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2008年2月27日 (水)

私が彼の講演に涙するわけ

 春の到来は花粉症の発生で始まる。二日前から鼻水とくしゃみが止まらない。私は30の時から髭をたくわえている。威厳をつけるためではない。実は30歳の時から花粉症が始まり、鼻をかみすぎるゆえに、鼻の下が真っ赤になってしまった。

 そこで髭を生やしてみた。これがGOODなのである。髭が鼻のかみ過ぎから、皮膚を防御してくれる。それから髭歴も20年近くなる。

 私の言わばトレードマークになった髭も、10年ほど前、ふけ顔になりすぎたかなと思い剃ったことがある。塾生達は笑い転げるは、爆笑するはで、「絶対先生じゃない」と言う発言まで飛び出し、以後剃るのはやめた。もうふけ顔でもかまわない。

 かつて某小学校で講演をしたときに、先生は夜回り先生の水谷先生とそっくりの髭をたくわえていますが、失礼ですが真似たのですかと言われた。よくご父兄にも尋ねられるが、上記の理由で髭を生やしたのである。

 今日は記念すべき100回目のブログになる。前置きが長くなってしまったが、今日はその水谷先生の話をしたい。

 水谷先生は今年50歳を迎えられる。私より二つほど上である。大変な病気を抱えながらも、精力的に講演活動をこなしておられる。

 私は彼の講演を生では聴いたことがない。いつもテレビの画面を通してしか拝見しないが、いつ聞いても彼の話には泣いてしまう。失礼な表現かもしれないが、悔し涙である。同じ世代として生きていながら、自分は何をやっているんだろうと言う、悔し涙である。

 テレビに頻繁に登場する教育評論家は、正直言って胡散臭い。言うことだけならば、弁舌軽やかな知識人であれば、誰でも教育論は言える。

 しかし彼は違う。嘘偽りのない人生を送ってきた人だけが持つすごみがある。そしてもう既に、命を捨てる覚悟の出来た修行僧のような雰囲気をお持ちの方だ。

 彼は決して自分の家庭のことについて触れないが、普通のお父さん達が味わう日常の家庭生活などは、一日とてなかったはずだ。

 私が彼の存在のような教育者になれるかと言うと、なれない。何故なれないか。それは、若者の死と対面しなければならない日常に耐えられないからだと思う。

 教室に通って来る生徒で、死にたいなー、という塾生は確かにたまに居る。しかしそれは、私と言葉としてのキャッチングをしたいだけで、実際に死にたいわけではないことは、私にもわかる。

 しかし水谷先生が扱う事例は次元が違う。毎日のように、今手首を切った、明日死のうと思う、などというメールや電話が寄せられて来るのである。そしてそのことに全身全霊で立ち向かわれている。

 彼は、助けられなかった若者の話を講演でされるが、先生が助けた若者の数は、その100倍も1000倍もいるのだ。夜の闇の世界から多くのこども達を昼の世界に導いている。ドラッグ、売春、自殺、大人社会の欲望に翻弄されるこども達の命を何とか救いたい。それが彼の全てではないだろうか。

 長い塾教師生活のなかで、私にも命を救えなっかた若者がいた。塾をやめていった生徒のその後を見守ることはなかなか出来ないのが実情だ。どうしても日々通ってくる塾生の指導が優先である。

 在籍してくれている間に、私は生きることのすばらしさと、生きる意義と、この世に生まれてきた意味をこども達に伝えることが塾教師としての使命だと考えている。失敗もあるかも知れない。しかし100回を迎えたこのブログのように、一歩一歩進んで行きたい。

 水谷先生のエッセイにアクセスできるアドレスを下記に記しておく、是非お読み頂きたい。

          http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yomawari/index.html

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