翻訳料は鯛焼き君
落ちこぼれていた。確かな自分の未来どころか、明日さえも見えなかった。
高校に退学届けを持っていった。冷静に今振り返ってみると、幸いだったかも知れないが、見事にはねつけられた。それも二度も。今度は辞めることが面倒くさくなった。高一の暑い夏が終わろうとしていた。
その頃、稲田耕三の『高校放浪記』を愛読していた。それと、,たまたま古本屋で見つけた岩波文庫、マルクスの『資本論』全12巻を購入し、睡眠薬代わりに枕元に置いていた。
授業を抜け出し、城跡の公園で、マルクスの資本論を片手に寝転がった。きっと啄木を気取ったつもりだったのかも知れない。しかし彼のような才覚は、私にはなかった。
プロパガンダを気取り、詩のようなものを書き、音楽に没頭した。小遣いを稼ぐために、よくゴルフ場に行き、キャディーのバイトをした。常連客は、会社の社長さんや、お医者さんだった。大きな声で褒めちぎった、「ナイスショット!」「ナイスショット!」。
その見返りとして結構なチップを頂いた。バイト代は、ほとんどが本代やレコード代、そして楽器に消えていった。
我が教室に、むかしの私を彷彿させるような生徒がたまにやって来る。においとでも言うのだろうか、学校で荒れくれているはずのそいつがやけになついてくる。
ひげ面の人相の悪い塾教師だからびびっているのかも知れないが、慣れない敬語などを使う。「先生、父ちゃんが言ってたんですけど、先生は学校時代裏バンはっていらしゃっていたんですか」 「そのいらしゃったは、使い方がおかしいよ、て言うか、おまえの父ちゃんの名前なんて言うんだ」。
悪ガキ仲間だった連中の息子が、ひょっこり入って来ることもある。息子を迎えに来ながら、「おう元気か、俺に似てこの通りの息子だけどよ、よろしくな、今度飲もうや」などと言って去って行く。
子の親ともなれば、悪ガキ連中もひとかどの教育論をぶち上げる。息子らに、私のことをどう話しているのか知らないが、息子達は私の前ではやたらとおとなしい。
悪ガキ連中だった仲間の一人が、昨年のクリスマス前、塾にひょっこり現れた。息子の相談かと思いきや、「行きつけの店のママさ、日本語いまいちなんだよね、英語はOKらしいのよ、クリスマスプレゼントにちょっこらメッセージを添えたいんだけどさ、これを英語にしてくれ・・・・金田先生」などと言って、鯛焼きをぶら下げてやって来る。
と言うことで、昨年のあの鯛焼きは、私の翻訳料なのである。あしからず。
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