時私が父親の代わりとして耕運機を運転することも、バイクに乗ることもとがめはしなかった。学校でも些細なことまでいつも気を配って頂いた。あの時校長先生の励ましにどれほど救われただろうか。眼鏡越しのやさしい笑顔が今でも私の心の中に焼き付いている。

 子どもの頃の父との思い出を一生懸命探すのだけれど、病に苦しんでる姿や、大学病院の病棟に続く長い廊下の記憶がいつもじゃまをしてしまう。しかし春のこの時期になると、いつも思い出す光景がある。

 田植え近くに、私は出稼ぎから帰ってくる父を田んぼのあぜ道に立って待っていた。5歳頃だったろうか。タクシーから降り立った父に「父ちゃん」と私が叫ぶと、父ははにかんだ笑いを見せて、おみやげ袋をかざしていた。

 そんな父も私が東京に出てからは、寂しかったのだろう、酒をあまり飲まなかった父が、毎晩飲むようになったことを後で知った。その酒が父の寿命を縮める結果となってしまったのだが、父の56年の人生を思うとき、父が家族と離れて過ごした出稼ぎの日々、どんな思いだったのだろうか、病に倒れたとき、どんな思いだったろうか、今父親である私は考えずにはいられない。

 祖父がそして父が、丹精込めて耕してきた田んぼは、私の代になって4分の3以上が休耕田になっている。こうやって塾をやっている息子を、天国の父はどんな思いで見ているのだろう。たまに夢に出てくる最近の父親は、いくぶんか安らいだ顔をしている。これでいいのかも知れない。

 父は晩年、よく美空ひばりの『川の流れのように』を聞いていた。同じ世代として、彼女の歌に自分の人生を重ね合わせていたのかも知れない。そして同じ頃、美空ひばりと共に天国に旅立って行った。

 亡くなる2週間前、私の長男である孫を抱いて嬉しそうにしている父の写真がある。私がしてやれた最後の親孝行だった。そして息子を生んでくれた妻に心から感謝している。

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2008年3月30日 (日)

家族の肖像

 息子が生まれて、物心ついた頃から日曜日の夜は、家族で『サザエさん』をずっと見てきた。日曜日の夕ご飯だけは、唯一家族と過ごせる時間だ。

 18年近く見てきたが、殺人や自殺や暴力がいっさいない、安らげるホームドラマ的テレビマンガである。個人的にはカツオくんのキャラが大好きだ。学校のテストはできなくとも、機転が利く生活IQの高さがいい。日本の社会で生き抜いていく大切な要素を彼は持っている。

またお父さんの波平もいい。日本の古き良き時代の頑固さを兼ね備え、そして何よりも人情味があっていい。私など知らず知らず波平のオヤジキャラに影響を受けてきたふしがある。(家族には髪型まで似てきたと日々いじめられているが・・・・)

 父親たる者「バカもーん」と、きれるべき時はきれた方がいい。友達感覚の親子関係より、サザエさん的親子関係の方がなぜか安心する。父親はこわい存在、そしてそれをカバーするのが母親の役割、私はそう思っている。子どもを理解してあげるのと、迎合するのは似て非なるものである。

 塾でも同じである。こわくて優しい先生が、指導上求められる先生である。人間として言ってはいけないことに対しては、私は恐怖の塾教師に変貌する。長年いる塾生は、どこまでふざければ私がきれるかを察しして、友達をあわてて止めたりしている。けなげである。

 人を見下す発言や、悪意のある言動に対しては徹底して叱る。人に不快を与える言葉は、必ず自分に返ってくるものだからだ。

 カツオキャラの子どもが、ずいぶん減ってきた。一方出しゃばらず、おしとやかで内向的なタイプが増えてきた。良くいえばスマート。悪く言えば、利己的jで自己中心的なこども達である。ゆえに他人に干渉もしなければ、関心もあまり示さない。

 サザエさんの家には、パソコンも携帯もない、テレビゲームもない。こども達は元気に公園で遊んでいる。時代設定はいつ頃だろう。1960年代後半だろうか。

 ノスタルジックに昔をなつかしがってもしょうがないけれど、あの時代は日本人が輝いていた。貧しくても、思う存分夢を見ることができた時代だった。あの頃の家族の絆を取り戻せるなら、きっと子どもを取り巻く悲しい事件はなくなって行く。

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失礼しました

 地域の納税組合長を仰せつかっていまして、近隣のおじいさんおばあさん方を引率し、温泉に行っておりました。ゆえに塾もお休みとさせて頂きました。

 とても疲れました。今帰ってきてメールやコメントを見ております。返答が遅れて申し訳ありません。携帯も届かない山の温泉でしたので・・・・・。

 今日はお昼を食べ、農業用のハウス作りを家族総出でやります。したがってブログもこれで失礼します。

2008年3月28日 (金)

初恋

 愛称ヒロちゃん、塾の同僚が28歳の若さで他界した。今度の3月31日で、20回目の命日がやって来る。前日まで一緒に働いていた彼の突然の死は、悲しみ以外のなにものでもなかった。

 私と同い年で、私と同じように農家の長男として生まれた。東京で大学生活を送り、郷里に戻り塾の先生をやっていた。私と同じ境遇で、同い年、なんど一緒に酒を飲み交わしただろう。私の家にも何度か泊まり込みで来て、飲み明かした。

 命日には何度かお墓に花を手向けに行った。途中ヒロちゃんの家の前を通るのだが、跡継ぎを失った彼の家はひっそりと佇み、空虚感が時間を止めたまま、春の日差しだけがただまぶしかった。

 4年弱のつき合いだったが、同い年のよしみでいろんな話をした。そんな中で忘れられない会話がある。地元の東北自動車道のインターでの休憩場だった。

 「高速道路をこうやって東京に向かう自動車の流れを見ていると、なんか切なくなるんだよね。いいな、みんな東京に向かっているんだと思うとさ、田舎にいる自分がなんか寂しくなるんだよ。」ヒロちゃんはこんなことを話してくれた。彼は続けた。

 「高校の時さ、東京の大学に行きたくて、一生懸命勉強した。東京に行けば、自分が大きくなれるんじゃないかと思ってさ。でもなんか違っていたんだよな・・・」

 ヒロちゃんは、少し体に不自由な所があった。自分の目指した夢と、現実のギャップを私に話したかったんだと思う。当時25歳だった私も、いろんな思いを抱えて揺れ動いていた。高速道路を使って東京に向かうたびに、ヒロちゃんの言葉を思い出す。

 ヒロちゃん先生は、心優しい生徒思いの先生だった。私が結婚した時、「いいな~、いいな~」と言っていた彼の笑顔が今でも忘れられない。

 若くして天国に旅立った友は、夢に出てくるときは若いまんまの姿だ。生きている者だけが年を取って行く。ヒロちゃんが生きていたら、今の私の仕事を見て何て言うだろうか。するどい指摘をしてくるんだろうな、彼特有のやわらかい言い回しで。

 昨日塾に行く途中、カーラジオから『初恋』が流れてきた。懐かしかった。カラオケに行くとヒロちゃん先生がいつも歌っていた曲だ。

  好きだよと言えずに初恋は~   一緒に乗っていた今度中1になる末の子が、歌を口ずさんでいる。「何で知っているんだ」 「だってCMで流れてたよ」

 20年の時を経て、名曲は歌い継がれていく。ヒロちゃんの初恋はどんな恋だったんだろう・・・・・・。

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2008年3月26日 (水)

受験指導を終えて

 今日は当セミナーの『風と虹の教室』のオープンディが、一関文化センター内で開催された。2歳~8歳までのこども達の作品の展示会をやった。地元の新聞社やテレビ局もきていただき、盛況のうちに終えることが出来た。お越しいただいた皆様に感謝申し上げる。

 さて本年度の大験セミナーの最終合格率が出た。塾生の志望校合格率は95%であった。全員合格を果たした高校は、一関高専、一関一高、一関工業などであったが、他の高校で数名合格が叶わなかった。私の指導の至らなさであり、今後反省する点も多い。

 大学受験に置いては、塾生全員が合格を果たし、4月から東京及び関東地区で大学生活を始める。

 嵐の前の静けさだろうか、来年度一関一高付属中学校を受験する小学生の入塾の動きがない。塾の選択に模索中なのだろうか、我が塾が敬遠されているのだろうか・・(・・動揺)。まあ、さんざん附属中学の設立には反対の立場をとってきた私ゆえ、いたしかたないが、少なくとも頑張るという児童には、しっかり指導する所存である。

 しかし、何度も繰り返してきたが、俗に言う英才教育はやるつもりはない。あくまでも学校教育に準じた基礎学力の徹底と、思考能力の確立を目指す指導である。

 20年近くの塾の歴史の中でも、東大に入った卒業生は1名のみ、バリバリの進学塾などというものではなく、市内の高専や、一高、二高を目指す中学生の塾である。そのあたりをご理解頂きたい。

 また高校生部門の指導に置いては、大学受験英語と英検そして論文の指導をしている。このブログを読んで頂いて、なんだこんな文章しか書けないのかと言われれば、何とも返す言葉がないのだけれど、何とか19年連続で大学受験の論文試験においては、塾生を一次で敗退させずにやってきた。

 一関二高の100年近くの歴史の中で、初めて早稲田大学に合格した生徒が、我が塾で論文指導を受けていたことを、厚かましいと思われるのを覚悟で自慢しておく。あまり控えめでも生徒が来ないので、ちょっと宣伝をしておく(・・笑い)。

 論文の力は2ヶ月や3ヶ月でどうなるものでもないと言われるが、それを何とかするのが塾のお役目である。自分が日頃心の中にわだかまっているものを、文章にして吐き出す。私はいつもそこからスタートさせる。文書の練習と共に精神も浄化されていく。すると相手の話を聞く耳を持てるようになり、作文もうまくなっていく。

 心にないものは文章にも出来ない。昨日の私みたいに・・・・・・・。

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2008年3月25日 (火)

ブログされどブログ

 何も浮かばない日がある。花粉症のせいでもない、塾生が卒業していって寂しいからでもない、ただ書けないだけだ。

 今日がその日だ。

 自分の書いた文章を読んでくれている不特定多数の人がいる。塾生がいる。保護者の方がいる。塾の先生がいる。友人がいる。

 毎日ブログを書くことで、自分が何を考えて何を目指しているのか、何となく最近分かってきたような気がする。無意識の思考とでも言うのだろうか、自分の中に隠されていた嗜好が、文章を書くことで表出してくる。

 塾教師。よく考えてみると不思議な職業だ。このブログで私はいったい塾教師としての何を書きたかったのだろう。そんなことを考えたりする。塾の宣伝をしたいのか。それもある。自己主張をしたいのか。それもある。自分の足跡を残したいのかも知れない。そうかも知れない。

 毎日毎日多くの人達がブログを書いている。一日に100人以上の人に読まれるブログがある。3人ぐらいしか読まないブログもある。泣けるブログがある。感動する話がある。いい加減にしろよというブログもあったりする。

 ブログは私にとって自分との対話だ。嬉しいとき、悲しいとき、退屈なとき、疲れたとき、文章を打つことで自分と会話する。

 塾教師。孤独な職業だと思う。でもブログを書くようになりその孤独感が無くなってきた。過去との対話があったり、故人との対話があったり、ブログは不思議な力がある。

 明日になったらまた書きたいテーマが出てくるかも知れない。今日はこんな感じで終わってしまうが、かんべんいただきたい。

 追伸

 下書き原稿を10枚ほど書いてみたが、まとまらなかった。こんな日もあるんだなーと、作家さんが書けない気持ちがちょっとわかったような気がする・・・・・。大げさか・・・。

 

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2008年3月24日 (月)

シンクロシティ

 「神は鉱物の中で眠り、植物の中で目覚め、動物の中で歩き回り、人間の中で思考する」 インドの聖典でである、『ウパニシャド』の哲学書の中に書かれているフレーズである。

 人間が地球上に現れた最後のランナーであるのかどうかは断定は出来ないが、人間が求める神の存在的概念を言い当てた含蓄のある言葉ではないかと思う。受験指導の日々からちょっと一息出来るこの時期、本がいっぱい読める季節、さまざまな言葉に出逢う。

今日は少しスピリチャルな話をしたいと思う。私の人生にはよくシンクロシティが起こる。世の中で言うところの偶然の一致というやつである。何度かこのブログでも述べてきたが、世の中の全ての出来事は必然と考えるのが私の持論だ。

自分のまわりに起こる出来事や現象は、自分の思考や言葉そして行動が引き寄せるものだと思っている。したがって運命を好転させる最大の努力は、思考や日常の言葉、行動を変えることにある。

 受験指導以外で、ご父兄や卒業生から人生相談を受けることがある。いつも私がアドバイスすることの一つに、困ったことを解決したいなら、自分がやっていることで、やめた方がいいなと思うことを一つで良いからやめてみましょう。こんな話をさせていただく。

 タバコをやめた方もいる。夫の悪口を子どもの前で言わないことを誓った方もいる。パチンコをやめた方も。そしてそれぞれの方がなにがしかの解決の糸口を見いだしていかれた。単純なことが以外と難しいのが人生なのかも知れない。

 シンクロシティの話に戻ろう。私が19年前に今の塾を開講した時に、それが現れた。私の塾は当初、大学受験の英語専門塾として産声をあげた。開校時集まった高校生は12名。なんとその中に私と同じ誕生日の生徒が二人もいたのである。確率的には天文学的数字になる。

 当時29歳だった私は、この偶然に「この塾は生きていける」という確信めいたものを感じた。私の人生において、何か大きな決断や行動を起こしたとき、同じ誕生日の人が関わってくることがあったが、そんなときは物事が順調に進む。いわば私の良い意味でのジンクスである。

 どんな業種でもそうだと思うが、経済的にも精神的にも、もうダメだもうやめようという時が必ずあるものだ。私も例外ではない。25年の塾教師生活の中で、何度かもう塾をやめようかと思ったことがある。不思議なもので、そういう日に限って教え子から電話がかかってきたり、手紙をもらったりする。

 「先生、なんだか急に電話したくなって、僕みたいなできの悪い生徒のためにも先生塾頑張って下さいね」などど言われ、電話口で思わず涙を流してしまったこともある。あ~やめちゃいけないんだ。きっと神様が生徒になって電話をくれたんだな・・・そんなことを感じた。

 もう一つ、9年前のことであるが、講師募集をしたところ、前任者の先生と同姓同名の方が応募してきたことがあった。・・・重なる偶然の嵐に、驚きと一方では何が起こるんだろうという期待感に、わくわくのかねごんなのである。

・・・・・・このブログの下書き原稿を書き終わり、今日とよ爺先生は何を書いたんだろうと、ブログにおじゃましたところ、シンクロシティの話を書いておられた。・・・絶句、まさにシンクロシティ。

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2008年3月23日 (日)

北の大地

 凍てつく北風が吹き抜けた冬もようやく終わり、暖かい日差しが北の大地をつつみ始めた。奥羽山脈を源流とし、東北の穀倉地帯を潤し続けてきた北上川も、この季節雪解け水を集め、大らかな雄大な流れを呈している。

 多くの文学者や詩人を育んだ岩手の風土。この冬から春への季節の移り変わりを眺めていただけでも、風景が言葉を生み、風が詩を誘う。

 原風景という言葉があるが、その土地土地に流れ込む歴史観や、人間性、そして風景までもがそこに生まれ育ったものに、はかりしれない影響を与えていく。

 今年も多くの若者達がこの故郷を離れ、東京に旅立っていく。大学生活や社会人としての一歩が、異郷の都会で始まる。多くの若人が夢と希望を抱き旅立っていくこの季節、私はいつも思い出すことがある。

 私が小さかった昭和30年代、中学を終えたばかりの少年や少女達が、集団就職で東京に出て行った。近隣の家でも多くがそうであった。

 出発の日、目を真っ赤にした学生服姿のお兄さんやお姉さん達を、わけも分からず見送ったのを覚えている。今思えば、かばん一つ持たされ、わずか15歳で親元を離れて東京に向かう思い、そしてそれを涙を呑んで送り出す両親の思いは、いかほどであったろうか。

 彼らの望郷の思いが、都会で生き抜く力となり、奇跡と言われた日本の高度経済成長を支える柱となったのだと確信している。

 都会の喧噪に疲れたとき、私も若い頃そんなことがあったが、ふと故郷に帰り、小さい頃から親しんだ山や川の風景を眺めたいと思ったものだ。

 夢を追い求めて東京に出てきた若者、その若者達がネットカフェ難民になっている姿は痛々しい。

 北の大地に春が来ると同時に、都会に旅立つ青年達。その群像に幸多からんことを願わずにはいられない。

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2008年3月22日 (土)

『風と虹の教室』オープンディ

 当セミナーには、2歳を過ぎたばかりの可愛い幼児から、大学受験生までさまざまな年齢層のこども達が在籍している。特に『風と虹の教室』に通ってきている2歳~4歳児の、お母さんと一緒のアート手作り教室は、とても可愛らしく、見ていても楽しそうだ。

 大験セミナーの受験指導とは一見何の関係もなさそうなこのコース、でも私としては直接指導はしないものの、心情的には一番力を注ぎたいコースである。

 共働きのご家庭が普通になり、核家族化が進んだ結果、多くのお子さんが保育施設に預けられている。そしてこういった状況は、増え続けることはあっても、減ることはない。経済的理由や、仕事上の都合で致し方ないことなのかもしれない。

 三つ子の魂百までもという至言が示す通り、3歳~4歳までの家庭教育は、子供の将来を決定づける多くの要素を持つものである。小中学校の学級崩壊が現れ始める15年前、私は我が塾の講師の先生方を前にして、将来の教育現場の危機を訴えたが、まさに私の危惧したことが、近年現実となって現れている。

 幼児期の愛情の不足が、こども達の精神的発達を損ねていると、私は何度も言い続けてきた。保育士や幼稚園の先生がたとえ優れていても、決して親の代わりにはなれない。反論もあろうかと思うが、少なくとも3歳まではお母さんがお子さんを見て欲しい。切実な願いである。

 赤ちゃんをただ眠らせておくのと、お母さんが時々眠っている赤ちゃんを見てあげるだけでも、感性や精神性に大きな違いが生じると言われている。愛情は見えないエネルギーとなって子どもに降り注ぐ。

 幼児教育において、お母さん方の育児ストレスを緩和する育児サークルも必要であるし、お母さん方が自分の子どもと一緒に楽しめる、いわば『親子塾』があっても良いのではないか、そんな発想で始まったのが『風と虹の教室』である。

 代表のあきこ女史がいつも私に言うことであるが、こども達の無垢な魂をいかに成長させるかが幼児教育の第一課題であると思う。その手段として、シュタイナーの人智学が遊びや小さな手作りアートの楽しさを作るきっかけとなっている。

 3月26日水曜日、一関文化センター内一関公民館4Fで、『風と虹の教室』のオープンディとして、お母さんとこども達の作品展示会を開催します。親子体験コーナーもございます。気軽にお立ち寄り下さい。詳しくはこのブログにリンクしています「風と虹の教室を」クリックしてください。

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2008年3月21日 (金)

古本屋の哀愁をもう一度

 どんなに忙しくとも、一週間に一度は古本屋に足を運ぶ。市内でも多くの古本屋さんが、ここ10年間で廃業していった。フランチャイズの古書量販店が進出してきた結果である。

 我々塾業界と非常に似た市場原理が、古本屋さんの業界にも現れている。かつてはどこの町にも、人情味あふれる古本屋の爺がいた。「若いのにこの本を読むなんて今時の高校生にしちゃ珍しい、本代に困ったら本を持っておいで買い取ってあげるよ」なんていうオヤジがいたものだ。

 私には収集癖とでも言うべき習癖があって、学生の頃から、読んだ本を手元に置いておかないと何か落ち着かない感情に支配され、2度と読みもしないだろう本までも自分の本棚に並べていた。

 したがって、図書館で借りて読んだ本が古本屋にたまたま置いてあると、思わず買ってしまうという日常が続き、いつの間にかバイト代や小遣いは本代に消えていった。

 その残骸が今も私の書斎(物置)堆積されている。家内には処分すればと言われるが、青春の思い出と同じで、なかなか捨て去ることができない。最近でも、おもしろそうだなと思い買ってきたところ、もう既に自分の書斎にその本が鎮座していたという珍事もしばしば起きている。増え続ける本を眺めつつ、どうしたものかと決断出来ない本好きオヤジである。

 さて古本屋の話に戻ろう。最近の古本屋は明るい。若い店員が「いらっしゃいませ」と元気もいい。広い店内には、売れ筋を中心にいろんなジャンルの本が豊富である。しかし古き良き時代の古本屋の時代を経てきた私には、多少の違和感もある。

 これが100円という驚きも多々あるのだが、この本が100円はないだろうという感情も時として湧いてくる。

 いい本との出逢いは、金銭的にもちょっと痛みがともなった方がいいと思うのが、私の勝手な持論だ。大切な小遣いで買った本を、最初はハズレかなと思いつつも、せっかくこれだけのお金を出したのだから、もうちょっと読んでみようなどと思うのである。

 時として、そんな本に限って強烈な衝撃を浴びることがあった。そんな本の中に、今も尚、人生の指針として私を支えてくれている本がある。

 本のことばかりではなく、いろんな話をしてくれた古本屋のオヤジが懐かしい。今の若者にそんな場所はあるんだろうか。本離れの学生をみて、そんなことをふと考えるかねごんであった。

 

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2008年3月20日 (木)

教師魂を見た

 昨年私立高校で非常勤講師として、少しの間であったが教鞭を執らせていただいた。県立高校を退職された先生方が、ものすごい情熱を持って生徒達を叱咤激励し指導されている姿に思わず唸ってしまった。

 中には校長先生を歴任された先生や、教育界では著名だった先生方が時給いくらという世界で、惜しげもなくそれこそ汗水流して働いていらっしゃる。失礼だが、それなりの退職金をもらい、生活に困らない老後のはずであるが、命がけのその情熱あふれる指導に、老人力ならぬ教師魂を見た思いがする。

 眼光鋭い眼差しは、70歳も近いとは思えないエネルギーの固まりである。50手前の私などは、彼らから見たらまだまだひよっこである。そんな先生方との何気ない会話から、実に多くのことを学なばさせて頂いた。

「塾の先生はいいですな、いろんな教科を教えられて」 そんな話題も上った。40年近く一つの教科を教え続けてきたその密度を考えると、小中学生に全教科を教えている自分が、何か薄っぺらに思えてきて、大先輩を前にして恥じ入ったりもした。

 私が塾で疑問に思っていたことなどを、良いチャンスとばかりに、先輩諸氏に尋ねるのだが、実に丁寧に意見を述べられ解説して頂いた。ほぼ私の父親世代であるが、学問に対する感性と柔軟性は、年齢のギャップを感じない若々しさを持っており、畏れ入ってしまう。

 「塾の先生は定年が無くて羨ましいですな」 これも学校の先生からよく言われるフレーズである。よ~く考えると、退職金もない我々自営業者は、死ぬまで働かなければならないと言うことであり、複雑な気持ちである。

 かつて息子の通っている小学校の校長先生が退職間際に、「かねごんさん、先生のところで私を使ってくれないかな」 と冗談とも本気とも取れない話を私にされてきたが、昨今確かに60歳の定年は、隠居する年ではないようだ。

 長寿国日本において、70歳までは仕事がしたいし、しなければと思っている人が多い。しかし引退してもらわないと、次の世代が大変なのも世の常である。自分たちの知の財産が、若い世代に引き継がれ、隠居をしたいのだけれど、若い世代の不甲斐なさにやきもきしているご老体も多いにちがいない。

 人は年齢でははかれない多くの価値を所有している。私も多くのことを、まだまだ先輩諸氏に学ばねばと思うこの頃である。

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2008年3月19日 (水)

別れの言葉

 縁あって等セミナーに集い、勉学に励んでくれた塾生の皆さん、本当によく頑張ってくれた、ありがとう。今、一人一人のがんばりをふり返りながらこのブログを書いている。

 雨の日も雪の日も休むことなく塾に通ってきてくれた皆さん、努力することの大切さを実感してもらえただろうか。継続する努力の先には必ず、実りの日々がやって来る。合格という実りもあるだろうが、悔しさという経験の糧もある。

 歓喜のざわめきの中、うつむいた君の思いは、きっと将来の大きな力になるはずだ。忘れないで欲しい。成功の陰には、多くの挫折や失敗が無数に横たわっていることを。だいじょうぶ。前進する勇気を失わない限り、夢は必ず結実する。

 私は君たちにぜひ知っていて欲しいことがある。それは、決して自分の価値を否定する言葉を自分に与えないということだ。言葉は大きなエネルギーを持っている。現実を創造すると言っても過言ではない。

 否定的な言葉を多用する人間は、夢の現実は難しい。なぜなら言葉に因って、努力にもブレーキがかかってしまうからだ。君たちはこれから青春のまっただ中に突入していく。他力本願にならず、君たちがぶつかる壁にチャレンジして欲しい。

 壁は君たちが乗り越えられるから、君達の前に現れるのだ。だから乗り越えられない壁はない。人生において困難に出逢ったとき、このことを思い出して欲しい。

 夢と希望が大きいほど、障害もまた確実にやって来る。それが当然なのだ。困ったなと思ったときこそ、大きなチャンスが近づいている。だから安心して困難にぶち当たってみることだ。扉は必ず開く。

追伸

 塾を卒業しても、悩み事はいつでもOKだ。気軽に立ち寄ってくれればいい。また、メールやコメントでもいい、遠慮無く、今まで通り私かねごんに連絡をくだされ。みんな元気で!

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2008年3月18日 (火)

塾生からのメッセージ パート2

               『私とかねごんと宇宙人』

 大験セミナーに入ったのは、秋頃だった。同級生から、先生や通っている生徒が個性的でおもしろいという話をきいた。
 私は、大験セミナーに入る前、違う塾に通っていたが、受講料が高く、担当の先生とも気が合わず、嫌になっていた。
 そんな時に同級生からこの話を聞いて、私は塾を変えることにした。同じ高校を目指している友達と一緒に大験セミナーに通うことにした。
 

 噂は本当であることを実感した。本来ならば、塾に通うのは「めんどくさい」と思うものだが、全然それがなかった。

 自分がやりたい教科ができ、先生がおもしろい。

自分にとって、とても居やすい場所となった。

 大きな節目(?)があった。 冬期講習である。私は午後コースを選択した。大験セミナーを受講している同じ学校の生徒も十人もいたのに、午後コースは私と友達の二人だけだった。  そのせいか、他の学校の人と友達になった。

 また、知り合いがたまたま大験セミナーに通っていたりした。 大験セミナーは出合いの場ともなった。

 先生が受験勉強の疲れをいやすべく、歌を歌ってくれた。  先生のオリジナルソングで、子供の頃の話を歌にしたものだった。
 また、頑張れるような気がした。

 受験の日がだんだん近づき、塾の雰囲気も変わって・・・   くることはなかった。

いつもと同じで、私はとてもリラックスすることができた。

 そして受験当日。   私は、大験セミナーでもらった五角(合格)えんぴつを手ににぎりしめ、会場へ向かった。   無事、おえることができた。

 そして明日は、合格発表の日である。 
 不安もあるが、大験セミナーで得たものを胸に、自信を持って行きたいと思う。

合格することが先生への一番の恩返しだと思う。  私は、塾を大験セミナーに変えて良かったと思った。

 ここは、自信と心のゆとりをあたえてくれる場所である。

こう思えるのは、塾に住みついている宇宙人の仕業なのだろうか・・・。By R・T

・かねごん

 またまた塾生よりブログに投稿してもらった。かねごん先生宇宙人説が全国に知りわたってしまう危険な文章であるが、検閲することなく未編集で公開した(・・・笑い)。R・Tさんはとてもピアノが上手で、中学生ながらジャズもこなす天才少女である。高校で自分の才能をさらに磨き、躍進して行って欲しい。

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2008年3月17日 (月)

僕たちがこの地球に生まれたわけ

 夜空に光り輝く星々を見つめていると、すいこまれそうな感覚におそわれる。一瞬の時の流れの中に、全てが凝縮されてしまいそうになる。

 今地球に届いている光りの点が、一億年も十億年も前の光りかも知れないと考えると、過去から未来永劫わたる時の狭間の一瞬の光りに、めまいを覚えそうだ。

 地球が誕生して60億年が過ぎようとしている。地球上に人類らしきものが誕生したのは、せいぜい100万年前。地球の60億年を1日24時間に加算すると、現在の我々の先祖であるクロマニヨン人が現れるのは、夜中11時59分30秒ぐらいだ。つまりわずか30秒間で、我々人類は石斧から宇宙に飛び出す技術を習得した。

 我々の人生は、宇宙の流れの中で一瞬のまたたきにも満たないものだ。その中で苦悩し、喜び、泣き、笑い、そして去っていく。

 文学や哲学や宗教が、我々人間とは何かを問い続けてきた。我々は何だろう・・・・。かつてダンテは『神曲』の中で、輪廻転生する魂の葛藤を描いた。シェークスピアは人間の心の中で渦巻く、激情と感性の揺らぎを芸術作品にした。

 私は残念ながら、哲学者でも文学者でもない。一介の塾教師である。がしかし、それなりの人生哲学は所持しているつもりだ。私は人生の目的は、学びだと考えている。学んだことを後生に伝えることで、人類は知恵を集積させわずか30秒の間に、石器時代からIT時代へと進化を遂げた。

 この地球に生まれ落ち、我々は愛を学び、人間であること学び、未来永劫その学びの連鎖が続いていく。そしていつの日にか、学びの究極である悟りに至るのかも知れない。

 因数分解を学ぶことも、酸化銅の化学式を覚えることも、関係代名詞を理解することも、人類の悟りのためだと思えば、学問の意義もかわってくるのではないだろうか。

 また新たに受験学年が始まる。学びは続いていく。

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2008年3月16日 (日)

SMILE

 ジャズの歌い手で私が一番好きなのは、ジュディー・ガーランドだ。哀愁をおびた若き日のジュディーは、ローマの休日のオードリ・ヘップバンに勝るとも劣らない魅力がある。

 けだるい少し鼻にかかったチャーミングな歌声は、小さい頃聞いた遠い国のおとぎ話のような安らぎと、心地よさを与えてくれる。オズの魔法使いの歌声はまさに適役である。

 ぽかぽかと暖かい春の日の午後、ジュディーの歌を聞いてしまったらやばい。いっきに体の力が抜け、魂が彷徨ってしまいそうだ。仕事に緊張感を持ち、モチベーションを高めなければならない日は聞けない。だから最近ようやく聞いている。

 彼女の歌声の中には、古き良き時代のアメリカのおおらかさがある。愛と自由を純粋に追い求めた頃のにおいがある。とてもいい。彼女の歌は、スローバラードが多いが、とても聞きやすい。学生の頃、ちょっと英語力に自信が無くなるとジュディーの歌を聴き、「なんだおれ、英語の歌がけっこう聞き取れるんじゃん」と、自己満足に浸った(・・・笑い)。

 ジャズ喫茶のオヤジに憧れた私としては、もしお店を出すなら『ガーランド』という名前以外に考えられない。そしてちょっとふさぎ込んだ客が入ってきたなら、ジュディの歌うSMILEでもかけてやり、ジャズセラピーでもやってみたいものだ。

 ジュディの歌う曲では、『OVER THE RAINBOW』が圧巻だ。多くのジャズシンガーがこの曲をカバーしているが、アナログ録音で聞く彼女の歌声は、とてもドラマチックで繊細な力強さとでも言ったら良いだろうか、不思議な力がある。

そしてもう一曲忘れていけないのは、『FLY ME TO THE MOON』だ。この曲もやばい。ささやくように歌い始める彼女の甘い声に、思わずとけ込んでしまう。間奏の前にささやく I LOVE YOU の彼女の歌声に、今でもドキッとしてしまう中年おじさんなのである。

 実は私が始めてジュディー・ガーランドのレコードを手にしたのは、曲など分からないまま、ジャケットのジュディーがあまりにも美しかったので買ってしまったのだ。それだけである。正直申し上げて、当時おこちゃまだったので、彼女の大人の魅力が今ひとつ理解不足の感があった。年輪を重ねてきた今、ようやく彼女の人生が歌の中に見えてきたような気がする。

 これを読んでくれている塾生達よ、君たちが聞いても残念ながら良さはまだまだ理解できないはずだ。ゆめゆめ買ったりしてはいけない。聞きたいものは、自習室に置いてあるので貸してあげよう。

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2008年3月15日 (土)

塾生からのメッセージ

                 僕と受験

 去年の4月、「いよいよ今年は入試か」と心の中でため息をついてから早一年。今では受験も終わり、もうすぐ卒業を迎える。今、高校入試を終えて思うことは、勉強をしてきて本当に良かったということだ。

 受験に向けて頑張ったことで、学力以外のことでたくさんのことを学んだ。例えば勉強の仕方だ。毎日少しづつでも続けることが、自分の能力を確実に高めてくれるということだ。

 継続は力なりという言葉の意味が、受験勉強を通じてよく分かった気がする。勉強やスポーツをやってきたものならきっと分かるはずだ。僕はもう一つ気づいたことがある。精神面についてだ。

 人間は時に自主的に、一つのことを続けることが苦手だ。しかし続けることによって、心は養われる。そしてそれは、結果的に自分の自信へとつながる。テストの時は誰にも頼ることが出来ない。そんなときに、何が自分を支えてくれるのかを是非考えてみて欲しい。

 何かをやり続けることは、自分に力を与えてくれる。これは本当に実感したことだが、特にスポーツをやってきた人は、週一回でいいから一時間なら一時間みっちり体を動かした方がいい。体が怠けると気持ちがゆるみ、勉強も集中して出来なくなるからだ。集中して出来ない勉強はやっても効果が少ない。そんなときは、すぱっとやめて寝た方がいい。

 今しみじみ思うことは、受験に向けて自分はたくさんの人に助けられたことだ。両親はもちろん、学校の先生や友達、塾の先生など、「どうだった?」「大丈夫だったか?」等々、聞かれるたびに自分はこれだけの人達に支えられていたのだとつくづく思う。

このブログで述べるのもなんだが、僕の通った塾は良いところだった.用事があればすぐに時間を変更してくれるし、何よりも先生は親しみやすい。ユーモアというべきなのか、とても不思議な先生だ。市内の生徒はぜひこの塾を体験してみて欲しい。今の僕のように心から感謝の気持ちをのべたいと思わせる塾だ。

 僕の中学校の先生に「受験は団体戦だ」と言った先生がいた。本当にその通りだと思う。友達同士互いに支え合う意味でも、今までにたくさんの人々に支えられた意味でも、自分が一人では無いことを痛感する。

 人には必ず変わらなければならない時がある。その一つが受験なのかも知れない。これから受験を目指す後輩諸君は、ぜひ考え、悩み、乗り越えていって欲しい。

 おそらく中学3年生という一年間は、人生に置いて最高に輝ける年月の一つだと思うから・・・・・。    By 十綾

 かねごん

 大験セミナーわくわく日記の執筆者を交代したいぐらい素晴らしい文章だ。また私の塾をさりげなく宣伝してくれているところがまたいい(・・・笑い)。彼は中1の時から塾に通って来てくれた。そしてこうやってわたしのためにブログに投稿までしてもらった。十綾君ほんとうにありがとう。こちらこそ感謝で一杯だ。

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2008年3月14日 (金)

夢を夢で終わらせないために

 自分がやりたいことをやらずして、人生は楽しいはずがない。やりたくないことをやって、ため息をついて、つまんなえ~なとグチを言う暇があったら、自分が出来ることは何なのかを書きとめてみることだ。

 そして現実と向き合ってみて、自分の可能性ってやつを探すことが大切だと思う。「おれ自分に自信が無くて・・・」 相談にのっているとよく聞く言葉だ。自信がないと言う時点で、もう既に自分を否定してしまっている。それでは波に乗れない。

 何かをやる前に、自分が失敗している光景を想像してしまっている者がいる。それじゃダメだ。慎重なのと臆病なのは似て非なるものだ。

 人生で大事なものは何だろう。お金だろうか、恋人だろうか、プライドだろうか。何かを失うことが怖くて佇んでいる若者が多い。生まれてきたときのことを考えてみて欲しい。何か手に抱えて生まれてきただろうか。裸のまんま、自分の命を預けて生まれて来たのが我々人間だろう。

 育つ過程で、いろんな知識を身につけてきた。でも残念ながら、聞かなくともいい話や、見なくてもいい光景もいっぱい頭の中に詰め込んでしまった。そして自由や愛することの感覚がちょっとだけ麻痺してしまった。そうじゃないのか。いやきっとそうにちがいない。

 心の中に常に違和感を抱いたまま生きていくことは辛いだろう。言いたいことも言えず、やりたいこともやれずに、青春という素晴らしい季節をむげに過ごすことは悲しいことだ。痛ましいことだ。そうやって何十万人いや何千万人の人々が諦観という言葉を身にまとい、この世を去って行ったことだろう。

 夢は夢で終わらせてはいけない。どんな大きな大海でも、最初の一滴が無ければあり得なかった。だから一歩が大切だ。英語で言えばACTIONだ。行動だ。書を捨て街へ出よだ。

 ピコピコ携帯をいじってんじゃない、パソコンでありもしない幻想を追いかけてる場合じゃない。汗をかき働いてごらん。早起きをして大きな大きな朝日を浴びてごらん。当たり前のことが出来ないから、夢も遠く感じるんだよ。

 簡単なことだ、実に単純なことだ。人は成功するように出来ている。出来ないのは成功する前に、努力をやめてしまうからだよ。夢を実現できた人は、何も特別な人間じゃない。最後まで諦めなっかただけなんだよ。自分を信じ続けることも、夢を見続けることも、諦めなかったから現実をたぐり寄せたんだ。

 私は自分がくじけそうなとき、何度も何度も言い聞かせてきた。だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。だから死ぬこともなく、ちゃんと生きてきた。愛する妻や、息子達や、私をたよりにする塾生のために。

 卒業をして、おめでとうは言わない。こんな儀式でおめでとうなんて君たちに失礼だよな。将来君たちがBIGになるまでこの言葉はとっておこう。

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2008年3月13日 (木)

『神の選択』

 080309_164943 我が家では今週に入って、ふきのとうの天ぷらを食べた。息子と犬の散歩をしながら、ようやく顔を出し始めたふきのとうを採り、春の息吹をおいしくいただいた。ちなみに私の地元では、ふきのとうを「ばっけ」と呼ぶ。

 近くの土手に福寿草の可憐な花が咲き乱れていた。ちょっといただいてきて、玄関先に植え替えた。本当に春はいいなーと思う。庭の池にもメダカが群れをなし、顔をのぞかせている。

 今年度の受験生を全て送り出した私は、合格発表までひとときの休息である。後は3月17日までに税務署に確定申告を提出することが、合格発表前の私の大きな仕事である。そして18日を迎える。

 合格発表の日、歓喜のざわめきの中、私の視線はうつむく生徒や、目をこすりながら足早に去っていく親御さんの姿にいってしまう。何年経験しても、あのせつない会場の空気感には慣れそうもない。

 私もあの合格発表という奴には、ずいぶん痛い目にあっている。かつては掲示板に名前が書かれた。新聞にも名前が掲載された。とどめはラジオで合格者の名前が読み上げられた。個人のプライバシーなど微塵も無かった。容赦なき時代だった。

 中学校の担任の先生方は、不合格の生徒の家庭訪問をする。塾の先生方も多くがやるようだ。私の塾はやらない。無責任に聞こえるかもしれないが、そっとしておくのも愛情だと考える。何日かして生徒の方から塾に顔をだす生徒もいる。発表の後すぐ「落ちたよ先生」と言ってやってくる者もいる。そんなときは私の方がどぎまぎしてしまい、かけてやる言葉に詰まってしまう。

 塾を長くやってきて、塾生全員が志望校に合格した年が一度だけあった。その時はカラオケやさんを貸し切って、卒業生とどんちゃん騒ぎをした。それ以後残念ながら一度もない。悔しいがそれが現実である。

 毎年志望校全員合格を旗印に、生徒も先生も頑張ることに、ウソ偽りは無い。しかし、「え!あの子が」という驚きの衝撃が時としてある。内申点も模擬試験の成績もなんら問題なく、一生懸命頑張った生徒が・・・・・。

 私はこれを『神の選択』と呼んでいる。何か大切なことを彼、彼女に伝えたいことがあって、あえて試練が与えられるのだと考えている。そうとでも思わなければ、あまりに人生は無常である。

 ある年には、回答欄を一個ずらしてしまい涙を呑んだ生徒がいる。受験の前日に熱が出て、体調不良のため力を出し切れなかった生徒がいた。入試の直前に家族の方が亡くなり、大変だった塾生もいた。

 合格出来なかった生徒にとっては、これからやって来る華やぎの季節が、逆に残酷かもしれない。しかし、必ず本当の春がやって来る。ちょっとだけ冬が長いおかげで、春の到来の準備は万端に出来るはずだ。

 誰の人生にも、季節が巡ってくる。最高潮の夏だけでは必ず疲れるもの。冬の優しさも、春の暖かさも・・・人生には必要なのだと思う。

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2008年3月12日 (水)

卒業~人生の節目

 入試の翌日は、塾のチラシが多く入る日だ。入試問題の解答が新聞に掲載されるからである。

 我が塾も新聞に小さな小さな広告を載せた。下に大手予備校の大きな広告が入ってしまい目立たないが、これも運命と思い諦めよう。

 毎年様々な塾が誕生し、○○塾開校というチラシが入るのもこの時期だ。そんな中、塾を卒業する経営者の先生もおられる。私のブログにリンクさせて頂いている奥村先生が、今回の指導を最後に奥村学習塾を閉校する。3月10日の彼のブログで知った。

 還暦を過ぎ、富山国際学院の理事を務めながら富山大学にも通われ、尚かつ塾経営もなされていたが、今回長きにわたる塾教師を卒業される。

 3月10日の先生の塾教師としての半生をふり返った文章を読み、私は涙してしまった。誰にでも卒業はやって来る。様々な出逢いと別れを繰り返し、時には絶望を感じ、また時には光りを見いだし、誰もが歯をくいしばり生きている。

 奥村先生はブログには書いていらっしゃらないが、数年前最愛の奥様を亡くされている。その後に富山大学を受験され勉強に励まれている姿に、私はただひれ伏すだけである。

 私にもいつか塾教師を引退する日が必ず来る。何年先か分からないが、体力知力が生徒達の受験指導に耐えうる限りは頑張るつもりだ。

 2,3日前から春の暖かさがようやく北国の岩手にも訪れた。奥村先生の住む富山もきっと春の息吹が感じられる日々が訪れたことだろう。先生としての仕事はまだまだ続けられて行かれると思うが、塾の先生として一つのピリオドを迎えられたことに、心より本当にご苦労さまでしたと申しあげたい。

 日本語教師としての今後の益々のご活躍を祈願致します。

 追伸

 奥村先生の3月10日付けのブログのアクセスを下に記しております。大学を出られてから今回塾を閉校するまでの半生が綴られています。教育に対する先生のゆるぎない情熱と、教育に対する警鐘をくみ取って頂ければ幸いです。

          

http://tiaokumura.exblog.jp/d2008-03-11

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2008年3月11日 (火)

家族愛

 木山裕策さんの『home』が、ヒットチャートのトップ10に入った。癌を克服し、4人のこども達と妻に、そして親への感謝を歌い上げた素晴らしい曲だ。39歳のお父さんである木山さんに心よりエールを送りたい。

 彼の歌が多くの共感を呼び、聞くものに涙を誘うのは、子供が親を思う気持ちと親が家族を思うそのせつないまでの純粋な生き様に、心がじ~んと来るのだと思う。日常の生活に追われ忘れかけていた大切なもの、それを不意に心の中にくさびとして打ち込まれたような衝撃を、私は彼の歌う姿に感じた。

 子供は家族の中で育って行くものだけれど、我々大人もまた家族の中で育てられて行くのだと思う。

 今日は県立高校の入試である。お子さんやお孫さんのために、仏壇や神棚に手を合わせたご家族も多いことだろう。昨日大験セミナーの中3生の指導が終了した。高校に入っても何人かは通ってくるが、多くは塾を卒業である。それぞれが私に言葉を残していってくれた。

 「3年間ご指導ありがとうございました」とサッカー部のY君。「あー今日で塾終わるんだ、なんか寂しいな」とソフト部のMさん。「入試緊張する、今夜眠れないよう先生助けて~」とちょっとおませなSさん。「先生祈っていてね」とピアノがうまいRさん。

 今こうしてブログを書いているうちにも、入試は進行中だ。もうすぐ1時間目の国語が終わり、2時間目の数学に入る頃だろうか。私に出来ることは、これといって何もないのだけれど、それぞれの塾生の顔を思い浮かべ、落ち着いてな、ボンミスするなよと、心に念じることぐらいである。

 塾の先生によっては、朝高校の校門に立ち、塾生達に声かけをする先生もおられるが、私は20年間一度もしたことがない。私は分身の術を残念ながら出来ないので、朝塾生の受ける全ての高校の校門に立つことは出来ない。したがってやらない。

 入試の日、毎年塾生達にBESTを尽くしたかと自問するのだが、私なりに反省はあるものの、この虚脱感を考えると今年も燃え尽きたのではないかと思う。

 一年間通って来た塾生が言っていた。「塾でやった五教科のプリント全てに先生の赤丸と書き込みがあるけど、すげ~やったと思うよ、おれ」 そう、みんな頑張った。そして私も頑張った(・・・笑い)。

 私は1日平均80枚~100枚の演習プリントに丸をつけ、添削し指導している。いつかのブログにもしたためたが、腱鞘炎と肩こり、そして眼底疲労との日々の戦いである。私なりに命がけの仕事をしていると思う。

 それは、私にも守らなければならないhomeがあるからだ。どこのお父さんもhomeのために命がけで頑張っている。木山裕策の歌の歌詞の中に、「世界に一つだけmy  sweet  home 」というフレーズがあるが、これからも私たちオヤジ達の気持ちを、ハートで歌い続けていって欲しい。

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2008年3月10日 (月)

明日は県立高校入試

 15歳の春、高校受験はあくまでも通過点の一つ。受験する限りにおいて、合否は必ずついてくる。しかし合格することが最終目的ではない。

 努力はもちろん全員している。試験に落ちたときに「おれ、勉強しなかったな~」と言える生徒は、ある意味大丈夫。自分の努力のなさが原因なのだから、今後の課題ははっきりしている。高校に行ったら勉強すること、それが伸びていく第一歩である。分かりやすい。

 問題は、寝る時間も惜しんでひたすらやったのに、ダメだった。もうこれ以上無理と言うくらいやったのに・・・・・。

 私はこのような場合は『神の選択』と思っている。志望校の選択ミスでもない。運がなかったのでもない。何か将来世の中のために、キーマンになるべき人間として与えられた試練だと思って欲しい。

 「どうせやったて・・・」などと決して考えないことだ。私は君たちにいつも、何度でも繰り返し言ってきたことだが、努力は必ず報われる。明日かも知れない、来年かも知れない、3年後かも知れない。努力の継続は、個人の能力を飛躍的に成長させる。

 志望校合格とともに気がゆるみ、怠惰な高校生活を始める生徒がいる。落ちたがゆえに、猛烈に勉強を始める生徒もいる。朱に交われば・・・ではないが、どうせおれはと、せっかく与えられた学びのチャンスを台無しにしてしまうものもいる。

 自分の能力を勝手に自分で決めつけてはいけない。君は選ばれし64億分のonly  oneだ。

 明日の入試は、一つ迷わないこと、二つ弱気にならないこと、三つ自分を信じること。そして家族やお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れずに、入試会場の門をくぐって欲しい。

 ここまで君たちが大きく育つまで、どれほどの愛情と慈しみが注がれてきたのかを、かみしめて欲しい。頑張ってこいよ、塾生達!

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2008年3月 9日 (日)

疲れたならば休めばいい

 今年塾に通って来た平泉中学校の中3男子生徒達が、予餞会でライブをやった。学校からライブの許可がおりた日、私のところに嬉しそうに報告してきた。

 「先生俺たち予餞会でライブやるんです!」 「よかったな、頑張れ」と私。かつて私も中学時代、先生方を説得して文化祭でライブをやったことがある。井上陽水の『人生が2度あれば』をギターを抱えて歌った。

 遠いむかしの自分の姿を見るようで、嬉しくもあり、ちょっとほろ苦い気分にもなった。ギターを肩に塾にやって来る姿は、いっぱしのミュージシャン気取りだ。かつての自分もこうだったなーと、なんだか懐かしい。

 思わず彼のギターを拝借して、私はブルースを弾き始めた。生徒達は爆笑である。「ブルースかよ」、生徒達は何を期待したのだろう、聞きそびれたので分からない(・・笑い)。生徒達のライブは無事(?)終えたようだ。明後日の入試も思い残すことなく、打ち込めることだろうと思う。

 「今日は疲れた~」と言って、教室に入ってくる生徒が多い。生徒達は生徒達なりに、先生に気を遣い先輩に気を遣い、世の中に気を遣い生きている。

 「塾に来るとホッとする」と言いながらしばし、ふわりふわりと心を癒す。自習室でちょっとおやつを食べ休憩。2階の指導室にやって来るのかと思いきや、ちょっと外に散歩。春めいてきた磐井川の土手を散策したりしている。まあ、いいだろう。

 疲れたときは、休憩が一番だ。だから私もそうしている。やらねばならないことが山積みしてくると、予定を考えただけでくらくらしてくる。広告原稿の打ち合わせ、納税書類の作成、春期講習の準備、塾保険の名簿作成、地区PTAの会議、卒業式の打ち合わせ等々、高校入試の合格発表前にやらねばならないことがどんどん押し寄せてくる。

 最近は逃げ場としてPCの前で、ついついブログなどを書いている。ゆえに我が社長におしかりを受ける。ブログといえば、このわくわく日記も昨年の秋から綴ってきたが、祝5000アクセスを昨日達成した。速いのか遅いのかは分からないが、皆さんに読んでいただき、本当に感謝である。

 ブログを通じて全国のさまざまな塾の先生方と知り合うことが出来た。ブログのおかげで、友人との20年ぶりの再会も果たせた。そして何よりもこのブログのおかげで塾生とのコミュニケーションが濃密になったような気がする。

 今は調子よく更新しているが、疲れたときは休ませてもらうつもりだ。もし更新が少なくなったら、かねごん先生は休憩中だと思って頂きたい。

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2008年3月 8日 (土)

言葉ありき

心が変われば 態度が変わる

態度が変われば 行動が変わる

行動が変われば 習慣が変わる

習慣が変われば 人格が変わる

人格が変われば 言葉が変わる

言葉が変われば 運命が変わる

 19年間塾内に掲げてきた言葉である。29歳の時に、大験セミナーを開校し、それ以来指導理念として実践してきた私のいわばバイブルである。

 ネガティブな思考は、ネガティブな言葉を生み、道の妨げになる。一方ポジティブな思考はポジティブな言葉を生み、道を切り開く。

 教育の最大の目的は、こども達の進むべき道を提示してあげることである。光り輝くはずの素晴らしい原石を、路傍の石のまま放置させてはいけない。

 人間は教育に因って培われていくものであり、人間の成長は、偶然やたまたまという言葉で片づけられるべきものではない。成長し、発展する人間には、必ずそうなるべきアクションが与えられたはずである。それが愛する人の言葉であったり、視線であったり、きっかけは必ずある。

 塾教育はあくまでも、学校教育の補佐役である。我々塾教師がメインになってはいけないと考える。しかし、昨今学校に相談を打ち明けられず、塾の門を叩く親御さんが増えている。なぜだろうか。

 学校教育がかつて持っていた、優しさや、情愛、柔軟性、そしてわくわく感が損なわれてきたのではないかと危惧している。一生懸命頑張っておられる先生方の素晴らしい人間的感性が、管理社会の中に組み敷かれてしまった学校という組織体の中で、埋もれてしまってはいないだろうか。

 曖昧な表現かも知れないが、こども達は間違いなく愛情に飢えている。大人のストレートな言葉に餓えている。本音と建て前の言葉の演技は、こども達には通用しない。

 言葉は大いなる癒しであるが、一つ誤ればするどい刃物となる。感受性のするどい多感なこども達が、学ばなければならない大切なもの、それは言葉の力だ。言葉によって時には運命さえも左右されることを私は教えていきたい。

 

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2008年3月 7日 (金)

『ぼくたちが愛のために戦ったということ』

 大学の学園祭のライブを終えた日、私は彼女から一冊の本をもらった。東由多加 著『ぼくたちが愛のために戦ったということ』。

 東由多加、彼は劇団‘東京キッドブラザース’の主宰者であり、演出家であった。彼が亡くなり7年が過ぎた。1980年代キッドは俳優柴田恭平、坪田直子を有し、ミュージカルの黄金期を迎えていた。

 東京原宿にあった‘東京キッドブラザーズ’のワークショップは、連日若者達であふれていた。音楽は小椋 佳が担当していた。彼女はその‘キッド’の劇団研究生だった。

 演出家の東さんとは、そのワークショップで2度ほどあったことがあり、軽く会釈を交わしたのを覚えている。彼女は私のことを、ボーイフレンドか彼氏とか紹介してくれたような気もするがあまりよく覚えていない。

 彼女が劇団を辞した後、『家族シネマ』で第116回茶川賞を受賞した柳 美里が劇団研究生として入って来ることになるのだが、残念ながら柳さんとの面識は彼女も私もない。

 就職活動もしないまま、音楽に明け暮れていた私を彼女はどう見ていたのか知らないが、彼女もまた彼女なりに夢を追い求めていた。原宿の竹下通りから明治神宮外苑側に回ると、代々木公園に出る。

 どこからともなく多くの若者達が集まり、笑い、歌い、踊り、そして去って行った。カセットデッキを片手にたむろする同年代の若者達が、私には別の世界からやって来る異邦人のように思えた。竹の子族から長い変遷を経て、ストリートミュージシャンへと時代は過ぎていったが、いつの時代もこの街は若者達のエネルギーを放射し続ける。

 そんな街を彼女とよく歩いたものだ。その彼女も、何がどうなってこうなったのか、現在私の家内となっている(・・笑い)。岩手にやってきて22年が過ぎた。

  彼女は『風と虹の教室』を立ちあげ、親子で楽しむアート手作り教室を開催している。彼女の本棚には、演劇関係の本などは一冊もない。多くの絵本と児童書、そしてシュタイナー関係の教育書が累々と積み上げられている。

 私の書斎(家族は物置と呼んでいる)には、『ぼくたちが愛のために戦ったということ』が27年たった今も鎮座している。私の日々は「ぼくたちが受験のために戦ったということを」というタイトルに変遷したが、ちょっと愛も欲しいなと思うこの頃である(・・・笑い)。

 

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2008年3月 6日 (木)

脚本家 佐々木守さんの思い出

 『アルプスの少女ハイジ』 『コメットさん』 『巨人の星』 『ウルトラマンセブン』 『木枯し紋次郎』、アニメやドラマ、そしてバラエティー番組まで、数多くの素晴らしい脚本を手がけ、テレビ界で異彩を放ち続けた脚本家佐々木守さんが、2006年2月24日69歳で他界された。

 最近テレビ等で拝見しないなと思いつつ気にかけていたが、昨日ウエブサイトで彼の死去を知り驚いている。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

 実は昨日のブログで書いた塾教師ディビューの年(25年前であるが・・・)、私の担当するクラスに佐々木守さんのお嬢さんがいた。彼女が小5~小6の期間、社会科の授業を担当させて頂いた。現在37歳ぐらいになっておられるだろうか、きっと素敵なお母さんになっていることと思う。

 世田谷の千歳烏山というところの教室であったが、おそらく佐々木さんの当時の住まいがお近くだったのであろう、夏期講習や春期講習などの時に、着流しの着物に下駄履き姿で、娘さんの弁当を届けに何度か教室にいらっしゃったことがある。当時40代の半ばだったと思うが、いなせな雰囲気の方であった。

 佐々木さんの奥様とは、娘さんの進路のことで何度かお話しをしたことがあるが、お元気でいらっしゃるだろうか。たまたま佐々木守さんの娘さんの同じクラスに、米倉斎加年さんの甥御さんもいて、岩手から出てきた田舎教師である私は、ただただ驚くばかりであった。さすが花の都東京、いろんな意味で塾生のレベルが違うものだと感心したものである。

佐々木守さんの娘さんは、南沙織似の健康的なお嬢さんで、背が高い少女だった。「先生、昨日はおうちにふみねえさんが遊びに来て、いろんなお話しをしてくれたよ」 「ふみねえさんて誰だい」と私、「壇ふみさん、よくうちに遊びに来るんだ」こんな話をよく彼女から聞かされた。

 お父さんである佐々木さんは、娘さんをことのほかかわいがっておられた。彼女も最愛のお父さんを亡くされさぞ悲しみも深かっただろうと思う。

 佐々木守さんの脚本作品では、なんといっても『巨人の星』である。私が小学校の時、星飛馬の大リーグボール3号に、どれほど魅了されたことか。お母さん方の世代では、「アルプスの少女ハイジ』が懐かしいのではないだろうか。

 当時の塾の校長先生や、同僚の先生方とはいまだに親交があり、25年間年賀状のやり取りも続いている。千歳烏山にはあれ以来足を運んでいないが、懐かしい。

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2008年3月 5日 (水)

塾の先生にどうしてなったの?

 毎年入塾してくる生徒の中で、必ず何人かが私に尋ねてくる質問である。

 今現在、塾をやっている理由ならば簡単に答えられる。長年塾をやってきて、これが自分の天職だと確信している。こども達に教えることが好きだし、自分が出来なかった多くの夢をこども達が達成して行く姿を見るのが気持ちがいい。

 が、しかし、塾の先生になった理由を聞かれると、自分の本心と建前が錯綜してなかなか難しい。

 「先生がうちの学校の先生だったら良かったのに」 一応私を褒めてくれているんだろうと思うけれど、よく言われる(・・・笑い)。しかし私が公教育の先生だったら、教師として存在していなかったと思う。3日もしないうちに、教頭や校長とケンカをして辞めていただろうなという変な確信がある。

 自分という人間を分析すると、短気で、情にもろくお人好し、こうと思ったら意志貫徹まっしぐらタイプだ。したがって、人にあ~だこう~だと指図されることが大嫌いだし、他人にそうすることも苦手なタイプ。つまり、わがままな一匹オオカミ的人間である。学校の先生には向かない典型的輩(やから)である。

 若い頃、東京に出る名目が欲しかった。父親には教員を目指すという理由で、東京の大学に進むことを許してもらったが、それはあくまでも戦略で、今までブログを読んできて頂いた方には周知のことだけれども、ギターを片手に音楽三昧の日々に突入して行くのであった。

 就職活動は一応やったつもりだ。幾つかの音楽事務所を受けた。ダメだった。そこでバイトの延長戦のような流れで、大手進学塾の採用試験を一つだけ受けた。

 大学の卒業式の夜、その塾から採用の知らせをもらった。それも補欠採用だった。4月から担当の社会科の先生が急に中学校に行くことになり、空きが出たのだ。英語科の採用ではないが、それでも良いかとの主旨だった。

 英語だろうが社会だろうが国語だろうが、何でも良かった。とにかく4月からの飯の種にありつけたことでホッとしたのを覚えている。それから足かけ25年、塾教師をやってきた。

 50も近づいて、これからシンガーソングライターになるわけにもいかないし(・・・笑い)、喫茶店のマスターもなかなか難しそうだし、小説を書いて直木賞でもというのはもっと難儀しそうだし、やっぱり塾の先生なんだと思う。

 そうそう、このブログを種に『寺子屋金さん・塾奮闘記』などというエッセイを出版なんていうのはどうだろう・・・・。相変わらず懲りない夢爺である。

 

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2008年3月 4日 (火)

格差社会のこども達

 目に見えないところで、低学歴者の切り捨てが進行している。悲しいことに、中卒者や高校中退者を許容し、受け入れてきた社会的基盤が崩壊してきた。

 求人広告を眺めて欲しい、学歴は全く関係ないだろうと思える職種に置いても、高卒以上の資格を提示している。バイトもしかりである。中卒者や高校中退者はどこへ行けばいいのだろう。

 うちの塾に通って来る中学生が真剣な顔で聞いてきた「先生、中卒でも働ける仕事ってあるの」 「なぜそんなこと聞くんだ」と言う私の問いに、友達が経済的に高校進学が無理なので、願書を出してないんだという。

 私立高校の退学理由のトップが、授業料未納による通学停止であることを、皆さんはご存知だろうか。

 塾に通って来られるこども達は幸せである。中3生になっても、正負の計算が出来ない。アルファベットの小文字が書けない。中学校の漢字がほとんど読めない。そんな生徒が必ず各クラスに存在する。

 30名~40名授業において、学校の先生はそういったこども達に何もしてあげられない。気持ち的には、個別に呼んで勉強を見てあげたい心情もあるのだろうけれど、現実的に無理なようだ。勉強指導以外の仕事が多すぎる。

 家庭でも学校でもスポイル状態のこども達。授業はさっぱり分からない、つまらない。退屈しのぎに悪さを始める。部活で汗を流している子は、まだ救われているが、部活もやらない子は彷徨い始める。

 親の目を自分に向かわせようと、世話をかけ始める。万引きをやったり、先生をどついてみたり。そして最後には夜の世界に入ってしまう。

 私の塾にも中3生になってこの手の生徒が入ってくる。「○○君なんで塾に入れたの、先生あの子大変だよ」 こんな声を20年間毎年聞き続けてきた。

 進学校を目指す生徒にとってじゃまな存在。学校の先生からも、おこられるだけの指導しかされなくなった存在。塾からも拒絶されたなら、彼や彼女はどこへ行けば良いのだろう。

 私は通塾してくる限りにおいて、どんな子でも指導する。その子がいるので塾は通えないとなれば、曜日や時間帯を考慮する。それも毎年のことだ。私は塾経営者として偽善者ぶっているわけではない。

 かつて組関係者の倅が入ってきた時もそうだった。保護者の方から多くの電話をいただいた。「本人が真面目に勉強に取り組んでいる限り、私として辞めさせる理由はどこにもありません」それが私の回答である。

 私の責任の元、私が責任を取れる範囲でしか対応は出来ないが、それが塾教師としての私の精一杯のツッパリなのである。

 学校で問題がある生徒は、家庭に問題がある。そういった家庭も好きこのんでそうやっているわけでは決してない。誰かがどこかで負の連鎖を止めないと、日本社会は大変な事になってしまう。

 今日の地方紙にも、求人の有効倍率が0.77倍まで落ち込んだと、トップで報じられている。多角的な教育のサポートが急務である。

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2008年3月 2日 (日)

春期学習案内

 それぞれの塾の運営方針(戦略)があって、春期講習会や、夏期講習会を無料で開催する塾が近年増えてきた。

 賢い保護者の皆様ならばお気づきのことと思うが、そういった塾は通常の月謝や入塾金に、無料講習会の損失分を補填すべく、割高になっている。朝三暮四の格言のごとく、生徒や保護者の皆さんを無料というなの餌でおびき寄せるような営業方針は、一塾経営者として悲しくなってくる。

 前回のブログでも書いたが、塾生そのものを営業の担い手にする塾もある。これは昔から多くの塾がやってきた悪しき慣例であるが、塾生を講習会に誘ってくれたら、図書券3000円、などというやつである。ひどい塾になると現金が飛び交う。

 東京や地元で、そういった塾をずいぶんと見てきたが、ことごとく廃業していった。良識ある塾経営者なら、生徒募集をそういった形ではやらないだろうし、やれない。

 バブル時代、建築業の方や、酒屋さん、運送業屋さん、いろんな社長さん方が、フランチャイズの塾経営に乗り出してきたことがあった。何でもありの生徒略奪合戦が繰り広げられた。その頃の悪しき慣例に、いまだに引きずられている経営者が居るのかも知れない。

 我々塾教師は、勉強を教えてその代償して月謝を頂いている。実は成績が上がっても、上がらなくても月謝はもらうのである。もっと極端な言い方をすれば、受験に落ちたからと言って、月謝を返すわけでもない。

 国,社、数、理、英を教えるだけで月謝を頂こうなどと、そんな虫の良いことを考えていたら塾は即潰れる。学校教育が失いかけている(既に失ったかも知れない)somethingをそれぞれの感性と努力で掘り起こし、生徒に還元しなければならない。それが我々塾教師が、頂いている月謝に対してしなければならないことだと思っている。

 本を読むことも大切。音楽を聴くことも大切。入試の過去問を解きまくることも、分析することも。そしてそれを、それぞれの能力と志望校に合わせて適切に提示して行くことも。

 塾教師はいろんな役をこなさなければならない。その日の生徒の空気感によっては、怖い頑固爺であったり、やさしいおじさま(・・笑い)だったり、お笑い芸人だったり、ミュージシャンだったり、ちょっと宇宙人(?)だったり、塾教師とはそういうものだと私は思っているし、そうやって25年間教室でこども達と時間を共有してきた。

 そんな私に、塾生の皆さん、保護者の皆さん、講師の先生、今後ともおつき合い頂けますように。 

               【春期学習会のお知らせ】

 3月24日(月)~4月1日(火)の間、3月29日と30日を除く7日間の日程で春期学習会を開催致します。対象は新小学6年生~新中学3年生です。指導時間は午前10時~夜8時までの時間帯で2時間を選択して下さい。費用は教材費込みで、小学生12000円、中学生は15000円です。

  申し込み 大験セミナー  岩手県一関市磐井町7-4-16 

    ℡0191(23)0824        daiken@flute.ocn.ne.jp

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2008年3月 1日 (土)

卒業によせて

 昨日の金曜日、高三生のK君が塾の前で、私が来るのを待っていた。「先生大学受かった!」 照れながらも、嬉しさは隠しきれず顔が紅潮している。

 「良かったな、これで明日の卒業式安心して迎えられるな、おめでとう」

 我が塾の高三生は、全員進学先が決定し今日卒業式を迎えた。今年の高三生には、小学校5年生から通ってきてくれた生徒もいる。K君などは私の息子の同級生で、小学1年の時から知っている。みんな自分の子供みたいにいとおしく、別れは辛い。

 思わず出てくる涙を、「今年は花粉症がひどくてな~」などと目をこすりごまかしながら、塾を去って行く生徒を見送るこの頃である。

 2月で塾を卒業していった中3の、タイちゃん、竹、親元を離れ下宿生活になるけど、頑張れよ。それから斉藤、千葉、甲子園目指して練習しろよ。りさ、バイトも良いけどたまには卓球もやれよ(ダイエットのためにも・・・)。

 そして今日卒業式を迎えた高三生諸君。卒業おめでとう。くれぐれも健康には気をつけ、都会での生活を送ってくれ。大学生活は楽しいと思う。が、気を抜くことなく、勉学にも励んで欲しい。

 良き友に恵まれ、良き仕事に恵まれ、豊かな人生を送って行けることを、いつも祈っている。 みんなしあわせに ! See  you  again .

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