テレビを消してみませんか
突然ですが、私の人生に置いてテレビ空白の時代というのがあります。高校1年の時から23歳頃までの8年間です。時代的にわかりやすく言いますと、ピンクレディがデビューしてからおニャン子クラブが解散するまでの期間といえば、分かりやすいでしょうか。
ありふれた日常からの逃避といえばかっこよく聞こえますが、急にテレビの醸し出す押しつけがましさが嫌になったんですね。
ギターを弾いているか、本を読みながら音楽を聴いているか、音楽を聴きながら本を読んでいるか(同じですか・・・)そんな日々でした。
バイトがオフで大学の授業がない日は、よく下北沢のノイズや吉祥寺のピアノハウスに行って、本を片手に日ながジャズを聴いていました。きっと誰かのリクエストだったのでしょう、ジャズの合間に当時ヒットしていたキャロルキングのタペストリーがよくかかっていたのを覚えています。
あの頃聞いたジャズの音は、今でもそっと耳を澄ますと、懐かしいコーヒーの香りと共に響いてくるような気がします。
ラジオもよく聞きましたね。オールナイトにっぽんのあの深夜の時間帯は、頭が冴えわたり、ラジオを聞きながら様々な妄想に浸っていました(笑い・・・・)。
よくテレビで懐かしの場面集なんていうのをやりますが、あまり懐かしくないんですね。おニャン子クラブも、まさかあんな過激な歌詞をあんな若い子たちが、テレビで、それもあんな大勢で歌っていたなんて今思うと凄いですね。
笑い話のようですが、むかし東京の塾に勤めていたときに、夏期講習のバイトの先生を決める採用面談を、校長に頼まれてやったんです。その時の学生が、金八先生が教育者としての私の理想です、なんて言うもんですから、あなたの恩師か何かですかと聞きましたら、は~とか言われたりして、知らないのも怖いですね。
今になって思うことですが、あの頃テレビから離れて本当に良かったと思います(おニャン子クラブを見られなかったのは残念ですが・・・笑い・・・)。本がいっぱい読めましたし、すてきな音楽もいっぱい聴きました。そしてよく風景をながめていましたね。
今の高校生は携帯メールの中毒になって、学校の帰りは携帯を手に持ち、うつむきながら帰っていきます。秋の色づく山々も、秋の空の風景も目に入っていないんじゃないかと思います。失礼ですが、なんか日本の高校生がみんな鬱病になったんじゃないかと心配してしまう姿勢ですね。
私は携帯を持ちませんので詳しくはわかりませんが、テレビを見たり、インターネットをしたり、ゲームをやったりと、今の携帯はかなりマルチに使えるらしいのですが、若者達は本など読んでいるのだろうかと、心配になってきます。
若い頃に育つクリエイティブな感性が、どうでもいいような垂れ流しのテレビ番組や、どうでもいいようなメールの渦に巻き込まれ、鈍感になってしまっていないでしょうか。
身近な政治にも世界のありようにも興味を持たず、ピコピコとゲームをやり、ありもしないバーチャルな世界に快楽を求める若者を見ていると、悲しいですね。
平日のゲームセンターに行ってみると、うつろな目をした青年がゲーム機を前にして、喜ぶでもなく、悔しがるでもなく、無表情な顔をしてレバーを動かし続けています。その光景は、目をきょとんとして、お笑いのバラエティ番組を毎日見続けているこども達の姿とリンクしてしまい、寒気を覚えてしまいます。
皆さんそろそろテレビのコンセントを抜いてみませんか、こどもの感性のために。
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