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2017年8月19日 (土)

色気より食い気

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昨日、山形の大学に通っている卒塾生のKさんからお土産のクッキーを頂いた。たまたま中学生のコギャルたちが居合わせて、視線は完全にお土産にくぎ付け。

夜も半ばの頃には、まるでオアシスを通過したイナゴの大群のごとく、クッキーは消し去っていた。

色気より食い気だな。

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2017年8月17日 (木)

夏期勉強会延長のお知らせ

予定であれば本日で夏期勉強会が終了だけれども、8日間を4日間と勘違いしていた生徒がいたり、部活の予定が急遽変更になって来れなかった生徒がいたり、良心的な僕は(笑い)勉強会を二日間延長することにしました。明日も明後日もあります。よろしく!

それと、今年も中学3年生の定員がわずかとなりました。大験の寺子屋でやってみっかな~という生徒さんがおられれば、連絡ください。

それではみなさん、教室でお会いしましょう!

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2017年8月16日 (水)

【個人業主VS大手資本店】


田舎町のバイパスを走ってみるとわかるが、どこの町も沿道に立ち並ぶお店はほぼ同じ。ハンバーガーショップからリサイクルショップまで、大手資本の店が立ち並ぶ。

巨大な駐車場とけばけばしい電飾の看板。確かに多くの雇用が生まれるが、確実に昔ながらの個人業主は消えて行く。
ゆえにバイパスの華やぎとは裏腹に、駅前通りはどこの町もシャッター通り。

我々の業界も例外ではない。僕が一関で開業した時は塾は7件ほど、そのほとんどが個人塾だった。27年経った今、塾の数は3倍。そしてそのほとんどが大手資本によるフランチャイズ塾だ。
全国津々浦々、教える先生の力量は別として、どこの町でも同じ教材とカリキュラムが準備されているという点に於いては、フランチャイズ塾は当たり外れがない。月謝も統一されている。
そういった大手資本に立ち向かうためには、融通の利く日常性と、価格による対抗、そして合格実績が勝負だ。

・・・・と言いつつ、危機感あふれる文章をかましてしまったけれど、僕は心配していない(笑い)。僕の所は最初からつぶれているようなもので、塾以外の副業でなんとか生きてきた感がある。副業と言ってもIT関連のようなこまちゃけた副業ではない。農業や様々なバイトだ。

6年間ほど週3日、高校の授業に通い続けた。そしてどさくさに紛れて、短期大学の非常勤講師も依頼され、計7年ほど学校で先生と呼ばれる仕事をさせて頂いた。この副業から大きな学びをもらった。それからというもの塾での僕のスタンスも変わった。

大手はマニュアルの世界だけれど、個人の指導と言うのは、その人の人生観が100%だなということだ。

これはひょっとすると商売にも言えるかもしれない。哲学を構築した瞬間に、人は集まってくる。愚痴を言っている暇があったら、先代の方々の多くの知恵を学ぶべきだと思う。

100人の人がいたら、その多くに受けようとしてはいけないようだ。100人いたらその1割の人に確実に受け取ってもらえるものを提供すれば、その1割の方が同調する人を間違いなく連れて来る。

・・・・しがない個人塾の輩がお盆早々偉そうなことを言ってしまった。失礼しましたm(_ _"m)。

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2017年8月15日 (火)

残像

年に数回見る夢がある。大学のそばのバス停から、最寄りの駅に向かうバスに乗ろうとするのだけれど、決まって反対方向のバスに乗ってしまう。

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知らない町に降り立った僕は、途方に暮れることになるのだけれど、いつも夢はそこで終わる。

学生時代の僕は、学生街の華やぎとは裏腹に、都会の雑踏にある種の違和感をいつも抱いていた気がする。その違和感を言葉で説明すれば、浮遊感とでも表現すればいいだろうか。

バスに乗る時の不安。例えば小銭があるだろうかとか、このバスは目的地に着くだろうかとか、バイトの時間に間に合うだろうかとか、たわいのない不安の中で、僕は青春の残像に引きずられる夢を見る。

お盆期間、関東方面の車がいっきに増える。きっとそんな光景に触発されて、また夢を見たのだろうと思う。

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2017年8月12日 (土)

記憶

自慢することじゃないけれど、人の名前が覚えられない。高校で非常勤講師の仕事をしていた時も、生徒の名前を覚えるのに本当に大変だった。

それでよく塾教師が務まるなと自分でも大反省なのだけれど、名前に対する記憶のメカニズムがどうも混線してるようだ。

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その代わりというのもなんだが、人間の醸し出す感情や、思考のくせに対する記憶は、自分で言うのもなんだが、覚えている。従って、町を歩いていて「先生お久しぶりです」などとかつての教え子の方から声をかけられると、案の定名前は浮かんでこないが、彼なり彼女が、どのような思考形態でものごとを掌握するタイプの生徒だったかは、瞬時に浮かんでくる。言ってみれば職業病だな。

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2017年8月11日 (金)

多忙のなか

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今年はお盆休みもなく働き続ける日々。墓掃除はやったけれど、仏壇の菊などはまだ用意しておらず。自宅に帰るとかみさんが、庭の花を花瓶に。

ご先祖様もこっちの花のほうがいいんじゃないかな。ということで明日も4時半起き。おやすみなさい。

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2017年8月10日 (木)

生産性を重んじるあまり、どれほどの素晴らしい原石を見捨ててしまったことか

若者が若者の状況でいられる時代というのは、実際のところ長い。結婚をして子どもが出来ても、表現は悪いがあんちゃん、ねぇちゃんのような雰囲気で闊歩している方は多い。若いね~という言葉は褒め言葉と言うよりは、ちょっと批判めいた感じがしないではない。

しかし、あんちゃん、ねぇちゃんであるがゆえに、家庭を持ち子どもを育てることは大いなる学びで、間違いなく人間として大切なコアーを身に着けて行くと僕は考えている。だから、若いのに親になってだいじょうぶかしらというのは,心配のし過ぎではないかと思う。確かに幼いがゆえに育児放棄という親もいるが、これは歴史を遡れば、いつの時代もあったことで、少なくとも現代社会に限った病理などではない。

逆によく、若いのにしっかりしているという表現があるけれども、世間が評価しているしっかりしているというのは、判断力があって、独立心があることだと思う。つまりは自分自身に対して、自己責任能力をしっかりもっている人間のことを形容する言葉のような気がする。

20年ほど前から公立の学校に於ける不登校が増えてきた。いつの頃からか定かではないが、行きたくないというのを無理に強制させても・・・という風潮が生まれ、なんとなく学校に行かない状況を容認する社会が生まれている。

いじめられるから学校に行けない。先生が暴君だから行かない。部活を強制されるから行かない。給食が食べられないから行かない。学校のトイレを使えないから行かない。宿題がやれないから行かない。学校に行けない理由に正当性を持たせるとしたら、ひょっとするとすべてが正統的な理由なのかも知れない。

一方、そりゃ違うだろうという観点から見れば、全ての理由が瓦解する。職業柄、不登校に対して意見を求められることが多いのだけれど、僕は個人的には学校に行かないという選択肢はあるのかなと思う。しかしそれは、あくまで個人的救済や、何らかの個人の目標があっての話で、全ての不登校にYESということではない。

学校に行かないというチョイスはさほど問題ではないが、深刻なのは、不登校が引き金になって、そのまま社会から孤立してしまうことだ。不登校の半数の生徒が、大人になっても引きこもり状況という現状を、我々はもっと真剣に受け止めなければならない。

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高校に行き、そして大学に入らなければ、まともな仕事がないという観念を植え付けられた若者たちは、その観念に立ち向かう前に、逃避をしてしまう。我々は若者たちに、職業の選択の自由を、もっと大胆に、そしてアグリッシブルに提供しなければならない。この社会は、生産性を重んじるあまり、どれほどの素晴らしい原石を見捨ててしまったことか。その社会的損失は計り知れない。 

先ほど述べたように、若者でいる時代は長い。その間に培われるであろう忍耐力や、協調性や社会性を軽視する教育であってはならない。人生を有意義に生きるということに於いて、ある程度の学歴や経済力が必要であることを、若者たちに知らしめることは大切だけれども、それが絶対条件であるかのような洗脳であってはならない。

彼は運動能力はいいんだけれど、勉強がね~とか、彼女は頭はいいんだけど性格がね~などという人物評を耳にする。当然のことだけれども、完璧な人間などいない。だから人間は努力をするわけだ。

中・高生は、入試勉強が大変だと言うけれど、おっとどっこい待ってくれと言う感じだ。人間死ぬまで学びの連続だ。若い頃が一番学びやすい。だからことさら勉強することを推進されるわけだけれど、実は一生涯勉強だ。

中庸であることは難しい。しかし平均的な人生を歩むことは決して青春の敗北ではないし、諦観を装う大人の仲間入りでもないのだ。30を過ぎ40になり、そして50になっても、間違いなく青春の塊はくすぶり続けている。燃えてしまえば、あとはいっきに驀進だ。ためらうことなかれ!

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2017年8月 8日 (火)

北上市の樺山遺跡

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夏休みにおすすめしたいスポット。北上市の樺山遺跡(かばやまいせき)。縄文時代の遺跡ですが、環状列石を見ることができます。

川風が爽やかで、西に目を向けると、駒形山を中心とする夏油三山を展望できます。縄文人が住居を構えた場所は、必ず風景がダイナミックで心が躍ります。ぜひお子さんと訪れてみてください。

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2017年8月 7日 (月)

15年ぶりのいわかがみ平

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栗駒山のいわかがみ平に行ったのは、数えてみたら15年ぶりぐらいになる。この辺りを震源とする内陸大地震が起きてから、初めての栗駒山となる。

ここに登る途中、7名の犠牲者がでた駒の湯に立ち寄った。昨年温泉場が復活し、小さいながらも営業を再開していた。7人の亡くなられた方々を供養する慰霊碑が建立されていた。

蝉しぐれの中、こんこんと湧き出る硫酸塩水の湯は、疲れた身体を癒してくれた。2008年、マグニチュード7.2、震度7の巨大地震の爪痕が、いまも荒らしく残ってはいるが、鎮魂の風が栗駒の里をそよそよと吹いていた。

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2017年8月 5日 (土)

配志和神社のパワーがとまらない

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6月に平泉中尊寺を頂点とする六芒星の地図を公表した。僕なりの根拠と歴史的背景を、興味を持って頂いた方々に説明してきた。

六芒星の真ん中に、配志和神社が来ることを書いてから、この神社のそばの磐井中学校の生徒さんの入会がとまらない。塾を27年間やってきて、こんなに一つの中学校に生徒が偏ることは初めてのことだ。

何かの会合やセミナーで訪れた場所で、偶然見つけた神社にお参りしたら、その神社の近くの生徒が入塾してきたということは、結構あった。神社オタクゆえに、ちょっとは神様に愛されているのかなと、勝手に思ってきたが、今回の入会ラッシュはただ事ではない。

ひょっとしたら、この六芒星のパワーが、生徒を導いているのかも知れない。ありがたや~♥

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«そんな矢に撃ち抜かれ、天を仰ぐことがある