20年のギャプ
大学を出たばかりのぺーぺーの塾教師だった私が、東京の学習塾で中3の受験学年を担当していた頃の話です。
もう25年も前の事ですが、ちょうど今頃の季節だったでしょうか。都内の私立高校の先生方が菓子折持参で、中3担当の我々塾教師に挨拶に来るんですね。私立受験の進路指導の際には我が校をよろしく、という主旨の訪問だったと思います。
地方出身の私にしてみれば信じられない光景でしたね。頂いた名刺を見ると、いずれも誰でもが知っている有名私立高校です。30代の中堅の先生が、私などの若造に深々と頭をさげて頂き、ほんとうに恐縮という感じでした。
その2年後、私は岩手に戻り塾勤務をしておりました。とある公民館に、中学生の冬期講習をやりたいので2週間ほど空いている会議室を貸して頂けないかと、頼みに行きました。そこの館長さんは、女性の方で小学校の校長先生をなさっていた方でしたが、そろばん塾や書道なら貸せるけど、学習塾には貸せませんとむげに断られました。
それだけならまだしも、「だいだい塾が教育をめちゃくちゃにしているのよね」という捨てぜりふのプレゼントまで頂きました。これが田舎の塾に対する認識かと、いろいろ考えさせられる出来事でしたね。ちなみに当時東京の世田谷では、地元の塾の代表が校長先生の招きで、小学校の入学式や卒業式に来賓として出席しておりました。
あの時から20年以上の時が経ち、一関の塾にも宮城県や岩手県の私立高校の先生方が、パンフレットやポスターを抱え生徒募集のお願いにいらっしゃるようになりました。なかには塾の代表者を招き、懇親会を催す高校さえあります。東京に遅れること、20年以上の歳月を経て、ようやく田舎の塾の存在価値が認められてきたのかと、素直に喜んでおります。
むかしあの公民館館長さんからいわれた言葉がとてもとても悔しくて、なんとか塾教育の価値を知ってもらいたいと奮闘してきた事が、ようやく花開いてきたのかなと思います。田舎での塾の価値が高まってきたのも、私塾を営まれている多くの先生方が、教育に対する情熱と努力で、学校教育で補えない多くの部分をサポートし続けてきたたまものだと思います。
読み聞かせや歌をうたいに小学校におじゃまする際に、心から各校長先生には歓迎を受けております。ありがたいことです。いつも思うことですが、こども達のはつらつとした元気な笑顔を見ると、日本の将来はこの子達に任せられるなと思います。
明日からいよいよ師走です。先生方が走り回る忙しさがやってきます。さてと・・・・・
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