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2008年1月23日 (水)

一瞬の青春譜

足早に過ぎ去っていく、放課後の学生達の群集。凍てつく道は雪の轍が残り、午後の冬の日差しにやわらかく照り輝いている。

自販機の前で、物憂げに100円硬貨をさがしている男子生徒。手袋がじゃまのようだ。子犬のように手袋を口にくわえ、コインを入れようとしている。

自転車の荷台に彼女を乗せて、友達らしい男子生徒が彼の横を通り過ぎる。片手を会釈代わりに上げ、何か言葉を交わす。二言三言。

彼は買うことを止め、自転車を目で追い、そして歩き去っていった。私は自動車のキーをポッケットにしまい込み、駐車場から教室に向かった。

一年一年、当たり前のことだが年を取っていく。高校生や中学生の集団とすれ違ったときの、あのとまどうばかりのエネルギーの放射に私は圧倒される。

彼らの存在が、自分も経てきた時間が故に、その眩しさが戸惑いになるのかも知れない。

例えば、駅の階段を駆け抜けていく学生達のその勢いに、涙ぐんでしまうことがある。もう自分にはない空間に、彼らが生きていることのジェラシーと、自分の若さの喪失感をおのれが知ってしまうせつなさだろうか。

若さは、一瞬のきらめきを放つ故に尊いのではなく、限りない可能性を放射する原石だからいとおしいのだと思う。

約束したにもかかわらず、ほったらかしにしてきた多くの青春の残骸を、年を取るにしたがい、忘れたふりをする。しかしその偽りの忘却をなじるかのように、若者達は私の前を通り過ぎるのだ。

いつかみた夢の続きを、誰かに託したいと思うとき、何故もう自分じゃないのかと、また自らに問いかける。情けない年寄りの反抗と知りつつも、どこかに救いを求めている。

冬枯れた街にも、確実に一歩一歩春が近づいている。教室のそばの桜並木も、かたい蕾をしっかり付け、寒さに耐えつつ春を待っている。

誰かが言っていた。あと人生で何度桜の花を見られるだろう。未来永劫、季節は移り行く。我々はその中の一瞬の命だ。だから若きも老いも関係ない。同じ一瞬だ。

私は自分に言い聞かせ、教室で若者達と対峙する。ハンディー無しの真剣勝負だと、今日もまたペンを握る。

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