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2025年6月25日 (水)

〜煮詰まる〜ってネガティブな意味じゃないんだよな

高校生の作文添削をしていると、友達と夏休みの計画が煮詰まってゲームに没頭した、なんて言う文章に出会ったりする。

煮詰まると言う表現を、議論などで壁にぶつかって結論が出ないみたいな意味に捉えているわけだけれど、実は全く違う。

煮詰まると言う表現は、議論が進展して結論に達しようとしていると言う意味で、議論が煮詰まって素晴らしい案が出たみたいな使い方をする表現だ。

ひょっとすると日常会話やテレビなどて間違って使われてきたことで、ネガティブな表現として市民権を得つつあるのかもしれない。

言語というものは言わば生き物みたいなもので、時代の流れの中で様々な進化を遂げてきた。例えば否定表現として使われる「絶対」と言う副詞は、絶対行くみたいに、普通に肯定文で使われるようになった。

時代とともに言葉は変遷して行くものなのだろうと思う。

ちなみに「目が点になる」と言う驚きを示す表現は、シンガーソングライターのさだまさしさんが、歌詞の中で用いてメジャーになった表現である。

日々言葉は生まれ、そして変化を遂げて行く。


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2025年6月24日 (火)

まだ6月だと言うのに

真夏のような暑さが、6月の半ばから続いている。夜は窓を開け放して網戸でも暑い。

本来なら7月末から始まる寝苦しい夜が、この時期にしてすでにはじまった。気象観測史上類を見ない岩手の6月の猛暑が続いている。

お米が高騰している中、我が家ではそうめんの需要が急激に伸びている。暑くて食欲が減退する中、そうめんは家計と食欲を助けてくれる。ありがたい。

教室にはエアコンが入っているけれど、身体がだるい。冬から一気に夏になってしまったこの気候には、体がついて行けない感じだ。年齢のせいかもしれない。いやかもしれないではなく、きっとそうだ。

話は180度変わるが、朝ドラなど見向きもしない僕が、NHKの朝ドラ『あんぱん』にはまっている。高校の授業が1限目の時は、家を8時にでないと行けないので観ることはできないが、土曜日の総集編で堪能している。

まさに歳のせいなのか、話が戦争に入ってからは毎回号泣している。作家さんの脚色も素晴らしいが、役者さんたちの演技がこれまた素晴らしい。

いつもNHKに対して批判的な僕なのだが、この『あんぱん』は最高だ。NHKやればできるじゃない。暑い6月を払拭してくれるような展開を期待したいね。


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2025年6月23日 (月)

作者の意図と問題作成者の乖離

ブログを20年間毎日書いてきて思うことだけれど、自分が書いた文章を少ない人数ながらも全く見知らぬが読んでくれているという現実に、不安と言うよりも一種の快感みたいなものを覚えてしまうのは、ブログ病だと思っている。

病気だから20年も続けて書いて来れたのだと思う。

ガキの頃から勉強は大嫌いだったけれど、唯一本を読むことと文章を書くことだけは好きだった。しかし、国語のテストの点数は悪かった。

かっこよく言えば、深読み過ぎて、余計な解答をしていたのかもしれない。作者の意図を読み取れ的な問題は苦手だった。

作家が文章で伝えようとしていることに、いちいち確かなる意図があるのかなと思ったりする。意外と行き当たりばったりの感覚や感性で思いつくまま書いたりしていて、問題作成者が勝ってに後付け的な解釈をしていることってあるのではないだろうか、などと高校で文学国語を受け持っている僕は思うわけである。

ある人が読んで号泣するような一文が、他の人にとってはくだらない駄文に思えることって多々ある。これは音楽でも演劇でもそうだ。でも仕方ないことだと思う。当たり前のことだけれど、みんな生きてきたストーリーが違う。

国語の読解も相手の精神性を理解するのも、相手は自分とは違うんだというその乖離を認めることから出発しなければならないと思う。

ねプーチンさん、トランプさん。


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2025年6月22日 (日)

旧ジャニーズ事務所が残した功罪

SMAPのメンバーに引き続き今度はTOKIOのメンバーの無期限自粛。いずれも旧ジャニーズ事務所に所属してきたスター達だ。

ジャニーズ事務所が旗揚げされたのは1960年代初頭。多くの男性アイドルを輩出してきた。

視聴率至上主義のテレビ界に於いて、ジャニーズ事務所所属のタレントたちは、テレビ局にとってはなくてはならない存在となって行く。

そして民法から国営のテレビ番組まで、ジャニーズのタレントを見ない日はなくなっていった。そしてそこに、権力と傲慢さとお金が渦巻いて行く。

塾でも女子生徒が持つファイルやハンカチそしてグッズにはジャニーズに所属する歌手の顔がプリントされていた。

そのタレントや歌手が売れるかどうかは、本人の実力よりも事務所の力が左右される時代になって行く。テレビへの露出度が多ければ多いほどその存在価値は上がって行く。

女子生徒の会話を聞いていると、あの子ジャニーズ系の顔でカッコいいよね、なんていう男子生徒への評価が聞こえてきた。

ジャニーズ氏の男色志向は昔から有名だった。僕の記憶だと僕が中学生の頃には、そんな話が闊歩していた。

半世紀もの間彼の独裁下に於いて、誰も正面切って断罪できる人もメディアもいなかったことになる。さながらどこぞの国のトップと同じで、戦争をやろうが気に入らない人間を粛清しようが、止められない状況が放置されてきた。

権力を持った人間が勝ち。そんなヒエラルキーを作ってしまったのがテレビ界に於けるジャニーズだったように思う。政治では自民党だ。

権力の長期的な集中は、必ず傲慢とお金とそして非条理が組織に澱んで行く。

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2025年6月21日 (土)

動き始めたマイリボリューション

歌の題名のようなタイトルで失礼します。

昨日今日と、今年度に入って初めて塾への新規問い合わせがありました。中総体地区大会が終わり、高校は中間テストが終わり、ようやく動き始めました。

このまま問い合わせがなかったら、いよいよ店仕舞いの準備かなと思っていましたが、ほっとしています。

35年間ずっと究極の綱渡りで塾を営んできましたが、今年度の危機的状況は塾家業の中でもワースト3に入る状況でした。

僕の塾は立地条件からして、高校生は一関一高の生徒がほとんどです。一高は進学校なので英語にしても論文指導にしても、これでもかと言うほど宿題演習が出され、しごかれます。だから僕が指導すべきことはあまりありません(笑)。

一方私学をはじめ進学高校でない高校から推薦で私立大学に入る子たちの英語力は大変なケースが多々あります。

大学は学科に関係なく英語は必修です。赤点は60点。大学の難易度にもよりますが、英検3級以上の学力がないと単位は取れません。

そういった生徒たちが大学に入ってどうなるか。やめてしまうケースが多いですね。

僕はそう言った生徒たちにこそ英語を教えたいのですが、なかなか入ってきてはくれませんね。

しょうがないですかね。面接と作文で合格できる昨今、せめて必須科目である英語だけでも推薦入試に組み入れていただくと、僕のような塾もちょっとは恩恵に預かることが出来るんですがね・・・

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2025年6月20日 (金)

子どもは親にされたことを子どもにしてしまう

僕は、このタイトルに書いたようなことは稀であって、親にされた嫌なことは子どもにはしないだろうと若い頃思っていた。

ところが親に虐待された子どもは、自分が親になった時にやはり自分の子どもに対して虐待行為に出ることが多いらしい。

普通自分がやられて嫌だったことはしないと言うのが僕の常識だったのだけれど、自分がやられたから子どもにもすると言う行為は、勉強不足の僕には謎だった。

なぜ虐待は連鎖するのか。精神障害のような遺伝的なものなのか、もしくは刷り込みのような行動規範として、そのような行動を体得してしまうのか、かつていろんな文献を読んで考えたことがある。

幼児期に親に与えらる言語行動は、善悪の関係なしに子どもは模倣する。ただそれだけのことだそうだ。僕はすらっとここに書いたけれど、実はこれが子どもの能力や性格形成にも言えることなのだ。

親の言動が子どもの人生を決める。

勉強しない子どもに、なんで勉強しないんだと愚痴りながらくだらないテレビ番組を見て酒を飲んでいる親。

親戚にお金を借りたけれど嘘ばかりついて返さない親。それを見ている子ども。

平気で人から借りたものを返さない生徒。嘘をつく生徒。頭にくるとすぐ暴力を振う生徒。その原因はほぼ親にあります。でも現在の教育現場では口が裂けてもそのことを親には言えません。

学校の教育が悪いからうちの倅がこうなったんだろうが、と言われるのが火を見るより明らかです。

僕らの仕事は家庭に介入できません。金八先生のようなストーリーはあり得ません。余談ですが、学園もののドラマがヒットした年は学校が荒れるそうです。ドラマの中の先生像がひとり歩きし、学校の先生がしょうもない普通のおっさんやおばさんに見えるからです。

しょうもない普通のおっさんやおばさんでいることが大変な世の中なんですがね。

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ありきたりの言い訳

なんで勉強しないの?

つまんないから。

なんで働かないの?

自分に合った仕事がないから。

なんで結婚しないの?

めんどうくさいから。

僕は批判すべくこの記事を書いているわけではない。こう言う若者が増えていると言う現実を述べているだけだ。

基本的にどう生きるかは各人の自由だと思う。だからやりたくないことはやらないと言う主義は存在する。僕は臆病だし世間体を気にする人間なので、やりたくなくても、周りの空気感次第ではやってしまう。そして疲労する。

自分が我慢すればいいことなら、我慢してしてしまう。小さい頃からそうだった。したがって自由奔放な人間を見るとすごいなと思う。

ありきたりなことだけれど、自分のためと言うよりは、誰かのために僕は生きてきた。家族のため子どものため、そして僕を必要としている人のために。

誰も僕を必要としなくなった時に、僕はさっさと地上から去るつもりだ。

勉強するのも働くのも結婚するのも自分のためだけだと思うと、確かにかったるいし、めんどうだし、どうでもいいやと思うかもしれない。

朝食の準備だってそうだ。自分だけならパンだけかじって済ましたいところだけれど、家族がいるからサラダを準備し、焙煎した珈琲を丁寧に淹れる。

誰かのために僕らは生かされている気がする。


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2025年6月19日 (木)

終わりのないルーティン

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田んぼをやめて9年になる。母が倒れて介護が必要になったのと同時にやめた。故に農家でありながらお米は生協から買って食べている。

休耕田と作付けをやめた畑、そして農道の面積を合わせると甲子園球場ほどの面積になる。それを年に3回刈る。終わりのないルーティンだ。

米の値段が急騰して、農家にお米を作らせたいのだろう。休耕田の補助金 が今年からほぼ出なくなった。作れということらしいが、草刈り機械以外全て処分した我が家では、稲作は不可能だ。

近隣の農家に貸していた田んぼも返された。農作地が増えて手がまわらないらしい。ただでもいいので使用して欲しいのだけれど、高齢者の限界集落に於いては、田んぼをやめたい人ばかりで、やりたい人はいない。

仮に僕がかつてのように本格的な作付けを始めて、全ての休耕田を復活して米作りを自力で始めるとすると、コンバイン・トラクター・田植え機械・育苗用ハウスなど、軽く2000万円を超える。やれるわけがない。納屋のDIYリフォームに20万円を費やしたが、それくらいが僕の限界だ。

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本日なんとか今年度1回目の草刈り作業を終了した。ほっとばかりしてはいられない。最初に刈った休耕田の草が連日の暑さで伸びている。

いつまでこんなことをやっていくんだろうね。休耕田を原野に登記して森にに帰したいのだけれど、固定資産税が上がる。うまく国に嵌められいる感じだ。


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2025年6月18日 (水)

アレルギーのオンパレード

この季節に入ってようやく花粉のアレルギーが沈静化した。2月から4ヶ月間長い花粉との戦いだった。

僕は牛乳が飲めないし、ヨーグルトもダメ。すぐにお腹を下してしまう。りんごもダメ。口内炎になってしまう。

アレルギーのオンパレードだ。お酒は大丈夫と言いたいところだが、発泡酒もお腹の調子が悪くなる。

珈琲が大好きで飲むのだけれど、新鮮な豆を挽いて飲むのはOK。でもインスタント珈琲は口内炎になってダメ。

四半世紀風邪をひいて仕事を休んだことがない僕だが、アレルギーではさんざん苦しめられてきた。身体が過剰反応するが故にウイルス防御ができたのかもしれないけれど、やっぱり自称プレアデス星人の僕は、地球環境に慣れていない。

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野薔薇のように刈られても刈られても、毎年成長し花を咲かせるタフさが羨ましい。


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2025年6月17日 (火)

塾教師は短命?

親しかった塾教師が若くして天国へ行ってしまった。僕と同い年のT先生は26歳の時に、そして東京の塾時代からの友人のA先生は48歳で。

孤独好きで友人が多くない僕にとって、この確率は悲しいほどに高すぎる。

昼夜逆転する夜型の生活に付け加え、食事を取る時間の不規則性が健康に良くないのか、それとも毎年繰り広げられる受験指導の精神的消耗なのかは定かではないが、塾教師は短命とかつては言われた。

現在は教材の作成にしても、受験問題の解析にしてもパソコンやAIが活躍してくれる。昔ほど過酷な仕事ではなくなったのかもしれない。

僕などは地方の少子化と低倍率の影響で暇ができて困っている。一番忙しいのは夏の草刈り作業と冬の薪割り作業である。ただしお金のないストレスはマックスだ(笑)。

笑いと書いたけれど、本当は笑いどころではない。困ったものだ。

お金はないと言えども、住む家はあるし、とりあえず毎日三度の飯は食べることが出来ている。贅沢が言える立場ではない。

塾教師は短命というかつての都市伝説を思い出し、死なないうちに年金をもらうことにした。やっぱり70歳までは待てないね。


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