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2007年9月

2007年9月30日 (日)

「己を知る」大切な10月

 県立高校の入試まで5ヶ月となりました。これからがいよいよ正念場です。  

 今年は暑くてとても長い夏でした。ここに来てようやく涼しさが感じられるようになりました。集中のできる季節です。

夏休み中に1,2年の復習が出来た3年生は、これから大切になる数学の二次関数や英語の長文読解にすんなり入っていけるでしょう。一方、今ひとつ夏休みにはかどらなかった生徒諸君は少しあせり気味の受験勉強になると思います。とくに社会や理科の暗記分野が苦手な方は少し参考書を離れ、1,2年の教科書をしっかり読み全体像をつかむことをおすすめします。そしていつも実力テストに出るのに答えられない分野や項目をノートにメモ程度でいいので書きとめ、自分は何が分からなくて解答できないのかを知ることです。

 10月は受験生にとって、「己を知る」大切な最後のチャンスの月ですこの10月を過ぎれば、おのずと周りの中3生はラストスパートをかけてきます。追いつこうにもたいへんになります。まさに今です。

 国語の読解力が弱くて理科や社会が征服できない生徒は、マンガを活用して下さい。日本史のマンガや生物分野のマンガ参考書など、様々なものが出版されています。図書館に置いてあるものもありますし、インターネットの通販で安く買えるものもあります。

 ただ分からないとごねてる暇があったら、本屋さんや図書館を散策し、自分のレベルにあった参考書なり副読本を探してみましょう。本の手触りやインクのにおい、そして字の大きさやページ数等、いろんな好みがあるはずです。自分のベストパートナーとしての受験参考書を探すのも、10月は大切な月です。   

                  がんばれ受験生

2007年9月27日 (木)

プレアデス大学

Photo  会社勤めの方や自営業の方なら一度ならず経験があることだと思いますが、「○○の会社まだ行ってるの?」、「まだやってるの?」という相手からの挨拶がてらの言葉は、とてもいやな気分になるものです。

 若い頃、知人や同級生に久しぶりに会うと「まだ塾やってんの」と、よく聞かれたものです。相手の本意はわかりませんが、言われた方にしてみれば「まだつぶれないのかい」と言われたようなそんな気持ちになってしまいますね。

 不思議なもので40歳を過ぎた頃から、ようやく言われなくなりました。
私の周りの人間が大人になったのでしょう。最近は「忙しいですか」「体調はいいかがですか」こんな言葉を知人から掛けられるようになりました。ひょっとすると又今度は60歳を過ぎたあたりから「まだやってるの」と言われるかもしれませんが・・・。

 後これも多くの人が傷ついた経験として耳にすることですが「高校はどこですか」「大学はどちらを出たんですか」としつこく聞いてくる人がいますね。聞いてくる人を大別すると、学歴が無くてコンプレックスを持っている人か、中途半端にいい大学を出ている人ですね。     私の卓球仲間の一人に、初対面の人にいきなり、出身校を聞くおじさんがいて、みんなから敬遠され、とうとう卓球には声を掛けられなくなったおじさんがいます。
 気をつけたいですね。

 塾を始めた頃のことですが、電話をとった瞬間

「先生はどちらの大学を出ているんですか!」 と、突然言われた事がありました。

今でも笑いぐさになっていますが、私はいつも 「プレアデス大学」と答えています。

もちろんそんな大学は存在しません。すばる星団の英語名が「プレアデス」です。「アメリカの大学を出られて居るんですか」という返事に、「ハイ」などと答えている自分も自分ですが、そもそも失礼なのは、そのような質問をいきなりしてくる方であって、私のちょっとした反抗でした。
とある日、塾に入ってきた中2の女の子が「先生どこの大学終わったんですか」と尋ねてきました。周りの塾生は、そらきたぞとばかりに、にやにや顔です。「先生はプレアデス大学を出たんだよ」   女の子はしっかりノートのすみっこにメモしていました。

 翌日、女の子は「先生、家に行ってお父さんやお母さんにプレアデス大学だよって言ったら、じゃあアメリカかイギリスの大学じゃないの言われたから、中学校の英語の先生にプレアデス大学って知ってますかって聞いたら、日本じゃないよっていうし、先生、それって、どこ?」
近くにいた塾生が・・「宇宙だってば!」

 ということで、私のふるさとの星プレアデスの写真を今日は載せてみました。
 

2007年9月25日 (火)

神様が連れてきた天使達

 もしあなたが塾の経営者で、「○○ちゃんがあの塾に行っているから誰も行きたくないっていってるよ」という声を耳にし、実際一人としてその学年に塾生が来なかったら、どうしますか。実は長い塾運営の中で、一度そういうことがありました。

 見た目は清々しい素敵なお嬢さんなのですが、周りの評判がかなり厳しい。高校に入学すると同時に当セミナーに入塾してきました。夏を過ぎても1年生は彼女一人。今年は1年生が来ないな~、なんて思いながら秋も深まったある日、塾に来ている3年生達が私に、「1年の○○ちゃんこの塾に来てるでしょう。先生あの子ねしょっちゅう彼氏を換えるって評判で、英語習いたいって言っている後輩誘ったんだけど、その子が居るから別の英語塾にするって言ってたよ」

 どうですか、経営者としてはかなりショックですよね。でもその彼女、勉強は熱心なんです。もちろん退塾させる理由などあるわけがありません。冬になっても状況は変わりません。高校生の英語指導を諦めたわけではありませんが、食べてはいけないので、中学生部門を全教科指導に切り替えました。高校生の居場所が狭くなってしまいましたが、しょうがありません.

 ちょうどそんなおり、12年も前のことですが、駅前に大手の英会話学校がいくつか進出してきました。外人講師の個別指導をうたい文句に、派手な宣伝を日々繰り広げ、その結果、むかしからあった市内の英語塾がことごとく廃業していきました。私の塾はその彼女のおかげで生き残ることができたのです。もし英語中心の塾のまんまでしたらつぶれていたでしょう。

 例の彼女は本当にまじめに3年間通っていただき、たった一人で塾を卒業していきました。噂はどうあれ、私は実際見たわけでもありませんのでわかりませんが、今では神様が連れてきてくれた女神だと思っています。

 最近も「○○ちゃんが居るからうちの子行きたくないって言ってるんです」なんて声をたまに聞きますが、今塾に来てくれている生徒達は、神様が連れてきてくれた天使達だと思って指導しています。ですから時に厳しい一喝も落ちるんですね。

2007年9月19日 (水)

合格祈願

 大験セミナーでは、毎年合格祈願に奥州市水沢区にある駒形神社に参拝してかれこれ18年になります。塾生の卒業生も何人か駒形神社ファンになったものがいて、「先生お正月には駒形神社に家族で行ってるよ」なんてお言葉をいただきます。途中、世界遺産を目指す中尊寺があるのに、何故、そこを通り越して駒形神社なのかという塾生の声もあることは、あります。神様も好みの問題かなとちゃかしておるしだいです。
 この駒形神社、もともとは明治の初めまでは夏油三山の一つである駒形山の山頂に鎮座しておりました。明治になって明治天皇が参拝する際に現在の水沢公園の地にお迎えしたわけです。現在も駒形山の山頂には奧の宮として小さな社が祭られています。

 実は私は、山を愛する自称山男でして、奥羽山系の須川岳、焼石岳、そして北上山系では秀麗な姿を誇る早池峰山、そして五葉山と30代の頃はとにかく暇があれば近隣の山々を駆けめぐっておりました。
 その一歩となった山が駒形山だったのです。

 教え子だった大学生のM君と二人暑い夏、駒形山山頂を目指しました。
ぶなの原生林、山の中腹で出合ったせせらぎ、そして水のうまさ。深い森に差し込む太陽の日差し。その木漏れ日の中咲き乱れる高山植物の花々、山の専門知識もない二人故、安物のスニーカーで上って行ったものですから、あちこちの湿地帯では足を取られ、岩に滑り、大変な状態になりながらの登山でした。
   数時間の山登りの間、本当にいろんな事を考えていました。生まれたばかりの子供のこと、そしてその孫の顔を見るのを待っていたかのように、その後すぐに他界した父のこと、家族を養うべく独立し、設立した塾経営のこと。
  二人黙々と汗を流しながら、それぞれの将来のこと、現実との狭間でのギャップ等いろいろ考えていたんじゃないかと思います。
 
 山頂から見る北上平野の広大さ、きらきらと輝きながら、絹の糸のようにたゆたう北上川、威厳を持って風景を圧倒してくる奥羽山脈の峰々、確実に山にいやされていく自分を感じていました。山の神、風の神との遭遇と言ったら大げさでしょうか。
 私の人生を変えた生涯初めての山登りでした。

  その後、私の塾はどうにか18年持ちこたえてきましたし、M君は早稲田大学を無事卒業し、今は東京でコピーライターの仕事をしています。
 駒形山の縁あって、我が塾の合格祈願は、毎年駒形神社の神頼みと相成った訳であります。
 入試の時は、大験セミナーの塾生達は駒形神社の合格鉛筆をもって行くのが慣わしになっています。
今年もAO入試が近づきました。魔法の鉛筆が威力を発揮する事でしょう。
  

2007年9月16日 (日)

高校での最後の日

 私どもの塾は、県立一関一高のすぐ前にあります。そしてその一高の敷地から100㍍も離れていないところに、私立一関修紅高校があります。今年1月~3月までの短い期間でしたが、修紅高校の1学年に、臨時講師として国語を教えました。 
  春期特別課外の最終日に、特別進学コースの生徒の皆さんにお話しした内容を直接話法で表現させて頂きます。

  「高校に入って、1年が終わろうとしているけれど、振り返ってみてどうだろうか。ちょうど去年の今頃、高校入試が終わり、残念ながら県立高校に入れずやむなく、この高校に入った者もいるだろう。又、スポーツ特待生で夢と希望にあふれこの高校の門をくぐって来た者もいることだろう。

今日は、君たちに、私立高校で学ぶ意義について話をしたいと思う。  将来何かの役に立ってくれればと思う。

 実は私の塾に通っていた、一関一高の女子生徒のことで、ちょっと話してみたいと思う。ちょうど10年前の事なんだけど、塾の教室で彼女が友達と話していたことなんだが、こんな発言をしたんだ「こうやって無事、一高に入れてよかったね。受験の時は本当にびびったよね。だってさ、もし落ちていたら私修紅だったじゃない。天国と地獄よね」
 私はめったに生徒に手を挙げるということはないんだけど、その時ばかり平手で彼女の頭をなぐっていたね。そしてこう言ったんだよ「おまえな、確か大学は教育学志望だったよな、おまえみたいなやつが、先生になったら迷惑なんだよ、さっさと道具まとめてこの塾から出て行け」 

 彼女にしてみたら、ちょっと口がすべった事なんだろうけど、人間を学力で見下す彼女のその意識が私には許せなかったんだよ。

 後日、彼女から謝りの言葉をもらった。そして卒業するまで、塾に来てくれて、みごと国立大の教育学部に入れた。そしてね彼女は、何を大学で専攻したと思う?障害児教育だよ、今は養護の先生をしてがんばっている。みなさんどうだろう。自分が上にいると思っている人は、下の者を見下してしまう。でもそう言う人って本当の幸福を手にするだろうか。

 気づきがないと大変なことになるんじゃないかな。彼女は気づいたんだと思うんだ。

 君たちが経験した悔しさとか、劣等感だとか、もろもろのものが、決してマイナスではないと思う。この中で先生を目指している者もいるはずだし、将来企業で上に立つ者もきっといるはずだ。  わずか15歳という年齢で、中学生を選別してしまう社会が決していいはずはない。  けどね、やっぱりこれが現実なんだよ。もしこの一年振り返って、なんかぐちってたな~とか、もやもやしてたな~とかあったらさ、ちょっと意識をチェンジしてみようよ。人は他者をいたわってあげるとそれが何倍にもなって返ってくる。逆もしかり。人をさげすんだりしていると、それも何倍にもなって返ってくる。こうやって私学で学んでいくことは、公立に行っている圧倒的に多くの高校生より、違う視点でものが見えているってことなんだよ。
  それが君たちの強さだって、きっと将来わかると思うよ。

 短い間だったけど、授業を聞いてくれて、ありがとう。    

             

2007年9月13日 (木)

フリースクールと云うカテゴリー

 フリースクールの登録案内書や、広告掲載の勧誘等、いろんなパンフレットが各機関、出版社から塾に送られてきます。また公立の先生方より、不登校生の受け入れの相談、出席扱いになるのかなど、電話での問い合わせがあります。

 世の中では、不登校生を受け入れる塾イコールフリースクールと云う認識を持っていらっしゃる方が多いようです。当塾大験セミナーも、全国のフリースクール誌に名前が掲載されておりますので、この件に関しまして、様々な問い合わせを教育関係者並びに保護者の皆様からいただきます。そのような時に、私がお話し申し上げていることを今日は書いていきたいと思います。

 私が考えるフリースクールとは、自由に来たいときに来て、自由に勉強する学びの場ということではありません。学校にどうしても行けない生徒さんで、でも勉強はしたいんだという生徒さんをサポートする塾という認識です。いじめが原因で、精神的に追い込まれてしまっているこども達、様々な障害を持っているこども達はたくさんいます。見た目で判断されてしまったり、言葉の暴力に晒されたり、勉強したくても行き場所がないこども達を支援し、自立させる学びの場がフリースクールだと思っています。

 そんな中、大手予備校がフリースクールという名目で多額の月謝で不登校生を集め、企業として運営しているケースもあります。せれぞれの経営サイドの考え方でしょうから、ニーズがあるというのであれば致し方のないことだと思います。せれにしてもです・・・・

 昨年、文部科学省より一通の手紙がまいりました。フリースクールの中で、不登校の生徒を指導している場合、次の条件を満たせば、学校への出席とみなし、国からの支援を行うというものでした。講師が教員免許を有すること、カウンセラーを置くこと、体育施設が有ること、等々。私は「なんだこりゃ~」の気持ちで、苦笑してしまいました。
 

 これじゃ普通の学校じゃないか「彼らは学校という公共の場に行けないので、私どものような個別指導をたよりに来ているのではないか」と、私の心は憤っていました。
 お上のやろうとしていることは、いつもこうです。これだけの条件を揃えられる、フリースクールなど、大手企業か、全国規模で教室運営を展開している大手塾ぐらじゃないでしょうか。

 今回の介護支援企業の一連の不祥事件もそうですが、善意を装って、弱者を食い物にする企業が後を絶ちません。
 フリースクールと言う名の金儲け企業が、教育業界に蔓延らないことを願わずにはいられません。

2007年9月12日 (水)

磐井川散策

 教室のすぐ横を、磐井川が流れています。春に桜が満開になると、多くの市民の方が集います。堤防にはよもぎや野ばらが香り、ひばりが舞い、本当に気持ちがいいです。二階の教室の窓を開けると、風に運ばれて桜の花がいっぱい舞い込んできます。

 一関一高や修紅の部活の生徒さん達が、堤防を走り抜けます。吹奏楽部に入部した生徒さんでしょう。河川敷公園で、ブーブーとトランペットのマウスを吹く音が、たよりなげです。夏が近づくにつれて、そのブーブー が、楽曲のフレーズのメロディーになっていきます。それが私の好きなジャズのワンフレーズだったりすると、思わず窓から眺めたりして、音の主を捜したりします。すると、タオルを首に巻いた純朴そうな男子生徒が、一生懸命に川に向かって譜面と格闘しているですね。その姿が山の緑をバックにさわやかなんです。そしてそんな頃、このブログわくわく日記もなんとかスタートし、つたない文章ながら、2ヶ月で総数400名もの方々にアクセスして頂きました。

 各サイトの、管理者の皆様のご協力で、多くの保護者の皆様にも見て頂いております。大験セミナーのブログを快く掲載して頂きましたIchinoseki-netの島川さん、教育情報ポータルサイトeduonの樫谷さん、ほんとうにありがとうございました。この場を借りて、感謝申し上げます。又このブログに、ご意見、ご質問等いただければ幸いです。気軽に書き込んで下さい。お願いします。

2007年9月10日 (月)

言葉が変われば

  勉強が良くできて、スポーツもできて、人望が厚い生徒。親御さん達は自分の子どもがそんな子であればいいなと必ずや思うはずです。
 塾教師を25年以上もやってきますと、出来る生徒と出来ない生徒のボーダーラインが何によって決まってくるのか、うすうす感じてくるのではありますが、おおっぴらに言えないところ所もあります。  他の塾の先生方や学校の先生方と、プライベートで本音を語り合う機会が本当にまれにあるのですが、家庭に置ける家族の影響が子どもの能力を決定する要因にほとんどなって居るんじゃないか、という言葉が必ずでてきます。  

 出来る子どもの親は、自分の子どもを、心の底から、安心して出来る子だと思っています。それは、子どもがはいはいを始めた時からかもしれません。 もしくは、小学校に入学
して、名前を呼ばれた時の返事の仕方で、そう思ったのかもしれません。ある時、何かをきっかけに、自分の子どもは心配ない、出来るやつだと思ったときから、出来る子どもになるんです。自分の子どもが優秀だと思えない、だからお子さんは優秀になれないんです。それだけです。 優秀だと思えないから、優秀にしようとする次の行動が生まれないのです。

 「なぜうちの子どもは、勉強ができないんでしょうか」 このような質問を多くの学校の先生方が、保護者の皆さんから発せられているはずです。親御さんが、自分の子どもは勉強できない 、と云う言葉を口にして、それを現実化していることに気づけば、きっと何かが間違いなく変わってくるはずです。 

数学ができない、漢字が書けない、英語が話せない。このように言われ続ければ、いつも 「~できない」と云うところに意識が集中し、出来ることに自信が持てない子どもになってしまいます。態度が変われば、習慣が変わります。習慣が変われば言葉が変わります。そして、言葉が変われば運命が変わるはずです。 ポジティブな思考や言葉は劇的に人間を変えます。実践してみませんか。                                         

 

2007年9月 8日 (土)

入魂の一冊

 「読書感想文書くんですけど、何か先生良い本ありませんか」

長期の休みとなると良く聞かれますが、実はこの本良いよってあんまり薦めたくないんですね。  よく夏休みが近づくと、青少年読書感想文推薦図書なんていうのが本屋さんに平積みにされていますが、あれもちょっとどうかと思います。
本との出合いというのは運命的なものがあって、出合うべきして出合うみたいなそんな感じでとらえています。  私なんか小さい頃からそうなんですけど、この本いいよって言われた瞬間に、読みたい気持ちが引いてしまうんですが、性格が捻くれていたんでしょうけど、今もそうですね。
 読書といえば、きっかけは遠い昔のことで、ぼんやりしてしまいましたが、高一ののころだったでしょうか。一万冊の本を読むという誓いをたてたんです。何故って聞かれても困るんですけど、とにかく決めたんですね。一年に200冊読むとして50年かかる計算になるんですが、なんとか結婚した26歳の頃までは順調にいったように思うんですが、家庭をもち、子どもを授かってからは、ペースががっくと落ち、正直申し上げて今現在目標の半分も達していません。これから何歳まで生きられるかわかりませんが、5000冊以上読むのは、厳しい・・いや無理でしょうね。

  ずっと前に、書斎とは名ばかりの物置部屋を家内にせっつかれて、整理し、ぐちゃぐちゃ状態の本を、なんとか背表紙の見える状態にしました。
 そして、ふ~と、周りを見回して考えた事なんですが、この中から一冊だけ持って宇宙に出かけるとしたら、何を持って行こうかって、ちょっと暇だったんで考えてました。
 物語のバリエーションと質という点を考えると、やっぱり『聖書』かなという結論に至ったのですが、どうでしょうか。

 キリスト教徒でもない私が、ここで聖書がどうのこうのという持論を述べるのは、控えさせてもらいますが、やはり聖書はいにしえ人の入魂の一冊だと思います。

2007年9月 7日 (金)

サッカー塾

 当セミナーには、いろんな不思議な現象がありますが、その一つになぜかサッカー部員が多く集まるという現象があります。
  先月、岩手県大会で優勝・東北大会3位を勝ち取り、みごと全国大会出場を成し遂げた桜町中学校のイレブンも、半数近くが当セミナーに通ってきております。
 また、その桜町と地区大会の決勝戦で延長までもつれ込む素晴らしい戦いをした一関中学校のイレブンも、また半数近く通ってきております。
他の中学校のサッカー部員も入れると、3年生男子塾生のほとんどがサッカー部です。
したがって、巷ではサッカー塾とのネーミングもいただいております。
 今回だけではなく、かつてもそのようなことがありました。  不思議です。

 私自身は、「ダイケンピンポン」という非常に弱そうな名前のチームを作り、息子とたった2名で地元の卓球大会に出ていますが、決してサッカー関係者ではありません。
教え子にサッカーのコーチがいるわけでもありません。私は、もちろんサッカーは好きですし、小学校の頃は日の暮れるまでサッカーボールを追いかけていました。

きっと、この塾には、座敷わらしならぬサッカーわらしが居るのかもしれません。

 座敷わらしといえば、2年前卓球の県民大会で、金田一温泉のとある旅館に泊まったのですが、その旅館は座敷わらしがでるという全国でも有名な旅館でして、座敷わらしがでるといわれている部屋は、2年先まで予約がいっぱいとの事でした。
 ちなみに、その部屋を見学させて頂いたのですが、座敷わらしを見て会社の経営が良くなった、病気が治った等の感謝の手紙やら、人形やらが所狭しとへやに飾られておりました。

 当セミナーにも、受験絶対合格の座敷わらしがいてくれれば、鬼に金棒ですね。
そうすれば2年3年先まで入塾の予約でいっぱい、なんて事になるのでしょうか・・・
本日はちょっと幻想の世界に入ってしまいました。これで失礼します。

 

 追伸、   昨日ブログを見たという塾の男子生徒に「先生、まじめすぎてつまらない」という厳しい評価をいただきましたが、根がまじめなものですのでお許し願いたい。

2007年9月 6日 (木)

ドキットする質問

 子ども達は時として、思いがけない質問を大人である私達にぶつけてくるものです。
今日はそんな子ども達の、ドッキリ質問を取り上げたいと思います。
 

  一年に一度くらい、なんの脈略もない状況で、塾生が突然私になげかけてくる質問。
皆さんは何だと思いますか。「年齢?」          いやいや

          「出身大学?」       いやいや

          「妻とのなれそめ?」   いやいや、そんな質問で戸惑う 私ではありません。その質問とは・・     「将来の先生の夢は何ですか?」  これです。

 中年を迎え、髪の毛も危うくなってきた大人にとって、将来の夢って何でしょう。
これは本当にドキッとします。確実に人生の半分以上は過ぎ去り、体力は一歩一歩、衰えていく現実。例えば「孫の顔を見るまで生きること」 「家族の迷惑をかけないで過ごすこと」なんて反応する年齢でもないのは確かなのですが、「私の夢ってなんだろう」としみじみ考えてしまいますね。
 瞳をきらきら輝かせて、問いかけてくる子ども達の顔を見ると、しばらく時は止まってしまいます。
教室ではとりあえず、「そうだな~先生まだ海外旅行したことないので、イギリスの田舎町に行ってぼ~っとしたいな~」なんて答えたりするわけですが、帰宅途中の車の中で、俺の夢、夢、夢などと、思考がリピートするのです。

気持ちの中で欲望は限りなくあるのですが、夢はと言われると戸惑うのはなぜでしょう。

2007年9月 5日 (水)

子ども達の悩み相談 第一位

  塾生の皆さんは、毎日いろんな相談を持ちかけてきます。
「宿題がなかなか終わらない」というベーシックな相談から、「夕べ父と母が大げんかして大変だった」等々。  おそらく保護者の方が聞いたなら、「そんなことまで塾でしゃべってるの!」という感じだと思いますが、不謹慎かもしれませんが、楽しみながら相談に日々耳を傾けております。

 そんな中で相談事、第一位は何かというと、友達関係の悩み事です。
中学生の女子生徒における携帯電話がからむトラブルがとても多いようです。
メールに対してこんな事言われたとか、携帯で友達を紹介してもらったんだけど、付き合ったら、あの子は誰とでも付き合うと言われたなどなど。

 特に携帯でのメールは、お互いの感情をくみ取る事がとても難しいものです。
手紙などの文章であれば、いくらつたない表現でも行間に書いた人の心情が読みとれるものですが、メールはそうはいかないでしょう。
 中学生の作文指導をしていると、あまりにも質素な単文が連続したり、行替えがやたらと多かったり、携帯の影響かなと、思ったりします。
 便利な物が増えると、その分悩み事も増えるというパラドックスに、子ども達も気づき始めたようで、「私も、先生みたいに携帯持つのやめようかな」と、先日一人の塾生が言っていましたが、どうなるでしょうか・・・・。

2007年9月 4日 (火)

風と虹の教室

Pa310066 3年前に、大験セミナーは「風と虹の教室」を開講しました。幼児から小学校低学年を対象に、水彩画や造形、自然観察を通じての情操教育を実践しています。

教室の前には、風と虹の教室のかわいいすてきなサインボードが置かれています。東山町の戸田さちえさんに描いていただいたものです。戸田さんの絵には、いつも風の音を聞いているような純朴で無垢なかわいらしいこども達が描かれています。戸田さんの絵を見ると、なつかしい子ども時代の原風景に出会ったような感動を覚えます。毎年すてきなカレンダーをいただき、教室に飾らさせていただいていますが、本当に愛のこもったカレンダーです。

こども達に教えていていつも感じることですが、こども達というのは本当にさまざまな知覚パターンを持っています。教育指導書に書いてある、典型的な指導法がずばりはまるお子さんもいれば、シュタイナー学のような古典的情操教育が、すばらしい成果をもたらすお子さんもいます。

管理される状態をいやがる子。逆にあまり自由すぎる感覚だと、ゆるんでしまう子ども。我々指導するサイドの舵取りというのはほんとうにたいへんなのですが、常に揺らぎ無い一本の軸がしっかりしていればだいじょうぶだと思います。その軸というのは「感情の共有」だと思います。

常に子どものその時々の感情をキャッチしてあげること、単純に言えば、今日はうれしそうだなとか、つまんないんだなとか、そうした日々のこども達の気持ちをわっかてあげることで、初めて指導の準備が出来るのだと思います。

こども達が風の音に耳を澄ますように、私達大人も心の耳を澄まさなければなりません。

体験指導もおこなっています。お気軽にお問い合わせ下さい。

2007年9月 1日 (土)

一関一高附属中学校併設への私見

  去年、一関一高に附属中学校を併設するという記事が新聞に載って以来、仕事柄さまざまな所で保護者の皆さんに意見を求められてきました。今回は、この件についてあらためて私なりの私見を述べさせていただきます。

現在一関市において、私学を含め9校の高校があります。それぞれの学校が地域の特色を生かし、また生徒のいろんな能力を尊重しながら学校運営にがんばっておられます。

また中学生の皆さんも様々な希望を持ち、学校を選択しています。甲子園を目指したいので学院で、と言う方もいるでしょう。また良い大学に入りたいので一高へ、という生徒もいるはずです。福祉を学びたいので二高の総合科を選ぶという女子生徒も多いでしょう。

いろんなニーズによって高校が選択されています。そういうふうに希望を持って高校に入ったにもかかわらず、高校との折り合いが合わなかったり、自分の将来の進路が変わったりして中退していく生徒が多いのも現実です。

25年も前の話で恐縮ですが、私は東京の四谷大塚系列の私塾で、私立中学校の受験指導を2年間ほどやっていたことがあります。            開成、武蔵、等の有名中学校を目指す小学生のレベルの高さに、本当にビックリしたのを憶えています。

小さなこども達が毎日夜10時過ぎまで、塾で勉強する姿は決して望ましい姿ではありません。  しかし、時代が求めていたニーズでもありました。時はバブル前夜、良い学校さえ出れば、将来は約束されたような錯覚を、親達や社会は抱いていたように思います。

時は今、昔のような学歴神話こそ影を潜めた気がしますが、まだまだ高学歴社会への傾倒はぬぐい去れないものがあります。

話はちょっと変わります。現在公立学校の先生方の休職が増えています。精神的ダメージによるものです。   全国で3万人とも4万人とも言われているようですが、過去10年間で2倍の数になっているそうです。    なぜでしょう。それほど学校の環境が悪化したのでしょうか。  私はちょっと違う視点でとらえています。  バブル崩壊後、公務員や教員志望の学生が急に増加しました。        特に教員試験などはすさまじい倍率で、一次試験などはほぼ満点じゃないと通らない、そんなうわさも飛び交っています。間違いなく頭脳優秀な方々が学校の先生なられています。      しかしその努力してきた過程の中で、めんどうが起きそうな人間関係をあえてさけてきた傾向は無かったでしょうか。問題行動の多い、粗野な生徒の心情をくみ取ってあげるという点で、なにか我々教える立場の者に不足してきたものがなかったでしょうか。

小学校卒業後、選ばれた生徒として附属の一関中学校に集い、勉強することは、学びやすさにおいて確かに多くのメリットはあります。   教える側にしても扱いやすい生徒さん達でしょう。 しかし今、格差社会が進んでいる現代社会が故に、弱者や恵まれない環境に苦しむ人達の痛みを、わかってあげられる指導者が求められています。そして、そのような人材を育成していくことが、教育のつとめであると考えます。勉強が得意な人もそうでない人も、真面目な人もおてんばな人も、一緒にワイワイがやがや過ごす時間の中で、構築され熟成されていく教育もあるはずです。

従来通り、中学三年生になってからの進路選択が、この地方の風土に合った教育システムだと、私は考えます。

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