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2007年12月

2007年12月29日 (土)

一枚の写真

 一枚の写真がある。原爆が落とされた広島の街角に立っている8歳ぐらいの男の子の写真だ。少年はしっかりとおんぶ紐でくくられた、彼の弟と思われる赤ん坊を背負っている。

 しかしその赤ん坊には命の気配がない。まわりに遺体を運んでいる人々が写っているので、彼はきっと自分の弟を遺体焼却場に運んで行こうとしているのだろう。

 彼が一人で来ているということは、父も母もそして家族全てを原爆で失ってしまったのだろう。私はその写真をまのあたりにして、一時間ほど泣いた。

 その写真を偶然見たとき、私は塾をやることに行き詰まっていた。やめることも考えていた。しかし、人間が生きるとはどういうことかを、教育の中で実践せねばと、私は慟哭の中で自分に誓った。

 私は決してこのような話を教室ではしない。「先生暗いよ」と言われるからではなく、究極の悲惨さは、学びの教材として好ましいと思わないからだ。

 例えば、「ほたるの墓」も「アンネの日記」も、今後読み継がれていく戦争作品であると思う。しかし大人が感動したからと言って、子供に勧めるべき作品かというと、一概にそうとも思えない。事実を学ぶにはそれぞれのタイミングと時期がある。

 こども達に、人間の負の歴史を教えることの大切さを説く大人は多い。そして歴史の教科書は、戦争史のオンパレードだ。

 戦争の年代や中身を覚えさえすれば、歴史の点数が採れると言っても過言ではない。

 戦争を繰り返す人間の愚かさを、もしこども達に教えたいのであれば、イランイラク戦争のドキュメンタリー番組を一本見せれば済むことだろう。

 南北戦争やベトナム戦争を学んだはずのアメリカが戦争をやめただろうか。答えはNOだ。教育のカテゴリーは結局時代や国家が選択し、管理していくことになる。

 こども達に、受験のために暗記させる項目をスクロールしていて、私はめまいを覚えた。写真一枚で伝わることを、なぜ言葉でこれほどまでに呪縛(じゅばく)してしまっているのだろうと。

 本来こども達の感性(魂と言ってもいいかもしれない)に訴えるべき事柄を、表面的な学問にしてしまい、受験の暗記項目にしてしまうことは、何か大切なものが冒涜されているような気がするのは私だけだろうか。

2007年12月26日 (水)

校庭の歳時記

        校庭の歳時記

だれもかれも旅立っていく

時の中へ 歳月のむこうへ

人生には地図がないので

迷いながら歩くしかない

峠をひとつ やっと越えたね

きみの前になにが見えるか

展望はひらけているか

道はあるか

一息ついたら出かけよう

心の磁石の指さす方へ

確実に季節は移り

まもなく花の道標も見えるだろう      池 崇一 (3月の歌より)

冬期講習の国語のテキストに載っていた詩です。塾生達は黙々と問題に取り組んでいましたが、何かを感じた生徒もいたのではないでしょうか。

 ”人生には地図がないので迷いながら歩いていく” 先がわからないから人生は楽しいのかもしれません。若さ故の自分に対する不甲斐なさや、弱い自分に対する憤り、でも若者達には、私達大人が持っていない多くの時間があります。

 夢をつむいでいく彼らの青春は、時にほろ苦くもあり、痛々しげでもあります。ですが、たとえ轍(わだち)に足を取られても、彼らには抜け出す若さと元気さがあります。

 この時期、志望校変更を余儀なくされた生徒諸君もきっといっぱいいることでしょう。高校入試はあくまでも選択肢の1つに過ぎません。このあとも、またその次もリベンジの機会はたくさん用意されています。

 その日のために、おのれの力を蓄えておくことこそ、地図のない道を歩んでいく最大の武器じゃないかと思います。

 心の磁石の指さす方へ、さあ歩み出しましょう。

2007年12月23日 (日)

宿題あれこれ

 いつ頃から始まった宿題なのか、気づいたら2Pノートなる中学校の宿題が全国的に広がっていました。最近では小学校でも2Pノートなる宿題が増えています。

 何をやってもいいからノート2ページを埋めてくるというこの宿題、効果のほどは別にして不思議な宿題です。

 30~40人クラスならば、宿題を個別に出せないので、2Pノートというのも時にはありなのかなと思うのですが、20人以下の少人数クラスでも日常的にこの宿題が出されている状況はいかがなものでしょうか。

 ちなみに私は、1週間で延べ人数100名ほどの小学生~高校生を個別に指導していますが、一人一人に教科も内容も違う宿題を塾生達の要望で出しています。

 2Pノートが全国に広がった背景には、先生方の学校での雑用が増えすぎたがための、やむおえない対応だという感じもしますが、授業についていけない生徒をますます放置する結果になってしまっていると思います。

 ところでこの2Pノート、学校によってはクラス担任の先生の裁量で、塾でやったプリントをノートに貼ってもいいというクラスもあって、うちの塾生などは塾でやったプリントをせっせと貼り付け、早くも冬休みの2Pノートを終了させた強者(つわもの)もいます。

 宿題は結局書くことの評価ばかりで、読むことの評価がしづらいものですが、読書することの習慣づけがある時期を境に、怒濤の勢いで個人の能力を開花させていく事実を多くの先生方が知っているはずです。

 中学生の皆さん2pノートも大切ですが、それ以上に本を読むことも大切です。この冬休み何でもいいです、本の感動を味わって下さい。

2007年12月20日 (木)

感謝です

 塾の年賀状を毎年パソコンで作ろうと思い、それ用のソフトは買って来るのですが、なんやかやと忙しく、いつもセブンイレブンやローソンの年賀状になっていました。

 こんなはずじゃなかったのに~  と反省しつつ、今年も2008年版 『世界で一番かんたんな年賀状』 なるものを家内が買ってきてくれて、あ~でもないこ~でもないとやっておりました。
 私が家内に  「確か去年だかおととしだか 『猫でも作れる年賀状』 とかいうの買ってきたよな~」  などという間のぬけた会話をしていましたが、とうとう本日、家内がパソコンの前で数年来の夢を叶えてくれました。

  先週私が市内の小学校で、サンタライブをやった写真を取り込み、そのサンタが朝日となって山から昇って来るという、 非常に塾らしからぬ年賀状が出来上がり、「こんなのでいいのかしら?」 という家内の声に、「Very  Very  OK !」 とこたつの中で眠りこけていた私は、わけのわからない感動の声を上げ、 印刷とあいなったわけです。

 年賀状と言えば、今の高校生は携帯のメールですましてしまうことが多いようですが、たまにきれいな毛筆の年賀状を教え子から頂くと 「う~ん すばらしいっ!」 としばし恍惚状態に陥ってしまいます。

 塾生の保護者の方からも毎年すばらしい書体で書かれた年賀状を頂くのですが、やはり手書きの文字にはパワーがあり、「おお!今年も始まるぜ」 という気持ちにしてくれますね。

 それゆえ、宛名ぐらいは、手書きでやろうと思うのですが、字の下手さは天下一品という塾教師なものですから、いつも悪戦苦闘です。

 さて、今年も10日ほどで終わりですが、大病もなくけがもなく、無事に過ごさせて頂きました。感謝です。

 ふり返ってみるに今年は、冬期講習終了と同時に、私立高校で臨時の講師という慌ただしいスタートでした。  また、サッカー部の塾生の皆さんが全国大会出場という大奮闘もありました。
 私事では、携帯すら持たないIT音痴が、塾のブログを始めるという珍事もありました。今後思い出深い一年になると思います。

 もうすぐ冬期講習が始まります。こども達の通塾のためにも、大雪がこないことを祈ります。
 

 追伸、12月29日より1月3日まで通常のゼミは年末年始のお休みとなります。よろしくお願いいたします。

2007年12月18日 (火)

バリバリだった頃

 私が30代のまだバリバリだった時、正月の元旦の朝3時に高3生の塾生を集合させ、大験セミナー合格請負神社である水沢の駒形神社に初詣出をし、一関に戻ってきて朝7時より早朝カラオケ大会をやり、午前9時から夜9時まで『センター試験絶対頑張るぞ~怒濤勉強会』なるものを恒例でやっておりました。

 こんなむかしの話を今の塾生にすると、「いいな先生やろうよ」と言うのですが、それをやったら確実に正月明けは倒れているよ、ということで今は残念ながら1月3日までは普通に休まさせて頂いております。

 当時の私のはちゃめたさに付き合ってくれた教え子達も、今はそれぞれに家庭を持ち子供も生まれ、私のバリバリだった時の年齢になり、みんな思慮深いすてきな大人になっています。バリバリだった頃の教え子達は、教員になっている者が多く、現在30代になる彼らはきっとバリバリにこども達を指導していることでしょう。

 またその当時、休みともなると15万円で買った西ドイツ製のフォルクスワーゲンゴルフ(塾生はボロクソワーゲンと呼んでいました)に塾生を乗っけて、よく山登りに行きました。北上高地の早池峰山や五葉山はよく行きましたね。

若い頃というのは指導者も元気があり、体力勝負でこども達をぐいぐい引っ張って行く良さは確かにあります。しかし、自分の元気印を基準に押しまくっていると、どこかに必ず無理がくるものです。私の場合、それは講師の先生にきましたね。

 風邪などで休んだ先生に、自分は10年間、一度も風邪で塾を休んだことがないみたいなことを言ってしまったり、自然と体育系のスポ根話をしてしまったりなどで、私のバリバリさについて行けなくて、やめられた先生もいました。

 今50近くなってきて、バリバリからちょっと、いやかなりバキバキッという感じに日々変遷(へんせん)してきました(笑い・・・)。年を取れば取ったなりの体の使い方、頭の使い方というものがあるわけですね。

 それがようやくこの年でわかるというのも、私も大人になった証拠でしょうか。当セミナーのうら若き先生、M女史は、そんな私のバキバキ状態の日常を見て、「先生だいじょうぶですか」と、やさしい言葉をかけてくれます。

 私がバリバリの時は、そんなやさしい声を、教室で誰もかけてくれませんでしたね。年を取るのもちょっといいものです。

 ただこのバキバキ状態がボキボキになり、ボョボョにならないように、体と頭の体調には細心の注意を払わなければと思う今日このごろです。

2007年12月15日 (土)

別れの日

 入試という季節はおのずと塾生との別れの季節でもあります。全員の生徒を指導しておりますので、一人一人への思い入れも深まるわけですが、日々成長を遂げてきたこども達との別れほどつらいものはありません。

 最後の指導の日「入試は落ち着いてな」、そんな言葉しかかけてやれませんが、家に帰ればおのずと酒の量も増え、指導の日々をふり返り、センチメンタルに時に涙などするわけです。

 特に今年度の中3生は、中1の時から指導してきたこども達が半数近くいますので、思いもひとしおです。中学校1年の入塾時に、私の胸ほどしかなかったちびっ子達が、わずか3年足らずで私を見おろすようになり、たくましくなった姿は本当に凄いなあと思います。

 部活の後、暑い日も寒い日も自転車をこぎ、塾にはせ参じ、おなかをグーグーいわせながらも一生懸命勉強に励んだこども達を思い浮かべると、このブログを書いている今でさえ、こみ上げてくるものがあります。

 「おまえ今度またこんなことをやったら塾クビだぞ」私の怒声がとんだ日も何度あったことでしょう。やんちゃなこども達は、時としていたずらも度を超すことがしばしばです。

 夕べ父ちゃんと母ちゃんがケンカしてさ~と言って、しょぼくれて勉強しないやつ。俺ふられた~と言って涙ぐんでいるやつ。先生になぐられた~と言って、カバンを放り投げて教室に入って来るやつ。本当に世話のかかる生徒達でしたが、かわいいこども達です。

 「俺高校へ行っても塾続けるから」 そんなうれしいことを言ってくれる生徒もいますが、多くの生徒はあと2ヶ月ちょっとでお別れです。

 毎年、クリスマスのイルミネーションがあっちこっちに点灯し始めるこの季節、目標の志望校合格まであと何が必要なのか、一人一人の指導メモと彼ら彼女ら達の顔を思い浮かべながら、まさしく私の頭の中はイルミネーション状態です。

 志望校の最終決定に向け、今週から各中学校では3者面談が始まりました。いよいよ入試に向けカントダウンです。塾教師をやっているかぎりは、ゆっくりした年越しも正月もありません。

 桜咲く春に向け、受験生と共に突き進むのみです。そう別れの日まで。

2007年12月13日 (木)

モノトーンのしらべ

 当セミナー『風と虹の教室』の代表であるあきこ先生(私の家内でもありますが)は先週1週間ほど、シュタイナー教育の研修講座のため東京に行っておりました。おかげさまで毎朝こども達を起こし、朝食を食べさせ、学校に送って行くという大役を仰せつかり、とても充実した日々を過ごさせて頂きました(・・・笑い)。

 彼女の手みやげの、大量の塾の折り込みチラシをながめておりましたら、ど派手な大手塾のチラシにまぎれ、モノトーンの地味なチラシが1枚ありました。なぜか我が塾に似たにおいをかぎつけたものですから、ついついじっくりと読んでみました。下記のような文章が載っていましたので、そのまま掲載させて頂きます。

  

  『 小規模な個人塾のよさ・・・ってどんなとこ?  個人塾にこそ、受験指導の『職人』がいる!    個人塾の経営者は、”大手”といわれる塾や予備校で長年受験指導に関わってきた者であり、”大手”の良い所も悪い所も知り尽くしたうえで、あえて自分で塾を立ち上げた者達です。こうした者達に対面して話し合ってみて、”こいつは信用できる”と親の目で判断できたら、子供を実際に授業に参加させてみて下さい。そして本人が「ここで勉強したい。」と感じることができたのなら、【絶対】に個人塾に任せた方が、子供は伸びていきます。 (中略) 小規模な塾だからこそ各担当が授業中の様子やノート作りなどをしっかり把握できるので、それぞれに応じた指導・フォローができます。 また、こうした環境だからこそ『集団の中の個人』を全担当が認識し「○○は最近こういうところを頑張っている、こういうところに問題がある」という会話が担当同士で行われるのも個人塾の良さであるといえます。』 by  きぬがさ塾

  可愛らしい児童や女子高生のモデルを使った都会のチラシの中で、一色刷りの文字で両面びっしりと文章を綴ったチラシはかなり異質です。が、しかし大手進学塾が怒濤のごとく進出してきた都市郊外で、30年以上にわたり個人塾を営んできた衣笠先生の人柄と指導理念があふれているチラシのような気がしました。

 受験指導に多忙な中、かく塾の塾長さん方はそろそろ来期の折り込みチラシなりパンフレットの原案作りを始めているのではないでしょうか。私も近年は大手のチラシをまねた広告を作ってきましたが、訥々(とつとつ)と自分の指導理念を綴ったモノトーンのしらべも捨てがたいですね。

 

  

      

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2007年12月12日 (水)

ふたたびTOP

 サンタさんがお父さんさんだってわかったのはいつ頃。こんな質問をすると一昔前の生徒達は、小学校2年か3年頃かな、なんていう回答がかえってきたものですが、最近はちょっと様子が変わって「サンタさんは本当にいるよ」と言い切る中学生が増えてきました。

 スピリチャルな文化が、テレビ等の媒体を通して浸透してきたことの反映だと思いますが、なんとなく私もサンタさんはいるんじゃないかと思ったりするわけです。

 1年で一番日が短くなるこの季節、昔の寒さの厳しい北の国では、病気がちの人は亡くなる人も多かったでしょうし、収穫が少なかった年は、春まで生き延びるすべを見いだすことに必死だったと思います。

 おのずと、目に見えないものへの救いの気持ちも強かったのではないでしょうか。大いなる大地や、空や星への祈りの信仰が、サンタさんを生み出した背景の1つだと思います。

 日本でも『かさ地蔵』や『ツルの恩返し』などの昔話は、日本版サンタクロースの原型だと思います。正直者や働き者の貧しい家に恵みがもたらされる話は、世界中至る所にあります。

 きらめくイルミネーションのもと、若い恋人達が愛を語り合うのも、まあよろしいでしょうが、自分たちが困っている人達のサンタさんになれるよう、自己鍛錬(じこたんれん)し、前回のブログでも書きましたが TOPをめざして頑張って欲しいと思います。

 TOPをめざすために欠かせないものが,  T (Trust信頼)、   O (Originality個性)、P(Prosperity豊かさ)の三つだと思います。いくら個性的であっても、豊かさがなければなりません。お金があっても、信頼がなければ悪趣味なお金持ちで終わってしまいます。

 けがをし血を流している子どもを前にして、祈るだけでは助かりません。血止めをし、すばやく救急車なり病院の手配をしてくれる人がいて命も助かるのです。

 そう、サンタさんはいます。それは努力と自己鍛錬で、人々を救う手段と精神力と、そして決断力を兼ね備えた、そうあなたです。どうかあなたのプレゼントを困っている人に分け与えて下さい。ほんの少しでいいです、出来ればほほえみを添えて・・・・・・

2007年12月 9日 (日)

業界の掟

 8月からブログを書き始め、今回でちょうど50回目の投稿となります。塾の思い出話や、日頃のエピソードを織り交ぜながら、ほぼ3日に1回のペースで徒然書き綴ってまいりました。定期的にアクセスして下さり、読んで頂いている保護者の皆様や塾生の皆さんには、なんとなく私の脳内細胞の中身がわかってきたと思いますが、まあ早い話が、どこにでもいるちょっと癖のあるおじさんというところでしょうか。

 塾教師という職業は、田舎では異質な職業に入ると思います。ここ20年に及び続けられてきたこと自体、自分でも奇跡じゃないかと感じています。正直申し上げて、毎年受験生を送り出す仕事はフレッシャーとの戦いです。

 恩師のお子さんを預かることもありましたし、若い頃たいへんお世話になった先輩の息子さんや娘さんを指導したこともあります。また友人や同級生のお子さんもけっこう入ってきます。はっきり言って落とせません。日々全力投球です。

 私がいつも言っていることですが、「受かれば本人の努力のたまもの、落ちれば塾の責任」。これが厳しい我々業界の掟(おきて)です。

 大手塾業界は、少子化の時代生き残りをかけ、あの手この手の宣伝媒体を利用し、生徒獲得に乗り出してきます。私どものような個人塾は、合格実績で勝負するしかありません。青い目の外人の先生もいませんし、女子高生がうっとりするような若き青年教師も雇っておりません。(お父さん方がうっとりするような美人先生はいます・・・笑い)

 私の指導理念に共鳴いただき、賛同いただいた保護者の皆様に支えられ、これまで頑張ってこれましたし、今後も今までのスタンスを変えることなく頑張っていく所存です。

 この20年近くの歩みの中で、教育の現場ではさまざまな問題が生じてきました。いじめ、不登校や引きこもりの問題などです。私の中学校時代、同級生は280名ほどいましたが、学校に来なかった生徒は確か一人ぐらいだったでしょうか。それが今や30人クラスですと、平均2人以上の生徒が学校に登校して来ない状況ですから、大変な増加です。

 社会も病んでいます。凶悪犯罪の頻繁、働き盛りの中高年の自殺の増加、リストラの嵐。

 「こども達の将来に夢を持てる明るい社会を」このようなスローガンが、ずっと言われ続けてきました。と言うことは今の社会はこども達が夢を持てない社会なのでしょうか。私はそうは思いません。

 学校教育が、平等主義というなの「出る杭は打たれる」式の教育を暗黙のうちに実践してきたが為に、リーダー不在の社会構造が出来上がってしまった故だと思います。

 なんでも話し合いで決めましょう。独断はやめましょう。テスト順位の発表はプライバシーの侵害ですからやめましょう。そんな日々のなかから真の気骨のあるリーダーが育つわけがありません。人の顔色を常に気にし、事なかれ主義のこども達がふえていくだけです。

 私どもの塾の表に、TOPという文字が掲げられています。世の中が繁栄し、豊かになるためには、すばらしいTOPの人材が適材適所に必要です。そういった人材を世に送り出していくのも、我々塾業界の使命だと考えます。                             

幕末の松下村塾のごとく、この不確かな時代を勇気ある行動で闊歩(かっぽ)できる生徒を世に送り出すこと、これこそが私塾業界が実践しなければならない掟ではないでしょうか。

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2007年12月 7日 (金)

こたつでジャズを

 さむい季節になると、ジョン・コルトレーンのバラードを聴きたくなります。暖炉の前でくつろいでいるような暖かい感覚に浸れます。

 ジャズを聴き始めたのは10代の後半だったでしょうか。大人のけだるさをちょとかいま見たような、とてもセクシーで、思索めいた音楽に引きつけられたような気がします。

 サックスの音が一番好きですね。喜びや悲しみ、人間の感情が一番ダイレクトに伝わる楽器ではないでしょうか。

 親元を離れ一人暮らしを始めた頃、東京の風景とジャズの音楽が憎らしいほどマッチし、心をしめつけられたのを覚えています。群衆の中の孤独をジャズが癒してもくれましたが、時としてその孤独感をきわだたせてしまうのもジャズでしたね。

 コルトレーンの曲の中では、彼が初めて出したリーダー盤『コルトレーン』の中の「コートにスミレを」が、とてもドラマチックで好きですね。この曲はマット・デニスの作曲によるものですが、ガーランドのピアノ・トリオをバックに、若きコルトレーンの息づかいが聞こえてきます。

 なにか迷って立ち止まってしまった時にこの曲を聴くと、「だいじょうぶ、やってみようよ」と、前向きの風が吹いてくるんですね。とっても力強いバラードです。

 彼が発表した盤の中ではやはり、1963年にリリースされた『バラード』が完成度といい、演奏のモチベーションといい、群をぬいていると思います。コルトレーンのテナーサックスが聴くものの五感を刺激し、感情を揺さぶってきます。

 3年に一人くらいの割合で、音大志望の塾生が入ってきます。クラッシックをやっている彼らに1960年代のブルーノートのCDを貸してあげると、みんな凄いと言いますね。旋律がきれいだと言います。

 1970年代以後のジャズは正直言ってあまり好きじゃありません。と言うか聴かないですね。ロックミュージックに迎合したジャズはもはやジャズというジャンルの曲ではなくなってしまいました。ロックはロックでいいですし、ジャズはジャズのままでいて欲しいと思います。

 もしこれからジャズをたしなみたいとお思いの方がいらっしゃったならば、1960年前後の録音盤のCDをお勧めします。アートペッパーやマイルスディビス、ビルヱバンス等のジャズメンから入って行けば、後はジャズの幽玄の世界にどっぷり導かれて行くことでしょう。

 ワインを片手に暖炉のそばでジャズをといきたいところですが、芋焼酎のお湯割りを片手に、こたつの中で聴くジャズもなかなかおつなものです。

2007年12月 5日 (水)

父親として

 5年前に、岩手県南地区のPTA家庭フォーラムで、父親の子育てをテーマにした講演をして欲しいというお話をいただきました。私にも息子が二人いるものですから、講演原稿を書きながら、改めて父親というものをじっくり考える機会を持たせていただきました。

 私ごとで恐縮ですが、次男が生まれた時に、非常に危険な状態でした。生まれた直後よりミルクが飲めず、レントゲンの結果小腸大腸が絡まりあっていて機能していないということで、一関から仙台の東北大学病院に救急車で搬送されました。即手術と言っても、生まれてまもないちいさな体です。本当に神に祈る気持ちでした。

 友人や知人の励ましが強い味方でした。なかには酒絶ちなどの願かけまでしていただいた友人や父兄の方もいらっしゃり、感謝しても感謝しきれません。

 皆さんのお力添えで、どうにか一命をとりとげ、今は身長だけは学年で1番という大きな体に成長し、休みの日には私の卓球に付き合ってくれています。

 長男の時は、夜のミルクの授乳やおしめの交換やら、すべて妻に任せっきりで、私は何もやりませんでした。次男の時はこういった経緯もあり、私自身が言うのもなんですが、妻も産後、精神的なショックで母乳が出ませんでしたので、私がミルクを作り、おしめも換え、こまめに育児らしきことをしておりました。

 その時父親として実感したことは、夫が妻の育児の大変さをわかってあげるだけで、母親として妻はとても楽になるんだな~ということです。とかく男は、会社で俺は頑張っているんだ、生活の面倒は俺がみているんだ、女房が炊事洗濯、育児は当然じゃないか、と思うわけです。

 誰に褒められるわけでない、やって当然のこととして日々頑張っているお母さん。でもその大変さを夫が理解し、やさしい言葉をかけてあげることで、お母さんは育児にもまた新たな元気が取り戻せるんですね。・・・・原稿を書きながらそんな事を思い出していました。

 講演にあたり、父親が不在であることの教育上のデメリットをいろいろ考えていました。塾教師を20年あまりやって来て、不登校の子ども達や引きこもりのこども達とずいぶん接してきましたが、過去の指導メモや日記を眺めているうちに、あることに気づいたのです。

 実は不登校や引きこもりになっている男子生徒に、ある共通点が見つかったのです。私だけが関わってきた事例にかぎれば、彼らの90%以上のお父さんがお婿さんなんですね。これには自分のメモを見て驚きました。もちろんお婿さんのお父さんで、素晴らしい教育者のお父さんをいっぱい存じ上げていますが、このパーセンテージは単なる偶然なのでしょうか。

 離婚や、不幸にしてお父さんが亡くなられた家庭には、引きこもり等の事例が少ないのです。私は精神科医でもありませんし、児童疾患の専門のカウンセラーでもありませんので、個人的な分析は控えさせていただきますが、父親のストレスや感情の抑圧が男の子に影響しやすいのかなと、考えています。

 太古の社会では、父親が息子に狩の仕方、漁の仕方を教えました。農家に置いては、今でも父親が息子に米作りや野菜作りを伝授しています。かつては、子どもが父親を尊敬する種がいろんな所にいっぱい落ちていました。父親が子どもに自信を持って伝えられるものが、現代社会では少なくなってきたのでしょうか。父親としていろいろ考えさせられます。

 

 

2007年12月 4日 (火)

白ゆりテスト

Pc020092 日曜日、今年最後の白ゆりテストが県内一斉に行われました。

当セミナーでも16名の中3生が早朝より集い、頑張りました。

 志望高校別の偏差値及び順位が出るテストとしては、県内で最大規模の実力テストです。今中学生のお子さんをお持ちのお父さんやお母さん方は、白ゆりテストという言葉の響きに、ほろ苦い青春時代を思い出すのではないでしょうか。

 当時は、中3生の実力テストとして全員が受けさせられました。今のようにパソコンなどの情報網がありませんでしたので、進路指導の最重要テストでした。当時の白ゆりテストで、中3の頃志望校を決めた保護者の方も多かったのではないでしょうか。

 15年ほど前に、当時の文部省の通達で公教育での業者テストが廃止となり、それ以後は学習塾を会場とし、希望者が受験する形で実施されています。

 学校ごとに置きましては、夏以降毎月実力テストが実施されております。それぞれクラス順位、学年順位を本人に渡し、進路指導の資料とされています。また各塾に置きましても独自のテストを行い、志望校の絞り込みを行っているようです。

 当塾に置きましては、塾生全員の指導記録を毎日私が書きとめております。1年間で6冊の大学ノートが資料として残ります。生徒が何日の何時に指導室に入室し、何の教科のどの分野の何をやったかが記入されます。従ってどの生徒が何が苦手でどこが得意なのかはもちろんのこと、性格的なこと、家族間のトラブル、友達同士の関係等、万が一塾生が見ても分からないように、宇宙的暗号(単に字がきたな過ぎて読めないだけの事ですが)でメモしておきます。

 この時期になってきますと、こども達のオーラーみたいなもので、乗っている生徒はすぐ分かりますね。そのへんは霊能者さんでなくとも、25年も受験指導をしていると分かるものです。

 たとえテストの結果がいまいちでも、努力中の生徒は必ず3月までに伸びて行きます。結果にくさらず、一歩一歩です。

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2007年12月 1日 (土)

赤ペン物語

 塾で一番消費する文房具は赤ペンです。年間50本ぐらい使います。 

 ペンを握りすぎて腱鞘炎(けんしょうえん)になることもしばしば、20年来の肩こりは、赤ペン故の職業病です。今年始めたブログの打ち込みも加わり、鋼鉄の肩を通りこし、プラチナの肩になったような気がします。

 よく男子生徒のM君が、私の肩をマッサージしてくれるんですが、おやじの肩もがぢがぢだけど先生の肩は、ぜんぜん指がはいんね~と悲鳴をあげていました。

 ショッピングセンターなどに入っているマッサージに行きますと、お客さん、なんの商売をやっているんですか、この凝りようは異常ですね、とよく褒められます?きっとアメフトをやったならば、私の場合、肩のプロテクターはいらないですね。プラチナの肩ですから。

 本題の赤ペンの話にもどります。20年来さまざまな赤ペンを使ってきました。パイロットのおなじみの3色ペン。ユニの赤ペン。ちょっと奮発してパーカーの赤インクペン。そして最近ではダイソーのゲルインクや無印のゲルインク赤ペンなど、赤ペン評論家になれるほど数をこなしてきました。

 そしてここに来て、私なりの赤ペンの到達点を見たような気がします。単に赤丸をつけるのなら無印のゲル赤インクが最高の滑りを見せますし、テストプリントなどへの書き込みをするならユニの赤ペンが最適ですね。重さと横滑りのバランスが絶妙です。

 ちなみに100円ショップのゲルインク赤ペンは中国製だけあって、商品にむらがあります。当たれば、千円以上もするペンの書き味を見せてくれますが、はずれれば一日でインク漏れがはじまり、手が真っ赤か状態に陥ります。

 また仕事に乗らないときは、パイロットのHI-TEC-Cの赤ペンがいいですね。カチィトというふたの閉まる感覚が気持ちを引き締めてくれます。ただし書き味は今ひとつ。

 そうそう、油性の赤ペンは私にはダメですね。字の汚さが強調されますので、字の自信のない方は避けたほうが無難だと思います。それと疲労しているときは0.5ミリはやめましょう、字のむらがますますストレスを生みます。0.3ミリでそっとなぞって深呼吸です。

今日は赤ペンのノウハウを永遠と綴ってしまいました。参考にもならないかもしれませんが、あしからず。

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