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2008年1月30日 (水)

宮沢賢治~森の思想

 賢治の作品には多くの森が登場する。しかしそれらの森は、人を拒絶するような峻厳な森ではない。山の神が住み、妖精が戯れる鎮守の森や、豊かな実りをもたらす縄文的な、人間と共生する森である。

 私はよく森を訪れる。時に、遠く離れた早池峰の森であったり、歩いて10分ほどの裏山だったりする。森を歩くたびに、賢治が感じたであろう風の不思議さや、動物たちのざわめきを感じることができる、いやそんな気がする。

 賢治の童話は、作品の陰影が舞台背景にはっきり表れる。『風の又三郎』に登場する森や山の風景は、なぜかいつも悲しげだ。人間のさまざまな葛藤が、どっとどっとと作品の風のように、森の中を吹いている。

 一方、『どんぐりと山猫』に描かれる賢治の森は、実は私はこの森が一番好きなのだが、自然のふところに抱かれたような風を感じる。森の奧に入り込んで居ても、常に何かに守られている安心感、人間を疎外しない、森のおおらかさを感じる作品だ。

 賢治の作品の中で一番教科書に取り上げられているのが、『注文の多い料理店』である。日本の小学生が一番知っているであろう賢治の代表作だ。

 私はこの作品に、西洋的な森のイメージを持ってしまう。またこの作品の挿し絵には、必ずと言っていいほど西洋的な森の絵が描かれる。反キリスト教的な呪詛が、森全体を覆いつくしている感じだ。森に彷徨うハンターの姿は、日本が西洋化していくことへの賢治の警鐘のような気がする。

 賢治のこよなく愛した岩手の山を、若い頃、私はよく塾生を連れて歩いたものだ。多くの登山家の足ですり減った岩の足場を見て、ここをきっと賢治も歩いたんだろうなと、そっと自分の足を置き、感慨に浸ったものだ。

 そう言えばここ数年、忙しさに追われ賢治の森を歩いていない。岩手の山に春が来たならば、また歩いてみたい。彼を感じながら。

   

 

 

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