倒れるまで
若い頃の私は、生徒達にいばらの道を選べと言った。体力のあるうちに難所を乗り越えていけば、年を取ってから楽だからと。
でも今は違う。楽しい道を選べと言う。そうすれば年を取っても、楽しい思い出の中に生きて行けると.。ただし楽しい道を歩み続けるには、それなりの努力が必要であることは言うまでもない。
4年前の11月早朝、私は倒れ病院に搬送された。自分の意志で片目をつぶることが出来ない。言葉を発しようにもろれつが回らない。ダメかと思った。涙があふれた。幸いにもダメージは軽く、事なきを得たが、いろいろ考えさせられた経験だった。
私は悟ったわけではないけれど、こう考える。人生は冒険をして後悔するか、冒険をしないで後悔するかだと。だから最近は、けっこう言いたいこと言って、やりたいことをやっている。
私は毎日毎日を、人生最後の1日だと思い過ごしている。
このブログもそうだ。半分は冗談だが、遺書のつもりで書いている。遺書も80回近く書いてきた。500回でとぎれるかも知れない。3000回まで続くかも知れない。
人がどう思うかは別として、結構必死で書いている(塾生はストレス解消ブログと呼んでいるが・・笑い)。みかみ塾の本田先生のように、多忙にもかかわらず、私の文章を全文自分のブログで紹介してくださる方もいる。わざわざ感動したと言って、電話をくださる方もいる。また手厳しい批評のコメントを頂くことも多い。
昨日塾生が、「先生いつまで塾を続けるの」と聞いてきた。「倒れて、こと切れるまでだ」。これが私の答えだ。
私に宮沢賢治文学を伝授して頂いた詩人の小菅先生は、54歳の若さで他界された。ちなみに私の父は55歳でこの世を去った。文豪夏目漱石は私の年齢で亡くなっている。死というものがリアルに感じられる年齢になってきたことに間違いない。
毎年正月の元旦に初詣でをする。私はいつもこう祈る。今年もこども達のために、まだまだお役目があるのならば、どうぞ生かして下さい。そうでなければ、神のもとへ召して下さいと。
体調もよくなり、卓球の試合にもバリバリ出られるようになったところを見ると、まだまだお役目はあるのかと、神様に感謝するこの頃である。
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