小学校の高学年の児童が学校から帰ってきて、すぐに塾に行って受験勉強をする日常と、学校から帰ってきて、おじいちゃんやおばあちゃんを手伝って田んぼや畑で仕事をする日常のどっちが児童にとって幸せだとか、将来性が有望だとかいう判断が仮になされるとするならば、その判断基準は人間の尊厳や人間の価値や、人間の生き方そのものを俯瞰したものでなければならないはず。我々教師が、家庭環境に直接介入できない敷居の高さが、実はそこにあるような気がします。
勉強することは大切だよと言われますが、そのことを口にする大人は、勉強することの本質を踏まえて言っているというよりは、世の中大変だから勉強しなさいよという言葉で、一種の恐怖心や不安感を払拭させたいが故のアドバイスであって、勉強することのサディズムを推奨しているわけではもちろんないですね。
誰しも幸福でありたいもの。それは実は勉強しなさいと言う大人もまさにそうであって、勉強することで幸福が手に入るという幻想を、自分に言い聞かせて、自分を癒しているのかもしれないですね。
努力の先には、間違いなくある種の成功が待っています。しかしそれを最終的な幸福と呼ぶのは、現実として難しいものがあります。年配の方が、若者相手に話すかつての武勇伝や成功話ほど退屈なものはなく、たとえ年老いた方でも、さらなる未来を見据えている方は、そんな話はしません。ひょっとすると、勉強や努力が大切だとも語らないのではないでしょうか。
人は生きざまでしか、人生を語れないような気がします。受験生に勉強が大切だとは、あまりにも当たり前すぎて言えません。僕が言えることは、自分と大切な人を守るすべを身につけてねという事ですかね。そのために人間は頑張って生きて行くのだと思います。
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今日は一関修紅高校の単願入試。いよいよ入試が始まりましたね。
・・で、今日は僕の授業がないので、スコップを抱えて雪を掻きわけましたら、見つけましたね、春を(^^♪
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今日は不登校に関して僕の個人的な意見を述べさせていただきます。お子さんが学校に行かない、もしくは行けない状態を一番心配しているのはお父さんやお母さんです。でもですね、心配しすぎると身体に良くないので、自分のこどもは三年寝たろうだと思えばいんですよ。
育て方が間違ったとか、わたしの責任なんて思わないことですね。やたらと心療内科を梯子したり、宗教に頼るのは疲れるのでやめましょう。お子さんの求めている魂の目標と、現代社会が乖離しているだけで、学校に行かないのは病気でもないし、ご家庭の責任でもないですね。親御さんが大丈夫だと思えば大丈夫ですよ。
人間関係が苦手なら動物相手の仕事でもいいだろうし、自宅でのパソコンでの仕事でもいいだろうし、自然の中の生活でもいい。ある意味サバイバル可能な場所はこの地球上にいっぱいあります。
僕は先生なんて呼ばれる仕事をしているわけですが、子どもの時宿題が大嫌いでした。大人になってからもそうですが、誰かに強制されるワークはダメですね。だからずっと自由な生活をしています(笑)。中学生や高校生は莫大な宿題を学校から日々頂いています。ゆえに塾から課題を出す余裕も隙間もございません。
今僕が学校に通う生徒なら、間違いなく不登校になっていたでしょうね。なにせ中学校の夏休みや冬休みにだされる○○の友みたいな薄っぺらのワークさえやらなかったダメ生徒でしたからね。基本的に学校はつまらないですよ。部活のヒーローだとか、大好きな子が同じクラスに居るなんてことであれば、頑張って行くんでしょうけれどね。
嫌なことが多い世の中です。嫌だな~と思っても思わなくても、ほとんどの人に明日はやってくるわけで、ある種の鈍感さみたいなものを身にまとって、少々のことは気にしないことが、楽に生きる秘訣なのかなと思います。努力は大切って言うけれど、自分の命を危険にさらしてまで勉強や仕事をする必要はないと思うんですよね。めちゃくちゃ頑張った人は、もちろん偉いし、凄いと思うけれど、頑張らないからって、人間性や人格まで否定されちゃたまったもんじゃないですよね。
高校時代の体育の先生がよく言っていたフレーズなんだけど「人は生きているだけで丸儲け」って言う言葉、僕は好きでしたね。
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寒中お見舞い申し上げます。
今年は思うことがあって、年賀状を失礼しました。いただいた皆様ありがとうございます。
一関は昨年12月14日より連日の雪と極寒で、道路は完璧なアイスバーン。自宅から仕事場への往復でへとへとになる毎日です。朝晩、いつもの2倍の時間がかかって、軽トラックのブレーキを踏む足が痙攣しそうです。皆様ご自愛くださいませ。
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