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2008年1月31日 (木)

君がマックレイガーだったら

 街の中やふとした場所で、「先生」と呼ばれると、一瞬佇んでしまう。いや正直言うと緊張が走る。自分の様子を客観的に確かめたり、背筋を思いのほか真っ直ぐにしてみたり、おかしな話だが、25年以上も先生と呼ばれる仕事をしてきているのに、塾の外で呼ばれる「先生」という名称には今だに慣れていない。

 もちろん私の同級生や友人は、たとえ自分の息子、娘を我が塾に入れていても、私を先生などと決して呼ばない。中学、高校時代のあだ名のまま、カネゴンと呼ぶ同級生もいれば、かねやん、キンちゃんと呼ぶものなど、付き合ってきた時代時代の愛称で呼んで頂いている。

 私も塾内では、結構生徒をニックネームで呼ぶことが多い。そして塾内での愛称が、そのまま中学校や高校での愛称になってしまっている生徒がいる。

 いやな顔をしないところを見ると、まんざら迷惑でもなさそうなので、そのまま呼び続けている。もしこのブログを読んでいる塾生で、自分のニックネームがいやだというものがおれば、遠慮なく申し出て欲しい。即変更する。違うものに(・・・笑い)。

 辻 仁成(つじ ひとなり)のエッセイだったような気がするが、彼が中学時代通っていた英語塾の先生は、塾生全員をアメリカ人的ニックネームを付けて呼んでいたらしい。たとえば「ジェシーそれ答えて」とか「マックレイガー訳してみなさい」てな感じだったのだろう。

 私もやってみようかなどと、塾生にその話をしたら、即断られた。塾を辞めるとまで言われた。確かに、学校でマックレイガーなどと呼ばれたら、たまったもんじゃない・・・・(・・笑い)。

 また「先生」の話に戻る。まったくプライベートの場所で、例えばPTA行事などで、教職に就いている父兄を○○先生と呼ぶ方がおられるが、違和感を感じるのは私だけだろうか。その方にとっては先生でも何でもないのだから、○○さんと呼ぶべきなのではないかと思うのだが、どうだろうか。

 最近若い学校の先生方の中には、プライベートで同僚と飲みに行くときなど、お互い先生と呼ぶのはよしましょう、という先生が多いと聞く。私もその方がいいと思う。

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