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2008年1月 2日 (水)

宮沢賢治

 子供の頃絵を描くときに、いつも風景の片隅に電信柱を描く癖があった。今振り返ってみると、自然の中に感じた違和感を、こどもながらに無意識に表現したかったのかも知れない。    

 もう一つ思い当たる原因として、小さい頃目にした宮沢賢治のスケッチの中に、ディフォルメされた電信柱を見たことがあって、その残像が私の記憶を無意識に刺激し、電信柱を描いていたのかも知れない。

 ・・・・宮沢賢治、実は彼を論じ始めたら、今年の半年分のブログが埋まるだろうと思うぐらい、私の賢治への思い入れは深い。

 私の体の中に、もし感性という名の細胞があるとするならば、100%の細胞が賢治の作品と思想の影響を受けていると言っても過言ではないだろう。

 ブログを始めた時から、彼を論じたいという欲求は常にあったのだが、思いばかりが先走り、なかなか言葉が立ち上がらなかった。

 賢治を評価するときに、様々なアプローチがある。童話作家として、宗教家として、あるいは教師として、農業技術指導者として、・・・・私にとって宮沢賢治とは、魂の言葉を綴りおりなす吟遊詩人そのものである。

 彼の詩「永訣の朝」は、私の人生を完璧に変えてしまった作品だ。高校生だった私は、まさしく脳天をかち割られた衝撃を受けたのを覚えている。一文字一文字の言葉の連なりが、これほどまでに人間の心をゆさぶるのかと、言葉の力をまのあたりにした一瞬だった。

 その日から、図々しくも私は詩人になってしまった。彼の詩に出逢わなければ、詩や曲を作ることも私の人生に置いてなかっただろうし、こうやって塾教師をやっていることもなかっただろうと思う。

37歳という若さで時代を駆け抜けていった天才詩人。どれほどの人達が彼の影響を今も受け続けていることだろう。

「たった一人の人間も救えない奴に、世界がどうだ、世の中がどうだと言う資格はない」賢治が作品を通じて、いつも私に語りかけてくる言葉である。

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