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2017年10月 9日 (月)

須川岳に登頂

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先週は急に須川岳の紅葉が見たくなり、いわかがみ平まで軽トラックを飛ばし、震災後初めての須川登山をやってきた。
 
次から次へと登ってくる登山者の数は半端じゃなく、原宿の竹下通りのような賑わいだった(笑い)。写真のように登山道は頂上まで整備され、1500メートルを超える近隣の山々のなかでは、一番登りやすい山かもしれない。
しかし、油断は禁物、先月登った五葉山同様、この日も転倒した高齢者の方がいて、防災ヘリが救助にやってきた。体力・気候を考慮した登山を敢行していただきたい。
それにしてもなんと紅葉のきれいなことか。須川岳の紅葉はナンバーワンですね。心が洗われました。

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2017年10月 8日 (日)

将来を展望する力


今年も中学3年生は志望校決定の時期になりましたね。近年中学校では、将来就きたい仕事に対応する進路指導をしていますが、僕は中学校時代に将来の仕事を展望できる子どもたちに感心してしまいます。
僕が中学校の時なんて、けつきゃちゃにして遊びまくって(笑い)、将来の仕事なんて、みじんも考えていませんでしたね。
てが、高校の時も大学に行ってからも夢見がちな人生で、大学の卒業式の日に、就職先が決まっていなかった馬鹿やろうでした。
その馬鹿やろうのまま、生きてきてしまったので、変な大人の見本みたいなおやじになっているわけで、困ったものです( ;∀;)。...
人生の設計は大切だと思います。確かに堅気な生活を求める人生もいいでしょうが、迷ったら、わくわくドキドキする方向に舵をとれば、お金のことは別にして、人生は楽しいと思いますね。
人生選択の力は、読書力と比例する気がします。自分を律する力も読書によって培われるんでないでしょうか。
受験生の皆さん、迷ったら直感で手にした本を読んでみてください。大切なヒントが行間に潜んでいますよ。きっと(⋈◍>◡<◍)。✧♡。

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2017年10月 6日 (金)

一関で一番月謝が安い塾パート2

入塾してきた生徒さんに、どうやってうちの塾を知ったのって聞いたら、『一関で一番安い塾』で検索したら大験セミナーがヒットしたからと、教えてくれた。
チラシを出さない僕の塾は、SNSで僕の塾を知って、入会してくれる方が多い。自立学習型個別指導というキャッチフレーズを冠しているが、なんのことはない、寺子屋塾だ。
受験学年が定員になったという記事を書いてから、何件か受験生から問い合わせをいただいている。曜日と時間帯の都合がよければ若干入塾が可能です。よろしくお願いたします。
ただしこれからの入会は、週2回コースが限界ですのでご了承ください。

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2017年10月 3日 (火)

季節は加速する

先週仕事で使ってきたパソコンが崩壊して、Windows10のpcに変身した。操作に慣れるまでちょっと難儀していたが、使ってみると、それなりの解放感があっていい。
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ところで10月に入って急に冷え込んできた。我が家の猫娘は、常時スイッチをオンにしているプリンターを暖房代わりにして日々眠っている。
この光景をみるとこたつの季節が到来する。そして中学校は文化祭の準備だ。季節は一気に加速して、今年も残り3か月を切った。受験生も後半戦に突入だね。

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2017年9月30日 (土)

時代のスタンスというのを共有してきたはずだろうけれど

ありふれた日常の中で、僕らが当然と思っていることが、当然じゃなかったリする。一人ひとりの人間は違う存在だ。たまたま生まれ育った国や地域の特性や習慣に基づいて僕らは行動規範を作られ、思考してしているが、それを否定する権利は、実は誰にもない。

権利を主張するのは、必ず他者の欲望がそうさせているのであって、人間が生きていく性(さが)である。個人対個人の競争や物資の取り合いは、スポーツや教育や経済社会を見れば一目瞭然で、共存繁栄の陰には必ず、搾取する人間と搾取される人間が存在する。

能力の差、運の差、しいていは霊格の差まで、持ち出されれば、努力がすべてだと信じて頑張ってきた人間が戸惑うのは当たり前だ。しかし、どうも今の時代を俯瞰すると、心や魂の問題をスルーしては、人間を語れない時代になった気がする。

最近は科学が量子力学を語りだし、科学と宗教の境界線が非常にあいまいになってきた。宗教というと語弊があるかもしれないが、人間の思いが現実を構築し、社会を誘導してきたと言えばいいだろうか。政治や教育がどうもいい方向に進んではいない。その心配は、明らかに学校という現場で顕著になっている。しかし教育者はそのことを気づいていても声を大きくはしない。

僕のPCのメール欄には、日々学校における問題の相談がやってくる。そのほとんどが学校の対応に対する疑問や不安だ。意外かもしれないが、そのほとんどは塾生の保護者からではなく、部外者の親御さんからのものだ。地域で四半世紀以上寺子屋を営んでくると、そういった相談は増えてくる。

まあ確かに各学校の校長先生は僕と同年代なわけで、いわば同じ時代を生きてきた人間だ。時代のスタンスというのを共有してきたはずだろうけれど、立場は全く違う。塾教師としての僕は、教育はサービス業だと思ってやってきた。サービス業なので、支払っていただく代価として、知識を提供し、楽しい時間と空間を提供してきた。そうでなければ、継続しない。

学校は違う。若干私学の先生方には、僕の思考と共通する部分があるが、やはり一般に教諭と言われる立場の人間は、強い。実はこの強さが、子供たちやご父兄を戸惑わせる。そのことに気付いている先生もいるだろうが、実は自分たちの強さを気づけば、心の在り方としての対応が違ってくるような気がする。

強い人間に立ち向かう人間は、どのような日常性をとるだろうか。自分が優位じゃないとすると、様々な策略を講じてくる。相手が弱いとなると、傲慢な態度になる。そのジレンマを開放するのが優しさなのだが、構築された資本主義経済のこの世界では、かりそめの優しさが充満してしまい、本音が虚構のオアシスの中で、埋没している。それを掘り起こす気力が必要だろうと思う。

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2017年9月29日 (金)

家族に支えられて

昨年以来、塾を営んできて幸いだと思ったことはない。母の介護が始まってこの仕事に感謝をしている。

50代の働き盛りで、親の介護の為に早期退職を余儀無くされた方の話を随分耳にする。僕の場合は午後からの仕事なので、母に食事を出すのも病院に連れて行くのも、時間的な制約はあるにしても、仕事を継続するのに、なんら支障はない。

夕方から夜にかけては、仕事から家内や息子たちが帰宅するので母を任せられるわけで、本当に助かっている。

母がデイサービスの日は、施設の方が車で送迎をしてくれるので、その間草刈り作業やら、趣味の神社探訪などをやらるわけで、大げさに言えば、タイミングの神様が、僕の人生を守ってくれている気がして、感謝でいっぱいだ。

このブログも書く頻度が、だいぶ少なくなり、サボりの感があるが、まあご了承頂きたい。

震災直後、生徒が集まらず、四苦八苦していた僕の塾ではあったが、,昨年から震災前の状況に復活でき、去年そして今年と、実りの秋を前にして、受験学年は定員を迎えることができた。こんなちっちゃな寺子屋塾を選んでくれた、親御さんや、生徒たちに感謝でいっぱいである。

27年という歳月をどうにか走り続けて来ることができた。開塾の年に生まれた息子も今度の冬がやってくると28になる。同じく僕も年をとったわけで、あと3年で還暦を迎える。

卓球のコーチに行っている、中学生のご父兄たちからは、コーチ80歳まで現役OKですよなどとおだてられるが、今年塾のコピー機とエアコンを新調したので、これらが壊れるまではなんとか頑張りたいと思っている(笑い)。

実は現在、震災後使用してきたパソコンが壊れ、修理に頼んでいる。今打ち込んでいるのは次男のノートパソコンだ。仕事から帰ってきて疲れているにもかかわらず、僕が使えるように夜中までかけて、パソコンをスタンバイしてくれた。ありがたい。

家族に支えられ、よたよた状態ではあるが、なんとか生かされているかねごんである。今年の秋も、市民センターの芸能祭りや、小学校でのライブの依頼を頂戴した。ギターを抱えて、曲作りも頑張らなければならない。ぼちぼちでんな~。

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2017年9月25日 (月)

17年ぶりの五葉山

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昨日は五葉山に登って来た。17年ぶり。記憶を遡ると、小学3年生だった息子を連れて登って以来の五葉山だった。一緒に行ってくれた友人の今野さんに感謝である。

40歳を過ぎて著しく体調を崩してからは、登山を控えていたが、今年は6月の早池峰登山に引き続き、五葉山も登ることができた。再び登山をできる体力が戻ったことが、正直嬉しい。

さて受験学年も昨年同様、定員のマックスに達した。来年の3月まで、驀進だな。

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2017年9月19日 (火)

男女平等?

敬老会が80才以上になったのはいつからだったろうか。昔はもっと年齢が下だったですよね。
ところで10人に1人が認知症時代と言われる昨今。寿命は延びましたが、それに脳の判断力が追従できなくなってきているのが現状です。僕の母もその認知症を患っていますが、果たしてこれが病気かというと、どうもそうとも言い切れず、自然体で付き合って行くしかないんでしょうね。
昔は認知症などというしゃれた表現ではなく、ぼけ老人とか、そんな言葉が闊歩していましたが、年齢と共にやって来る認識力の欠如を予防する方法は、緊張感を持って最後まで頭を使うことですかね。アルツハイマーのような病気の対処法はまた別でしょうが、高齢者の方が長期入院すると、認知症の進行が早まるようですね

薬があるようで、ないようなもので、子ども返りしていく自分の親を、根気よく見ていくしかないようですね。
認知症というのは、確かに大変ですけれど、近づいてくる死の恐怖が、反比例するかのように遠のいて行く感もあり、ひょっとすると、遺伝子に組み込まれた、恐怖減速装置なのかも知れませんね。
90歳がごく当たり前になった日本社会。僕は現在50代後半にさしかかりましたが、90歳というと30年以上あります。生きることはないでしょうが、ちょっとくらっとしますね。だってあと30年以上生きるとなると、正直大変ですもんね。
子どもの数が少なくなって、高齢者が増加して行けば、経済は困窮します。
子どもが少ないことに加えて、そのこどもたちが、結婚適齢期になっても結婚しないわけですから、どんどん人口が減って行くのは必然ですよね。
教え子たちにも多いです。結婚が面倒くさいって言う子。女子はバリバリ結婚願望があるようですが、男子はないですね。奥さんや子どもを養っていくことがしんどいって言うんですよね。
僕はこれは近年の男女平等教育の負の部分の表れじゃないかと勘ぐっているんですね。
同じ年齢の子どもを見ればわかりますが、明らかに精神性は女子が上です。学校の成績も女子がいいという学校が多いのではないでしょうか。そこへ男女平等の理念を、日常に持ち込まれ、男子も裁縫をしなさい、男子もしっかり合唱に参加してね、という教育が施されてきました。当然のことなんですが、昭和30年代生まれの僕にはちょっと違和感があるんですよね。
裁縫や料理の実習なんていえば、間違いなくさぼっていましたし、放課後合唱の練習などと言われれば,確実に逃亡していましたね。男がやってやれるか!てなもんですよ。
本能的に男の方が、女性より馬鹿なことぐらいは知っていましたから、肉体や様々な社会勉強に力を入れていましたね。部活の先輩に女の口説き方を教わった最後の世代じゃないでしょうか(笑い)。
脂ぎった男の子が、消えましたね。クールでいんでしょうけれど、どんなもんでしょうか。男女平等教育の本質ってちょっと違う気がしませんか。

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2017年9月14日 (木)

生きて行く理由

人生50年と言われた100年前。そして今は人生90年の時代に突入した。競争原理が人間の生きる活力になっているかのような社会に於いて、自分らしさを表現することがとても難しい時代になってきたように思う。
自分が社会にどう貢献できるのかという前に、生活する基盤さえも脆くなってしまう日常性の中で、生きる希望を渇望する多くの世代が今、人生の意味を問うている。
宗教や信仰に救いを求める人たち。学歴や社会的地位に安住を求める人たち。
震災以後自殺者の数が減ってきていると言われるが、それでも毎年3万人弱の方が、日本で自らの命を絶っている。自殺未遂は、この数の10倍に達するという。
運命に翻弄される人生を、いかに自分でコントロールできるかということに視点を置くことはとても危険なような気がする。とかく根性とか努力ということを、教育の中でインプットされてきた僕らは、人生の敗北を努力不足とみなす傾向がある。
スポーツ競技を見て欲しい、いくら頑張っても最後の勝者は一人しかいない。その他のプレーヤーは全員が敗北者となる。どの時点までの自分を良しとするかが、各人の目標であり価値観だ。その価値観を他人の価値観に委ねてしまう傾向がある。
情報化社会というより、情報過多社会だ。世の中に迎合しようとするあまり、自分の本来のスタンスを喪失し、コントロール不能に陥ってしまっているのが、今の僕らじゃないだろうか。
その象徴が、お店で外食している家族や友人や恋人たちの姿だ。会話をするわけでもなく、黙々とスマホをそれぞれが見つめている。自然と心と身体が整うわけがない。
僕は4年半前までは、携帯電話を所有していなかった。現在ガラケーと言うやつは持っているが、スマホは持っていない。ゆえにSNSを自宅外の場所や仕事場で閲覧することはない。ラインもやらない。テレビもほとんど見ない。
生きるということは、活動することだろう思う。身体を動かし、頭を動かし、時に汗を流し、時に笑い、時に泣き、時に怒る。これらの身体および感情の動きが、全てその人の運命や躍動感に間違いなく連動していくものだと思う。
中学校や高校は、あまりにも宿題を出し過ぎる。夏休みなど本を読む時間も自然の中に出かけて行く時間もない。彼らはゆえにちょっとしたスキを見つけてはゲームや架空のバーチャルな世界にはまり込む。鬱の若者が増えて当然の原因を、間違いなく経済優先の社会が作っている。
勝利者にならなくていい。若者たちには楽しみを構築できる人間になって欲しい。生きる楽しみをいっぱい作って欲しい。

2017年9月12日 (火)

大湯環状列石

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秋田大湯の環状列石(ストーンサークル)を先週訪れてきました。長年の夢が叶った旅でした。軽自動車で高速道を3時間半。でも、この遺跡を前にして旅の疲れが吹っ飛びましたね。

縄文時代の遺跡を随分見てきましたが、いつも感じることは、当時の人たちの精神性の高さです。全ての生きる糧を自分たちの力と知恵で手にいれることの困難さは、いかほどのものだったでしょうか。

自然と向き合い、その中から芸術的な遺構を築きあげた縄文人のパワーをひしひしと感じた瞬間でした。

熊の出没が頻繁ということで、遺跡の森の中への侵入は禁止されておりましたが、道路そばの遺跡は近くから見学できました。

北上の樺山遺跡といい、この大湯のストーンサークルといい、まるで彼らが石と対話をしていたかのような、そんな残像が飛来する遺跡でした。

追伸・・・今月に入ってまたブログをご無沙汰していました。休耕田の草刈り作業が忙しく、雨の日ぐらいしか書けません。ご了承ください。

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